天空のエスカフローネ 〜infinite〜

ACT.25 森の中
 「?!」
暗い森の中で焚火にあたっていた獣人が、勢い良く振り返った。その視線は、生茂った木々の梢を通り抜け、漆に銀砂をまぶしたような夜空に浮かぶ、二つの月に注がれているようだった。
 「どうした?ダイ」
焚火を挟んで反対側に座る獣人=ジャジュカが声を掛けた。だが、ダイは縞模様の入った白い耳を小刻みに震わせるだけで、何も言わない。
「どうした?何か居るのか?」
ジャジュカは腰を浮かせながら、辺りを見回した。
 「・・・あ。・・いや、く、・・首、つった・・・」
ダイは、あまりに勢い良く振り向いたために首がつり、痛みに打ち震えている所らしい。
 ジャジュカはそれ以上何も言わず、焚火の前に座り直した。
 数時間前、ダイとジャジュカは、アストリアの軍艦と白いガイメレフの出現、そしてエスカフローネの失踪で混乱の極みに達したクルゼードを飛び立ち、白いガイメレフを追ってここまで来たのである。
 結局、白いガイメレフは見失ってしまったのだが、二人はクルゼードに戻らなかった。ジャジュカが、このまま旅の目的地であるフレイド公国のフォルトナまで行く決心をしたからだ。ダイも、メルルがクルゼードから居なくなったのだからと、ジャジュカに同行する事をあっさり承知した。
 暫しの沈黙の後、ジャジュカが口を開いた。
「何を、首がつる程勢い良く振り返ったんだ?」
ダイはジャジュカの方にギクシャクと顔を向けると、
「んー、なんか、メルルの泣き声が聞こえた気がしたんだ」
そう言って、もう一度二つの月を見上げた。
 「恐いぞ・・」
ジャジュカが言った。
「その・・獣の目・・」
そう言われたダイは、ジャジュカに向かってにぱっと笑った。
「やだなぁ。俺、ジャジュカ相手に暴れたりしないって。でも、メルルに悪さするヤツが居たら・・・」
ダイは言葉を続ける代わりに、目を細くして焚火の炎を見つめた。
 そんなダイを見て、ジャジュカは、クルゼードがザイバッハを飛びたった後、格納庫でガイメレフの最終整備を行っている時の事を思い出した。

 獣人であるにもかかわらずガイメレフの整備を担当していたと言うだけあって、機械工学の技術者としては突出した物を持っているダイは、その時格納庫に居たファーネリア王以外の男達全ての指揮を取っていた。だが、格納庫の入り口にメルルが顔を出した途端、顔を引き締めて作業に当たっていた皆の気合いをダイの陽気な一声が吹き飛ばしてしまったのだ。
 「おーい!!メ〜ルル〜!!!」
メルルは、しっぽをぱたぱた振りながらオレアデスの上から大きく手を振るダイを無視して、手短に言った。
「皆さん。お食事の用意、出来ました」
「おおー。飯だ、飯だ!!」
女に縁の無い男達がふて腐れたようにそう言いながら、早々と持ち場の仕事に区切りをつけ食堂の方に駆けて行く。
 「メルル〜。今日の飯、メルルが作ったのか?」
ダイはそんな男達の様子には目もくれず、メルルの前まで走って来ると、にぱっと笑ってこうたずねた。
「クルゼードのお食事は、私が作ってるって昨日も言ったでしょ」
メルルは、額に青筋を立てんばかりの表情でそう言うと、踵を返してエスカフローネの足元に駆け寄った。
 「バァンさま。お食事ですよ〜」
猫なで声とは正にこの事かと言わんばかりの甘えた声で、メルルは巨大な剣を磨いているファーネリア王に声をかけた。
「後から行く」
ファーネリア王は手を止めて短く答えると、また一心に剣を磨き始めた。
「そうですか・・わかりました・・・」
ピンと立っていたメルルの尻尾がみるみるしなだれる。と、すかさずダイがメルルに声をかけた。
「メルル。お前の作った飯、食わしてくれ!」
ダイは、嬉しそうにそう言いながらメルルの腕を掴むと、メルルを引きずるようにして格納庫を出て行った。
 「・・・」
黙々と作業を続けていたジャジュカはその手を休め、二人が出て行った後を見つめると、ため息ともつかない吐息を漏らしたものだ。
 この時のダイは正に、幸せが服を着て歩いているようであった。

