「はい、次の方」
ぶっきらぼうな声が部屋の中に響いた。
白壁の、6畳程の狭い部屋。無機質な冷たい金属製の事務机がひとつと、中央にパイプ椅子がひとつあるだけの、殺風景な部屋。事務机の背後にある窓から、黄昏時の気怠い日差しがひっそりと差し込んでいる。
声の主は、事務机に腰掛けている、40代後半とおぼしき男性であった。額が少しばかり薄くなりかかっている、中年太りの男だ。スーツとネクタイに身を包み、眼鏡をかけた脂ぎった顔を白いハンカチでそっと拭う。
彼の目は、部屋にたったひとつのドアに向けられていた。
「次の方? どうぞ!」
わずかな苛立ちを含んだ声で、彼は言う。
「は……はい……」
おずおずとした声がして、ゆっくりとドアが開いた。
「し……失礼します」
そう言いながら部屋に入ってきたのは、冴えない若い青年だった。やせこけた貧相な体つきに、神経質そうな青白い顔つきをしている。
「掛けて」
無愛想に、男は青年にパイプ椅子を顎でしゃくって見せた。
「は……はい」
落ち着かない表情で、青年はそのパイプ椅子に腰を下ろした。緊張しているのか、部屋の中をおどおどと見回す。
男は、その青年をじっと鋭い目つきで頭のてっぺんから足の先までを舐めるように見つめた。
青年は、その男の視線にさらに身をすくめ、うつむく。
「ふん……」
男は、小さく息を吐き、机の上のハンディ・パソコンのキーを軽く叩いた。そのパソコンのディスプレイに、即座に人の顔が浮かび上がる。それは、目の前の青年の顔だった。あらかじめ、インプットされていた情報である。
「名前は?」
相変わらずのぶっきらぼうな口調で、訊く。もっとも、男はすでにその答えを知っているのだが。
「あ……相原悠也……」
震えるような細い声で、青年は答えた。
ひとつうなずき、男はまたパソコンのキーをひとつ叩く。ディスプレイの中で青年の顔が画面の左上に小さく縮小され、右側にその青年の履歴の一覧が表示された。このパソコンは、本庁の戸籍管理プログラムに直結しているのである。
「S県のN市に生まれ、今日で二十歳になる間違いないね?」
「は、はい」
びくびくと、と言っていいような顔で青年はうなずく。
「まずは、成人おめでとう」
面白くもなさそうな表情のまま、男は事務的な口調で祝いの言葉を述べた。
「あ、ありがとうございます」
社交辞令。青年も義務感のみでただ反射的に頭を下げる。
「で、でも、落ち着かないですね、こういうのって……」
と、少しでも落ち着こうとしてか、無理につくったような笑顔を浮かべて見せる。
だが、その反応はなかった。
男は、ただ無言で片眉を少し吊り上げただけで、またディスプレイに目をやる。
「では、本題に入ろうか」
「は、はい……」
口に出したことを内心で後悔しながら、消え入りそうな声で青年はうなずく。
男は、眼光鋭く青年を見つめながら、口を開いた。
「S県立T高校を卒業、私立のW大学に一浪の末合格、現在同大学の国文学部一年在籍間違いないね?」
「はい……」
「就きたい職業は、第一希望がカメラマン、第二希望が作家、か……」
「ええ……芸術関係の仕事がしたいんです……」
おどおどと、しかし懸命な表情で青年は男に訴えた。
「何でもいい、自己表現が出来るような……」
「ふうん……」
男は口の端を曲げ、青年に向き直った。椅子の上でふんぞり返るように上体をそらし、見下すように青年をねめつける。
「だが、君は見たところ、その自己表現という奴には向いていないようだが?」
「え?」
「しゃべる言葉も不明瞭だし、言いたいこともあまりはっきりとうまく相手に伝えられないようだ。それも、自己表現のひとつと思うがね?」
絶望的な表情が、青年の顔をよぎった。
「し、しかし、写真や小説はしゃべることとはあまり関係が……」
「関係がないのかね? そうかな? 私は芸術方面のことはあまり分からないんだ。関係がないのだったら、それを説明してくれないか」
「え……」
青年は、もう血の気を失い、額いっぱいに汗を浮かべていた。
「それは……その……」
「落ち着きなさい。君の人生のことだから、話してもらうんだ。二十歳になった者の当然の義務だからね。君の意志で、自由に、落ち着いてゆっくりと話しなさい」
男は、あくまでも事務的に優しい言葉で青年をなだめる。
青年はごくりと唾を呑み込み、観念したようにもつれる舌で口を開いた。
「し、写真は、人の心を和ませる写真がとりたいんです……小説は、人の心に訴えられる作品を……ぼ、僕はあがり症で、うまく人前でしゃべることは出来ないんですが、頭の中にイメージを浮かべるのは得意なんです。だから、そういう方面になら自信があるんです……」
