TRON MMK28 Ferrari 312B3 1974

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 えー、みなさま、新年明けましておめでとうございます、です。新年とかいっても、ちょっと前みたいに松の内の間は満足に店があいていないとかいうこともないし、なんだか季節感にとぼしかったりするんですが、まあ、それはそれ、一応2000年の正月です。ZZつくりながら除夜の鐘をきいたり、ウレタンクリアをかけたポインターが固まるのをまっていたりしながら、子供にお年玉をあげて、実家に年始に出かけて、あとはPE2なんぞをしながらのんびりとしています。東急ハンズだって3日からあいているしなあ。

 この製作日記もどきをみてくれている人も確実に増えているようで、どきまぎしています。カミムラさんと同列に並べて紹介されたりしちゃうと、恥ずかしくて顔から火がでそう。技術としてはまだまだいいかげんというか、がんばんないといかん水準ですから。ただ、ここを読む人の役にたつように、今年もいろいろと挑戦したいと思います。めざせ、新技術開拓!

 と、いうわけで年頭のごあいさつといたしまして、今年の一発目の1/43は、悩みに悩んだあげく、TRONの312B3になりました。メイクアップの126Cとか、TameoのT5とかもいろいろつくりたいのだけれど、ちょっとこれがずっと気になっていたもので。B3というのは、有名な312Tがでてくる直前の車で、当時のフェラーリの迷走している感じがみえてくるような、バリエーションの山です。最近ではHecoから素敵な完成モデルが販売されたりしていますが、なかなかキットには恵まれなかった車でもあります。一応、手元には10年近く前、まだ大阪にいたころに五反田のコジマで入手したダラーリのキットの後期型B3があり、今回のTronはそれの少し前のかたち、という位置づけ。後期型というのは、もうほとんど312Tみたいなカウルだけれど、前期型はもっと無骨で、独特の存在感があります。これを、いかにモデルに表現できるか、が勝負でしょう。

 キットは、以前ちょっと触れたようにGPMから個人輸入しました。古いキットではない、のですが、不思議な感じのするキット。メタルパーツはそれなりにダルいけれど、エッチングや挽物のパーツも大量に用意されていて、まるでF.D.S.とTameoの間のミッシングリンクみたいな感じです。なんだか、ちゃんと組み上がるかどうか不安。ただ、ちゃんとつくれれば、312B3からT、T2、T3、という具合に歴史がつながっていくので、コレクションにはどうしても加えたい。

 と、いうわけでしばらくこいつをがんばってみたいと思います。

 

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 さて、普通の日記に戻る。今日は、横浜アリーナでのV6コンサートに家族ででかけてきた。いろいろあるけれど、個人的には前回やってくれなかったTakeMeHigherをやってくれたので満足。しかも、何曲か前から、間奏やイントロにじわじわとTakeMeHigherのイントロを混入させてしだいにもりあげてくれたものだから、もう、キテしまった(笑)。前回のトニコンもおもしろかったけれど、こちらもこちらでおもしろい。前はなかった十台前後のカメラ、ミレニアムコンサートでビデオつくる気かもしれない。うーん、客をいれないで、ビデオ専用の回を一度やってくれるとかっこいいのができるだろうになあ。岡田君、二部では体調崩してしまった、というので心配している。一部では、あんなにきれのよい踊りを見せてくれていたし、ピアノも実に気持ちよさそうに弾いていたし、だったのでなおさら、一部でエネルギーをだしつくしてしまったのだろうか。

頭部打撲、とか。とりあず異状なし、ということらしい。今後にひびかなければいいけれど。

 帰りは、例によって駅がすくまでラーメン博物館で食事。

 さて、B3。細かいパーツのあわせを確認しながら全体の雰囲気をつかむところである。メタルパーツとエッチングパーツの合わせ、その他を確認中。エンジン部なんか、はげしくまがりまくっていたのでそれを直すところからはじめたりして。おどろいたのは、エッチングパーツのあいが予想以上によいこと。第一印象とは随分違う。これは、つくりやすいかも。


