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「ラスト・オブ・モヒカン」(1992年)

 フレンチ・インディアン戦争の最中。モヒカン族の最後の酋長に育てられた白人の孤児ナサニエルは、酋長とその息子ウンカスと共に森の中で狩猟して暮らす生活を送っていた。一方、1757年には英仏間の戦争は激化。フランス軍がネイティブ・アメリカンの部族たちと手を組んだことから、イギリスは現地の開拓民たちを民兵として徴兵し始めた。開拓民達と親しくしていたナサニエル達も、成り行きで半強制的に民兵に組み込まれていってしまう。その渦中で、イギリス軍のマンロー大佐の娘と出会ったナサニエルは、マンロー大佐が守備するヘンリー砦に赴くのだが、フランス軍の手はヘンリー砦に既に迫っていたのだった。

 ダニエル・デイ・ルイスがモヒカン族に育てられた白人孤児に扮する、アクション・ロマン。監督がマイケル・マンだけあって、骨太いドラマが展開されます。ネイティブ・アメリカン達の熱い生き様や、イギリス将校の娘達の誇り高き信念は圧巻。観客を引き込む力を持った作品だと思います。
 残念なのは、ストーリーがかなり慌ただしく進行するため、状況の細部があまり描けていないこと。この作品が、あと20分長くてじっくりと演出されていたら、もっと好きな映画になったでしょう。
 でも、「鷹の眼」という名前を持つ役を、ダニエル・デイ・ルイスは本当に好演。あの真っ直ぐな澄んだ瞳は本当に「鷹の眼」のように全てを見透かしてしまうかのようでした。彼とマデリーン・ストウの美男美女の組み合わせには本当に目を奪われてしまいました。


「ラスト サムライ」(2003年)

 南北戦争の英雄、ネイサン・オールグレン大尉は、戦争終結後も戦場で負った心の傷を抱え、酒浸りの日々を過ごしていた。そんな彼の元に、日本から政府軍を訓練して欲しいという依頼が舞い込む。明治維新を終えたばかりの日本は急速に近代化への途を辿っており、軍備も西洋化したことに伴い、戦術等の訓練を行う必要に迫られていたのだ。その仕事を引き受け、日本へ渡ったオールグレン。だがその日本で彼は、あまりに急すぎる近代化に反対する侍、勝元盛次の軍と敵対し、その戦場で負傷して勝元達の住む集落で療養を受ける羽目になってしまう。そしてオールグレンは、勝元達と触れ合う内、彼らの持つ侍の心、武士道に尊敬と同調を感じていくのだった。いずれ散りゆく運命の、侍達に……。

 トム・クルーズ主演、渡辺謙、真田広之共演の、歴史映画。
 観ている最中、何度か涙をこぼしそうになりました。「常に完璧を求めて、妥協せず、常に自分に厳しい」侍達の生き方。その生き方は常に、自らの生き様と死に方をも含めて完璧なものを目指す厳しい生き方……それを、この映画はキッチリと描いています。
 アメリカ映画でありながら、最近の日本映画が描けなくなってしまった「日本古来の精神」を見事に捉えたその視点に感服。「何か大切なモノを忘れてはいませんか?」と問いかけられた気がして、気恥ずかしくもありました。
 若干、家の中の過ごし方などの描き方におかしな部分もありますが(板張りの間に家人と客人が揃って正座して話をしている、とか)、全体的には日本の描写でおかしな部分はあまりなく、よくぞこんな映画を撮ってくれたなぁ、と感心してしまいます。
 トム・クルーズが憧れた「武士道」精神。それを、誇張を含みながら、非常にわかりやすく描いてくれたエドワード・ズウィック監督のその手腕に、敬意を表したいと思います。
 それにしても、渡辺謙の鬼気迫る演技は本当に素晴らしかったです。


「ラッシュアワー2」(2001年)

 すっかり友人となったリーとカーター。ふたりは、リーの住む香港で一緒に休暇を楽しんでいた。しかしその頃、香港のアメリカ大使館で爆弾テロが起き、ニセ札事件を追っていたアメリカの関税官2名がその犠牲となってしまう。その背後に香港マフィアの組織のボスがいると睨んだ香港警察は、リーへ潜入捜査を命じ、ふたりの休暇はあっけなく終了となってしまった。だが、リーは静かに闘志を燃やしていた。その組織のボスとは、かつて警官で殉職した父親の、昔の同僚だったからである。こうして、ふたりは巨大な事件に巻き込まれていくことになったのである。

 ジャッキー・チェンとクリス・タッカー共演のコメディアクション映画第2弾。楽しい映画ですね。今作は、前作以上にジャッキーのアクションの部分とクリスのトークの部分がうまく散りばめてバランスが良かったように思います。話の展開の仕方はかなり強引ですが、それもジャッキー・チェンの映画らしいかな、などと思ったりします。スタッフ・ロールのNG集まで含めて、とてもジャッキー・チェンらしい映画になっていました。
 ただ、残念なのは、ジャッキー・チェンの動きに衰えを感じ始めてきたこと。「Who Am I」あたりから薄々「少し動きが鈍くなってきたかな?」なんて思っていましたが……こればっかりは仕方のないことですけれども、80年代からのジャッキーファンとしては哀しいですね。ハリウッドに進出したジェット・リーは相変わらずのキレを見せてくれるのですから、ジャッキーにももうちょっと期待したいです。
 そうそう、それから、今作の見所は意外にもクリス・タッカーに多かったことも事実かと思います。いい感じで映画をまとめてくれていましたね。
 敵役のチャン・ツィイーは……もったいないかな? こんなキレキレの役より、しっとりとした役の方が似合う役者さんだと思うんですけどね。今後を見守りたいと思います。


「ラットレース」(2001年)

 カジノのゲームで引き当てた、金色のコイン。それが、このレースへの招待状だった。集められた7名の人間が、ある金持ちの気まぐれな賭けレースへかり出されることになったのだ。ソルトレークの駅のロッカーにある200万ドルを、一番最初に取り出した者に与えるというレース。7人は、駆け引きやだまし合い、足の引っ張り合いをしながら、ゴールを目指すのであった。

 コメディ映画ですね。ウーピー・ゴールドバーグやローワン・アトキンスといった実力派コメディ役者が出演しているこの作品は、本当に楽しい映画になっていました。一部「笑っていいのかな……?」とためらわれてしまう所もありましたが、まぁそれもコメディってことで。いやいや、楽しい作品でした。


「ラフドラフト 殺人実況報道」(1998年)

 ジャーナリストのキースは、ふとしたことから目の前で殺人現場を目撃してしまう。そのキースに対し、犯人は、自分を取材し、記事を書くことを申し出るのだった。売れるネタであることと、良心の呵責の間で揺れながらも、犯人の思うままにあしらわれ、取材を始めてしまうキース。しかし、犯人の行動は次第にエスカレートしていき、キース自身の身も危険にさらされていくことになるのだった。

 ゲイリー・ビジー主演のサスペンス。共演でアーノルド・ボスルーやマイケル・マドセンといった癖のある俳優が脇を固めています。アーノルド・ボスルーは今回連続殺人犯役。こういった役をやらせると、この人の怖さって引き立ちますね、ホント。殺人犯の心の中を覗かされるジャーナリストの話かと思っていたら、その辺は深く突っ込んでありませんでしたね。ちょっとその辺りが物足りない気もしましたけど、エンタテイメントとして成立させるにはこの方がよかったのかも知れませんね。普通に面白かったです。もっとも、そのお陰で何となくただのサスペンス映画として観れてしまったのですから、やはり惜しかったようにも思います。


「ランダム・ハーツ」(1999年)

 家庭円満だった警官が、ある日飛行機の墜落事故で妻を失った。しかし、妻の乗客名簿への登録は偽名でされており、見知らぬ男の妻としてその飛行機に乗り込んでいたのである。妻の不倫を見抜けなかったショックから、男は妻の行動を探り始める。やがて、妻の相手だった男の、本当の妻まで巻き込んで……。