「ふうん……」
たいして感銘を受けた風でもなく、男はただ肩をすくめた。
「しかし、やはりあまり世間の役に立つ仕事とは思えないね。私は、写真はヌード写真にしか興味はないし、目にする文章といえば役所の文書か週刊誌の文字くらいだ」
「そ……それは……」
青年は何か言いかけたが、ぐっと歯をかみ、視線をじっと床の一点に落とした。悔しさに歯を食いしばるのを、見られたくなかったのだ。
「では、判定を出そうか」
男は、青年にもう発言の意志がないのを見て取ってから、そう言って再びパソコンに向かった。キーをタッチしてから、判定画面を呼び出す。
様々な項目を入力する画面が、ディスプレイに表れた。態度、性格、品性、意欲、将来の希望からその実現可能性、可能となった場合の将来性から才能具現可能性まで……。
男は、その100以上に及ぶ判定項目のひとつひとつに、10段階評価の数字を、ゆっくりと入力していく。
青年にとっては、まさに死刑の判決を待つような時間が流れていった。
そして……。
「よし、終了だ」
男は、言いながら青年に向き直った。
「相原悠也君。君のIDクラスはDクラスに決定しました。今日から10日以内に、自宅に通知文と共にIDカードを送付します。もしも不服申し立てをしたい場合は、その通知を受け取った翌日から10日以内に当局に申し立て申請の手続きを行なってください。今日はありがとう、お疲れ様でした」
まったく感情の込められていない声で男はそういい、愛想のひとつもなくくるりと青年に背を向けた。
「ま……待ってください!」
たまらず、青年はその背中に声を上げた。
「そんな、たったあれだけの質問で、一体何が分かるっていうんです?」
「それは、我々はプロだからね。何気ない仕草、しゃべり方、態度、それに君の生まれてから今日までの履歴事項から学校の成績の総てまで、あらゆる角度から分析している。不服があるなら、不服審査申し立てをやってくれ。以上だ」
振り向きもせず、突き放すように男は青年に言いつけた。それが最後の通告だった。
「…………」
歯を食いしばったまま、青年はふらふらと立ち上がり、よろめきながらゆっくりと部屋を出ていった。
「この、官僚の犬め……!」
そう、最後に小さくつぶやいたのが男の耳に届いていた。
思想≠フ評定を、もう1、2点くらい下げていてもよかったな……。
男は、ドアの閉まる音を聞きながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
いつからだろう。成人した者に、ランク分けの義務が課せられたのは……。
国民の、総ての戸籍のコンピューターによる中央一括管理。その管理コンピューターの発展に伴い、次第に社会の人間に対する管理が強化されてきた。そして、ついには総ての個人の趣味、血液型、IQ、年収から貯金額、それこそ一日の行動までが中央のコンピューターが一切を記録し、履歴として残すようになったのだった。
そして。
ある時、より効率的な管理方法が採られることになる。
すなわち、ランクによる人間の一括管理。
成人した者を役場に呼び、これまでの経歴等を照らし合わせ、どのような人間かを審査し、AからEまでの5段階のランクに当てはめてIDカードを発行するのだ。これにより、企業が求人をするときなど、応募してきた志願者のなかから一定のレベルでラインをひいて、安定した力をもった者達を選抜することが出来る。誰もが求める「世間が認めた一般基準」というやつだ。
そしてそれは、すなわちその人間の生活レベルを一生決定づけることでもある……。
「ふう……」
ため息ともつかぬ息を洩らし、男はゆっくりと事務机から立ち上がった。
彼とて、今の仕事が好きなわけではない。他人を枠に当てはめ、選別していく作業は、楽しいものではない。
だが……。
仕方がない。世知辛い世の中だ。
そういえば、今日は給料日だったな。
男は心の中で呟き、胸ポケットから給与明細書を取り出した。
ちっ、こんなに引かれてやがる……。
舌打ちする。
明細には、あらゆる税金の控除が示されていた。
所得税、呼吸税、食物税から排泄税、自由税、生存税まで……。
いまや、生きていくことそのものに税金のかかる時代になっていたのだ。
ここにやってくる若者で、夢を見るものは多い。だが、そんな夢が何の役に立つというのだろう。
今や夢の実現など、目標を立てている内に生きていくことが出来なくなってしまう世の中なのだ。金が無ければ、生きていくことすら出来はしない。
「はい、次の方」
ドアの向こうに向かって、男は無愛想に言った。
了