ならべてみるとこんな感じ

 いまのところ、装着用のピンを黄銅でセットしたり程度の工作しかしていない。これって…素組み? しらなかったけれど、Tronのキットって、もしかして比較的初心者向きなのかもしれない。

 正月につくったZZ、MGの歴史みたいなものを感じてしまった。とくに、Zとくらべると、各部のジョイントはかっちりとしていてゆるむ心配はないし、なによりプラが重くて濃い。Zと並べると白の濃さ、手に持った重さ、まったく別物。いや、別物じゃないな、この色と存在感は覚えがある。PGのそれだ。そうかあ、なればこそ、次のPGはZ、なのかもしれない。うーん、楽しみである。楽しみ、だけど、値段はPGガンダムの倍くらいになるんじゃないか?

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 三連休、らしいのだけれど、この時期くらいしかまとめて実験できないので研究室に通っている。マイクロインジェクションなんか、模型づくりと複合してなんだか研究しているんだか遊んでいるのだか。遊び、といえば、最近執着しているのがバキュームフォームなのだ。昨年、掃除機の先端につける小道具を買ってウインドシールドをつくったりしてはいるけれど、もっといろいろやりたい。と、いうわけで電熱器を買ってくればいいものを、相棒の入れ知恵で(彼女は大学で教員やっていた時にいろいろと作品製作をしており、こういうノウハウが豊富なのだ)、正月の東急ハンズで高熱ドライヤーを購入。一万円ちょっと。これは、先端から10mmで450度の熱風が出る代物。先端からの距離で熱を調節できる。スタンドに立てても使える。

 これで、プラ板に熱を加えて「ゆるめて」から、掃除機で吸引、する。さらに、型の上にプラ板をあてて「上から熱風をあてながら」吸引する、ということもできる。うーん、結構簡単かも。なんだかわくわくする。これで遊んでみたのがこういうモノ。

 カナダのジル・ヴィルヌーヴ博物館から買った126Cのキーホルダーと、それからバキュームしたプラ板。こんな感じのが簡単にできるわけで、ちょっとかたちがダルいけれど、プラ板が厚いせいもある。これは、楽しいなあ。

  三つ並べてみました。左端が元。中央は以前「型取り君」でつくった型にプラリペアで複製したもの。そして右端が今回の。ちょっと赤く塗ってみました。もっと研鑽するぞ。

 B3は、こんな感じです。

 ホイール、タイヤ、ウイングの磨きだし、ボディの塗装。タイヤはフジヤのものに置き換え。ボディはモデラーズのピンクサフとフェラーリレッドをそれぞれスプレーで。ちょいちょいとタッチアップしてからボディはデカール貼りの予定。楽しいなあ。こうやって見てみると、なかなかのプロポーションである。

 チョコエッグ、「チョコエッガーの連携」によって第二段もコンプリ目前! 多分、数日後にはコンプリしている予定。お世話になったみなさん、どうもありがとう。来月の第三段でもがんばるぞ(しかし、残り48種+1、かあ…)。

 

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 なかなか先にすすめない。仕事だったり、風邪をひいていたり。B3はデカール貼ったあと、ウレタンクリアをかけて固めているところ。前の時以上に固まるのが遅い。


みてくれはなにもかわっていません…

 これで何回か使ってみたわけだけれど、ウレタンクリアの感じとしては…

・固まるのに時間がかかる、湿度依存なので硬化の時間がなかなか読めない
・硬い。研ぎ出しはたしかにできるけれど、でも、大変
・下地をきちんと洗っておかないとはじく。下地を侵さない代償かも
・ねっとりした光沢がでる。陶器の上薬みたい

 というところかな。好みもあるだろうけれど、薄く繊細な表現にはむかないかもしれない。逆に、研ぎ出しなんかしないつもりで吹きっぱなしでおわらせる時は結構いけると思う。ただ、ちょっとした違和感を感じなくもなくて、次はまたオートクリアにしてみようと考えている。

