天空のエスカフローネ 〜infinite〜

Act.31 血胤

 バァンとメルルは、長い事黙ったままだった。
 ひとみが自分達の目の前で倒れたと言うのに、介抱どころか触れる事さえ拒まれたのだ。あの、長い髪の男に。
 バァンとメルルは案内された部屋の豪華なソファに身を沈めたまま、黙ってその時の事を思い返していた。

 「ひとみ!」
「ひとみぃ!」
突然目の前で倒れたひとみに向かって、バァンとメルルは一目散に駆けて行った。だが、二人がひとみの側に駆け寄るより速く、あの長い髪の男が像の影から表れひとみを抱き上げたのだ。
 「貴様!」
バァンは長い髪の男を睨み付け、ひとみに手を伸ばした。
 「触れるな!」
男はバァンを一喝した。それは、ほんの一瞬だがバァンが思わず動きを止めてしまう程の激しさだった。
 「なっ!」
バァンは怒りに頬を紅潮させると、男につかみかかろうとした。だが、いつの間に表れたのか、数人の男達がバァンの腕や肩を掴み、その動きを封じてしまったのだ。
 「ちょっと、あんた達バァン様に何すんのよ。放しなさいよ!」
気丈にもメルルが男達につかみ掛かろうとしたが、ひときわ背の高い優男に両手で胴を掴まれ、そのまま人形のように男の目の高さまで持ち上げられた。
「ちょっと、やだ!放しなさいよ」
メルルは空中で手足をばたつかせて抗議したが、男はメルルを持ち上げたまま駄々っ子の相手をしているかのように困った顔をするばかりだった。
 バァンは囚われのメルルを見、気を失ったひとみを見、そしてひとみを抱き抱える男をにらみ付けた。男はバァンの視線を真正面から受け止めると不快感をあらわにした声で言った。
「異世界より来たりし者。お前とその獣が今命有るは、お前のその翼に免じての事。翼を持つ身のお前に危害を加えるつもりは無いが、私の邪魔をする事は許さん」
バァンは男をにらみ付けたままだったが、両腕を掴む男達には抵抗しなかった。いや、腕を掴まれている事など意に介していないのだ。
「貴様!ひとみに何をした?ひとみをどうするつもりだ!」
怒りを含んだ重い語気が目の前に真直ぐ立つ青年から発せられた時、男達は、バァンの腕を掴む我が手が緩むのを止める事が出来なかった。
「貴様?ふっ、新鮮な響きだ。不本意だが、我と同位の身であるお前には我が名を呼ぶ事を許そう。我が名はスメラ。スメラ・アトランティス。我が国アトランティスの神官長にして王たる身だ」
その言葉にバァンは思わず身を乗り出した。男達の手が、海藻のように力無くバァンの腕から剥がれ落ちる。
「なに?アトランティスだと」

 「そうだ。アトランティス。確かに彼奴はそう言った」
ソファの上でうとうとと居眠りを始めていたメルルは、バァンの独り言に驚いて目を覚ました。
 バァンは立ち上がると、部屋の入り口に歩み寄りドアを指で軽く叩いた。コツコツという軽く乾いた音に呼ばれ、海老のように身をかがめた男が部屋に入って来た。バァンに危害を加えた過ちを償いたいと言った、あの男だ。
 「お前に聞きたい事がある」
バァンは改めてソファに座り直すとドアの前でひざまずいたままの男に聞いた。
「この世界では、アトランティスは滅んでいないのか?俺はずっと昔に滅んだ国だと、そう思っていたが」
男は顔を伏せたままバァンの問いに答えた。
「民ある限り国は滅びたり致しません」
 思いもかけない言葉だった。それに、バァンにとっては痛みと力、その両方を与える言葉でもあった。
 バァンは少しの間、何も言う事が出来なかった。男がその沈黙に耐えきれず恐る恐る顔を上げた時、やっとバァンは口を開いた。
「それは、つまり、お前達がアトランティス人だと、そう言っているのか?」
そう、今は感傷に浸っている時ではない。
「残念ながら、アトランティス人の証である翼を持つのは我が君のみ。ここに居るほとんどの者はアトランティスを祖としながらも、長い年月、生きるために他国民の中で代を重ね、血を薄めた、アトランティス人と呼ぶのもはばかられる者ばかりです」
「お前もそうなのか?」
「私は代々この地を守る役目を負う一族に名を列ねておりますゆえ、他の者達よりは幾分濃い血を受け継いでおります」
「ねーねー、それってさ、血が濃いい程偉いって事になってる訳?」
メルルがぶしつけにそう聞いた。男は少し困ったような顔をして黙っていたが、メルルの問いを否定する気は無いようだ。
 『そういう事か』
バァンは思った。ここがアトランティスで、翼を持つ事がアトランティス人の証であるなら、なるほど、自分が大切にされるのもうなずける。
 だが、ひとみは?