 ハリソン・フォード主演の映画です。「ホワット・ライズ・ビニース」が面白かったので、ハリソン・フォード作品を続けて観たいという衝動に駆られた訳なんですが、この映画はちょっと……(苦笑)。亡くなった妻の不倫をわざわざ辿っていくハリソン・フォードが、とても情けなく見えてしまいました。分からなくはないけれど、もうちょっと大人のハリソン・フォードを観たかったです。


「ランボー」(1982年)

 ベトナム帰還兵であるランボーは、戦場での友人たちを訪ねる旅をしていた。しかし、かつての仲間は死んだり、罪を犯して服役していたりと、なかなか連絡がとれない。そんなとき、たまたま立ち寄った町で、彼はいわれのない排除を受け、町全体を敵に回して戦うことになってしまうのだった。

 シルベスター・スタローンの当たり役シリーズ第1作目。
 これはアクション映画として見応えのある作品であるだけでなく、当時のアメリカのベトナム帰還兵の心の傷を描いた作品でもあります。
 元特殊部隊員として最強の腕を誇った戦場の英雄の役を、スタローンが無骨に演じています。その無骨さが、戦場での記憶により日常生活に適応できなくなった不器用さと、次々と警官たちを「ただ倒していくだけ」という「職業軍人」としての凄みを感じさせてくれます。そして、最後のランボーの姿……その姿に、戦争というものが一兵士をどれだけ追い詰めるかが描かれており、この映画をただのアクション映画ではないものとしていますね。
 余談ですが、この映画は後にシリーズ化されることになりますが、そちらではランボーが国の外に出ていっており、そのためベトナム帰還兵の心情はあまり描かれなくなってしまっています。そして、目に付くのはランボーが体現する「アメリカの正義」。それを振りかざしたためにベトナムの泥沼が始まってしまったはずなのに、シリーズ化したことでそうならざるをえなかったところに、このシリーズの矛盾とハリウッドの限界があると考えてしまうのは僕だけでしょうか。


「ランボー2 怒りの脱出」(1985年)

 服役していたランボーは、軍からの要請を受け、再びベトナムへ向かうことになった。今回の任務は、未だベトナムに囚われ、帰国を果たしていないアメリカ兵の位置を確認すること。しかし、捕虜を発見しても救助はしないこと。それを破って、救助活動を行ったランボーは、アメリカ軍からも見放され、敵兵が支配するジャングルの中へ取り残されることになる。

 シルベスター・スタローンがベトナム戦争帰還兵に扮したシリーズ第2作目。
 前作と違ってベトナムへ行き、そこに捕虜となってとらわれたままの米国兵を救出するというお話になっています。
 ここでどうしても鼻についてしまうのが「アメリカ流の正義」。
 確かにベトナムに派遣された一兵士が悪いわけでもないし、アメリカが正しいと信じて戦ったのであれば、それは報われるべきと思います。彼らには心底同情します。
 しかしそれ以上に同情すべきは代理戦争に巻き込まれたベトナム現地の人々である、ということを忘れてはならないと思うのですが、やはりそこはアメリカ映画。登場してくるベトナムの兵やソ連兵が、揃いも揃って心底憎たらしい奴らばかり。
 ランボー自体のキャラクターは好きだし、上官のトラウトマン大佐が「間違った戦争だった」とは言っていますが、あの戦争はそんな一言では表せないほどの大きな損害・悲劇をアメリカ兵だけでなくベトナムの人たちに与えているはず。そこまではこの作品は表し切れていませんね。
 この辺りが娯楽作に徹してしまった第2作目の限界でもあるのでしょうが。1作目が一ベトナム帰還兵の心の傷にのみ焦点を絞って描いてあったため成功しているのに対し、これはアメリカから外へ出なければならなかったがために失敗してしまった、と言えるのではないでしょうか。
もっとも、この2作目はまだまし。娯楽作としては良くできていると思います。もう3作目になると、印象にも残っておりません(笑)。
 そうそう。余談ですが、この作品のDVD、日本語吹替が収録されていなくてがっかりしました。普段は吹替など観ないのですが、この作品の最後で望みを訊かれたランボーが「俺の望みは! 彼ら(帰還兵たち)が国を愛したように! 国にも、彼らを愛して欲しい」と答える場面が好きだったので。これは字幕ではニュアンスが上手く伝わってこないんですよね。かろうじて前作の「ランボー」とのつながりを感じる部分として、このシーンの日本語吹替は欲しかったです。残念。


「ラン・ローラ・ラン」(1998年)

 ローラはある日、恋人であるマニとの待ち合わせ場所を間違えてしまい、仕方なく自宅へ帰ってきた。そこへ、約束をすっぽかされたマニからの電話が入ってきた。「お前のせいで、俺は命がない」と。訳を聞くと、ローラが約束の場所へ行かなかったために10万マルクの大金を失うことになり、組織から殺されるという。タイムリミットは20分。その間に10万マルクを工面するため、ローラは走り始めるのだった。

 これは、変わった映画ですね。アイデアの勝利、といいましょうか。ゲーム感覚の映画です。ストーリー云々と言うよりは映像重視ですね。映像センスの固まりのような展開はとても楽しめました。主演の女性の気持ちのいい走りっぷりには惚れ惚れしましたね。
 ……ただ、その恋人はちょっと……あそこまでしてあげる程の相手か?(笑)


「リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い」(2003年)

 時に19世紀末。ロンドンの町中を震撼させる事件が起こった。英国銀行が、超近代兵器で武装した謎の集団に襲撃されたのだ。それから間もなく、ドイツでも飛行船の工場が武装集団に襲われ破壊されてしまう事件が起こる。近代化を進めている列強各国は、それらの事件をどこかの国の陰謀とにらみ、それぞれに対立姿勢を見せ始める。それは一触即発の、世界大戦勃発の危機だった。英国政府は、この危機に対し、アフリカで気ままに暮らす大冒険家、アラン・クォーターメインに仕事を依頼することにする。その仕事とは、一連の襲撃事件の首謀者と見られる「ファントム」という男の陰謀を阻止することであった。そしてそのために、英国政府はアランの他に5人を仲間にするようアランに伝える。その5人とは、潜水艦ノーチラス号のネモ船長、透明人間のスキナー、吸血鬼のミナ・ハーカー、不死身の男ドリアン・グレイに、ジキル&ハイドという面々だった。そして、そこに「ファントム」の組織に潜入捜査官として入り込んでいたCIAのトム・ソーヤーが加わり、7人の精鋭達は、「ファントム」の組織に挑んでいくのだった。

 ショーン・コネリー主演のアクション・アドベンチャーということで、とっても期待して観に行ったのですが……。
 うーん、正直、イマイチでした。
 それぞれのキャラクターも、それなりに面白みはあるんですけど、残念ながらキャラクターの掘り下げが決定的に不足してます。そのため、それぞれにドラマも用意してあるんですが、それが全くといっていい程生きていません。
 1本の映画として成立させるには、主役級の登場人物7人というのはいくら何でも多すぎですね。
 逆に、既に出来上がってしまったキャラクターばかり7人使っているんですから、各キャラの葛藤や恋愛模様などのドラマなんてばっさり切り捨て、これまで築かれてきた各キャラのイメージが持つ超人的な力をバリバリと活かす、力押しのストーリー展開をさせた方が楽しく面白い映画に仕上がったんじゃないかと思いますね。のめり込める程のドラマ性も、ワクワクする程の活劇性も不足気味で、あまりに中途半端な出来に感じました。残念。
 あと、技術的にいっても特殊効果に若干甘い手抜きともとれるカ所があったりして、これも残念。映画を作るなら、もうちょっとキチンと作って欲しいと思いました。


「リクルート」(2003年)