 渋谷の東急で古本市、という案内を受けて初日に顔をだす。模型雑誌なんか、 Hobby Japan がちょっぴりあったくらい。F1のパンフとか、いくつか興味をひくものはあったけれど、探しているモデルカーズのバックナンバー(1,15,17,20の四冊)が全然みあたらないので何も買わずに出る。ポピニカのバッカス三世号とかイーグルとかもあったけれど値段もすごいし。古本といえば、恵比須のミスタークラフトにはまたしてもモデルカーレーサーズのバックナンバーが入荷していた。と、いってもVol.7以降で、かつ、12,13,14は欠けているけれど、Vol.8の「活字のない工作ガイド」なんかは工作ノウハウの本としてもよい出来だし、ぜひお手元に、という一冊なので、興味のある人はぜひ。

 最近、e-bayでSeller ships home country onlyというのが増えていて悲しい。そのせいでF1のパンフなんかは参加もできないのが結構あった。なんか、いろいろ残念。やりとりしていても「以前、日本の人とトラブルがあったから心配だ」とかいわれたこともあるし。日本yahooのオークションなんかでもトラブルみかけるし、今年はオークションの社会認知の年になるのかどうか。とりあえず、最近e-bayで手に入れたのはコレです。43のキットがみつからなくて、ミニカーもみつからなかったところe-bayで発見したもの。ジルが映画「コンボイ」を見た後、カンヌの街中でスピンターンやってのけたというアレ。 Polistilの1/25です。

 あと、昨年イタリアのショップに注文してバックオーダーになっていたProter製1/12のT3が到着。初期型である。うーむ。これもすごいなあ。サスペンションパーツが金属、なんていうのは予測ついたけれど、配管系のパーツその他をひとつのランナーにまとめて、ゴムでキャストしてある… ぐにょんぺにょんのランナーをみた瞬間、絶句してしまいました。デカールもきれいなんだけれど、車番の数字がばらばら(笑)。つまり、11番と12番は、1と2をくみあわせて貼るわけです。デカールシートの面積はかせげるだろうけれどねぇ。あと、ボディの白・赤塗り分けについての指示が説明されているのは親切かもしれない。基本的に赤は成型色を使え、ということで、どうやって白をきれいにスプレーするか、というはなし。フロント部分はテープでマスキングしなさい、コクピット後部は専用のマスキングシールがついているからそれを使いなさい、と。あーしかし、1/12なんていつつくれるんだろう。やっぱり、職を決めてからひっこし? でも子供が中学出るまでは動きたくないしなあ。


 製作日記はクリアかけただけなのに、これではまるで買い物日記みたいだけれど、GPMからTronの126C2が届きました。タンベイのドイツGP車。いまつくっているB3の感じがよいので調子に乗って注文したもの。B3よりも古いキットなのでちよっと荒いところもあるけれど、なかなかつくりやすそう。それにしてもエッチングの説明に決まって訂正がはいってくるのはなぜ? Tronのキットは、あとひとつ、「80年の126CK」(?)というのを注文してあるのでこれも楽しみ。

 Elite Designというところの1/43キットで、BMW 320i Gr5 LM77というのを入手。リヒテンシュタインバージョンなので、デカールをつくんないといけないわけです。目的は1977年のMosport6時間。エディ・チーバーとジルが組んでクラス一位、総合三位に入った車。前面と右側面は写真があるのだけれど左と後ろがさっぱりわからない。Faltzにメイルしたけれど、レースは20年も前にやめてしまっていて手元に写真ないよ、とかいわれちゃうし。この手の車つくるのははじめてなので細かいエッチングパーツなんかでどこにつくのかわからないものも多々あり。いろいろと調べなくては。


