天空のエスカフローネ 〜infinite〜

Act.33 水影
 バァンは、過ちを償いたいと言った男に、ひとみとエスカフローネの下まで案内するよう言った。が、男はそれを頑なに拒否した。
 「私は、私の命ある限り、貴方の力になりたいと思っております。ですが、我が君の命に背く事は例え死んでも出来ないのです」
それっきり、男は口を閉ざしてしまった。そして、ドアの端に身を移し、ひざまずくと、小さく身を屈め、ただただ頭を垂れた。
 バァンがひとみを置いてエスカフローネでガイアに帰ると言えば、この男は己の力を惜しみ無く貸してくれただろう。だが、口にせずとも明らかに、バァンの真意がひとみを連れ帰る事である以上、バァンは排除すべき厄介な邪魔者なのであった。
 「そうか、わかった。ならば後は俺自身でやる。お前はお前の主人(あるじ)に尽くせ。・・・お前の主人があのような者であった事を残念に思う」
そう言うと、バァンは放り出してあった上衣を掴み、メルルを連れて部屋を出て行った。男はバァン達が出て行った後も、長い事その場にひざまずいたままだった。
 しばらく歩いたところで、メルルが後ろを振り返りながら言った。
「バァン様ぁ。あいつ追いかけて来ませんね」
「ああ」
「ところでバァン様、私達何所へ向かっているんですか?」
「エスカフローネの所だ」
「わかるんですか、バァンさま」
「いや。ただ、あいつがわざわざ体の向きを変えて屈んだだろう。もしかしたら、その方向にエスカフローネが置いてあるかもしれないと思ったんだ。・・・あいつは、あいつ也に、俺達に精一杯協力してくれている・・・」
「ふ〜ん。そうですか」
メルルは、今一つ納得し難いと言う顔をしていた。
 二人は、廊下を進む間に幾人かの住人と出会った。その誰もが、バァン達を見つけると、
まだ遠いうちから廊下に膝を付き頭を垂れた。バァンとメルルの服装に敬意を払っているのだろう。お陰で二人は、誰からもとがめられる事無く進む事が出来た。
 そして二人は、呆気無い程簡単にエスカフローネと再会する事が出来た。
「本当にありましたねぇ」
メルルが心底驚いたように言った。
 バァンとメルルの前には二つの飛竜が横たわっていた。ひとつは『エスカフローネ』と呼ばれ、今一つは『竜』とだけ呼ばれている。正直な所、メルルにはどちらがエスカフローネでどちらが竜なのか、区別する事が出来なかった。
 バァンは、入り口から遠い方の飛竜に歩み寄ると、その手に握られた赤いエナジストに自分の手を重ね合わせた。エナジストがぼうっと輝き、飛竜の身体が脈打ったように見えた。
「・・エスカフローネ・・・」
バァンは懐かしそうにその飛竜の名を呟いた。
 バァンは、念のためエスカフローネの操演宮に上ってみた。ざっと見た所、争いの形跡が残っていないばかりか、どこもかしこも綺麗に磨き上げられていてちり一つ無い。そして足下には、緋色の天鵞絨に包まれたバァンの剣が置いてあった。
 この場所を教えてくれた男の願いは、このままバァンたちがエスカフローネに乗り、黙って去って行くと言うものであったろう。だが、そう言う訳には行かない。エスカフローネの所在と無事がわかったのだから、今度はひとみを探し出さなくては。
 バァンは剣を腰に差すと、操演宮を後にした。
 「バァン様!こっち、この下から臭いがするんです」
メルルが、いくつかあるドアの一つを覗き込みながらバァンを呼んだ。
 「あいつらが研究室とか言って私を連れて行った所と同じ臭いがするんです。もしかしたら、ひとみも私みたいにそこで変な事されてるんじゃ!」
メルルはその時の事を思い出したのか、尻尾の毛を膨らませ、大きく震えた。
『あいつらが、ひとみをメルルと同じように扱うとは思えないが・・・』
バァンはそんな事を考えながら、ドアの中を覗き込んだ。ドアの内側は、上下に向かう階段があるだけの狭い空間で、メルルの言う通り、微かではあるが異様な臭いが漂っている。なんと言うか、度数の高い酒と煎じた薬草とミラーナの鞄の中身を足したら、こんな臭いになるのかもしれない。
 「よし、行ってみよう」
闇雲に動き回るよりは良いと考えたのだろう。バァンは階下に向かって進み始めた。
 二人が臭気をたよりにたどり着いた所は、全体的に細長い作りをした、薄暗い倉庫のような部屋だった。部屋の壁際には、四角い箱形や円筒形、片手で持てる程小さなものから大の男が十分に入れる程大きな物まで、様々な形や大きさの、透明で水の入った容器が並んでいた。
 メルルは、入り口近くの壁に設えられた棚に乗せてある、細長い管状の容器を覗き込んだ。同じような管状の容器が何本も行儀よく並んでいるのだが、その一つ一つに何やら点のような物がうごめいている。
「なに、これ」
メルルは薄気味悪そうに言うと、バァンの腕にしがみついた。
 「メルル、ここか?」
部屋を一瞥してバァンが言った。
