「ブレイブハート」と「パトリオット」


 ともにメル・ギブソン主演の、よく似た2作品があります。

 「ブレイブハート」と「パトリオット」。

 片やスコットランド、片やアメリカに入植した移民達の、独立を賭けた戦争の英雄を描いています。
 その英雄は最初は戦いを嫌っていたが、家族を殺されたのをきっかけに戦いに乗り出していくという設定も同じなら、正規軍でなく独立愚連隊を率いて戦うというところも同じ。戦う相手が英国というのも共通ですね。

 ところが、これだけ共通点がある作品でありながら、私のこの2作品に対する評価は、全く正反対のものになっています。
 「ブレイブハート」が私にとっては魂を震わされた傑作映画ならば、「パトリオット」はどうしようもなくつまらない駄作に他ならないのです。

 その理由は何だろう……と、私はずっと考えていました。そして、最近になってやっとその理由らしきものが見えてきたのです。

 この二つの作品で大きく異なっている点。それは主人公が倒すべき相手、その違いではないかと思うのです。

 「ブレイブハート」では、主人公ウォレスが倒すべき相手と考えていたのはイングランド王でした。圧政を敷き、徹底的な搾取をするイングランド王。ウォレス達の苦しみも、全てそのイングランド王の圧政から生まれたものでした。自分たちの住む場所を、イングランド王の息のかからないものにする。そうでなければ、自分の味わった哀しみが繰り返されてしまうという想いが彼の中にあったのです。
 そしてウォレスが参加した戦争は、まさにそのイングランド王の統治下から母国を救い出すための戦いでありました。イングランド軍と戦い、彼らを追い出すことを目的とした戦いだったのです。
 つまり、ウォレスの目指した目的と、手段として参加した戦争の目的はぴたりと一致し、観客である私は最後まで、ウォレスがその戦争に勝つことを願うことが出来たのです。

 ところが、「パトリオット」は。
 この作品では、主人公ベンジャミンが憎んだ、倒すべき相手はイギリス軍の一将校でした。彼の目の前でまだ小さな息子を冷酷に殺した、将校。憎んだのはただそのひとりであり、けしてイギリス軍全体ではなかったのです。
 それなのに、ベンジャミンは独立戦争に参加していきます。そして憎むべき将校ではなく、その他のイギリス軍兵士を殺していくようになるのです。
 ここで、観客である私は、映画の展開に違和感を覚えることになりました。
 作中、あくまで「悪役」として描かれるのはその将校個人であり、イギリス軍ではありません。むしろ、イギリス軍ですらその将校を疎んじている節があります。つまり、その将校ひとりを殺しさえすれば、ベンジャミンは平穏を得ることが出来た訳です。
 ですが、それにも関わらず主人公のベンジャミンは、イギリス軍兵士達の殺戮に乗り出していくのです。これは、映画の構成としてはけして上手いといえない構成だと思います。この戦争への参加は、彼の目的を考えればしなくてもすんだハズなのですから。

 「ブレイブハート」が、観客にとっても憎むべき相手としてイングランド王を演出したことでウォレスがイングランド軍と戦うことを正当化することに成功したのに対し、「パトリオット」はイギリス軍と戦うことを正当化することが出来なかったのです。だから、ウォレスの戦いには感情移入できても、ベンジャミンの戦いには感情移入が出来なかったのです。
 この2作品の一番大きな違い、出来の善し悪しの差は、この映画としての構成力の違いだった、と言ってもいいのではないかと思います。

2003年 2月25日UP