第22回日本歯科麻酔学会シンポジウム「歯科麻酔学会認定医の現状と展望」予稿

 

 歯科麻酔学会認定医の特徴は、患者を全身的に把握する全身管理能力を身につけていることであり、それによって、いわゆるHigh Risk患者に対しても安全な歯科治療が可能なように、一般の歯科臨床医に対して協力・指導していくのがその使命であることも、異論のないところであると思われる。しかし、このような認定医が一般歯科治療を主業とする歯科医院を開業して、自ら多くの患者を治療する立場にある場合、医学的・経済的にいくつかの問題が生じてくる。

 認定医を持つ歯科医が開業して、その資格を生かそうとしてまず考えるのは、認定医という資格を広く標榜して自院の優越性をappealすることであろう。そのappーealが浸透して、全身疾患を併せ持ついわゆるHigh Risk患者が数多く自院に来院するようになれば、自院を広く改造してあたかも病院歯科のような高価なモニター類を備え、場合によっては全身麻酔も行えるような、手術室に近い設備を整えていくことになるかもしれない。

しかし、先に掲げた認定医の使命という点からみると、このような発想はいささか一次元的・平面的であるという謗りを免れない。なるほどHigh Risk患者たちはその認定医の医院では安全な治療を受けられるだろう。しかしその結果として、一般の歯科医院に来院するそのようなHigh Risk患者たちは、後述するような経済的理由も相俟って直ちに認定医の医院に紹介されるようになり、一般歯科医たちはいつまでたっても「全身評価・安全な歯科治療への努力」には縁遠いまま放置されてしまう。

 一方で、このようにHigh Risk患者が集中するようになってしまった認定医の医院が、多大な成功を収めるかというと、これにも大きな疑問符を付せざるを得ない。このようなHigh Risk患者を、連続して日夜個人開業歯科医が全身管理・歯科治療の両方を行うのは、その歯科医にとって大変な負担となる。開業医にとって、術中の大きなアクシデント、全身管理の失敗は、そのまま自院の閉鎖につながるからである。また、言うまでもなく開業医に経済的失敗は絶対に許されないが、現在の保険制度を中心とする診療報酬体系では、高価な補綴治療には多額の報酬が約束されているのに対し、患者の内科的管理やそれに伴う検査・モニタリングなどに約束されている報酬はほんの僅かに過ぎない。しかも、保険点数では医科甲表に若干のモニタリングに関する点数が設けられているが、歯科開業医が自院で歯科患者にモニタリングを行いこれを保険請求した場合、診療報酬としてこれら甲表の点数が準用されるか否かは、現状でははなはだ微妙な問題なのである。

以上のように、High Risk患者をこうした全身管理下で治療するには、必然的に周到な準備とある程度以上の治療時間が必要となるが、こうしたことに対する経済的裏付けは、現況では皆無に等しい。換言すれば、High Risk患者を10人診ている暇があったら、普通の「健常な」歯科患者を50人診た方がどれだけ高収入につながるか、は開業している認定医ならば誰でもが思い至ることであろう。 このように考えていくと、開業している認定医の下に徒にHigh Risk患者が殺到するという状況は、単にその開業認定医にとってのみならず社会的にみても、実は好ましいものではないということになる。高齢化社会に伴うHigh Risk患者の増加で、こうした患者達の治療という社会的要請に歯科医が応えて行くためには、安全な歯科治療への努力の重要性を、一般歯科医、惹いては患者に対して説くべきであり、われわれ歯科麻酔学会認定医もその一翼を担わなければならない。

 しかし現状では、歯科麻酔学会認定医の社会的認知は、著しく遅れていると言わざるを得ない。これは、昨年歯科麻酔学会で筆者が発表したように、歯科医師会が中心になって行っている障害者診療・在宅歯科診療などのいわゆる特殊歯科診療の研修体制がほとんど病院歯科のみに委託され、認定医が等閑視されている現状からみても明らかである。実際の診療担当者の一人として特殊歯科診療の前線に立つことも、もちろん大切なことには違いないが、学会認定医の性格上、治療担当医を全身管理面でbackupし、安全な歯科治療に貢献することこそが、認定医の社会的認知につながるのではないだろうか。

 現在の困難な状況下で、開業認定医の展望を軽々しく述べるのはもとより筆者に許されることではない。しかし、いくつかの私見・試案を以下に述べたい。

 まず、High Risk患者といえども、相当に危険な重症例を除いては、出来る限り一般歯科医も主治医となるべきである。これらの患者の治療に際しては、安全な歯科治療についての基本的知識・技術を、ある程度一般歯科医も体得していなければならない。そのための研修を組織化するのは、現状では歯科医師会などの役割になると思われるが、それに歯科麻酔学会認定医がさまざまな立場から協力する余地はあるはずである。

 また、設備・マンパワーの限られた一般歯科医のofficeでは治療不可能なHigh Risk患者も相当数存在すると思われるが、一般歯科医で治療可能か否かのcriticalborderを判断するのに、歯科麻酔学会認定医の活躍も大いに期待される。医療情報のon line systemが整備されれば、各開業医がいながらにして認定医に患者情報を送り、全身評価についての助言を仰ぐことも可能となろう。すなわち、開業認定医が、歯科麻酔専門医であるが故に自院に数多くのHigh Risk患者を背負い込むのではなく、個人開業医で治療不可能なHigh Risk患者については、彼らを診る組織をより大きくとり、その中で主治医・術者を管理面・soft面でsupportする体制が、より望ましいのではないだろうか。

具体的には、これらの患者は市中病院歯科・あるいは歯科大学・大学歯学部などの高次医療施設で診療出来れば理想的であるが、一般歯科医がこれらの患者をこのような高次医療施設に機械的に送り付けるだけ、という現状は改善の必要があると思われる。少なくとも、主治医は紹介した患者の予後についてある程度把握しているべきであり、また紹介する高次医療施設の医師たちにも失礼である。  市中病院の一部は開放型病院という制度を採っている。これは、病院周辺地域の医師会・歯科医師会と提携して病院登録医を設け、登録医は自院の患者を病院内で治療できる制度で、病院が治療の場・マンパワーを提供しながらも治療そのものは主治医が行うため、HighRisk患者の歯科治療に関してはもっと活用されてよいものであろう。この体制の中にも、歯科麻酔認定医は全身管理の担当者としてさまざまな形で積極的に参画できるはずであるし、認定医の使命からみても、社会的に好ましいものであると考えられる。

 しかし、このようなシステムでも、例えば全身管理を担当する歯科麻酔科医への報酬はどこから出るのか、面倒な手続きを経て病院へ患者を連れていくことに一般歯科医が同意するか、など難問は山積しており、簡単に結論の出る種の問題ではない。諸家の忌憚のない意見をもとに、このシンポジウムが少しでも実りあるものになることを願う次第である。    (平成6年8月 新潟大学歯学部付属病院歯科麻酔科 染矢源治教授に提出)