 マサチューセッツ工科大学の学生ジェームズは、暗号解析で優秀な能力を発揮していた。
 そんな彼の元に、ある日、CIAの人間と名乗る男が現れる。バークというその男は、ジェームズに、CIAの職員となるよう勧誘しに来たのだった。
 そしてジェームズは、CIAが訓練のために造った、特別施設に赴くことになる。そこで、他の訓練生たちと一緒に、情報を扱うテクニックや人の欺き方などを教わっていくジェームズ。
 そしてジェームズは、その施設で出会った訓練生、レイラを巡って、バークから指令を受けることになるのだった。

 アル・パチーノ、コリン・ファレル共演のサスペンス映画。
 いや、これは面白かったです。アル・パチーノとコリン・ファレルの見事な演技合戦による緊迫感は素晴らしい!
 主人公と一緒に観客までも「誰も信じられない」という状況に巻き込んで物語を展開させるこの演出はお見事でした。
 ちょっとした小道具やセリフなどを本当にうまく生かしてあって、観ていて小気味良かったです。
 久しぶりに、いい「スパイ映画」を観た気がしました。


「リーサル・ウェポン」(1987年)

 自殺願望のある麻薬課の刑事マーチン・リッグスは、その過激な活躍ぶりから「人間兵器」(リーサル・ウェポン)と呼ばれていた。
 その彼の転属した先は殺人課。そこでコンビを組むことになったのは、引退を間近に控えた穏和な刑事ロジャー・マータフだった。
 リッグスの破天荒な行動に振り回されながらも、強大な力を持った組織の捜査をともに進めていくマータフだったが……。

 後にシリーズ化することになるメル・ギブソンの当たり役「リーサル・ウェポン」の第1作目です。
 これは面白いアクション映画ですね。適度にハードボイルドしているし、それを引き立てるエリック・クラプトンの音楽がまたいい。
 後のシリーズと決定的に違うのがリッグスのキャラクターですね。奥さんを亡くした痛手を引きずっていて、それが自殺願望にまで結びついてしまっている。無茶な行動に出るのも、命知らずなのもすべてそのせいであるという明確な理由がありました。だからこそ最後の銃弾をマータフに渡すシーンで何か感じるものが沸いてくるのだし、それがこの映画をハードボイルドたらしめている根本だと思います。
 後のシリーズでは自殺願望はなくなったけれども楽しんで無茶をやっているところから、ずいぶんキャラクターがガキっぽくなってしまったと思ったものでした(それはそれで面白いんですけどね)。
 リッグスのキレっぷりとともに、大満足の第1作目です。


「リーサル・ウェポン2 炎の約束」(1989年)

 リッグスとマータフは、麻薬組織と南アメリカの駐米大使が手を結んでいるという情報を受け、捜査を開始する。
 だが、相手は外交官である。
 捜査を進めるうち、その妨害が次第にエスカレートしていって……。

 メル・ギブソンのハードアクションシリーズ第2作目。
 第1作目と同じくエリック・クラプトンの音楽が全編を彩ります。また、1作ごとに主要キャラクターが一人ずつ増えていったこのシリーズですが、今作からジョー・ペシがレギュラーに加わり、リッグスとの漫才駆け引きを演じてくれます。
 個人的には好きな作品です。第1作目で引きずっていた妻の死について、リッグスが敵を討つと同時にそれを乗り越えるというシチュエーションが僕の好みでした(笑)。


「リーサル・ウェポン3」(1992年)

 警察が押収したはずの銃で、殺人事件が起こった。
 犯人は警察関係者か?
 緊迫した中で捜査を始めるリッグスとマータフ。
 独自に捜査を進めていた内部事件調査部の女刑事ローナとともに、事件に迫っていくふたりだったが。

 メル・ギブソンのハードアクションシリーズ第3作目。
 今作からはレネ・ルッソがレギュラー陣に加わり、より多彩なドラマが展開します。
 オープニングの炎がきれいでしたねぇ。なめるように画面を流れていく炎の演出にはため息が出るほどです。
 また、冒頭でビルひとつ吹っ飛ばす勢いは拍手モノでした(今では感覚が慣れてしまって、これぐらいでは驚かなくなってしまいましたが……)。
 女運がなかったリッグスに、遂に恋人登場、の第3作目でした。


「リーサル・ウェポン4」(1998年)

 中国からの密入国者の一家を思わずかくまってしまったマータフ。
 そのことから、中国マフィアの一団との対立を招いてしまうことになる。
 一方、恋人であるローナが妊娠してしまい、結婚するか否か、迷うリッグス。
 果たして彼ら二人の行く末は……。

 すっかりファミリー映画になってしまった、シリーズ第4作目です。
 しかし、エンターテイメントとしてしっかり磨きがかかっているのはさすがです。出演者が年をとったこともうまく脚本に反映させてあり、お見事!
 出演を渋ったメル・ギブソン(高額のギャラでOKしたらしい……)も、さすがのいい演技をしています。
 きっちりとこれまでのシリーズの細々とした話題にかたをつけて、これでこのシリーズも見納めなのかなぁ、と思うと少し残念な気もします。
 シリーズ中、一番楽しい映画に仕上がっているのではないでしょうか。


「リディック」(2004年)

 5つの惑星で賞金を賭けられている賞金首のリディックは、氷の惑星に身を潜めていた。俗世から逃れ、ひっそりと暮らすために。
 だが、氷の惑星に潜んで数年後。突如としてリディックの前に、賞金稼ぎの一団が現れた。
 やはり、安息の生活など自分には出来ない……。
 そう悟ったリディックは賞金稼ぎの手を逃れ、へリオン第1惑星へと向かう。そこに、自分の数少ない友がいるからだった。
 しかしへリオン第1惑星でリディックを待っていたのは、全宇宙の支配を目論む狂信集団ネクロモンガーとの戦いという、更に数奇で過酷な運命だったのだ。

 ヴィン・ディーゼル主演のSFアクション映画。「ピッチ・ブラック」に続いてヴィン・ディーゼルがリディックという無頼漢を演じています。
 しかし今作は、またずいぶん話を広げたものですね。全宇宙の運命を背負ってリディックが戦う、という展開はヒーローものの王道かも知れませんが、リディック自身にネクロモンガーを倒さなければならないという意識が最後の方まであまりなく、また、ネクロモンガー達も血も涙もないほどに冷酷な存在として描くという演出が不足していたため、広げた風呂敷の広さの割に作品に締まりがない、という印象を受けてしまいました。
 前作の、こぢんまりとしながらも緊迫感とスリルに満ちた作風に魅力を感じていただけに、この変化は残念でした。
 また、リディック達とネクロモンガー達との、武器や宇宙船などのデザインに文化の違いなどを全く考慮してなくて、これも残念でした。「ロード・オブ・ザ・リング」や「スター・ウォーズ」などでこだわって考えられていた、デザインで文化の違いを表す手法は、それぞれの種族の習慣や性質を演出する上ではとても重要な事だと思うのですが……。この辺に、世界観の作り込みの大雑把さが見て取れます。
 他にも、700度の熱をもたらす太陽光線の中に、全身を水で濡らしただけで飛び出して平気な訳ないだろー!とか、突っ込みどころは満載です。
 アクションシーンのアイデアは面白いものが多く、リディックのキャラクターも魅力的だっただけに、全体的にはとても残念な出来になってました。


「リプレイ」(2003年)

 サイモン・ケーブルは、ある晩、病院のベッドで目覚めた。医者が言うには、2分間、心臓停止で彼は死んだのち、蘇生したのだという。その影響だろうか、彼はこの2年間の記憶がなくなっているのに気がつく。
 妻だと名乗る女性や不倫関係になったらしい女性が現れ、2人に見覚えのないサイモンは戸惑いを覚える。そして、仲の良くなかった兄が2年前に死んでいたという事実と、「兄を殺したのはあなただ」という妻の言葉。
 2年前、何があったのか?
 記憶の糸を辿ろうとする彼は、やがて、2年前と現在の現実を行ったり来たりするようになる。これは、夢か現実か、それとも……。
 事実は、断片的に甦る、記憶の中にある。