 ジャニーズ対文春の裁判、始まる。で、それにあわせるかのように週刊文春に「再開」された「キャンペーン」がなかなかみっともなくていい味だしている。元タレントはなぜ「偽証」した、というタイトルもすごいけれど、内容がまたしても、アレです。今回の内容は昭和35年、つまり、ジャニーズという事務所がいまのような栄華をほこるよりも何十年も前の出来事なのだけれど、時代考証がどうみてもヘンなのである。初代ジャニーズの四人を現名和プロダクションのところに預けたところ「文春に書いているようなことを告白され」たので、子供たち(初代ジャニーズのメンバー)の「両親に事情を話し」てジャニー氏に身を引かせた、のだそうな。ここでのポイントは四人のレッスンをしていたのはジャニー氏ではなく、四人を「あずかっていた」名和プロの人間であったこと、名和氏は当時すでに芸能学院をつくるような位置にある人間だった、のに対してジャニー氏は(それが初代ジャニーズなんだから当然だけれど)名和氏とくらべても芸能界で「顔」のききかたに差がある存在だったこと、だ。つまり、四人のジャニーズ達がNHKのドラマに出たり、という背景のレッスンは名和プロだった、ということ。そして、「文春にかかれているような告白」について両親と相談の上、ジャニー氏をはずした、ということ。

 で、それでもしばらくして「保護者たちから、子供達の希望なのでジャニー氏、メリー氏の元にもどすといわれ」て子供たちは「去っていった」のだそうな。子供を持つ親なら、誰でも、ここで大きく首をかしげざるを得ない。どうして「文春にかかれているような」環境に子供を戻すなどということを親が「わかっていて」やるのだろうか、と。それについての文春的ケツロンが「偽証」なのだからステキである。名和氏がおこした(ここ、重要なポイント)裁判で名和氏にとって都合のいい発言をしなかった「子供」は「本当のことなんかいえませんでしたよ…ぼくたちはもっともっとビッグなスターになりたかったんだし、ジャニーさんについていけば間違いないと思っていましたから」だそうな。あれ、ちよっとまてよ? だって、レッスンしたのは名和プロでしょ。芸能界での実績やコネがあるのも名和プロでしょ。ジャニーさんについていけば間違いない、だなんて、それこそ「なにいっていいかわからなくなっちやった」子供に判断できたはずがない。まさか、40年先の未来が子供たちにははっきりとみえていたとでもいうのかしらん。つまり、それって「現在のジャニーズをベースに判断した」時の言葉だろう。まあ、文春が「最近」になってその時の子供に問い合わせた時の言葉なのだから、信憑性としてもその程度、というわけか。実際、当時の時点では、確実にタレントとしてやっていけるのは、まだほとんどなんの実績もないジャニー氏ではなくて名和氏のところだったはず。うーん、と、いうことは、「もっともっとビッグなスターになりたかった子供」が、それでも名和プロにいたくない事情、それも、名和氏に個人的に世話になっていて大きな恩義のあることを十分に承知しているはずの子供たちの両親をも納得させるだけの事情が、四人が四人全員にとって存在した、ということになる。まったく、子供たちが寝泊まりしている間に名和氏や名和プロの人間は彼ら「驚くほど可愛い子供たち(名和氏による表現)」に対して、一体全体なにをやったんだ? いや、「親に相談の上」去っていった、というのだから、たぶん名和氏のこの記事での発言の中にその答えは実は明確に示されているのだと考えられる。そして、僕の考えているとおりだとすれば、子を持つ親なら絶対に名和プロから子供をひきはなすだろう。たとえ、「そこにいて我慢すれば」もっとビッグになれるとしても… また、僕の考えているとおりだとすれば、名和氏が「損害賠償の請求」などというおかど違いな訴訟をおこさなくてはならないほどに「気持ちがおさまらなかった」ことにも説明がつく。もっといってしまえば、今回の記事を見て、随分いろいろと「名和プロダクション」について検索したのだけれど、実はほうぼうのサイトを使っても一件もひっかからなかったのだ。ふーむ。

 ここで名和氏がおこした裁判に目をむけると、それは「四人がスタジオで学んでいた時の授業料などの支払いを求める訴え」なのだという。で、当時を振り返る名和夫人は同じ記事の中でこう語るのだ。「私たち夫婦に子供がいないこともあって、育てるのは楽しかったです。誰からも、授業料や食費、交通費など、いっさい貰っていません」… え? その授業料などを求める損害賠償の裁判をおこしたんですか? なんというか、嫌な人だな、この名和というのは、と思ったけれど、その先をみるともっと面白い。

