神崎家の駐車場から慌ただしく走り出た車は、国道に出る道を左に曲がると更に速度を上げて走り続けた。
「ひとみ。本当にこっちで良いの?」
ひとみは胸のペンダントを握りしめ、意識を集中したまま運転席の母に言った。
「うん。このまま、真直ぐ行って」
ひとみの隣、運転席のすぐ後ろに座ったバァンは、窓から顔を出して、前方を睨んでいる。
「バァンさん。危ないから顔は出さないでちょうだい」
そう注意するひとみの母に素直に従うバァンを見て、ひとみは思わずくすりと笑った。
いなくなったメルルを捜している最中に笑うなんて不謹慎だと自分でも思ったが、バァンの挙動が子供の様で緊張感を削がれてしまったのだ。
「ね、バァン。バァンにはお母さんの言っている事がわかるの?」
「あ?ああ、わかる」
『何を今更』といった調子で答えるバァンの言葉を継いで、
「ゆかりさん達にはわからないそうね。・・・血筋かしら?」
冗談めかして、ひとみの母が言った。
「違うのか?」
バァンが真面目にそう尋ねた時、
「あそこ!」
ひとみが前方に見える小さな灯を指差した。
それは海に向かう脇道に入って行く車の後部ライトだった。
「メルルは、あれに乗っているのか?」
「うん」
「二人ともしっかり掴まっていて」
ひとみの母はメルルを連れ去った車を追って、海への道に向かって勢い良くハンドルをきった。
そこは、昼間はサーフボードを楽しむ人々でにぎわう浜であった。砂浜に沿って駐車場が設けられ、駐車場の端には売店とシャワー室を兼ねた小屋が建っている。
そして今、おぼろ月の灯りの下、昼間の喧噪が嘘のように静かなその駐車場の一角に、目指す車が止まっている。
ひとみ達の到着を待っていたかのように、その車から一人の人物が下りてきた。
「見つけましたよ、神崎ひとみ」
深い静かな声でその男は言った。
ひとみは、その聞き覚えのある声を耳にして、車の中で身を堅くした。
「あの人・・・私を、駅でさらおうとした人」
「なに!」
バァンはひとみの言葉に少し冷静さを失ったようだ。勢い良く車外に飛び出すと、
手にした剣の切っ先を男の喉元に突き付けた。
「ひとみはお前になど用は無いと言っている。そんな事より、メルルを返してもらおうか!」
だが、男はバァンを一瞥しただけで、静かに佇んでいるだけだった。月の光りに照らされて鈍く光る長い髪と端正な顔だち、細い体躯のその男は、だが、容貌とはおよそ懸け離れた威圧感を持っていた。
「メルル?・・ああ、あの獣の事か。さらって来たのは私の下部の手違いだ。だが、本来の目的である神崎ひとみが直々にお出で下さったのだから、良しとすべきかな」
「なんだと!」
男はバァンの怒りに満ちた声と刃を無視して、ひとみの乗った車に近付いた。
「待て!」
バァンが男の背中に手を伸ばしたその時、ぷしゅっという嫌な音と共に、バァンは崩れる様にその場に膝を付いた。見ると、バァン達の斜め後方に銃を構えた別の男が立っている。
「バァ〜ン!!」
ひとみは車を飛び出すとバァンの元へ駆け出した。だが、バァンの傍に辿り着く前に、長髪の男の腕がひとみの細い腕を捕まえた。
「そのような蛮族の事など放っておきなさい。それよりも、私と共に」
「いや!放して!!バァン!バァーン!!」
男は、腕を振り解こうともがくひとみを、我が儘な子犬に手を焼いていると言うような顔で見ていたが、ひとみの胸に輝くペンダントを見て、腕を掴む力を弛めた。
「バァン!」
ひとみは男の手を振り解くと、右肩を血で染めながら男に剣を向けるバァンの傍に駆け寄った。
そのひとみの視界に、男の車から崩れるように下りて来るメルルが映った。
「バァ・ン、さ、ま」
何か薬を使われたのだろう、ぼんやりとした顔で言葉もままならない様子のメルルだが、それでもバァンを心配して歩み寄ろうとする。
「メルル!」
だが、ひとみが叫ぶより早く、銃を持った男がメルルを捕らえ、再び車内に押し込もうとした。
「外に出しておけ」
長髪の男の声が響いた。銃を持った男は一瞬動きを止めると、深々と頭を下げ、メルルを車の前輪の横に座らせた。
次に男は、ひとみに向き直って言った。
「そのペンダントは私の渡した物とは違うようですね。あのペンダントはどうしました?先程まであなたの部屋にあったのは知っています。おかげで、未熟者の下部があの部屋で寝て居た獣を連れて来てしまいましたがね」
「それならメルルに用は無いんでしょう?メルルを返して!」
そう叫ぶひとみに男は言った。
「それ程大切なペットとは。尚更、素直にお返しする訳にはいきませんね」
「そんな言い方やめて!メルルは大切なともだちなんだから!」
「あの異形の者が?」
「姿なんて関係ない!メルルを返して!」
「・・・そう、ですか」
男は言葉を切ると、暫しの間海を見つめた。そして、
「今日、光の柱が現れた時と、ほんの少し前、我々ははっきりとあのペンダント特有の気配を感じ取りました。私達は、神崎ひとみとあのペンダントの両方が同時に存在することを必要としています。ペンダントは何処です?」
今はバァンが持つそのペンダントの存在に、男は気付いていないようだ。
「ひとみもペンダントもお前らには渡さん!メルルを置いてさっさと立ち去れ!!」
男の胸に狙いを付けたバァンの剣の切っ先が月の光に煌めいている。同時に、銃を持つ男がその銃口をバァンに向けて構えたが、バァンに寄り添うひとみが邪魔で引き金を絞ることが出来ないでいる。
全ての者の動きが止まった。
「少し頭を冷やした方がよさそうですね」
長髪の男がそう言った時、一陣の風が巻き起こり、男の背後に白い飛竜が降り立った。
「エスカフローネ!!」
「エスカフローネ?!」
ひとみとバァンの声が重なる。無人で飛来して来た白い飛竜、その姿はまさしくエスカフローネ。
「では後程、この場所で」
言いながら男はエスカフローネの背に乗ると、メルルを抱えて走って来たもう一人の男と共に、夜の海に消えていった。
「待てーーー!!」
バァンの咆哮が空しく海に消えるのを聞きながら、ひとみは男の去った方向を呆然と見つめていた。
ひとみは男の後ろ姿に見覚えがあった。エスカフローネの上で、狂ったように風に舞うあの長い髪に。
「白い・・ガイメレフ」
この夜、バァンの探し求めていたモノが、更なる不幸を手土産に思わぬ形で姿を現したのである。
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