 ライアン・フィリップ、サラ・ポーリー共演のサスペンス。雰囲気が良くて、引き込まれて観てしまいました。
 現在と過去を行き来する主人公の戸惑いや不安感が秀逸。やがて悲劇的な結末が見えてくる構成は見事にはまってました。
 ただ、論理的な結末は迎えませんので、サスペンスのオチに理論的なものを求めると肩すかしかも知れませんが、私は十分楽しめました。
 と思ったら、脚本が「“アイデンティティー”」と同じ人のようですね。何となく、納得。


「リプレイスメント」(2000年)

 フットボールのプロチーム、ワシントン・センチネルズの選手が、シーズン終盤に年俸アップを求めてストに突入した。残り試合は4試合。そのうち3試合に勝てば、プレーオフへ出場出来るという状況なのだが……。チームオーナーはストの要望を呑まず、かつて解雇したコーチ、ジミーに復帰を要請し、代理選手(リプレイスメント)を集めて勝利するよう要請する。そうして素人同然のような連中を集め始めたジミーだったが、その中には、大学時代に名プレイヤーとして名を馳せながらもプレッシャーに弱いために失脚したファルコの姿もあったのだった。

 キアヌ・リーブス、ジーン・ハックマン共演の王道スポーツ映画。もう、定番中の定番といえる展開を見せてくれます。そのため、ちょっと物足りない気がしないでもないんですけど、でも安心してみることが出来て、見終わった後も爽やかな気分になれる佳作でした。


「リベリオン−反逆者−」(2002年)

 21世紀初頭。第3次世界大戦が勃発し、生き残った人類は、二度と戦争を起こしてはならないと悟った。そして人々は、争いの元となる、人の感情を全く制御してしまう薬プロジウムを発明し、その投与を法律で義務づける。それに逆らい、プロジウムを接種しなかったり、芸術品のように人の感情を呼び起こすものを愛好したりする者は反逆者と見なされ、クラリックと呼ばれる法の執行官たちに処刑されてしまう運命を辿っていた。クラリックたちは、ガン=カタ(銃の型)と言われる、効率的に銃器を扱って最大数の相手に最大限のダメージを与える術を会得している戦いのスペシャリストだった。そのクラリックの中でも、一級の能力を持つプレストンは、過去に自分の妻が感情違反者として処刑されてしまった過去を持つ。だが、感情の一切を薬で抑えている彼は、妻が処刑されたことについても何も感じてはおらず、感情違反者の処刑に取り組む毎日を送っていた。だがある日、彼の相棒が感情違反者となった時から、彼の中に何かが芽生え始めるのだった。

 ヤン・デ・ボンが制作をつとめた、近未来アクション。主演はクリスチャン・ベール、共演にエミリー・ワトソン、ショーン・ビーン。
 設定だけならよくあるSF映画なんですけど、この作品は「ガン=カタ」というオリジナルのアクションを編み出しており、それが非常に効果的にアクションを盛り上げています。その見せ方には本当に感心しました。
 「ガン=カタ」とは、「効率的に最大の的に最大のダメージを与える、銃を用いた格闘法」のことですが、そのアクションシーンは近年まれに見るキレとカット割りで、本当に素晴らしいです。
 特に、ラストの「銃を使いつつ組み手」なんていうアイデアには本当に脱帽。その動きといい動きのキレといい、近年のアメリカ映画では最も素晴らしいアクションシーンだったと思います。
 まぁ、「最も効率よく」とかいいながら、離れた敵を撃つ動きなんかには無駄が多い気もしますし、感情の抑制が義務づけられている社会で主人公の同僚は出世欲に駆られているわ、上官は激高して机を叩くわ、色々と細かな突っ込みどころもあるんですが、アクションの出来にはそれらを補って余りあるものがあったと思います。
 その他、感情に目覚めていく主人公が、その過程で手袋を外して直に物に触れる感触を楽しんだり、薬を打っている子供を気遣うシーンを挿入したりと、意外に細かなところに気を遣って演出しているところも好ポイントです。
 B級映画ですが、見所の多い作品でした。


「ルール」(1998年)

 ニューイングランド州の大学で、殺人事件が起きた。被害にあった生徒は、ミッシェルという女生徒。同じ大学に通うナタリーは、そのことにショックを受ける。彼女とミッシェルは、高校の時の友人だったのだ。そんな彼女にも、殺人鬼の陰が迫っていた。ひとり、またひとりと彼女の周囲の人間が殺されていく。その手法は、「都市伝説」といわれる民間伝承に則った殺害方法だった。

 ティーンズ・ホラーというべきなんでしょうか、若者達を主人公にしたホラー・サスペンス映画です。とはいえ、ホラー感もサスペンス感ももうちょっと……残念ながら、この手の作品は「スクリーム」以降かなり作られすぎの感じがあって、そのパターンから抜け切れてないんですよね。都市伝説に則った殺し方、っていうのは扱い方によっては面白く使えるのかも知れませんが、この作品では「次に誰が殺されるんだろう」なんてどきどきさせられるような描き方がされてなくて、残念でした。


「ルール2」(2000年)

 映画大学に通うエイミーは、卒業制作の課題作品として、都市伝説によって人が死んでいくホラー・サスペンス映画の撮影を始める。だが、それと時を同じくして彼女の周りでは次々と友人達が死んだり、行方不明になったりという奇妙な現象が起こり始める。果たして、犯人の狙いは何なのか? 犯人の魔の手は、エイミー本人にも迫っていた。

 「都市伝説」の通りに殺人が行われていくホラーサスペンス映画「ルール」の続編。なのですが、今回殺人の手法に「都市伝説」を模したものはなかったように思います。1作目で「これは!」というネタを使い切ってしまったのでしょうか……? 殺人犯の手口などは色々と趣向を凝らせてあって楽しめたのですが、いかんせん、「都市伝説」がウリのはずなのにその「都市伝説」を扱っていないというのはちょっといただけないなぁ、と思いました。


「レイダース/失われたアーク<聖櫃>」(1981年)

 1936年。大学で教鞭を執る考古学者インディ・ジョーンズは、世界を股にかけて遺跡を発掘する冒険家でもあった。
 そんな彼を、ある日、政府の役人が2人訪ねてくる。彼らはナチスの電文を傍受しており、その中にインディの恩師の名が入っていたというのだ。
 その電文を読んで、インディは愕然となる。ナチスは「モーゼの十戒の破片」を封じたといわれる「聖櫃」を掘り起こそうとしており、そのための鍵をインディの恩師が持っている、と伝えていたのだ。
 「聖櫃」、それを開けたものには破滅をもたらし、それをいただく軍隊は世界を手中に収める力をもたらすと伝えられる。
 ナチスに「聖櫃」を渡すわけにはいかない……インディは政府の依頼により、「聖櫃」をナチスより先に手に入れるため、恩師の元に旅立つのだった。

 大ヒットした、「インディ・ジョーンズ」シリーズ第1弾。スティーブン・スピルバーグ監督、ジョージ・ルーカス製作総指揮、ハリソン・フォード主演の娯楽アクション大作です。
 振り返ってみれば、もう20年以上前の映画になるんですね、これ。
 しかし、今観ても十分面白い、わくわくする冒険活劇に仕上がっています。いや、むしろCGなど使えなかったこの当時の状況故か、いかにして迫力のある画面を作るかといった演出面で細かな工夫が感じられて、今の映画以上に面白く感じてしまいました。
 それにしてもスピルバーグ監督、そういった「趣向を凝らした工夫」を活かして天才的な演出を見せてますね。小気味よく、テンポ良く、しかし要所は落ち着かせて、時にはユーモアも忘れない……なるほど、名監督だと再認識させられました。
 ともかく、全く飽きさせずに最後まで見せる、冒険活劇の大傑作です。


「レインディア・ゲーム」(2000年)