 当時はプロダクションに契約書などが存在してなかった、といった上、ジャニー喜多川氏は道義心のない男だという印象がありますね、ときた。契約書がなかった、というのは契約書をつくらなかった名和プロの失態でしょう。その上で、名和氏の言葉をそのまま受け止めるならば、ジャニー氏のところのほうがビックなタレントになれる、と子供と親が判断してうごいたのであれば、「道義心がない」のはその親子のほうということになるのではないのか。特に、契約書がなかったのならなおさらだろう。しかも、名和氏の主張の支離滅裂さはここで最大に発揮される。なんと、子供たちが名和氏のところを去り、ジャニー氏のところに去ってしまった「すべての発端」は「ジャニー氏のわいせつ行為だ」という主張で法廷に持ち出したのだから。じゃ、なんですか? 子供も親も、ジャニー氏がわいせつ行為をしたからジャニー氏のもとにいってしまった、と、こういうことになっちゃうんですけれど。まったく、「道義心がない」のは誰か、こういうところで明白となってしまう。この裁判を担当した裁判官に対して、僕は深い同情の念を禁じ得ない。ようするに、金のタマゴを産むニワトリがよそにいっちゃったから「いっさい貰っていなかった」はずの授業料などを払え、とやくざのような絡み方をした裁判なのだから。

 ここで、ちょっと興味深い点がでてきた。「タレントと契約書をかわしていなかったから」という名和氏の言葉である。ジャニーズ事務所がジュニアとタレント契約をしていない、というのは文春が何度も繰り返して強調してみせたところでもあるけれど、それってようするにジュニア達はそういうかたちでしばられていない、という事でもある。ジュニアをやめたところで、ちゃんと華と才能のある人間ならよそで仕事をすることもできる。事実、そういう具合に事務所を離れてからも成功している実例は何人もいるではないか。こういうところからも文春の立論のもろさとあやうさが露呈している。たぶん、「レッスンつらいからやめたんだけれど、どこのプロダクションもひろってくれなかった」いわゆる「元ジュニア」が背後でたくさんすっぱいぶどうをしているのだろうなあ。

 でも、この「偽証」というのはすごい表現である。もし、本当に偽証だというのなら、それは別の罪になるだろうに。ようするに「犯人山田みつこ」といっしょで、発言の責任意識にとぼしい記者が残念だけれど文春には存在している、ということ、それをチェックできない程度のデスクだ、ということなのだろう。今回の裁判で、証人として何人の元ジュニアが証言できるのかしらないけれど、彼らが文春に都合のいいことをいわなかったり、都合の悪いことをいったりしたときは、この手のロジックで「彼らはこういう理由で偽証したのだ」という記事でも書くための予防線なのだろう。あれ、つまり、文春は裁判での証言についてはすでに自信がなくなってきている、ということかもしれないぞ。証言台には立ちますけれど、「本当の事」をいいますよ、とかいわれちゃったとか(笑)。なにが裁判でおころうとも、自分達は悪くないもーん、というスタイルになってきているわけで、ああ、やっぱり魔女狩りやりたいんだねえ。

 事務所は二回分しか訴えてきていない、もう三回目から二ヶ月もたっているのに、とか書いたこの号が出た日の新聞で「第八回までを対象とした」と報じられちゃったのは、まあ、記者さんの読みとつめのあまさだからみてみぬふりしてあげるけれど、この偽証うんぬんというのは、なんというか、すごいですな。

 ところで、記事のどこにも書かれていないのだけれど、結局、その名和氏のおこした「育てるのは楽しかったからいっさい貰っていなかった費用だけど、自分ところから逃げられてくやしいからやっぱり金よこせ裁判」はどういう決着がついたのだろう。わいせつ行為をすれば、タレントはみんなわいせつ行為をした人間についていってしまう、というこの名和氏の「見識」は氏が高齢だということをさっぴいても人としてちょっと許しがたいものがある。この名和氏の態度のほうがよっぽど「相手に逃げられて逆ギレして刺した(告訴した)ストーカー」的にみえるのだけれどね。

