天空のエスカフローネ 〜infinite〜

Act.32 揺り

 気がつくとひとみは手を引かれ、時折羽根の舞う霧の中をゆっくりと飛ぶように進んでいた。
 視界に入るのはひとみの手を引く人物の後ろ姿だけだったが、翼と長い髪に隠れたその顔が自分と瓜二つである事をひとみは知っていた。
 ―どこへ行くんだろう
そう思いながら、引かれるままに空(くう)を行くひとみの前に、凄惨な景色が表れた。
 一面に焼けただれた大地。地に突き刺さった黒い矢のような樹木。崩れ落ちた黒い岩山は、それが人々の暮らしを内包した人工建造物であった痕跡をかろうじて残していたが、それがかえってこの壮絶な風景に苦しいまでの悲しみを与えていた。
 ―・・・ひどい・・
焼き尽くされた景色を眼下に見下ろす高台で、ひとみはただ立ち尽くすしかなかった。
 空々しい程青い空には白い月が小さく輝いている。
 ひとみはほんの一瞬、その月の向こうに大きな青い惑星(ほし)が現れるのを見た。
 そして、どこからか声が聞こえて来た。
 ―誰?
ひとみが振り向くと同時に景色も一変した。
 そこには、背中に白い翼を持ち赤いペンダントを手にした人々が大勢集まっていた。
 その中央、一段高い場所にひとみと同じ顔を持つ女性が立っていた。
 「我等が同胞の想いが、今、ガイアを造った。我等は、再び同じ悲劇が起こらぬよう、この母なる大地を守り、同胞の想いを守り、おごり無きよう、この惑星に在る命の一つとして、生きよう」
そう言う女性の翼が水に溶けるようにゆっくりと散ってゆく。翼から落ちた羽根がひとみの上に雪のように降って来る。
 「あの・・」
ひとみが自分と同じ顔に向かって声をかけようとした時、目の前に別の翼が表れひとみの手を取り天空高く昇って行った。

 ひとみの意識が現実世界に戻って来た。
「お帰り、神崎ひとみ」
夢の中と同じままにひとみの手を握りしめたスメラが目の前で微笑んでいる。
 「!」
ひとみはスメラの顔を見た途端、飛び起きてその手を振払った。
 そのまま二人は黙って睨み合っていたが、スメラが無表情に立ち上がって言った。
「私がそれ程嫌いですか」
そしてスメラは、有翼人の像の足下にひとみを残したまま、像の正面にある門口に消えて行った。
 ひとみは胸の奥に小さな痛みを感じていた。確かにひとみはスメラの行いを許せずにいたが、彼自身を嫌う気にはなれなかったのだ。ひとみは、自分を現実世界に連れ戻してくれた事に対してお礼を言うべきだっただろうかと考えたが、元々その原因を作ったのはスメラだったのだからその必要は無いと判断し、これ以上この事を考えるのは止めようと思った。
 考える事なら沢山ある。
 ひとみは、スメラが立ち去った後あてがわれた部屋に案内される間、バァンとメルルの事を考えていた。スメラの言葉を信じるなら、バァンは無事なはずである。だがメルルはいったいどうなったのか。ひとみには、メルルの事は何も知らされていない。無事なのか、それとも・・・
 胸が締め付けられる想いを抱えたままひとみが案内された部屋に入ると、思わぬ先客がひとみを出迎えてくれた。
 「・・・スメラ・・さん・・」
『どうして?』『いつの間に?』そんな言葉がひとみの頭の中を駆け巡った。
 スメラは、驚いたなり入り口に立ちすくんでいるひとみに声を掛けた。
「先程は大人気ない態度を取ってしまい失礼した。貴女にとって私は誘拐犯のようなもの。あのような態度を取られて当然です。そう、私は貴女に一言お詫びを言おうとここで待っていました」
 スメラはひとみの手を取ると、部屋の中程に設えられたソファにひとみを座らせ、自身も向かいのソファに腰を下ろした。
 タイミングよくお茶が運ばれ、二人の前に並べられる。
 ひとみは、スメラの予想外の態度と、言いたい事が有り過ぎるあまりしばらく何も言えずにいたが、茶器から立ち上る香気に鼻孔をくすぐられた途端、一番気になっている事を口にした。
 「・・・メルルは、何所にいるんですか?無事、なんでしょうね?」
スメラの顔に何故か薄い笑みが浮んだ。
「あれは今バァン・ファーネルと名乗る蛮族の王の側に居ますよ。あの獣、確かに可愛いと言えなくもないですが、それでも、貴女といい彼の者といい、物好きな事ですね」
 スメラの言葉は、治まりかけていたひとみの怒りに火を付けた。
「けものけものって、メルルに失礼でしょう。バァンの事だって蛮族なんて言って、だいたい貴方何様のつもりなの?王様だって言ってたけど、バァンだってファーネリアって国の王様なんだから」
立ち上がり頬を紅潮させてそう叫ぶひとみを見て、スメラは
「私は世界の王になります」
そう、すまして答えた。
 呆気に取られるひとみを真直ぐに見つめてスメラは言葉を続けた。
「アトランティスの悲劇が二度と起こらぬよう、この母なる大地を守り、ガイアという異世界を造った同胞の想いを守るのが、この地に残ったアトランティスの末裔としての勤めです」
スメラは、手を上げてひとみに座るよう促すと言葉を続けた。
「そして神崎ひとみ。あなたは私と共にこの世界を治める役を担っています。この世界を導く能力(ちから)をあなたは持っているのです」
 ひとみは胸に下がったペンダントを握りしめた。ひとみは自身にそんな大層な能力が有るとは思っていなかったが、スメラから渡されたこのペンダントの力を借りれば今持っている能力がもっと強くなる予感はした。
 ―見えないモノを見る能力が・・見たく無いモノまで見える能力が、強くなる・・・
「そんなの・・・そんなの、私はイヤ。能力が強くなるなんてイヤ。世界を治めるんだって、そんな事私にできる訳ない・・・私はそんなモノになんかなりたくない」
そう強く言い放つひとみに向かってスメラは問うた。
「では、貴方は何になりたいのですか?あの蛮族の王と共に、小国の女王にでもなりたいと?」
「・・・それは・・・」
それは、今まで考えないようにしていた事だった。
 黙り込んだひとみに向かってスメラが畳み掛けるように言った。
「では、人の中に埋もれ、地道に働き、ささやかな家庭を築く、そんな平凡な暮らしを望む、と?」
ひとみは自分が泣きだしそうな顔をしているのがわかった。
「・・そんなの・・そんなの、急に言われたって・・・わからない・・」
今のひとみにはっきりとわかるのは、バァンの側に居たい気持ちと、家族がいて友人がいる今の生活を捨てたく無い気持ち〜自分の中に二つの相容れない気持ちが在る事だけだった。
 「急な事ですから貴女が混乱するのはわかります。私はこれで失礼しますのでよく考えておいて下さい。と言っても選択肢は幾らもありませんがね。そうそう、メルルとバァン・ファーネルなる者達は元気にしていますよ。賓客として十分なもてなしをさせてもらっているので安心なさい。では、また後程」
 スメラは独り部屋を出ると、廊下を歩きながら小さな独り言を言った。
「・・・何のつもりだって?・・・君の尻拭いをしているんじゃないか。・・君が子供っぽいマネをするから・・・私だろうと君だろうと同じ事だ・・・ああ、そうだ。・・・わかっている、君と私は同じモノだが・・・そうだよ、神崎ひとみは・・・ひとりだ・・・」

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