 刑期を終えたルーディーは、刑務所から出獄の日を迎え、塀の外へと出ることが出来た。その彼の前に、アシュリーという美女が現れる。彼女は、ルーディーの刑務所仲間、ニックの文通相手だった。顔を知らずに文通していた彼女の美しさに、思わず自分がニックだと名乗ってしまうルーディー。だが、それが間違いの元だった。彼女の兄は、ニックが昔勤めていたというカジノを襲うため、ニックの出所を手ぐすね引いて待っていたのである。

 ベン・アフレック、ゲイリー・シニーズ、シャーリーズ・セロン共演のクライムサスペンス。本来なら、スター俳優3人の豪華なストーリー、になるハズだったんでしょうけど……困った、誰にも感情移入出来ない……。そもそも、嘘ついて親友の思い人を奪っちゃおうってところから主人公の苦しみが始まってるんだから、これはもう自業自得だし……。お約束のように2転3転するストーリー展開は、もうパターンにはまっちゃっている感じで、今さらな気がしました。うーん、今ひとつ。


「レクイエム・フォー・ドリーム」(2000年)

 青年ハリーは、定職にも就かず、目標もなくブラブラとうだつの上がらない生活をしていた。だが、友人と共に麻薬を薄めて売りさばく商売に手を染めてからその生活は一変。恋人と共に将来を夢見るようになる。一方、そのハリーの母親は、未亡人でテレビ中毒。ある時自宅にかかってきたテレビの出演依頼の電話に、かつては自慢だった赤いドレスを再び着るべく、ダイエットを始めるのだが、専門医に処方された薬は、怪しげな薬だった。ハリーと友人、恋人、そして母親の行く末は?

 「π」で長編映画デビューしたダーレン・アロフスキーの長編映画第2作目。今作では、麻薬に侵されていく人間達の姿を描いています。「π」で披露した映像感覚は健在。とにかくスピーディーに畳みかける映像や、様々な手法を駆使した撮影方法により、クスリに侵された感覚の気持ち悪さを疑似体験させてくれます。まさにお見事です。
 また、出演者達の演技も特筆物。今作でアカデミー助演女優賞にノミネートされたエレン・バーステインはもちろんですが、私は特にハリーの恋人に扮したジェニファー・コネリーの、体当たりで迫真の演技に目を引きつけられました。クスリほしさに恋人を裏切り、自分の身体を代金とし、やがてはアブノーマルな性行為を大衆の目の前で行い、それで手にしたわずかなクスリを幸せそうに抱いてソファで眠る彼女の姿……。この作品の演技って、個人的には「ビューティフル・マインド」での演技以上に凄みを感じました。
 見終わった後、打ちのめされたような気になりました。クスリの恐怖を体感させてくれるような、貴重な映画だと思います。救いがない映画ですし、重たい作品ですが、観て良かったと思います。


「レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード」(2003年)

 ひとりでふたつの町を壊滅させたとしてメキシコの伝説となりながら、過去の凄惨な事件が元で世捨て人のような人生を送るようになったマリアッチ、エル。そんなエルの元に、ある日、CIA捜査官サンズがやって来る。そして彼はエルに、クーデターとメキシコ大統領暗殺を企てている者がいることを明かし、それに絡んである仕事を依頼したいと持ちかけるのだった。
 エルは自らの復讐を胸にその仕事を受けるのだが……。

 ロバート・ロドリゲス監督が、3度描く伝説のギター弾き、エル・マリアッチの物語。
 相変わらずケレン味たっぷりに格好いい人物を描く演出させたら素晴らしすぎですね、ロドリゲス監督。今作ではさらに磨きがかかって、ざらついた画づくりのスクリーンいっぱいに、アントニオ・バンデラスやジョニー・デップ、ミッキー・ロークといったキャストの男くさくて濃い格好良さが溢れていました。
 登場人物達も皆腹に一物持っている奴ばかりで、駆け引きや裏切り、騙し合いなどが速いテンポで展開されていきますが、銃撃アクションはコミック的な要素も取り入れて、これでもかといわんばかりに大げさにやっていますので、かなり見やすい作品には仕上がっていると思います。
 個人的にはサルマ・ハエックがもうちょっと出番があるかと思ってたんですが、哀しい役所で少し残念でした。バンデラスとふたりで軽快なアクションをかっこよく展開するシーンを、もっと観たかったと思うのは私だけでしょうか? 番外編でもいいから、作ってくれないかなぁ。


「レッド・ドラゴン」(2002年)

 ハンニバル・レクター博士を、重傷を負いながらもなんとか捕まえたFBI捜査官ウィル・グレアム。彼は、そのレクターとの関わりで心に傷を負ってしまい、FBIを退職することとなった。だが、彼はそれから4年後、FBIの元上司クロフォードから、二つの家族が惨殺された事件の調査協力要請を受ける。そしてグレアムは、その事件解決の糸口を探るため、獄中のレクターと、再びまみえることとなるのだった。

 人食い・ハンニバル・レクターのシリーズ第1弾「レッド・ドラゴン レクター博士の沈黙」を再映画化。「羊たちの沈黙」「ハンニバル」に続いて、アンソニー・ホプキンスが3度ハンニバル・レクターに扮しています。原作ではそもそも一番最初に書かれていた、まさに「羊たちの沈黙」の前章にあたる作品です。
 原作者トマス・ハリスは、映画「羊たちの沈黙」の後に「レッド・ドラゴン」に大きな加筆修正を加えた版を出版したそうで、この映画はその改訂版を元に映画化されているそうです。
 で、映画の感想なんですが、演出の圧倒的な力に魅入られてしまいました。とにかく、スクリーンから伝わってくる情報が重たいのです。異常性、緊迫感、緊張感といったものが全編に渡って顔を覗かせており、息苦しくさえなるほどでした。
 「羊たちの沈黙」でサイコ・スリラーといったジャンルを切り開いたこのレクター・シリーズですが、レクターを歪んだヒーロー像として描いた「ハンニバル」を経て、今作では再び原点のサイコスリラーにジャンルを戻してきました。そしてやはり、他のサイコ・スリラーなど相手にならないほど、レベルの高い作品に仕上がっていますね。シリーズの面目躍如。ブレット・ラトナー監督、お見事です。
 また、俳優陣もさすがですね。アンソニー・ホプキンスをはじめ、エドワード・ノートン、レイフ・ファインズ、エミリー・ワトソンといった演技派俳優が出演していますから、このメンツの演技だけでも十分観る価値のある作品となっています。


「レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙」(1986年)

 元FBI捜査官グレアムは、連続一家殺人事件の解決のため、元上司のクロフォードから依頼を受けて、一時FBIに復帰することになる。グレアムの現場観察眼は抜群であり、それを買われての復帰だった。だが、事件を探る内、彼は服役中の殺人鬼ハンニバル・レクターに助言を求める必要性を感じ始める。しかし、それは危険な賭けでもあった。実は、昔レクターのお陰で彼は精神に傷を負い、FBIを退職に追い込まれたのだ。そして、グレアムとレクター、そして一家殺害事件の犯人との、3者の駆け引きが始まるのだった。

 ハンニバル・レクターのシリーズ第1弾。正真正銘、初めて映像化されたレクター博士の物語です。監督は、マイケル・マン。
 元々は長編小説の映画化ですから、ストーリー展開がかなり急になってしまっているのは仕方がないんですが、それにしてもかなり端折ってますね。もう少し丁寧に描いた方が良さそうな部分まで、大胆に切り捨てたり、あっさりと描いてしまったりで、ちょっと不満が残りました。
 しかし、レクターを演じたブライアン・コックスの存在感はなかなか不気味で良かったと思います。アンソニー・ホプキンスとはまた違う、物静かな、しかしどこか狂っている恐ろしさを好演。出番がかなり少ないのが残念でした。


「レッド・プラネット」(2000年)

 西暦2050年。増えすぎた人類は、生存の道を探るべく、火星へ藻をおくり、酸素を発生させて生存環境を整えようとしていた。しかし、もうすぐ人が住めるようになるという時に、突然火星上の酸素レベルが低下してしまう。NASAは、その原因の調査のため、科学者たちを火星に送り込んだのだが……。