 さて、文春は今回の名和夫人みたいに、いまさらになって「マスコミの方には初めてはなすのですが」みたいな事実関係の確かめようのない昔話で記事をつくりつづけるのだろうか。次あたり葦原将軍にでもおでまし願うのだろうか。

 ここから私信みたいなものだけれど、震災の時に「暴利」があった、というのは別にあとになって矛盾がでてきたのでもなんでもなく、当時からすでに報道されていたことにすぎないのだけれど。当時、ちゃんとニュースをみていた? 訪問した村山首相に向かっておむすびをつきつけて「これ、期限がきれているんですよ! 政府がちゃんとしてくれないから」と騒いでいた人たちとか、復興にあたってビルを再建するのに、できるだけ早期に完成させる、という大事な点よりも自分の得のほうが優先されたことで着工まで迷走に迷走を続けた事とか。ほぼリアルタイムになにもかも報道されていた。そこには震災を被害者の美談にはしないぞ、という報道のいきごみすら感じた。榎木君、物事はきれいごとや饅頭の薄皮とは違うところから見ていかなくては見えているものもみえなくなっちゃうよ。日記みていると、すくなくともその危うさだけはあいかわらずなようで少しだけ心配なり。

 

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 うわぁ、もう一月がおわっちゃう。なんだか早いぞ。さて、B3は細かいものをちまちまとくっつけはじめているところ。リアサスまわりなんかは、エッチングもちゃんとあうし、気持ちよいのである。

 ウレタンクリアなんだけれど、厚めにのせたところにひびがはいってしまった。表面と内部との収縮に差がでたのだろうと思うのだけれど、これは注意点の一つですな。
 おもしろいのは、シートベルト用の青いシートとエッチングパーツがはいっているのに、説明書にはこれについてまったく触れられていないこと。こういうのがあるから、初心者にすすめるのには躊躇してしまうのだったりする。

 Rally Cars on the Deskの徳永さんちにリンクしてもらった。アリヤさんの時もだったけれど、文章を読んでくれる人がリンクしてくれる、というのはおもはゆくて、でも、とてもうれしい。ディスク領域が許すかぎりがんばろっと。

 最近のe-bayから二点。ひとつはPolistilの1/40の312T5。シールも台紙についたまま、というもので、形はなかなかよい。イタリアの人からゆずってもらった。

 もうひとつは、gridというシリーズからジルのカードを三枚。これ、全部でどれくらいあるんだろう。

 ひどいのは下のカードで、1977年の写真でBMW360iということに裏書きではなっているのだ… DirectFilmMarchじゃん… 期待したのになあ。と、いうわけであいかわらずBMW360iの後側の写真とか左側の写真とかをさがしています。

 四月からの仕事が決まった。今の職場は三年という任期があって、しかも更新不可、ということなので、ここのところどたばたとしていたのだ。とりあえず、今度は期限つきではないし、講義をちゃんと受け持つことにもなる。情報基礎のほかに環境科学も受け持つので、生物から完全にはなれることにもならない。もっとも、はじめのうちはどたばたしてしまうだろうけれど、とにかく、当面の課題は引っ越しである。でも、これでストックしている1/12をつくれるかな?

 ここ数日は、ガンサバイバーで遊んでいる。一人称視点というのは恐い。これは、ある意味では最初の恐さが再現しているかも。ガンコンによる移動も慣れると楽。そういえば以前タイムクライシスやっていたときはガンコンが重く感じたけれど、今回はそんなこともない。どうやら、普段からサムライエッジで遊んでいるせいらしい(笑)。あ、引っ越したらエアガンで遊べるような広い場所がいっぱいあるかもしれないな。

 PGのZ、PGのRX78の倍くらいじゃないか、とかいっていたら、案の定、ずばり倍、の価格だった。うーむ。三月発売、ということは、買うだけ買っておいて、つくるのは新居で、だろうなあ。組んじゃうと、引っ越したいへんだし。

 

