天空のエスカフローネ 〜infinite〜

ACT.21 故郷
 西の空に薄っすらと残った陽光が夜の帳に追い払われて間も無く、静かな住宅街に建つ神崎家の駐車場に乗用車が滑り込んできた。車から下りて来た三人は楽しげな会話を響かせながら、一人は急いで玄関に向かい、あとの者は大きな荷物を二人掛かりで抱えてついて行く。
 先に玄関に到着した一人がドアの鍵を開けながら、二人に言った。
「ごめんなさいね。そんな重たいもの運んでもらって。でも二人のおかげで助かったわ。そうだ、二人ともよかったらウチで晩御飯食べて行ってくれません?天野くんには久しぶりに家庭の味をごちそうするから。ゆかりさんも良いでしょう?お家の方には私から連絡しますから。ね、遠慮しないで。それに、今日は出張だの合宿だので家の者は皆出払っていて私一人だし。二人が居てくれたら寂しくなくて嬉しいわ」
ひとみの母の申し出に、天野とゆかりは顔を見合わせると、声を揃えて言った。
「そういう事なら、遠慮なくお邪魔します」

 神社で母親とメルルを見送ったひとみは、エスカフローネの傍らに戻ると、その、片翼を胴体の下に敷き、操演宮は横というより地面の方を向いて転がっている姿を眺めてため息をついた。
「私たち、まさに放り出されたって感じね」
「そうだな」
ひとみの横でバァンが相づちを打った。
「一人で起き上がってくれないかな?」
そう言うひとみの肩を笑いながら軽く叩くと、バァンはエスカフローネに歩み寄った。いや、正確には歩み寄ろうとした。だが、バァンの手は暫しの間ひとみの肩に乗せられたままだった。
 エスカフローネがぎしぎしと音をたてながら独りで起き上がったのだ。その白い竜の手に握られたエナジスト、その赤い輝きの中心には、ひときわ明るい緑の鼓動がはっきりと見て取れる。
 ひとみとバァンは前にも一度エスカフローネを遠隔操作した事がある。だがその時はもっと強い想いを必要とした、なのに・・
「これも母上のエナジストの力・・なのか・・」
バァンが呆然とつぶやいた。

 神崎の家に天野・ゆかり・ひとみの母が消えて間も無く、再び三人が玄関に姿を表わした。
 「おつかいまで頼んで申し訳ないわね」
「いいえ。ごちそうして頂けるんですから、近所のコンビニに行く位、なんて事ないですよ」
「そう?ありがとう、ゆかりさん。食事の用意が出来るまでまだ時間があるから、散歩がてらゆっくり行って来てね」
「はい」
揃いの帽子をかぶり仲良く並んで歩く天野とゆかりの後ろ姿を見送ると、ひとみの母はまた家の中に戻って行った。
 天野とゆかりは近くのコンビニエンスストアで買い物を済ませると、少し足を伸ばして海岸までやってきた。海と道路を隔てる人工の岸壁によせる波を見ながら談笑していた二人は、人気が無くなるのを見計らって、岸壁が途切れた場所から続く松林の中に入って行った。

