ほぉむぺえじ(Adobe Pagemill2.0とWebの可能性)

 年末に送付したクーポン券によって、一月の半ばに日本語版のVer.2.0が送られてきた。実際にはAdobeのサイトから日本語版2.0のベータ版を入手して試用していたので、新鮮な驚きはあまりなかっわけだけれど、やはり正式版はベータよりもよくなっている。なによりも差がはっきりしていると感じたのは日本語入力時の反応速度で、随分ストレスが軽減されている。

 1.0からの違いという観点からみると、まずクライエントサイドイメージマップがサポートされてことによってイメージマップの作成が容易になった。早速、大学の写真案内ページに導入している。やはり、こういうものがあるほうがわかりやすくなるし、地図として育てようという気にもなってくる。テーブルに対応したのもうれしい。特にExcelからペーストされた表を自動的に変換する機能はうれしい。ただ、せっかくだからExcelだけでなく、クラリスワークスの表にも対応していてくれればもっとよかった。結局、このためだけにExcelを再インストールしてしまったけれど。デフォルトのスタイルを登録できたり、インライン入力が初期値でオンになっていたり、と、ここにも書いた不満点はほぼ完全に改善されている。もっとも、画像の保存場所についてはいまだにちょっとわかりにくいのだけれど。書類にDropできるオブジェクトの種類が増えたようで、これも感覚的に使えてよい。できれば、JPEGファイルなんかも複数一度にDropできればもっとよかった。オブジェクトを対象とした検索・置換ができる、というのもありがたい。ただ、この機能はPagemillよりもSitemillのほうに欲しいものだろう。あるいは、次のバージョンあたりでSitemillと統合されていくのかもしれない。AOLやFrontpageなどがサイト管理機能に近いものをもっているわけだから。あと、マニュアルの厚みが倍増して、以前よりもよみやすくなった。

 CD-ROMの中にはいろいろなCGIツールやその他の便利ファイルが大量におさめられていて、すぐにつかえるようになっている。この中のNetFormをつかってみたけれど、簡単にフォームがつくれる。「ご意見ご感想コーナー」をつくろう、と考えていたところだったのでこれも重宝している。

 この際だから、「生物学科裏ページ」の内容をもう少し発展させようかと考えている。いわゆる「公式ページ」との差はすでに明白なので(いや、これほどまでに「明白」なのはまた別の意味で大きな問題なのだけれど、それはこちらではなく教室の問題である)、さらなる飛躍を考えよう、というわけだ。すでに平行して充実している「キャンパスの自然」ページもどんどんよくなっていく最中だし、うまく内容をつなぐことでおもしろいものができそうである。

 もうひとつ。実は、教室内の問題の一つとして(また、いろいろな「問題」があるのだけれど)、学生の将来に濃い不安をなげかけるようなできごとがあった。これから研究者としての人生に踏み出そう、という若者の、その将来に対する夢や希望をうちくだき、「こんなことならなにをやっても無駄なのではないか」と思わせるような、薄汚いできごとがあった。おとなしい最近の学生も今回ばかりはさすがにその不安と恐怖をおさえつけることができない、と、不慣れながらもきちんと物事を明らかにしようとしている、とも聞く。もちろん、学生の将来に影を落とすできごとであるだけでなく、「それ」はひとり教室内にとどめて処理しうるようなものですらないのであり、こういう時こそ大学としての正しい言論のあり方が問われているのだが… 官僚化のすすんだことなかれ主義の大学組織では何も、誰も救えない。結局、このままでは学生という、組織の中で最も弱い立場に一方的にしわせよがおしよせ、またしても弱者への不当な処遇がなされた上、あたかもなにごともなかったように誰もが口をぬぐって終わりになってしまう。理不尽な事件に際して、弱者が不当な目にあうことで組織自身が自分への傷を最少におさえる、というやり口は、エイズ問題やオレンジ共済の問題と全く同じ構造によって成立する愚者の楽園の様態である。そんなことにならないように、Webを通してのアピール、及び、意見の募集などを開始しようかと考えている。公式ページ等は、まさに硬直した官僚化サーピスの権化となっている以上、そこには何も期待できない(事実、僕の手を離れて以来、コンテンツの充実は止まったままだし、おざなりの「英語コーナー」がちょっと追加されただけ。どうも、「英語もあるべき」といった「べきべき」したべき論による体裁づくりが先行したらしく、基礎となるべき日本語のほうの内容は貧相なまま。まあ、予測されたことではあるけれど)。

 今はまだ単なる新しいものへの好奇の気持ちがwebを普及させている段階だけれど、ひとつの明らかな方向の先には個人で可能なアピールメディアとしての役割がある。情報公開法のさらなる整備とあいまって、官僚化のすすんだ閉塞した世界に光を照らすのに有効なものとなるだろう。

1997.01.20