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 小間物をくっつけて、完成間近。

 結局、追加したのはテールランプをTronの別パーツから、と、ボディ上から後サスにつながる部分を付属のエッチングではなく、洋白棒でつくりなおしたくらい。これ、B3の「メカメカしさ」の支えの一つだから、結構印象がかわるところかもしれない。あとは、タイヤとミラーなんかをくっつけたら終わり。

 43つくっていると、いくつか気持ちの段階というのがあって、ボディの塗装が終わったとき、デカールを貼りおわったとき、前後のウィングをつけた時、そして、タイヤを前後とも装着したとき。段階ごとに、なんだかにんまりしてしまうわけで… そして、完成しちゃうと、並べてうれしいのと同時に、その「にんまり」をまたあじわいたくて次のキットの箱を空けてしまうわけです。うーん。次、どうしよう。

 PGZ、24000から20000にさがったみたい。でも、同時期に発売されるプラモをみていると結局24000ぐらいつかっちゃいそうな気がする。うまいぞバンダイ(笑)。

 徳永さんのところではじまった43のMLに参加させてもらっている。こうやってみると、結構43人口っていそうな気がしてくる。千葉の八千代にも、いるかしら。

 

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 残った小物パーツをくっつけて、完成。

 うーん、約一ヶ月かあ。だんだんペースがあがっているような気はする。さて、次はなににしようかな。年度末のどたばたがおちついてほっとできるようになるまで、間を開けるか、とかも思ったのだけれど、この、気持ちが不安定な状況に43をいじっていない、というのも逆につらいから何か考えなきゃ。少し悩みます。四月のはなしも何やら不穏な空気が流れているし…

 模型雑誌、MGがやっぱり妙。なんだか、パランスが悪い。おもしろかったのは、「∀ガンダムをめぐる語られなかった20のキーワード」。ネタバラシみたいで楽しい。たぶん、続く富野インタビューがなければこの記事がほうぼうで批判や誹謗にさらされていたのだろうな、と思う。「正解大好き」なガンダムモデラーさんたちはどう読んだのだろうなあ。それにしても、Iフィールドって結局はミノフスキー粒子だったわけかいな。ふーん。

 そして、あさのまさひこによる富野インタビュー。インタビューといっても、結局はあさの氏はなにもしていなくて、富野が自分の言いたい事を言っている、という感じがよい。「正解」とか「リアリティ」というキーワードを一方向からしか捉えられない人たちには、このインタビューは、というか富野の言葉は挑戦的だし、不愉快なものだろう。なにせ「バカ」だもんね(笑)。あさのが何か言って、それに対して、「いやそうではなくて」というかたちの繰り返しで展開していく、という、実に奇妙な「インタビュー」記事、でも、あさのクン、ここであなたが発言しているコトを、あなた自身のいつもの主張とてらしてごらんよ、といいたくなっちゃう。まあ、「シドミードっぽさ」をだすには写真の上に鉛筆でそれっぽく線と文字を書きいれる、という実にべたべたなシンボリック適応をしちゃう方だからなあ… どこかずれているのも仕方ないのかな。

 ところで、富野監督、シドミードの次のデザイナーを探しているのであれば、ゴードン・マーレイあたりはいかがでしょう。お金はかかるでしょうけれど、またまたすごいものが出てくるのでは、と。もっとも、ガンダムモデラーな人たちからは嫌われるようなデザインかもしれないけれど。

 ターンXの作例もとてもきれいなしあがりなんだけれど、なんだか本編の雰囲気と随分違う。もっとも、MGは∀の作例でもいつもなんだか違うから毎度のことではある。それに、こっちは放送で動くターンXもみてしまっているから、スクラッチしていた時の状況とは比べられないわけで。フェイスの雰囲気なんか、動くとこをみないとつかめないものね。雑誌作例の宿命、といいきってしまっていいのだろうかなあ。

 ケツロン。模型は「ガンガン作って心はダメダメ」に続く名言が「好きにおつくり」だと。もちろん、ここには富野監督がブレンの特番で語っていた「個性」とも関連する意味が含まれているのだけれど。「自己訓練しないと、自由につくることはできない」という補足があるのもそのためだろう。「自分を殺して、殺して、それでも最後にどうしても残ってしまうもの、それが個性だ」という言葉とも重なる。とても簡単だけれど、とってもむずかしい。案の定、電撃の掲示板ではいろいろにやりとりがあったし。