 ヴァル・キルマー、キャリー・アン・モス共演のSFサスペンス。これは、期待していなかった分だけ面白かったです。これ見よがしには未知の敵生物なんて出てこないし、わざとらしいトラブルも、そんなには起こらない。程々に問題が起こって、それにしっかり対処していくクルーの姿が、何となく説得力を感じさせてくれて、とても面白く観てしまいました。ヴァル・キルマー出演作で面白いと思ったのって「ゴースト&ダークネス」以来じゃないかなぁ(笑)?
 キャリー・アン・モスも、ほどほどのサービスショットを見せてくれて、色んな意味で楽しめました(笑)。


「レプティリア」(2000年)

 夏休みのレジャーに、ある湖畔にやってきた大学生8人。彼らはハウスボートに乗り込み、無邪気に夏の休みを満喫していた。しかし、岸辺で見たことのない卵を発見してしまったときから、状況は一変。恐怖が、彼らに襲いかかってくることになるのだった……。

 トビー・フーパー監督、といえば古くは「悪魔のいけにえ」や「スペースバンパイア」、新しくは……えーっと……、って監督です(笑)。タイトルのレプティリアとは、爬虫類という意味だそうで、最凶の爬虫類が登場、とビデオのパッケージには謳ってありました。恐ろしげな生物の写真まで載せて。
 でも原題は「CROCODILE」……ワニですね。このタイトルが出てきたときは唖然としました。この引っかけは、以前「U.M.A.」という映画で食らった手口と全くおんなじ手口ではないですか(笑)。
 内容は、CGで描かれたワニがスピード感もなく動き回り、若者たちが頭悪いために逃げ切れずに右往左往、というありがちなお話。5年の歳月をかけて作った、って……それが本当なら、大丈夫ですか、トビー監督? 頑張ってくださいよぉ……。


「REM」(2000年)

 不眠症に悩む大学教授のエドは、ある夜中、妻が帰宅していないことに気がつく。妻の友人、警察や病院にまで電話を入れたが、妻の行方はようとして知れない。やがて彼を訪ねてくる、警官や大学の生徒、妻の友人といった人。エドは彼らを家の中に迎え入れながら、次第に時間と記憶、現実と夢が曖昧になっていくのだった。果たして妻の身に何が起こったのか。エドの記憶の曖昧さは何を物語っていくのか。

 ジェフ・ダニエルズ主演のサスペンス映画。
 不眠症に悩み、薬を常時服用している男が主人公で、時間の経過や事実といったものが全くぼやかされて描かれています。
 おそらくは何らかの社会風刺的なテーマも隠されていそうですが、残念ながらあまりに描き方が漠然とし過ぎていて、今ひとつ何を言いたいのかピンと来ませんでした。もう一度観てみたら、もう少し掴めるかも知れませんが……ちょっとぼかし過ぎで残念。
 ジェフ・ダニエルズは次第に神経を蝕まれていく男を好演。こういうダークな役柄もこなしちゃうんですね。この演技には感心しました。


「ロケッティア」(1991年)

 1938年。飛行機パイロットのクリフは、友人の技師ピーヴィーが設計した飛行機のテスト飛行を行っている時、FBIとギャングの銃撃戦に巻き込まれてしまい、飛行機に被弾する。何とか飛行場まで戻って不時着するが、飛行機はもう使えない状態になっていた。
 一方、FBIとギャングも銃撃戦を続けながら飛行場までやってくる。そしてギャングは、あるものを飛行場の倉庫に隠して逃亡するのだった。
 だがクリフは、そのギャングが隠していったものを見つけてしまう。それは、人間が背負って空を飛ぶことが出来るようになる、ロケットパックだった。ギャングがある研究室から盗み出したものである。そしてクリフは、それをつけて人を助け出す活躍をし、「謎のヒーロー・ロケッティア」として有名になるのだが。

 アメコミを映画化した、ジョー・ジョンストン監督、ビル・キャンベル主演、ジェニファー・コネリー、ティモシー・ダルトン共演のSFアクション映画。
 コメディテイストを全編に散りばめつつ、手堅くまとまった作品だと思います。物語も単純でわかりやすく、本当に気軽に観て楽しめるエンタテイメント作品になっています。
 個人的にはまだ少し垢抜けないジェニファー・コネリーと、ボンド役まで演じていながら今回は少し抜けた悪役を喜々としてやっていたティモシー・ダルトンがお気に入り。
 古き良き時代のエンタテイメントを感じられる作品でした。


「ロスト・イン・スペース」(1998年)

 資源の枯渇のため、地球上での人類の生活は限界を迎えようとしていた。人類の移住先となりうる惑星を探すのは急務だった。そこで、移住先の候補惑星へ、先発隊としてロビンソン一家が旅立つことになった。だが、反地球勢力のテロリストがその計画の妨害工作を行い、宇宙船にトラブルが発生、一家は宇宙空間で迷子になってしまったのだ。果たして、ロビンソン一家は目的の惑星へたどり着けるのか?

 60年代のテレビドラマ「宇宙家族ロビンソン」の映画化作品です。細かなSF的な仕掛けや、映像表現には面白いものがあるんですが、全体的な物語はやや退屈な感じがしました。なんというか……「宇宙で迷子になっちゃった!」「こんな惑星に不時着しちゃった!」って緊張感が、メンバーから感じられないんですよね。その緊張感が出せれば、話も格段に面白くなったと思うんですが……残念。
 それにしても、ゲイリー・オールドマン、へたれすぎで面白すぎ。ヘザー・グラハムも可愛いなぁ。


「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」(1997年)

 あのジュラシック・パークの事件から4年。イアン・マルコムはあの事件のことを世間に発表することを試みたがインジェン社の隠蔽工作にあい、虚言を吐く科学者として世間の白い目を浴びていた。そんなとき、コスタリカ島沖の島でバカンス中だった、ある裕福な家庭の娘が謎の生物に襲われるという事件が起きる。実はその島は、「ジュラシック・パーク計画」の一環として恐竜たちを飼育する場として使われていた「サイトB」と呼ばれる島だったのだ。何故体内でアミノ酸を作れない恐竜たちが生き延びることが出来たのか? その謎を探るべく、ジョン・ハモンドは調査隊をサイトBへ送ることを計画する。そのメンバーの中には、イアンの名もあった。一方、インジェン社の実権を握ったハモンドの甥は、サイトBの恐竜たちをアメリカ本土に運び、金儲けをたくらんでいたのだった。様々な想いが交錯する中、サイトBに人々が集まるのだが……。

 大ヒット作「ジュラシック・パーク」の続編。今作は更に豊富な種類の恐竜が登場し、派手な動きを見せてくれます。
 前作に引き続きジェフ・ゴールドブラム演じるイアン・マルコムが登場し、恐竜の島に挑みます。ヒロインにはジュリアン・ムーア。その他ピート・ポスルスウェイトや、前作からのリチャード・アッテンボロー等、味のある俳優が渋い演技を見せます。
 ですが……なにか、物語が緩慢なのです。演出に物語を引っ張る力が乏しいというか、一貫性がないというか……。
 様々な思惑を持った人間が、恐竜がひしめくひとつの島に集まる訳ですから、それぞれの立場の駆け引きや探り合い、利害関係などがもっと描かれても良さそうなものですが。それによってサスペンスももっと盛り上がるはずなんですけどね……。
 スピルバーグ監督は「ジョーズ」などを観ても、そういったものを描くのは抜群に上手い監督だと思うんですが、この作品からはいつもの「スピルバーグ節」が感じられませんでした。
 描き方によってはもっと面白くなったはずの本作。アイデアだけが先行してしまって、まとめ上げる方に力が不足してしまった、残念な映画でした。


「ロッキー」(1976年)

