友人に教えられた映画のみかた


 僕は、結構甘い映画の評価をします。
 これは「映画館」のページに書いている映画レビューを読んでいただければすぐお分かりいただけると思うんですが、何しろダメ出しの基準が甘いんです。
 ひとつには、せっかく時間とお金(レンタル代も含む)をかけて観るんですからなるべく楽しく観たい、と思いながら観ているせいがあるんでしょうが、それ以上に、僕はある友人から言われた映画の解釈の仕方に大きな影響を受けているんだと思います。
 実は数年前までは、僕の映画の評価はかなり辛口でした。
 「面白い映画はこうでなくてはならない」というような基準が自分の中にあって、脚本の粗を突っついたり、構成の未熟さを批判したりしていました。良く出来た映画に出会えたときは飛び上がって喜び、そうでない映画は「つまらない」の冷たい一言で片づけていたんです。
 今振り返ってみると、そんな自分が一番「つまらなかった」んだな、と思います。
 転機となったのは、ある友人との会話でした。
 その友人は故黒澤明監督のファンなのですが、僕自身は黒澤監督の作品をそんなには観たことがなかったため、参考にと思って訊いてみたんです。
 「黒澤監督の作品の中で、一番いい作品って何?」
 訊きながら、でも実は心の中では「七人の侍」や「用心棒」あたりが出てくるかな、と思っていたんです。世間の評価も高いですし、飛び抜けてダイナミックな演出には今なお世界中にファンがたくさんいるからです。
 しかし、友人の返答は違いました。
 「もちろん、『まあだだよ』じゃないかな」
 「ほへ?」
 思いがけない答えでした。
 「まあだだよ」という作品は、黒澤監督の最後の監督作品。世間的にはあまり高評価を得ておらず、内容も地味なだけに、どちらかというと忘れられがちな作品です。
 「そうなの?」
 きょとんとして問い直す僕に、友人はうなづいて見せました。
 「うん。いや、確かに『まあだだよ』より、『七人の侍』とかが一般的に評価が高いのは知ってるよ。演出はダイナミックだし、活劇として見応えもあるし。でも、そんな作品よりも『まあだだよ』のカット割りや画面構成、人物の捉え方は素晴らしかった。『七人の侍』や『用心棒』が代表作、と言われているのは、世間がそういう黒澤作品を求め、黒澤さん本人が目指した『まあだだよ』のような作品を求めていなかった、それだけのことだと思う」
 聞きながら、目からうろこでした。
 確かにそういうことってあるかも知れない、と思ったんです。
 世間がその監督に対して求めている作品と、監督自身が撮りたい作品に違いが生じ、その結果世間からの評価が得られない作品が生み出される……それは、個々の作品を正当に評価していないということでもあるかも知れません。
 自分の身を振り返ってみました。
 同じ監督の作品を、前作より劣っているというだけの理由でけなしたことはないか?
 自分の偏った理想の映画像に合致しない、という理由で映画をメタメタに斬り捨てたことはないか?

 あるじゃん。(汗) 

 そこで浮かんだのが、故淀川長治さんのこと。
 あの方は「映画にはそれぞれ必ずいいところがひとつはある。それを伝えるのが評論家という僕の仕事」というスタンスだったんですよね。
 そこまではさすがに出来ないけれど、ちょっとだけ映画の見方を変えてみたら、もっと楽しく映画を観られるようになるかも知れない。
 そう思い始めたんです。
 そして、それから少しずつ、僕の映画の見方は変わってきました。
 「こんな映画が面白い!」という定規を当てはめてはみ出した部分を批判するのでなく、「この映画で監督は何を目指したかったのか」を考え、それが「十分表現されているか」どうかで映画を評価するようにしよう、と思ったんです。
 最近の映画で言うならば、一番目につくのは「アンブレイカブル」でしょうか。
 これもM・ナイト・シャマラン監督の前作「シックス・センス」のような大どんでん返しを期待してみなければ、とても高レベルにまとまった作品なんですよね。そもそも作品の方向性自体が違いますし(それを混同させてしまうような映画会社の売り出し方にも問題がありますが)。
 「シックス・センス」が超常現象を小道具にしてドラマを展開し、結末で大きくひっくり返すという作風だったのに対し、「アンブレイカブル」はストーリーそのものよりもむしろ、映像や語り口で観客に次々と暗示や不安を与えて心理的に揺さぶる、という作風でした。これは、大いに成功していたと思います。
 こんな風に観るようになってから、映画がとても楽しくなってきました。
 単品の作品についても「『バーティカル・リミット』は雪山でのアクションを見せたかったんだよ、あの矢継ぎ早なアクションシーンだけは凄かったからね。面白かった」とか、「『シックス・デイ』はシュワちゃんの超人的な活躍を見せたかったんだよ、だってそうじゃなきゃシュワ映画じゃないし。面白かった」とか、「『チャーリーズ・エンジェル』は3人美女のコスプレとアクションをやりたかったんだよ、だって他に何がいるの? 面白かった」なんて、おそらく以前は「つまらん」の一言で斬り捨てていたであろう映画まで楽しめるようになったんですから。
 もちろん、それとは別に「面白い映画の基準」というのが僕の中にはあって、それに合致したとき「大絶賛! 大傑作!」と騒ぐことになりますし、逆に「つまらない映画の基準」というものだってあります。
 しかし、そんな自分の中の絶対的な定規とはまた別に、作品を評価出来る自由な尺度を持てるようになったというのは、映画ファンとしては大きな前進かな、と思っています。
 そのきっかけとなった会話をしてくれた友人に、感謝。





 ……ただ節操がないだけ、なんて突っ込みは聞こえません。
 ……歳をとって丸くなっただけ、なんて分析も聞こえません。

2001年 8月31日UP