「あれか」
バァンは、エスカフローネを人型に戻すと、渓谷沿いの繁みに身を潜めた。目標のガイメレフは、黒いシルエットを幻の月に刻みながら、エスカフローネの上空を飛び越え、クルゼードのいる方向に飛んでいる。
「まずいな。」
バァンがどうしたものかと思案している間に、目の前の繁みが、赤いガイメレフの姿を隠してしまった。
飛び去るガイメレフを見失うまいと、エスカフローネがそっと繁みを掻き分けたその時、繁みの不審な動きに気付いたのか、赤いガイメレフがエスカフローネの潜む繁みに、いきなりクリーマの爪を打ち込んできた。その、ガイメレフの腕先から長く伸びた、巨大な流体金属製の鋭い突端は、エスカフローネの腕にわずかな傷を付けただけだったが、繁みに潜む者を燻り出すには十分な効果を発揮した。
竜の姿に変わったエスカフローネが繁みから空中に躍り出た途端、赤いガイメレフから、凄まじい咆哮が響き渡った。
「返せ!今すぐ返せ!」
その叫びと共に、クリーマの爪が、再びエスカフローネに向かって打ち出された。
エスカフローネの突然の出動でクルゼード内は騒然となった。
「機関出力全開!全速でエスカフローネを追う!」
アレンは格納庫から急いで操舵室へ戻ると、すぐに、殺気にも似た激しさで、エスカフローネの追跡を命じた。アレンの様子に思う所があるのか、ガデスがそっと声をかけた。
「隊長。もしかして、あのガイメレフ・・」
しかし、行く手を睨んだまま、軽く腕を上げてその言葉を制するアレンに、ガデスはそれ以上何も言えなかった。
その頃ひとみは、床にぺたんと座り込んで泣いているメルルを前に、格納庫から動けずにいた。
「ひとみが居るから、ひとみが居るから、バァン様は・・・」
ひとみは、床にぽつんぽつんと涙を落としながら泣き続けるメルルの横にしゃがみ込んで、その顔を覗き込んだ。
「・・・メルル・・・」
メルルは少し落ち着いたのか、床を見つめたまま、ぽつりぽつりと喋り出した。
「バァン様、いつもだったら、あんな無茶、なさらないのに。バァン様はいつも『怒りで自分を見失っちゃいけない』って言って、慎重に行動なさっていたのに。あれじゃ、昔の、国王になられたばかりの頃のバァン様・・・。ひとみが居るから、あんたがいるからバァンさま・・・。」
ひとみの胸がチクリと痛んだ。
―私がバァンを怒らせちゃったから・・・
メルルはひとみにかまわず、一人言のように言葉を継いだ。
「わかってたんだ、バァン様が王様として無理なさっていた事。でも、私は、バァン様が、立派な国王となられる事が、バァン様ご自身の願いだって、知ってたし、私も嬉しかったから・・・。それに・・・私じゃ、だめなんだ。私じゃ・・・。」
メルルは一寸言葉を切ると、小さな叫びにも似た声で喋りはじめた。
「バァン様、王様だから、誰にも弱音がはけなくて、何でも自分一人で抱え込んで、いつも一人で悩んでて・・・。私もお城の皆もバァン様の事大好きで、いくらでもお力になりたいのに・・・、でも、だめなんだ、それだけじゃ・・・。私じゃ・・・。だから・・・ひとみが居ると・・」
メルルは言葉を切ると、悲しさと寂しさで潤んだ瞳をひとみに向けた。
「だから私が居ると?なに?」
ひとみは、メルルの台詞を受けて、素直に聞き返した。
「あんた、ほんっとに、鈍いわね。」
ひとみを見るメルルの泣き顔が、あっという間に呆れ顔に変わった。
エスカフローネは、辛うじてクリーマの爪をかわす事が出来た、が、大きく体勢を崩した上、直後に、赤いガイメレフの体当りを食らい、地上に向かって叩き落とされた。地上に激突する寸前、エスカフローネは人型に戻って体勢を立て直し、背に収めた剣の柄を握りしめた。その瞬間、真上から赤いガイメレフの剣の一撃が放たれたが、エスカフローネは背から剣を抜きしな、その勢いのまま、相手の剣を受け止めた。
だが、赤いガイメレフの腕から伸びた変幻自在な流体金属製の剣は、じりじりと、容赦無くエスカフローネの頭部に近づいて来る。
「強い!くそっ、力が、足りない。エスカフローネの力はこんなもんじゃないのに。くっ、エナジストのせいか。」
赤いガイメレフの剣がエスカフローネの頭部に触れた。同時に、バァンの額から、すうっと一筋血が流れた。
力の差を確信したのだろうか。赤いガイメレフから、先程よりはいく分落ち着いた叫び上がった。
「さあ、返してもらおうか。今すぐ。さもなくば、このまま操演宮ごと叩切る!」
「いったい何の事を言っているんだ。」
先程からの叫びに、素直な疑問を投げかけたバァンだったが、相手の怒りに火を付けてしまったようだ。
「この期に及んで、しらを切るつもりかぁ!」
エスカフローネを押えつけていた剣が素早く跳ね上がると、その銀色に鈍く光る刃が大きく弧を描いてエスカフローネの左脇腹目がけて飛んだ。とっさに、右に跳躍したエスカフローネだったが、その切っ先が機体の脇をかすって行くのを避ける事は出来なかった。
「くっ、つぅ」
操演宮の中にいるバァンの脇腹から血が流れだした。
それでも、エスカフローネは体勢を立て直し、剣を構えた。赤いガイメレフも剣を構えてタイミングを計っている。
双方が、打ち合わんとした、まさにその時、足元から叫び声が上がった。
「やめるんだ!二人とも」
見ると、すぐ横の谷間から、クルゼードが上昇して来る所だった。
「・・・クルゼード。その声は、アレン・・・それじゃ・・・」
そんなつぶやきを漏らしながら、赤いガイメレフは、エスカフローネを置いて、クルゼードに飛び乗った。
アレン達が操舵室の窓から見守る中、赤いガイメレフの胸部ハッチが開かれ、中から、くすんだ金色の体毛に覆われた、犬の容貌を持つ人物が現れた。 |