 エスカフローネに乗り神社を飛び立ってから、ひとみとバァンはずっと黙ったままだった。考える事は沢山ある。メルルの事、クルゼードの事、ひとみを付け狙う人達の事、独りでに動き出したエスカフローネの事。言葉にするには一度に多くの事が起こりすぎた。
 人目につかぬよう闇に紛れ、街を抜け海上に出た所で、ひとみは少し緊張の糸が緩むのを感じた。海を見たからだ。ガイアと変わらない地球の海を。
 もちろん、人目に付く不安が去った事もある。けれど、空から見た自分の街と、今まで居たガイアとがあまりに違っている事にひとみは少し動揺していたのだ。それは自分でも不思議に思える感覚だった。
 「バァン、あそこ」
ひとみは、夜目にも白く見える砂浜とそれに続く黒々とした林の一角を指差した。
 海水浴場や遊歩道が点在するこの海岸線は、住宅街や国道に隣接しながらも、所々に、人目を遠ざけてくれる岩場や松林を抱えている。もちろん見通しの良い松林は昼間ならば人目につき易い場所だが、夜の闇の手を貸りれば、エスカフローネを隠すことも可能だろう。それにひとみ達が今居る松林は、住宅街脇を通る国道をわたってすぐ、海に向かって下る起伏に富んだ地形にある林で、昼間は近隣の住人の憩いの場となっているが、国道からの見通しが悪い上に街灯も無く、夜は人を寄せ付けない場所になっている。
 着地の瞬間エスカフローネを人型に戻し、林に隠すと、ひとみとバァンはエスカフローネから少し離れた、海の見える松の葉が散乱する柔らかい砂の上に腰を下ろした。
 空にはおぼろに輝く月がひとつ掛かるだけで星一つ無い。遠くの海上には船だろうか、いくつもの人工の光が瞬き、規則正しい波の音に混じって、微かだが街の喧騒が聞こえてくる。
 「アストリアとは違った感じの海だな」
海を見ながらバァンが言った。神社を飛び立ってから初めて漏らしたその一言は、豊かな水と緑に守られたガイアとはあまりに違う幻の月に対するバァンの困惑を含んでいた。
 ひとみも似た思いを抱いている。
―でも・・
「でも波の音も潮の香りも一緒だよ」
自分でも意外なほど暖かい声でひとみが言った。その声に、バァンが緊張のほどけた声で答えた。
「そうだな。ここに飛んで来るまでに見た、星空より明るい街や奇妙な形の建物ばかりが目に付いて・・。でもここは・・ひとみの産まれ故郷なんだ・・」
ひとみはバァンの次の言葉を待った。だが、バァンは何も言わず微笑んでみせただけだった。それだけで、ひとみはとても嬉しかった。
 と、突然バァンの顔から笑みが消えた。ひとみを背に立ち上がると、剣の柄に手をかけ、林の奥の闇を見据えた。ひとみも同じ闇を見つめ、そして
「ゆかり?!それに天野先輩!!」
嬉しそうな声を上げた。
「ひとみ?そこに居るの?」
ひとみが呼びかけた方向からゆかりの声がして、すぐにゆかりと天野が姿を現わした。
 バァンは剣の柄から手を放すといぶかしげに二人を見た。だが、その顔に見覚えがあることに気づくと、少し表情をゆるめて三人のやり取りを黙って見つめていた。
 「驚いた?ひとみ。実は私もまだ驚いているんだけどね。さっき、ひとみのお母さんからひとみの事で手を貸してくれって電話をもらって、で、まあ、色々あったんだけど、とにかくここに来たってわけ。まあ、そういう訳で、着替えて」
「ちょ、ちょっと、ゆかり。話が良くわからないよ」
 そう文句を言うひとみの肩を掴んでバァンが言った。
「なんて言ってるんだ?」
「え?だから、お母さんに頼まれて来たから、それで着替えてって・・」
バァンに説明するひとみに今度はゆかりがたずねた。
「その人なんて言ってるの?」
「え?わからないの?二人とも」
ひとみが不思議そうな顔をした時、「言葉が違うんだ。神崎にだけは理解できるらしいが」
天野が言った。
 今更言葉の違い位ではゆかりも天野も驚かなくなっているらしい。ゆかりはかまわず話を続けた。
 「とにかく着替えて。ゆっくりしている時間は無いんだから。それにメルルって子があんた達の事を待ってるのよ」
ゆかりの言葉にひとみは身を乗り出した。
「メルル?メルルはどうしてるの?」
「メルルは大丈夫なのか?」
ひとみの言葉にバァンも声を荒げた。
 ゆかりは手短に状況を説明した。ひとみの母がメルルを連れてゆかりと天野を訪ねて来た事。ひとみの家が見張られている事。ひとみ達の事が知られない様に、メルルは荷物に見せかけてひとみの家に連れて来た事。そして、今からひとみとバァンはゆかりと天野のふりをしてひとみの家に帰るように、と。
 「私達、コンビニにおつかいに出ただけって事になってるから、あまり遅くなると変に思われるのよ」
ゆかりがそう言うと、
「エスカフローネは俺が見張っておくよ。何かあったらこれで連絡するから」
携帯電話を手に天野が言った。
 「天野先輩・・ゆかり・・」
ひとみは感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。同時に、二人を危険な目にあわせてしまうのではという思いも沸き上がってきた。でも今は『家に帰りたい』ひとみは強くそう思った。それにメルルの事だってある。
 ひとみはゆかり達の話をバァンに説明した。バァンはエスカフローネを置いて行く事にためらいを見せたが、メルルの事があるので、結局ゆかり達の提案を受け入れる事になった。
 まずは男女に分れて着替えを始めた。
 ゆかりは、自分の来ていた服を脱いでひとみに渡しリュックから別の服を取り出しながら、からかう様に言った。
「ね、あの人があの時の王様?カッコ良いじゃない。天野先輩の次位に」
「もう、ゆかりったら。今はそれどころじゃないの!」
照れ隠しに必要以上に怒ってみせるひとみに、ゆかりは真顔で言った。
「私、応援してるからね、ひとみの事」
「・・うん」
ひとみは歯切れの悪い返事を補うように、精一杯の笑顔をゆかりに向けた。

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