天空のエスカフローネ 〜infinite〜

ACT.7 思母

 住宅街の中にある無人駅に止まった列車から、はじける様に飛び降り改札口を駆け抜ける人影が二つ。二つの人影はある家の前で立ち止まると、慌ただしくその家の呼び鈴を鳴らした。
「まあ。ゆかりさんと天野君じゃない。」
ドアを開けたその家の住人は、静かな笑みをたたえて、ゆかりと天野を出迎えた。
「あの、おばさん。ひとみがいなくなっちゃったって・・・」
涙ぐみながら詰め寄るゆかりに、ひとみの母は、
「ああその事でしたら、ここでは何ですからどうぞ上がって。」
と、やんわり言うと、二人を座敷に促した。
 ひとみの母は、遠慮する二人に茶菓をすすめながら言った。
「ひとみは、どうやらまた、ガイアと言うところに行ってしまったようです。」
まるでひとみが、親戚の家にでも泊まりに行ったような、言いようだ。
「昨夜電話で、ゆかりさんにひとみが乗った列車の時間を聞きましたが、その列車が着いた頃、駅の辺りに落雷があったそうなんです。落雷と言っても、空から真直ぐ光が降りてきて、また、真直ぐに消えていくという、とても奇妙なものだったそうですが。」
えっと、ゆかりが身を乗り出す。
「それって、もしかして、光の柱?」
ひとみの母は、軽く頷いた。
「私もそうだと思います。・・・今頃ひとみは、会いたかった人の傍に居るのではないかしら。」
ひとみの母の静かな、しかし自信に満ちた言葉を聞いて、ゆかりは気持ちが落ち着いていくのを感じた。
 ―不思議な人、ひとみのお母さんって。この人もひとみの様に、見えない物を見たり感じたりしているのかしら。
ゆかりはそう思いながら、ひとみの母の入れてくれたお茶に口をつけた。お茶の香りが、ゆかりを心地良い安堵感に包んでくれる。
 「ごめんなさいね、ゆかりさん、天野くん。ひとみの事で心配かけて。」
「いえ、良いんです。そのかわり、ひとみが帰ってきたら、すぐに連絡くれるように言って下さい。」
 ひとみの母は、帰って行くゆかりと天野の後ろ姿、そして、二人と同じ方向に歩いて行く人影を見つめながらつぶやいた。
「ひとみ。あなた、しばらく帰ってこない方が良いわ。変な人達があなたを狙っている・・・」

 「ひとみ。ちょっと付き合ってくれないか。」
ミラーナとメルルが去った後、バァンはひとみを、墓所に座すエスカフローネの下へ誘った。道すがら、昨夜の事を語るバァンの手には、緑色のエナジストが握られている。
 昨夜、ファーネリア城の執務室では、夜更けまで議論が交された。その結果、エスカフローネの潔白を証明するため、アストリアのアストン王にエスカフローネと共に内々に謁見し、その後、正体不明のガイメレフの調査にあたる事を決めた。また、今回の事態が公になることを憂慮して、側近は必要最小限=メルル1人という事になった。もちろん、ファーネリアの重鎮の中には同行を願い出る者も居たが、お忍びという形で国王不在となる間の国政の事を考えると、一人の重鎮も配するわけにはいかなかった。そう、ただでさえ、先の大戦で、多くの重鎮を失ってしまったファーネリアなのだから。
 ひとみは、バァンの話が一段落ついたところで、バァンが握り締めている緑色のエナジストを指して言った。
「バァン。そのエナジストもしかして、」
「ああ。幻の谷で、母上から貰ったものだ。今からこいつで、エスカフローネを動かす。」
その、石の層が美しい縞模様を織り成す球形で緑色のエナジストを見ながら、悲しそうな、嬉しそうな、寂しそうな、そんな複雑な表情でバァンは言った。
「お母さんがくれたエナジスト・・?エスカフローネを動かすの、ドラグエナジストって言うやつじゃなくても良いの?」
「俺が竜退治の儀式の時に手に入れたドラグエナジストは竜の森に帰したんだ。もうこれからは、竜退治の儀式は行わない。むやみに竜を殺すこともない。」
 ひとみは、初めてバァンに会った時の、青い返り血を浴びながら竜の体内にあるドラグエナジストと呼ばれる赤いエナジストを取り出した、バァンの切なげな顔を思い出した。
「エスカフローネにはもともとエナジストが3つも着いているんだ。戦に行くわけじゃないし、ドラグエナジストほどのエネルギーはなくても、動かすだけならこいつで十分だ。」
相変わらず、悲しそうな、嬉しそうな、寂しそうな複雑な表情でバァンは言った。
 ―死なせちゃった竜の事を考えているのかな。それともお母さんの事を考えてるの?
そう思いながら、ひとみがバァンにかける言葉を探して沈黙している間に、二人はエスカフローネの座す墓所に出た。
 バァンはエスカフローネの足元で立ち止まると、怒ったような顔でエスカフローネを見上げた。
 「バァン、どうしたの?」
「・・・本当にこれで良いのか、と思ってな。」
「エスカフローネを動かすこと?」
「ああ。俺は今まで、こいつに頼らない世界を目指して来たんだ。なのに、結局はエスカフローネに頼る事になってしまって・・・」
バァンの想いが、ひとみの胸を突いた。
―ああ、そうだ。エスカフローネに頼らない世界が、バァンのお兄さん、フォルケンさんの想いだったのに・・。その世界を見るのがバァンの願いだったのに・・。バァン・・、悔しいだろうな。
 ひとみは、沈み込みそうになる自分に喝を入れるため、頭を左右に振ると、努めて明るく言った。
「あのね、バァン。私がこんな偉そうな事言うのもなんなんだけど、でもね、まだ、そういう時期になっていないだけで、今は、エスカフローネの力を借りなきゃいけないのかもしれないけど、でも、いつかきっと、エスカフローネに頼らなくてもよくなる日が来るよ。今はまだだけど、きっといつかはバァンが想ってる平和な世界が造れるよ。バァンなら、きっとやれるから!」
頬を紅潮させながら言うひとみを見て、バァンはほっとしたような笑みを浮かべた。
「そうだな。今はまだダメでも、きっといつかは・・・」
 バァンは、視線をひとみからエスカフローネに移すと、肩越しに穏やかな声で言った。
「ひとみ。ありがとう。・・・おまえ、ちっとも変わってないな。」
「え?」
なんと返答してよいものやら、言葉に詰まっているひとみを置いて、バァンはそのままエスカフローネの膝に飛び乗った。そして、腰に差した剣で指先に一筋の傷を入れ、手にした緑色のエナジストにその傷から滴る鮮血を含ませると、エスカフローネの胸にはめ込まれたエナジストの中に緑色のエナジストをそっと沈めた。
 血の契約。エスカフローネを造った幻の匠、イスパーノ一族の手になるガイメレフは血を以てその主を定める。つまり、起動のキーとなるエナジストに、血を含ませる事で、その血の持ち主を唯一の操縦者と見なすのだ。
 バァンは、エスカフローネの胸のエナジストの中央に緑色のエナジストを収めると、そっと手を放し、水のように波紋を立てる鉱石の中から腕を抜いた。すぐに緑色のエナジストが規則正しい鼓動を打ち始め、エスカフローネに生気が宿った。
 そのエナジストの鼓動に答えるように、一瞬、バァンのペンダントとひとみのペンダントが優しく光を放ったが、二人は気付かなかった。

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