天空のエスカフローネ 〜infinite〜

Act.29 翼有る者
 トランティス・・・それは、遠い昔この星の上で高度な文明を築いた国の名。自らの体に翼を求め、人の想いを力に変える機械をも作り上げ・・・その力に溺れ滅んでしまった民の名。
 だが、滅びを目前にして、アトランティスの民は己の理想を求め、ガイアという世界を創った。水と緑に守られた理想郷、ガイア。
 そしてガイアでは、アトランティスの末裔である翼有る者を竜神人と呼んだ。
 竜神人・・・それは、遠い昔アトランティスを滅ぼした呪われし民の名。災いを持たらす魔族の名。そしてバァンの名でもある・・・

 バァンは戸惑っていた。翼を持つ身にかしずく者が居るなど、ガイアでは考えられない事だったからだ。
―恐怖・・からなのか?
バァンは、床に這いつくばるように頭を下げた男を見ながら、ゆっくりと口を開いた。 
「・・・アトランティスの・・・確かに俺はアトランティス人の血を引いているらしい。だが、だからと言って、それがどうしたと言うのだ?俺は・・・」
それ以上は言葉にならなかった。長い間バァンにとって翼とは、身に覚え無く背負わされた罪に似た物であり、人々の畏怖と嫌悪を買う物であり、忌み隠すべき物であった。
 「貴方は御自分の立場を理解されていないのですね」
男は少しだけ顔を上げてそう言った。
 バァンの視線は男を突き抜け、遠くを=過去を見ていた。竜神人の伝説。同じ翼を持つ優しい兄。翼を見せてはいけないと泣いていた母。メルルも、翼の事では何度か泣いていた。だが、バァンは思った。
―・・・母上の翼も兄上の翼も・・・俺は嫌いじゃなかった・・・
 バァンの背中で、ずっと前に聞いた声がよみがえって来た。
『その翼・・・バァンの翼・・・私は好きだよ・・とっても・・綺麗だよ』
その、はにかんだひとみの声が、バァンの強張った身体中の神経を解きほぐし、暖かな力を与えてくれた。
 バァンは勢い良く立ち上がった。白衣の男の忠告通り一瞬視界がぼやけ音が遠のいたが、身体がふらつくのをこらえはっきりと言った。
「そんな事よりお前達!ひとみとメルルを何処へやった!?」
バァンの出で立ちは、前合わせを上下2箇所紐で結んで止める膝丈の病人服という姿であったが、その堂々とした態度には部屋に居た者皆が頭を垂れずには居られなかった。
 バァンの詰問に、男が答えた。
「御無理はなさいますな。メルルと申す獣ならすぐここへ連れて参りますから」
「メルルは無事なんだな」
「はい」
バァンは少しだけ表情を緩めると、もう一つの問いを口にした。
「では、ひとみは?」
男は暫しの間、思い悩むように黙っていたが、
「御安心下さい。あの方は元気にしていらっしゃいます。後程、御座所にお連れ致しますゆえ・・・」
なんとも歯切れの悪い答えであったが、ひとみが無事である事は確かなようだ。メルルをさらい自分の命まで奪おうとした男だが、今はこの男の言葉を信じようとバァンは思った。
 男は約束通りメルルを医務室に連れて来てくれた。
 丁度、傷の治り具合を見てもらっている所だったバァンを見て、メルルが小さな悲鳴を上げた。
「バァン様!!」
メルルは泣きながらバァンに駆け寄った。
「バァン様。そのお怪我は」
「大丈夫だ。それよりメルル、お前の方こそ大丈夫か?」
バァンはメルルの頭をくしゃくしゃと撫でながら優しく言った。メルルは身なりこそ小綺麗にしてあったが、顔色も毛艶も悪く、少し痩せた様に見えた。
「良かった・・・バァン様が生きていらっしゃった・・・本当に、良かっ・・」
メルルの言葉はそこで途切れた。溢れる涙に邪魔されて、言葉の続きが出てこないのだ。
 「その子には取りあえず、細胞と血液の提供、他に幾つかの検査に協力してもらったよ。たいしたダメージは与えて無いつもりだったが、この子にとってはかなりのストレスだったようだね」
白衣の男が書類を見ながら事も無げに言った。バァンには男の言葉の真意が飲み込めなかったが、メルルになんらかの危害を与えるつもりでいた事は容易に想像出来た。
 バァンは目の前に座っている白衣の男を睨み付けると、その胸ぐらを乱暴に掴んだ。
「ひっ!」
バァンに睨み付けられた白衣の男は、恐怖に目を見開いている。
「それで、メルルをどうするつもりだったんだ」
白衣の男の頭には様々な生態実験・生体検査の項目に続き生体解剖という単語までが浮んでいたが、それは言ってはいけないと本能が叫んでいた。白衣の男は、メルルを連れて来た男に目線を向けると、
「あの者が、貴方にとってあの獣が大切な物だから傷つけてはいけないと・・だから!多少の協力はしてもらったが、私はこの子を大切に扱っていた。そうだろう?」
白衣の男は助けを求めるように他の人間に同意を求めた。バァンは部屋に居る者を見回した。皆顔を強張らせながらも大きくうなずいている。メルルを連れて来た男は床にひざまずきバァンの視線をしっかりと受け止めてうなずいた。最後にバァンはメルルを見た。メルルは肯定も否定もせず、ただ不服そうにたたずんで居た。
 バァンは白衣の男から手を放すと、床にひざまずいている男に言った。
「・・・ひとみの所に案内してもらおうか。もちろんメルルも一緒だ」

