世の中、すれてますね。
「善」を押し出したり、主張したりすると、それに対して「いい格好しい」だの「偽善」だの、必ずと言っていい程噛みつく人が出て来るようです。
不思議ですよねぇ。
何故人の足を引っ張るようなことをわざわざするのか?
確かに、「善」なる部分を振りかざされると鬱陶しいと感じることもあるでしょうけど、それって指摘するべきことなんでしょうか。
「そんなきれい事で世の中渡っていけるものか」なんて思っている方も多いんでしょうけど、そもそも「きれい事」って正論のことを指しますよね。
いいじゃないですか、正論、きれい事で世の中を渡っていける強さがあるなら、それに越したことはないと思うのですけど。
正論、きれい事で生き抜くっていうのは、正直、損な役回りになることも多いとは思います。けれど、それだけに精神的な強さも要求される生き方ではないのでしょうか。それを通して生きていけるのであれば、やはりそれに勝る生き方はないと思うのですが。
今まで出会った人の中で、そんな生き方を実践されている方ってほんのわずかでした。けれど、その方達には、力の及ぶ限り協力してあげたい、と心底思わせてくれる魅力がありました。
「きれい事」で生きていける人は、本当に強い人です。
「きれい事だけでは生きていけない」なんて状況は、実はそう言っている人たち自身が生みだしているのではないのでしょうか?
出来る限り、自分の生き方はきれい事でありたい、と思っています。
2002年 2月17日UP