 週刊文春は、セレクトされたファンレターとか(一部、あやしげなほど文の達者な記名投稿もあったっけ)、文春の記事をそのまま受け売りした(たぶん、誰かがもちこんだのだろうね)ニューヨークタイムスとか、あいかわらず新事実に基づく報道からはずれっぱなし。でも、どうして「情報提供した子供たち」が事務所を訴えました、という報道にならないのだろうかしら。いつまでも「よそのメディアがこの件にふれないのはジャニーズが圧力をかけているから」みたいな口上をくりかえしていても意味ないではないか。もし、本当に文春の書くことが事実であるならば、その二十時間以上ものインタビューに応じた自称被害者達は、とっくに訴訟を起こしているはずなのに。裁判でコトが公になるのを嫌がる、なんていうことは、文春みたいな雑誌にネタを売り込んでいるのだから、ないはずだし。記事でも告訴の準備をしている、とかあったしねえ。それに、文春に信頼があれば、警察だってとっくに独自捜査しているはずなのに。いいかげん、そろそろまともに内容のある記事を書いてもらわないと、文春もいわゆる文春世代から飽きられてしまうのでは、と危惧してしまう。
 ピュリッツァー賞記者の記事は、そこはかとなくバランスがとれていて、いつもの文春とはちと違う。ちゃんと、記事が正しければ、という仮定をおいているしね。ただ、この記者の言葉でちょっと危ういのは、トラウマがみてとれる元タレントへのインタビューから、その元タレントの言葉は真実だと確信した、というくだり。ほんとに記者なのかな、と思う。トラウマが明白である場合に、確実にいえることは、「その当人が、なんらかの目にあった」という事実であり、そこで語られる関係事項が真実かどうかはまた別の問題だろうに。事故の記憶、事件の記憶が、トラウマティックであったから、という理由だけでは正当化されないように、そこから、その発言の信憑性を判断するのは早計だろう、ということだ。ひとつだけいえるのは、その元タレントが、誰かからひどいめにあった、ということだけ。
 あ、でも、そのことを先の名和プロでの「出来事」と関連させて考えると、なにがしかの道筋がみえてくるような気がする。初代ジャニーズ達は、おそらく、その態度、様子、親の態度などから、トラウマともなりうる目にあっていたことは事実だろう。ただし、それをなしたのが誰か、という点については「かたられている」ことではなく、「なされたこと」、つまり、彼らが「どうしたか」「どちらを選んだか」で判断されなくてはならない。印象や記憶は正確さを失うことがありえるが、「その当時のさしせまった決断」は誤りようがないからである。そう考えると、子供たちが自分のところから出ていった理由をセクハラに求めざるを得なかった名和氏の立論、というものは、今回の文春のシリーズ記事の根底に流れるうさんくささと同質のものといえるだろう。つまりは、「そういうこと」なのではないか。

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 リクエストにおこたえして(笑)、別の角度の写真なぞ。

 後ろにはダラーリの後期型B3とFDSの312Tが鎮座していたりします。ラウダ三台、というかんじで。うー、あんまりいい写真じゃないなあ。

 四月から、専任の仕事だあ、とよろこんでいたら、先方の事情とやらでとりあえず何年は非常勤で、といわれてしまった。うーむ。どのみち後はないし、ここががんばりどころだろうし、ちょっとがっくりではあるけれど、背水の陣のつもりでがんばらねば、ということだなあ。新しいことへの不安、みたいなモノがうずまいていて、ちょいとばかり落ち着かない。ま、なるようになるんだろうけれどさ。新生活がはじまって少したつまでは…落ち着かないんだろうなあ。さいわい、転居予定先の家賃はいまとかわらないし、いまよりはひろいから生活にはゆとりができそうだし(経済的にはともかく…)、というわけで、決心の二月となったのでした。

 がんばんなきゃ。