「いえ、違います〜。ここは私も始めてです。でもあの臭いがしますから、きっとこの近くですよ」
メルルはバァンの腕を離れると、バァンの先に立って左側の壁中央にある扉を目指した。
 だが、メルルの足は数歩も行かないうちに、凍り付いたように動かなくなった。
「どうした?メルル」
バァンは、メルルが震えながら指差す方を見た。
 そこには、一抱え程もある円筒形の水槽が置いてあり、暗い水の向こうに丸みを帯びた影が見えている。よく目をこらすと、その影が不自然に大きな頭部を持つ動物で、眠っているのか笑っているのかわからない顔をこちらに向けているのがわかった。その手足の先が、時折ひくひくと動く所を見ると、ちゃんと生きているらしい。
 周りに目をこらしてみると、置いてある容器全ての中に、生物らしき影がうごめいている。
 「バ、バァンさまぁ〜」
メルルの声が震えている。バァンはメルルの手を取ると、急いで左手の扉をくぐった。
 扉の外は、バァンが傷の手当てを受けていた医務室に似た部屋だった。部屋の中央にある机の上には大きな水槽が置かれ、その横には水槽を覗き込んでいる初老の男が立っていた。バァンは上衣に隠れた剣の柄にそっと手をかけた。
 男が二人の気配に気づいて顔を上げた。
「誰だ?格納庫側の通路は使わないでくれとあれ程言っておいたのに。・・おや、この前来たお嬢さん。また、血液と細胞の提供に来て下さったのかな?」
男がそう言うと、メルルは慌てて後ずさりした。そんなメルルの様子を見て、男は楽しそうに笑った。
「冗談だよ。この前提供してもらった分で十分だ。そんなに何度も痛い目にあわせる気は無いよ」
男はメルルに向かってそう言うと、今度はバァンに向かって言った。
「さてと、貴方はどなた様で?始めて見るお顔だが、ここの視察にでもいらっしゃったのかな?何時でも、見に来る分は構わないが、ちゃんとした入り口から入って来て頂きたいものですな」
 バァンは男の問いに答えなかった。頭の中が混乱していた。
『なんなんだ、この男は。隣の気味悪い部屋を作ったのはこいつなのか?メルルへの態度も医務室にいた男と全然違う。こいつ、どういうつもりだ』
 バァンが黙ったままなので、男は構わず言葉を続けた。
「まあ良いでしょう。そうですな、この前お嬢さんから頂いた細胞の培養は順調ですよ。御覧になりますか?血液は私の管轄外ですから、検査部にまわしてあります。もう、DNA判定以外の検査は済んでいるんじゃないですかね。人と動物の融合とは、本当に、アトランティスの科学力は凄いものですな。・・・それで、培養した細胞はこちらの容器に〜」
 得々と喋り続ける男を見ながら、メルルが小さな声で言った。
「バァン様、あいつ何言ってるんですか?」
頭をかきながらバァンも小さな声で答えた。
「俺にも良くわからない。それより、お前が言っていた研究室っていうのは、ここなんだな」
「はい、そうです。バァン様」
 バァンはメルルにうなずいて見せると、男に近寄って言った。
「すまないが、ここには人を探しに来たんだ。俺と同じ年位で、髪の短い女がここに来なかったか?」
男は驚いたようにバァンの顔を見つめた。
「おや、視察じゃ無かったんですね。ええっと、人探し・・貴方位の年の女性ですか?どうでしょうねぇ。好き好んでここに来る者などめったにいませんし、迷い込んだとしても、若い女性なら一歩部屋に入った途端、気味悪がって逃げ出してしまいますからね」
そう言って男は大きく笑ったが、二人の表情はやおら暗くなった。バァンと、特にメルルにとっては、洒落にならない台詞だ。
 「ああ、すまないすまない。人を探しているんでしたな」
男の言葉が二人の表情を暗くしたのに、男は、探している女性が見つからなくて二人ががっかりしているのだと勘違いしたらしい。
 男は、同情を含んだ声で言葉を続けた。
「ここは広いですからな、慣れるまでには何度も迷子になるもんです。その女性とはどこではぐれてしまったんです?」
男は、若い新入りが道に迷ってしまったと思っているようだ。
『悪いやつでは無さそうだな』
バァンはそう思い、正直に言った。
「別れたのは、翼のある女性の像が立っている場所だ。彼女は・・・神官長と一緒だった」
そう言うバァンの言葉の端から、口惜しさが微かにこぼれ落ちたが、男はそれに気づかなかった。
「ほぉ、スメラ様と御一緒でしたか。それは素晴らしい。おお、それでしたら、神官達の詰め所で聞いてみたら宜しかろう。場所はですな〜」
男は、詰め所までの道を丁寧に教えてくれた。バァンには、詰め所を訪ねる気などさらさら無かったが、ひとみがその近くに居る可能性は高いと踏んで、男の教えてくれた道を進んだ。
 実際、バァンの勘は当たっていたのだが、ひとみとすぐに出会う事は出来なかった。ひとみに出会う前に、思いもかけない人物に出会ってしまったからだ。

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