 プロボクシング界の底辺に身を置き、ファイトマネーではなく金貸しの取り立て屋をして生活をしているボクサー、ロッキー・バルボア。彼はペットショップの女性店員エイドリアンに想いを寄せ、ボクサーの引退を考えていた。だがある日、突然世界チャンピオンのアポロから、ロッキーに世界タイトル戦の話が舞い込んでくる。世界最高のボクサーを相手に、ロッキーは戦う意志を固め、死闘へ向かってトレーニングを開始するのだった。

 作中のみならず、実生活でも3流役者としてうだつの上がらなかったS・スタローンが、この1作でスターへとのし上がった、まさにアメリカン・ドリームを体現した名作スポーツドラマです。モハメド・アリの姿に感動し、3日で書き上げた脚本を持って、スタローンは映画会社に自らを売り込んだといいます。「自分の主演でなければ、この脚本は売らない」と。スタローンも必死だったんでしょうけど、お陰でこの作品は大成功。スタローンも一気に人気俳優へとのし上がったのでした。
 しかし、やはりこの映画は素晴らしいです。人間ドラマも、ボクサーの精神部分にしても、そしてファイトシーンにしても。全てがバランスよく描かれていて、本当に小気味よく、テンポ良く鑑賞出来て、程良く感動出来ます。ボクシング映画の金字塔でしょうね。


「ロック・ユー」(2001年)

 14世紀。騎士エクター卿の従者ウィリアムは、亡くなった主人の身代わりとして試合に出場することになった。騎士の身分を持たないと出場が許されないこの試合に、ウィリアムは仲間達と共に身分を偽って出場回数を重ね、実力でのし上がっていく。だが、この時代は、階級は絶対のものだったのだ……。

 クイーンの名曲「We will rock you」にのせて展開されるオープニングは、意外な組み合わせながらピタリとはまって楽しいですね。主演のヒース・レジャーが以前出演した「パトリオット」のような歴史スペクタクルではなく、コメディー・アクションという味わいだったのも意外でした。監督が「L.A.コンフィデンシャル」の脚本や、「ペイバック」の脚本・監督をやったブライアン・ヘルゲラントだったので、かなりシリアスな作品かと予想していたので。でも、登場人物達の絡みも楽しく、馬上槍試合のシーンも迫力があって良く出来ています。活き活きとした主人公達と、それを取り巻く人達をきっちりと描いており、映画的なカタルシスも盛り込んであります。欲を言えば、もうちょっとコメディテイストを徹底させて欲しかった気もしましたけど、観ていて楽しい映画でした。


「ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間」(2001年)

 全世界を屈服させる邪悪な力を持った「力の指輪」。その指輪が、ホビット族の若者、フロドの手に渡された。彼はその邪悪な指輪を世界から消滅させるべく、指輪を欲する者達の追跡の手を逃れながら、仲間達と共に旅に出かけるのだった。

 ファンタジーの祖と言うべき「指輪物語」の映画化第1作目。原作と同じく、あと2本制作が決定しているそうです。映像面では文句なし。「これぞファンタジー世界」という世界がスクリーンいっぱいに繰り広げられます。お話の展開は、今ひとつメリハリがない感じがしましたが、これも原作通りに作ったためなんでしょうか。ガンダルフ役のイアン・マッケランはさすがの貫禄ある演技で素晴らしかったですね。ともかく、あと2作、「二つの塔」「王の帰還」がどうなるか、楽しみです。
 それにしても、やはり3時間の上映時間は長かったですね……。


「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」(2002年)

 「力の指輪」を葬り去る旅に出たフロド達は、しかし、それぞれの運命に翻弄され、3方に別れてしまっていた。「指輪」を捨て去るためにモルドールへ急ぐフロドは、サムとともに旅をしながら、この旅が命がけであることを覚悟し始めていた。そんなふたりの背後からは、前の指輪の持ち主であるゴラムが、指輪を取り返そうとずっとつけてきていたのだった。一方、オークにさらわれたメリーとピピンを助け出すべく、アラゴルン達はオークの大群を追って日夜走り続けていた。果たして、彼らの救出は間に合うのか。そしてその頃、魔法使いサルマンはとうとうオークの軍隊を作り上げ、中つ国の制圧に乗り出そうとしていたのだった。指輪が握る世界の命運は、どちらに転ぶのだろうか?

 「指輪物語」の第2章。今作は、闇の軍団が大挙して押し寄せてくる、合戦シーンにとても見応えのある作品に仕上がっています。そして、劇中の世界観も本当に素晴らしく、まさに「架空の世界・中つ国がスクリーンの中に存在しています。この表現力たるやまさに喝采ものです。
 また、物語性も高いですね。前作から張られた伏線、設定をきちんと引き継ぎ、活かしてキャラクターや物語が紡がれていきます。叙情的な部分もありますが、基本的には叙事的な描き方であるため、まさに一大絵物語を観ているようです。ロングショットで画面を埋め尽くすオークと人間、エルフ達の戦いはまさに圧巻!
 壮大な物語と、その空気をきちんと描き出すスケールの大きな演出と映像技術。全てにおいて力のこもった力作です。


「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」(2003年)

 ヘルム峡谷で人間とエルフの混成軍に敗北を喫したオーク軍。
 冥王サウロンは速やかに軍勢を整え、最も人間が栄えている国ゴンドールへ進軍を開始した。白の魔法使いガンダルフはその動きを察知し、ゴンドールという人間の砦を守るために行動を開始する。
 一方、指輪を捨てるためにサムと共に滅びの山に向かっていたフロドは、指輪の力と疲労にさいなまれ、衰弱の極致にあった。
 果たして、冥王の軍団に人間達はうち勝つことが出来るのか。そしてフロドは、指輪の誘惑と待ち受ける数々の困難に打ち勝ち、指輪を葬り去ることが出来るのか。
 長い冒険が、結末を迎えようとしている。

 「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ完結編。
 今作の出来も相当いいですね。
 緻密な映像で世界を構築し、物語を紡ぐこの演出力は素晴らしいの一言。
 とにかく、作品世界の背後に相当に緻密な設定やバックボーンを持っていなければ、こんな雰囲気は生み出せません。この映画のスタッフは物語のバックボーンをしっかりと練り上げて、きちんと一から世界を作り出していったことが画面からひしひしと伝わってきます。
 特に、ゴンドールの首都ミナス・ティリスが画面に初登場した時には、そのあまりの荘厳さ、文化デザインの秀逸さに鳥肌が立ってしまいました。
 物語については、「王の帰還」というタイトルが示すとおり、落ち着くべき所に落ち着く話ではあるんですが、それでもやはり面白かったです。アラゴルンの、次第に高まっていく自信や、葛藤の克服といった精神的な成長がしっかりと演じられており、その変化が本当に格好良くて、すっかり見惚れてしまいました。
 フロド達もきつい旅をして、クライマックスの姿は本当に痛々しかったですね。
 あのホビットですらここまで誘惑してしまう恐ろしい指輪の魔性……それを演じて見せた俳優達は圧巻ですらありました。
 ともかく、これで3部作もいよいよ完結。
 壮大な叙事詩を締めくくる、非常に神話的でいい完結編だったと思います。
 考えてみればこのシリーズ、当初は字幕問題が起こったり色々ありましたけど、しかし本当に映画として素晴らしい痕跡を映画史に刻み込む傑作に仕上がっていましたね。
 完璧な異世界を表現し、そこに観客を誘ってくれた監督はじめスタッフ、キャストに感謝したいと思います。


「ロード・トゥ・パーディション」(2002年)

