「ちょっ、ちょっとメルル、あんたまた性懲りもなく私のバッグを〜。」 「どれどれ、なに、これ。こっちは?へ〜」 メルルはひとみの言葉など聞く耳持たずといった風情で、バッグの中味をあれこれ物色し続けている。 「こら」 メルルを叱りながら捕まえようとしたひとみの顔面に、バッグに入っていた紙袋が飛んで来た。 「何するのよ!メルル〜!」 ひとみが大声を上げた瞬間、部屋のドアが開き、美しい顔に狼狽したような表情を浮かべたミラーナが姿を表わした。 「ミ、ミラーナ、さん・・。あ、こ、これは、あの、メルルが私のバッグを、その・・・」 思わぬ醜態を見せてしまったひとみは、ミラーナに向かってもごもごと口を動かした。いつの間にか散らかった室内から、メルルの姿が消えている。 「ごめんなさい、黙って入ってきてしまって。ドアをノックをしたのだけれど、返事がなかったものだから。ひとみったら、昨日元気がなかったでしょう、だから、ちょっと心配になって。でもよかったわ、元気そうで。」 ミラーナは、そう言いながらひとみに歩みよると、にっこりと微笑んだ。 「え?あ、・・そう、かな。」 ひとみはなんと応えて良いかわからずに、曖昧な返事をすると、部屋に散らばった荷物を片付け始めた。 ひとみの邪魔にならないようにと、ベットの隅に腰掛けたミラーナは、散らばった荷物の一つに目を止めた。 「これ、ひとみじゃなくって?」 ミラーナが手にした物は、ひとみとゆかりがドレス姿で写っている写真だった。ガイアに来る前に、ゆかりたちと仕分けをしていた写真の残りだ。 「ひとみの横にいる方のドレス、とっても素敵ね。ひとみの国ではこういうドレスが普通なの?」 ひとみはミラーナの持つ写真を覗き込みながら言った。 「ああ、これ?普段着じゃなくって、ウエディングドレスよ。私の世界では、花嫁さんは普通こういう純白のドレスを着るの。」 ミラーナは、ひとみの答えを反すうするようにつぶやいた。 「ウエディングドレス・・・」 「そうよね〜、あんたのいつもの格好とは全然違うもん。」 メルルが、いつの間にか戻って来て、ひとみとミラーナの後ろから写真を覗き込んでいた。 「あ、メルルいつの間に!」 「あんたには、こっちの服がお似合いよ。」 メルルはそう言って、先ほどひとみに投げつけた紙袋を再びひとみに向かって放ると、舌を突き出しながら窓の外へ逃げて行った。 「もう、メルルったら。」 ひとみは紙袋を拾い上げて、中を見た。この紙袋は、昨日天野から受け取ったもので、鎌倉北高校陸上部の男子OBから預かって来たものだと言っていた。 「これ、仮装パーティー用に貸してあげてた私の制服だぁ。」 ひとみは歓声をあげると、袋の中味をベッドに広げてみた。ひとみにとって制服は、高校生活と始めてガイアに来た時の思い出をない混ぜにした、とてもいとおしい物だった。 「ねえ、ミラーナさん。どう?」 ひとみは制服に着替えると、ミラーナの前で、くるりと回って見せた。 「そうね。ひとみらしいわ・・・」 ミラーナは手にした写真をぼんやりと見つめながら気の無い返事をした。そんなミラーナを見て、ひとみは昨夜のミラーナとの会話を思い出していた。 広間での食事の後、バァンはひとみとろくに会話をすることもなく、正体不明の白いガイメレフの件について検討したいと言って、アレンを始め、城の重鎮達やクルゼードの乗員数名を伴い、執務室にこもってしまった。 ひとみはする事もなく、城の回廊に出て満天の星空に浮かぶ『幻の月=地球』をぼんやりと眺めていた。 「元気がないわね。ひとみ」 振り向くと、いつの間にかひとみの横に、ミラーナがいた。 「ひとみを襲った人達の事が気にかかるのかしら?それとも幻の月に帰りたいの?」 「・・・う・ん。お母さん、心配してるだろうなって・・・」 歯切れの悪い返事をするひとみに、ミラーナはいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。 「やっぱりバァン様の事、かしら?」 「え?」 ひとみの頬が、さっと朱に染まった。ミラーナに、森でバァンに抱きしめられている ところを見られた事を思い出したのだ。 「ねえ、ひとみ。バァン様とはどうなっているの?」 「え?どうって・・・」 「最初に森で二人を見たときは、とても素敵な恋人同士に見えたわ。でもその後は、ろくに話もしないし、ひとみは元気がないし・・・」 ミラーナは、幻の月を見上げたまましばらく沈黙していたが、そのままの姿勢で静かに語り始めた。 「先程も話したけれど、私、ドライデンをアストリアに連れ戻すために国を出て来たの。でも、でもね、本当は私、アレンのためにここに来たの。」 