 バァンはひとみを抱き抱える男に近付くと、名乗りを上げた。
「俺は、バァン・ファーネル!ファーネリアの王にして、アトランティスの末裔、竜神人の血を引く者だ」
始めてだった、自分の血の由来をこんなにも堂々と口にしたのは。自分と同じ翼を持つ者相手とは言え、ひとみを間にして少し意地になっていたのかも知れない。
 「ひとみは俺が守る!ひとみを返せ!」
「守る?お前がどうやって守ると言うのだ?神崎ひとみはここには居ない。今私の手の中に在るのはただの抜け殻。どこに行ったかもわからない神崎ひとみをお前がどうやって守ると言うのだ?」
「なんだと?」
バァンはその時始めて、手を伸ばせば届く程近くに居るひとみが呼吸をしていない事に気が付いた。
 「ひとみ?!」
バァンの悲痛な呼び声が広い空間に吸い込まれて行く。
 スメラはバァンの戸惑う姿を見て、ほんの少し嬉しそうに顔をゆがめたが、すぐに冷淡な顔つきに戻ると言った。
「神崎ひとみは私が助ける。異世界の者にはどこか別の部屋で休んでいてもらおう」
「待て!俺もひとみと一緒に」
「邪魔だ。何も出来ない者が出しゃばってどうする?」
スメラはひとみを像の足下にそっと横たえると、バァンに向かって言い放った。
「私の集中の妨げになる。神崎ひとみを一刻も早く救いたければ、この場を離れるが良い」
口惜しさに打ち震えるバァンだったが、身の内に沸き上がる怒りを鎮め、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
 このしばらく後、バァン達はひとみの意識が戻った事を知らされたが、静養中との理由から面会を断られている。

 「もう一つ聞こう。お前達はひとみに何をさせる気なんだ?」
男は答え難そうに言った。
「・・それは・・我が君と並び、アトランティスの力を司る聖として、この地にお留まり頂きたい・と・・」
言いながら男はバァンにペンダントを差し出した。
「失礼を承知で貴方に黙って貴方が持っていたペンダントを我が君の元に届けました。これは、神崎ひとみ様が持っていたペンダント。こちらの所有に関しては何の指示も受けておりませんので、貴方にお預けしたいと思います。貴方がたの処遇につきましても、出来うる限りの事をしたいと思っておりますので、なんなりとお申し付け下さい。異世界に帰ると言うのであれば十分な手助けができると思います。神崎ひとみ様は我等一堂が大切にお守り致しますので、どうか、どうか」
そこまで言うと男は頭を床に擦り付けるように平伏した。
 確かに、スメラをはじめとしたここの連中が彼らなりの考えでひとみを大切にしている事はわかった。だが、だからと言ってバァンがひとみをここに置いて行く気になる訳がない。ましてや、ひとみの持つ能力を当てにしている連中と一緒に居るのを、ひとみが望むはずも無い。だいたい、男の言葉を鵜呑みにするには話が曖昧すぎる。何より、スメラが何を目的としているのか本当の所が全然わからない。
 それに、ひとみがあの時何を見て気を失ったのか、それを考えると胸騒ぎがする。
『そう言えば、ここはいったい何なんだ?何所に在るんだ?』
考えれば考える程バァンの胸のざわめきは大きくなるばかりだ。
 バァンはメルルを見た。
「メルル、足はもう良いのか?」
「はい、大丈夫です」
挫いた足にはまだ少し違和感が残っていたが、メルルはそんな事おくびにも出さず明るく答えた。
「そうか」
バァンは軽くうなずくと、行動を開始した。

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