天空のエスカフローネ 〜infinite〜

ACT.22 安息地
 ぱしゃん
ひとみは湯船の中で大きく伸びをした。
「やっぱ、家のお風呂が一番んーっ」
 至福の吐息を漏らしながら湯船に身を沈めたひとみは、今度はため息交じりにつぶやいた。
「でも、こんな事してていいのかなぁ」
ひとみは松林から家に至る道すがら、誰かの視線を確かに感じた。それは、敵意は感じられない、けれど十分不愉快な視線だった。その視線は今も家の外から注がれているに違いない。
 「ばれて、ないよね・・」
ひとみとバァンは、ゆかりと天野になりすまして家に入ったが、それなりに怪しまれたであろう事は想像に難くなかった。何せ、天野=バァンの手には、天野が持っていなかった竹刀袋=王の剣が握られていたし、ゆかり=ひとみは、ゆかりの赤味がかった長い髪を真似たどうにも不自然に見えるかつらを被っていたのだから。明るい場所で見たら、二人がゆかり達と別人だという事は一目瞭然。夜の闇に大いに感謝である。
 しかし、いつまでも夜が続く訳ではない。ゆかりと天野のふりを続けるのならそろそろ家を出なくてはならないだろうし、松林にエスカフローネを隠しておくのも夜明けまでが限界だ。
 これからどうするか・・。
 ひとみを付け狙う連中の事も気にはなるが、バァンは出来る事なら今すぐにでもガイアに戻りたいと思っているだろう。白いガイメレフを探し出すと言う目的を果たすために。だが、そう簡単に戻れるのだろうか?
 「だいたい、どうして帰って来ちゃったりしたんだろう・・私、帰りたいなんて・・思ってない・・のに」
 それに闇雲に動くわけには行かない理由もある。
「メルル、大丈夫かなぁ」
メルルの足の状態があまり良くないのだ。骨には異常なさそうだが、普通に歩けるようになるまで2〜3日かかるかもしれない。
 今、メルルはバァンに付き添われ、ひとみのベットで眠っている。
「よし!様子を見てくるか」
ひとみは落ち込みそうになる気持ちを奮い立たせるように、勢い良く湯船を出た。