 1931年、禁酒法時代のアメリカ。マイケル・サリヴァンは、ロックアイランドを牛耳るギャングのボス、ルーニーの下で、凄腕として名を馳せていた。親のないサリヴァンにとってルーニーは父親のような存在であり、ルーニーもことのほかサリヴァン一家とは親密なつきあいをしている。だがそのことに、ルーニーの実の息子コナーは、嫉妬と憎しみを覚えていた。そんなある日、サリヴァンはルーニーのギャング一家の一員であるフィンの元へコナーと共に出向くことになり、そこでコナーがカッとなってフィンを射殺してしまう。そしてその現場を、サリヴァンの息子、マイケル・サリヴァンJrが目撃してしまったのだ。彼は父の仕事の内容を知らなかったため、好奇心から車に忍び込み、現場までついてきてしまっていたのだった。この事件でルーニーはコナーに対して激怒し、精神的に追いつめられたコナーは、嫉妬心と憎悪にさいなまれてサリヴァン家へ赴き、サリヴァンの妻ともうひとりの息子ピーターを殺害してしまう。難を逃れたサリヴァンとマイケルJrは、危機を逃れるため、ふたりで逃亡の旅に出るのだった。

 トム・ハンクス主演、ポール・ニューマン、ジュード・ロウ共演のギャング映画。監督は「アメリカン・ビューティー」のサム・メンデス監督です。
 これは、二組の親子の絆を軸に「父親」の姿を描いた感動作ですね。美しい映像と練られた脚本、そして演出の上手さに素直に感動してしまいました。「どんな状況にあっても、親は子どもを守らなければならない」という宿命。失われた「父性」を、禁酒法の時代を舞台に描き出しています。また、各登場人物達の関係の描き方、駆け引きのやり方など、どれをとってもお見事です。
 それにしても、やはり見所はトム・ハンクスをはじめとした豪華キャストの演技でしょう。もう、非の打ち所のないくらい完璧です。特に特筆すべきはトム・ハンクス。比較的「いい人」の役柄が多かった彼ですが、今回の役柄はギャング役。ですが、これが驚くくらい本当にピタリとはまってます。「人殺しの顔」になるんです、トム・ハンクスの顔が。これには鳥肌が立ちました。初めてトム・ハンクスに「怖さ」「凄み」を感じた映画でもありました。
 その他にも数カ所、鳥肌が立ったり背筋がゾクゾクするようなシーンがありまして、最後まで目が離せませんでした。
 出会えたことを嬉しく思える映画です。こんな映画を鑑賞出来る   映画ファン冥利に尽きる幸せでした。


「ロビンソン・クルーソー」(1996年)

 やむなき事情で友人を殺してしまったロビンソン・クルーソーは、ほとぼりが冷めるまで母国を離れるべく船に乗り込み、大嵐にあってひとりで無人島へ漂着してしまう。そこには文明はなく、野生動物の他には動くものもいない、ひとりぼっちの世界だった。クルーソーはいつか母国へ帰ることを夢見て、そこで生き抜く決心をするのだが……。

 世界の名作「ロビンソン・クルーソー」を、007のピアース・ブロスナン主演で映画化。サバイバルへの悪戦苦闘などのシーンはかなり端折られていましたが、フライデーとの関係の築き方や、それぞれの文化、宗教の考え方とその主張およびぶつかり合いなど、クルーソーとフライデーのふたりの絆はしっかりと描いてあり、面白く観させてもらいました。
 クルーソーが最初、当然のようにフライデーを奴隷として扱おうとすることに時代を感じましたね。原作が書かれた当時は、白人社会ではそれが当たり前だったんでしょう。それが次第に対等な関係になっていって……というくだりはよく表現されていたと思います。
 大人になった目で、もう一度原作を読んでみたくなりました。


「ロボコップ」(1987年)

 近未来のデトロイト。優秀な刑事であるマーフィーはある日、捜査中に犯人に撃たれて死亡してしまう。ところが、警察の運営を担当するオムニ社は、そのマーフィーの死体を改造し、眠らず、報酬もいらず、文句も言わない完璧な労働者としてサイボーグ警官「ロボコップ」を開発したのだった。ところが、消されたはずの記憶はロボコップの夢の中に現れ、彼は次第に自分の中の変化に気がつき始めることになる……。

 ポール・バーホーベン監督のSFバイオレンスアクション映画。この映画の特徴は、圧倒的なバイオレンス描写とブラックなユーモア、そしてロボコップの悲哀を描ききった演出力でしょう。ロボコップ開発に携わった人間達のドラマもきちんと押さえてあり、単純なヒーロー物とは一線を画す展開に持っていったのはお見事だと思います。
 考えてみれば、バイオレンスとブラックユーモアって、バーホーベン監督作品のトレードマークですよね。この作品からすでにそうだったんですね。


「ロボコップ2」(1990年)

 ロボコップと相棒のルイスは、デトロイトシティに流通している麻薬「ヌーク」を流している組織を探っていた。だが、その組織のボス、ケインはずる賢く、ロボコップは逆に捕まり、バラバラにされてしまう。一方、オムニ社の内部では、ロボコップを凌ぐ性能を持たせるべく、ロボコップ2号の開発が進められていた。そして、その開発に携わった科学者が目をつけたのは、1号とは正反対の犯罪者、ケインの頭脳だったのだ。果たして、ロボコップ2号は、デトロイトシティの平和を守る守護神となりうるのだろうか?

 「ロボコップ」の続編。今回もバイオレンス色を醸しながら、残念ながら前作ほどのバイオレンスもユーモアも感じられませんでした。ある意味正当なSFアクション映画になっちゃいましたね。監督が「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」のアービン・カーシュナーであるだけに、正当なSFになっているのも仕方がないかも知れませんが、その分「ロボコップ」が持っていた独特な世界観は薄くなってしまいました。ホント、残念。
 それにしても笑ったのが、「1」でロボコップの起動画面がMS-DOSなのに対し、今作のロボコップ2号の起動画面はMacOSでしたね。そんなところでライバル感を出さなくてもいいのに。


「ロミオ+ジュリエット」(1995年)

 ベローナの街を2分する名門、モンタギュー家とキャピュレット家。モンタギュー家のひとり息子ロミオは、ジュリエットという美しい娘と出会い、互いに恋に落ちる。だが、ジュリエットはキャピュレット家の娘だったのだ。両家の確執を乗り越え、ふたりは恋を成就させようとするのだが。

 あまりにも有名なシェークスピア劇「ロミオ&ジュリエット」を、舞台設定を現代にして描いた作品。ロミオ役にレオナルド・ディカプリオ、ジュリエット役にクレア・デインス、そして監督はバズ・ラーマンです。とにかく映像がきらびやかで美しい。特に、ふたりが出会う水槽越しの映像など、本当に綺麗です。その独特の映像感覚で、見所の多い作品でした。反面、台詞回しには若干の違和感を感じたのも事実ですが。チンピラみたいな登場人物達が多く、しかし皆詩人のような台詞(シェークスピア作品なので仕方ないのかも知れませんが)を吐くのは、やはりおかしい気がしますね。
 もっとも、それさえ目をつぶれば、やはり語り継がれる面白い作品ですから、十分楽しめました。ディカプリオは若く、クレア・デインスもこの作品では本当に可愛かったです。


「ロンドン・ドッグス」(2000年)

 郵便配達員のジョニーは、刺激のない日々に不満で、ギャングのボスをいとこに持つ友人ジュードに、自分もギャングに入れて欲しいと頼む。だが、刺激を求めて入り込んだはずの世界だったのに、ギャングの連中は銃や麻薬よりも、カラオケに興じるのが大好きな連中だったのだ。映画のようなギャングの世界にあこがれるジョニーは、ひとりで対抗勢力のギャング達にちょっかいをかけていくのだが……。

 ジョージ・リー・ミラー主演、ジュード・ロウ共演のギャング映画。一風変わった映画で、ジョージ・リー・ミラーがジョージ、ジュード・ロウがジュードと、俳優が自分の芸名と同じ役名で出ていたり、ギャングの連中がカラオケに興じたり女のことで悩んでいたりと、ユーモラスに描いてあります。独特な雰囲気があって楽しかったんですが、ギャングアクションが全くと言っていい程ないので、退屈な映画とも言えるでしょうね。ギャング映画としてみたらちょっと拍子抜けかもしれません。