 しばらく後、バァンとメルルは男を先頭に長い廊下を歩いていた。
 バァンは、襟から裾までの前合わせに金の刺繍が入り裾と袖に優雅なひだが流れる、布地を贅沢に使ったゆったりとした上衣を羽織っていた。始めに着ていた服はぼろぼろで駄目になっていたからと言って、男が用意してくれた物だ。だが、上衣の下はいつもの軽装のままである。本当は、上衣の下に着るシャツもパンツも上衣に負けない位豪奢な物が用意されていたのだが、それとは別にバァンが着ていた服に似せて仕立てたシャツとパンツも用意されていて、バァンは迷わずこちらの服を選んだのだ。メルルにも、バァン程ではないが立派な上衣が用意された。男は何も言わなかったが、ひとみの居る場所は正装を必要とする場所らしい。バァンは上衣を着るなど面倒だと思ったが、つまらない争いをするのは更に面倒だと思い、言われるままに上衣をまとい男の後について行った。
 間もなく、緩やかに曲がる廊下の突き当たりに広い空間が見えて来た。バァンは『ガイメレフの闘技場の様だ』と思ったが、広さを除けばそこは闘技場とは程遠い空間であった。
 明るく巨大な円形の空間は大理石の柔和な白に包まれ、蒼穹につながる透明な丸天井からは光が存分に降り注ぎ乳白色の床に眩しく跳ね返っている。周りを取り囲む大理石の壁には等間隔に4箇所の門口がうがたれ、広場の中程には円形の壇が設えてあり、メレフ程の高さだろうか、翼を持つ人の像が据えてあった。
 バァン達が入って来たのはその像の右側にある入り口で、うつむき加減な像の横顔と背中の翼が良く見えた。
 そして、その像と見つめ合うように立っている人影があった。細い肩に無造作に羽織った布地が幾重にもひだを作り流れるように床にこぼれ、栗色のショートヘアが日の光で黄金に輝くその姿は、神々しさと作り物の無機質さを兼ね備えた美しさであった。
「ひとみ!!」
バァンとメルルの声が重なった。だが、ひとみは二人の呼ぶ声に気付かないのか、微動だにせず像と見つめ合ったままだった。

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