 「なあ。あのメルルと言う娘の何処がそんなに気に入ったんだ?だいたいあの娘はファーネリア王を慕っているのだろう?」
ジャジュカは好奇心から尋ねてみた。
「あ?ん〜。今まで良いなって思った娘って、テイリングに乗ってた双児位なんだよなー。でもあの二人は年上で、何より高嶺の花って感じだった。俺の理想はさ、家庭的であったかい娘なんだ。メルルの事は『一目惚れ』だったけど、料理は上手いし世話好きだし、俺の目に狂いは無かったって事さ。それにあの王様はメルルの事、妹くらいにしか思ってないだろう?俺達の障害には全然ならないって」
いつの間にかメルルと自分の事を『俺達』などと言っているダイを、ジャジュカは可笑しそうに鼻先で笑った。
 『何か文句あるのか?』と言いたげなダイと、まだ喉の奥で笑っていたジャジュカの二人に、突然、緊張が走った。
 二人は焚火に土をかけて火を消すと、全身を耳にして辺りを伺った。鼻の奥に、つんと焚火の煙りが染みてくる。風の無い森の中では、時折夜行性の動物がたてる音の他は木の梢で起こる葉のざわめきが微かに聞こえて来るだけである。
 その、頭上で起こる葉のざわめきが、突如台風でも来たかの様に大きくなった。
―来た!
二人がそう思うと同時に、木の葉と焚火の灰を吹き散らしながら、夜空より青銅に鈍く光るアルセイデスが下り立った。
 そして、憶えていたくも無いが忘れる事も出来ない、あの嫌な声が響いて来た。
「こぉ〜んな所で焚火なんかしてるから、鬼に見つかっちまうんだぜぇ〜。俺が居なくなったと思って安心してたんだろう?まったく、獣の浅知恵だぜぇ。さ〜て、どっちから先に捕まえるかなぁ〜!!ひーっ、ひっ、ひ」
 それは、エスカフローネを助けるためにオレアデスのクリーマの爪を縄代わりにして捕まえた、青銅色のアルセイデス。クリーマの爪を巻き付けたまま地面に叩き付けて来たのだが、健在であったようだ。
「暗くったって見えるんだぜ〜!どこに隠れたのかなぁ〜?」
言いながら、2〜3歩進んだ所でアルセイデスががくんと片膝をついた。見ると反対側の足が地面にすっぽり埋まっている。
「なんだ?!」
アルセイデスが慌てている間に、ジャジュカの乗ったオレアデスがアルセイデスを背後から押さえ込んだ。すかさずダイが、アルセイデスの胸部によじ登り、あっという間に外からハッチを開けてしまった。中に乗っていた男は予想外の事態に驚き、無駄にもがきながら『にっ』と笑うダイに掴み掛かろうとしたが、あっと言う間にバランスを崩し、重力に引かれて地面に激突してしまった。
 骨折してもおかしくない高さから落ちた割には無傷で済んだ男は、己の悪運の強さを棚に上げ、自分を木に縛り付けたダイとジャジュカの二人を罵倒し続けた。
 「俺が獣に負けるなんて、なんてついて無いんだよぅ、くそっ!落とし穴なんて姑息な手ぇ使いやがって!お前らのような奴らを、山賊って言うんだ!獣の分際で人間様の物を盗むなんてふてぇ野郎だ!アストリアの重犯罪者リストにお前らの名前を彫り込んどいてやるからな!」
だが二人は、男の言う事など気にせず、アルセイデスから取り出した部品や流体金属をオレアデスに組み込む作業に没頭していた。
 「ジャジュカ。今度からあんまり無茶な使い方しないでくれよ。今回は部品の調達が出来たから良いけど、それなりの設備が整って無い所での修理は難しいんだからな。それと、流体金属の無駄遣いも控えてくれ。敵に巻き付けたまま切り離すなんて、とかげのシッポじゃないんだからな」
「ちゃんとシッポを返しに来てくれたから、良いじゃないか」
ジャジュカは、罵声を上げている男を横目で見ながらすまして言った。
 男はジャジュカの視線に気付くと、ことさら憎々し気に言った。
「大体あのクルゼードに乗ってる奴らも卑怯モンだよなぁ!自分達が助かりたいもんだから、お姫さん1人を差し出して、さっさと何処かに逃げちまった。獣なんかと仲良くしてるから姑息な手ぇしか思い付かなくなるんだよ!アレン・シェザール?へっ、天空の騎士の名折れだなぁ!やっぱ天空の騎士様と言えど、自分が一番可愛いんだよ!へっ!ざまぁみろってんだ!今までお高く止りやがってよ!だいたい俺は前から気に入らなかったんだ。あいつら皆・・・」
男の話はまだまだ続きそうだったが、ジャジュカとダイはもう男の話など聞いていなかった。
 「アレン殿の事だ。何か考えがあるのだろう」
「あいつの言う事なんて信用出来るか。俺達が無視するんで口からでまかせ言ってんだよ」
二人はそれっきり黙り込むと、オレアデスの修理を黙々と続けた。
 だが、事態の方向は、二人の予想より男の言葉の方により大きく傾いているのだった。

Prev Act.24 祈  Contents-Home  Next Act.26 成すべき事
感想は会議室もしくはメールでこちらまで。


Copyright URIU & M.Daini. Written by URIU and Produced by M.Daini.
この小説を個人的な閲覧目的以外で許可無く複製、転載する事を禁止します。