 コンコン
ひとみは自分の部屋のドアをノックすると、バァンに小声で話しかけた。
「メルルの様子はどう?」
 眠るメルルを看ていたバァンが顔を上げ、そして、
「ひとみ?風呂、入ったのか?」
濡れた髪でドアの前に立つひとみを見て、バァンは慌てたように口を開いた。
「ああ、メルル。良く眠っている。疲れたんだろう。足の方は大丈夫だ。手当てが早かったおかげで、あれだけの腫れがもうほとんど引いている。幻の月で最初に出会ったのがひとみの母君で本当に良かった」
 ひとみはバァンの言葉に耳を傾けながら、ベットの隅に腰を降ろした。
「お母さんそういうの得意なんだ。それに偶然じゃないと思う、お母さんに会ったの」
「?」
 ひとみの唇から言葉が零れ落ちるまでの間、濡れた髪から落ちた雫が、ひとみの胸元に小さな染みを作って消えた。
「ゆかりに聞いたんだけど、前私がガイアに行ってた時、お母さん毎日あの神社にお参りに来てたんだって。私が無事に帰ってきますようにって。今日もきっとお母さん私の事でお参りに来てて、それで、そのお母さんの想いに引かれてここに来ちゃったのかもしれない・・。ごめんねバァン。バァンにはガイアでやる事があるのに・・」
泣きそうな顔でそう言うひとみの言葉を遮るようにバァンが言った。
「ひとみが謝る事じゃ無い。俺達が光の柱のおかげて命拾いしたのは確かなんだし、それに、ひとみやひとみの母君の力が俺達を幻の月に導いたんじゃないと、俺は思うんだ」
ひとみはうつむけた顔を上げてバァンを見た。
「バァン?」
 バァンは真っ直ぐにひとみを見て言った。
「ひとみは帰りたかったのか?」
思いも寄らない質問に、ひとみは一瞬言葉に詰まった。
「・・ううん。そりゃ少しは帰りたいって思ってたけど、でもそれ以上に、私、バァンの・・バァンの側に居たかったから・・」
拗ねた響きを残しながらひとみの言葉が消え入るように終わると、部屋に沈黙が流れた。二人の頬が薄紅色に染まっている。
「・・別に、・・ひとみがそれほど帰りたそうにしてなかったし、その・・さっき・・メルルの様子を見に来た母君が、怪しい奴等が居るから、ひとみには、まだ帰ってきて欲しくなかった、と、言っていた、だから・・俺が、その・・俺は、ひとみが・・」
 再び沈黙が訪れた時、ベットの布団が勢い良く跳ね上がった。
「に゛ゃー!!もう、ひとみはぁ、何バァン様、困らせてんのよ!」
上半身を起こしたメルルの顔がひとみに迫る。
「メルル!あんた起きてたの?」
目を吊り上げて怒るメルルの迫力に押され、ひとみの声がわずかに上ずる。
 「枕元で騒がれちゃ寝てる者も寝てらんないわ。だいたいあんた何しに来たのよ」
「何って、メルルの様子が気になったから・・あ、そうだ、バァンお風呂空いたけど入る?」
メルルの怒りの矛先を収めるために言った台詞だったが、逆効果だった様だ。
「ちょっと!まさか、あんたが使った後に入れって言うんじゃないでしょうね。バァン様は恐れ多くもファーネリアの国王陛下様なのよ。そのバァン様に後風呂を勧めるなんて・・」
凄い剣幕でひとみに詰め寄るメルルを制してバァンが言った。
「メルル、もう良い。俺は気にしてない。ひとみ、湯殿まで案内してくれ」
膨れっ面のメルルを残し、ひとみとバァンは部屋を後にした。
 ―私が先に入っちゃったの、失礼だったかなぁ。でも、相手はバァンだし・・
「はぁ〜」
ひとみは声に出して大きなため息をついた。
「どうしたひとみ?メルルの事なら気にするな。大体メルルは大袈裟なんだ。それに後からで良いと言ったのは俺なんだし」
確かに、先ほどひとみの母に風呂を勧められた時、バァンはメルルを看るから他の者が終わった後で良いと言った。
「うん。でもね、そういうの、どうでも良いって思ってても、周りが承知してくれないって事、良くあるじゃない。」
特に国王であるバァンには、そういった因習や仕来たりと言った物が重くまとわりついているはずだ。
「そうだな。そういう意味じゃ、メルルはまだ良い方だ。王というだけで俺の周りの者達は色々とうるさく言う・・。だがそういった物を変えて行く事が出来るのも王の力だ。周りを納得させるのに時間はかかるがな」
少年のように瞳を輝かせながらそう言うバァンをひとみは眩しそうに見つめた。
 バァンなら変える事が出来るだろう。そして全ての因習を乗り越え、自身が夢想する理想の未来へ世界を導く事も。バァンそのものが、因習を乗り越えて産まれた子、人々から忌み恐れられる竜神人=ヴァリエを妻として迎えた先王ゴオウの子なのだから。

 ひとみはバァンを風呂場まで案内するとメルルの様子を見に部屋に戻った。
「メルル?まだ起きてる?」
ドアの外から話し掛けてみたが返事が無い。
「まだ怒ってるのかなぁ」
ひとみは、思い切ってドアを開けた。
「メルル。入るよ」
しかし、室内にメルルの姿は無かった。代わりに、さっきまで閉めてあった窓が開け放たれ、夜風がカーテンを生き物の様に大きく揺らしていた。

【蛇足コーナー 前編】
 Act.20から始まった『幻の月編』。折角幻の月に来たんだからバァンやメルルに色んなカルチャーショックを与えてあげようと構想を練っていたのですが、さして話は進んでいないのに、もう3話も使っているという現状や話の流れを考えると、あまり色んな事させてあげられないなぁという結論に達しました。
 でも端折った分、人によっては色々細かい事が気になってたりもするでしょう。
 そこで今回と次回の二回に分けて、ちょっとだけ『幻の月編』の裏話を乗せてみたいと思います。筆者自己満足の超蛇足なコーナーですが、興味のある方は読んでみて下さい。
 今回は、Act.22第一稿の冒頭を掲載しています。

 【Act.22第一稿】

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