「え?」 ひとみはミラーナの顔を見た。天空に浮かぶ幻の月を見据えたままの、そのミラーナの弱々しげな横顔を。 「ドライデンは、素敵な方よ。お金持だし、博学だし、ハンサムだし、手紙や贈り物も欠かさず贈ってくださるし、私の事、とても愛してくれているわ。ただね、ずっと戻ってこないの。随分長いこと会っていない。でも、アレンはいつも私の傍にいて、私を守ってくれるわ。王家に使える者の勤めとはいえ、いつだってアレンは私の力になってくれる。だから今度は私がアレンの力になりたいの。お父様は、アストン王はね、ファーネリアの動向をアレンに調べさせた上で、潔白が証明されたとしても、アレンとバァン様が結託したとかなんとか言って、結局の所、ファーネリアとは決別する気なの、アレンに不当な罪を被せてね。お父様は悪い方ではないのだけれど、すぐに、目先の利益に囚われてしまうの。でも、私がアレンと一緒にいれば、お父様の思う通りにはならないわ。・・・私、アレンを守りたいの。」 「ミラーナさん・・・」 ひとみは、一つ一つの言葉を噛みしめるように吐き出すミラーナの痛々しい姿に、声をかけずにはいられなかった。心配そうにミラーナを見つめるひとみに、ミラーナは、左手にはめられた二つの指輪をはずして見せた。 「これね、私とドライデンの結婚指輪なの。ドライデン、私に指輪を渡して行ってしまったわ・・・。ねえ、ひとみ。あなた達、ずっと会っていなかったのに、どうして・・・。」 「・・・なに?ミラーナさん。」 「ううん」 ミラーナは頭を振ると、また幻の月を見上げて言った。 「あのね、アレンね、今、妹さんの事で大変なの。ひとみも一度会った事があるでしょう?セレナさん。ザイバッハの人体実験で、性格も性別も変えられてしまっていたけれど、あれからしばらくは、普通の女の子として落ち着いた生活を送っていたわ。だけど、最近になって、また精神的に不安定になることが多くなってしまって、酷い時には実のお兄さんであるアレンに切りかかって来ることもあるそうよ。きっと、今のアレンの頭の中は妹さんの事で一杯なんだわ。」 「いもうと、さん?」 ひとみがつぶやくように言った瞬間、 (・・で、・・・りにしないで・・) ―空耳? ひとみは誰かが泣く声を聞いたような気がした。 「まるでドラマよね。」 ひとみは、アレンとドライデンの間で揺れている、昨夜のミラーナを思い出してつぶやいた。 そして、自分とバァンの事についても、思いを巡らせた。 ―私とバァン・・・。ガイアと地球・・・。とおい・な。折角会えたけど私は・・・折角会えたのに、あんまり話せないね。バァン、王様だもんね。仕方がないよね。 ひとみがちらばった荷物を鞄に詰め終わった頃、ドアをノックする音がして、バァンが姿を表わした。『バァンとあんまり話せない』そんな事を思っていた矢先の訪問に、ひとみは一寸驚いた。 「お邪魔しちゃ悪いから、私、部屋に戻るわね。」 ミラーナはひとみに微笑みかけると、手にした写真をバァンに渡しながら、部屋を出て行った。 バァンはひとみをちらっと見ると、その背後に向かって大きく声をかけた。 「メルル。アレン達と出かける事にした。支度をしてくれ。」 「はい!バァン様」 窓の下から、大きな耳を持つ愛らしい顔がぴょこんと飛び出し、何処へともなく駆け去って行った。 「もう、メルルったら、あんな所に隠れてたのね。」 むくれるひとみに、微笑みながらバァンは言った。 「あいつなりに、ひとみの事を心配してるんだよ。」 ひとみはバァンの言葉に、素直に頷いた。メルルは、素直じゃないけど良い子だもの。 「ところでひとみ、俺は、例の白いガイメレフの正体を探るためにアレン達と行く事にした。エスカフローネにかけられた誤解も解かなくてはいけないしな。おまえはどうする?」 「え?私?」 「ああ。やっぱり帰りたいんだろう?幻の月に」 「わたし・・・」 離れていても今まで通りいつだって会えるし、なにより、家族や友達が心配している。帰れるものなら、今すぐ帰ったほうが良いに決まってる。そう思うひとみは、でも、すぐに言葉が出てこない。 ―バァンの傍にいたい。折角会えたんだから、少しの間でも良い、傍にいたい。でも、私なんかが一国の王として出かけるバァンに、ついて行って良いわけ・ない・よね?でも・・・ 「バァンと一緒に、行きたいな」 吐息のような小さな声がひとみの口からこぼれ落ちた。バァンの顔に、軽い驚きと喜びの表情が交互に浮かぶ。 「・・そうか。その方が、・・その、俺も・・、嬉しい。」 真直ぐにひとみを見ながらそう言うバァンの、照れ臭そうな笑顔がひとみにはとても嬉しかった。 |