天空のエスカフローネ 〜infinite〜

ACT.15 ピッツィカート
 『ザイバッハ帝国』と呼ばれていた土地は、鉛色の雲に覆われた空と、霧と雨を呼ぶ冷たく湿った空気に包まれた、なんとも気の滅入るような所だった。
 国境近くにある戦場跡には、今も沢山のガイメレフやメレフが丈の短い草に覆われ人の屍を思わせる無残な姿で残されている。
 旧帝都は、大きな破壊は免れたものの魔導士達の相次ぐ他国への流出により、特異な科学力を基盤とする工業や産業の全てが停滞し、都市機能がマヒしたまま都そのものが廃虚と化すのを待つばかりであった・・・

 「・・にしちゃあ、やけに活気のある街じゃねえか」
雨具と防寒兼用のフード付きマントを羽織ったガデスが、呆れたような声を出した。
 現在クルゼードの一行は、いくつかのグループに分かれて旧ザイバッハ帝都を偵察している。そしてひとみは、バァン・メルル・ガデス・ジャジュカの5人とお揃いのマントを着て、旧ザイバッハ帝都の市場を歩いている所だった。
 「始めてザイバッハの町を見た時は、なんだか寂しい街だなって思ったんだけど・・・」
ひとみも、ガデスの言葉を受けて、明るく活気に満ちた市場を見回しながら言った。
工業国家の名残を見せる大きな工場跡や鉄道の高架等は破損や錆が目立つけれど、それとは対照的に街を行き来する人達には輝く様な活気があった。露店に並べられた品物も、食料から衣類、装飾品に至るまで、様々な物が揃っており、見ているだけでもうきうきしてしまう。
 「お天気だって良いじゃないの。このマント買おうなんて言い出したのは誰よ?」
青空を見上げてそう言ったメルルは、街の雰囲気が話に聞いた物と全く違うので、意味も無く腹が立つらしい。
 「私だ」
メルルの言葉を受けて、ジャジュカが言った。
「ここの天気は変わりやすい。雨具は必要だ」
そのあまりにそっけない言いように鼻白んだのか、メルルはそれ以上何も言わなかった。
 エスカフローネそっくりの白いガイメレフと遭遇してからというもの、ジャジュカは無口になった。もともとおしゃべりな方ではなかったが、決して無愛想では無かったし、いつも柔和な雰囲気を漂わせ、側にいる者を不思議な安堵感に包んでくれていたのに、今のジャジュカは猟犬の様にぴりぴりとして、人を寄せ付けない。
 それは、アレンも同様であった。
 白いガイメレフに遭遇してからというもの、クルゼード内には二人の発する緊張感が息苦しいほど充満し、さすがのミラーナも必要以上にアレンと口をきこうとはしないほどであった。だから、クルゼードを、数名の見張り役と共に旧ザイバッハ帝都に程近い森の中に隠し、分散して偵察に出かけると決めた時には、殆どの者が重苦しい雰囲気から逃れられる喜びを噛みしめたに違いない。ひとみ達は、緊張感の塊=ジャジュカと一緒ではあったが、アレンがいない分緊張感は半減していたし、狭い船内から出た解放感も手伝って、彼と行動を共にする事を苦痛に感じてはいなかった。
 ガデスは、無愛想に先頭を歩くジャジュカに近寄ると、声を落として言った。
「そうぴりぴりしなさんなって。そんなに殺気を立ててたんじゃ、探し物の方が逃げてくぜ」
ジャジュカはガデスを一瞥すると、大きなため息を一つついた。
「ああ、そうだな」
そうして、目を細めて市場を眺めると感慨深そうに言った。
「変わったな。・・・でも、この方がずっと良い」
 その時だ。一つの人影が前方の建物の屋根から飛び降り、こちらに駆けて来たのは。
 「ジャージュカー!」
その人影は駆けながら、ジャジュカに向かって手を振った。
「ダイ!」
ジャジュカの顔に、久しぶりに笑みが浮かんだ。
 ダイと呼ばれた人物は、白虎を思わせる美しい縞模様を持つ細い身体を汚れた作業着に包み、腰には長く優美な尻尾、頭部には形良く並ぶ尖った耳を持ち合わせた、メルルと同じ猫人であった。
 「ジャジュカ、おまえ生きてたのか?俺、とっくの昔に死んじまったと思ってたんだぜ」
ダイは、自分より優に頭二つ分も大きなジャジュカにそう言うと、いたずら小僧よろしくにっと笑って見せた。
「おまえこそ、よく生きていたな。ダイ」
ジャジュカはもう一度笑みを浮かべてそう言った。
 「ジャジュカの知り合いなのか?」
不思議そうにガデスが聞いた。ひとみも前にジャジュカが言っていた言葉を思い出して、不思議に思った。
 ジャジュカは皆に向き直ると、
「紹介しよう。私がザイバッハ兵だった時に、私のガイメレフを整備してくれていたダイだ。ザイバッハの獣人ではごく稀な例外だ」
そう言って、ひとみにだけ軽くうなずいてみせた。
―ふーん。そういう事
ひとみはジャジュカが前言っていた『ごく稀な例外はあったが、ザイバッハには自由を持った獣人など居なかった。』という台詞を思い出していたのだ。そしてその例外が、目の前にいるダイという猫人で、ダイはこの街で自由に生きる獣人だということらしい。
―でも、どうして?
 ひとみの疑問が声になるより先に、ダイが軽い叫び声を上げた。
「なんだ、おい。すっげーかわいい子、連れてるじゃん」
そう言ってメルルの前にぴょんと駆け寄ると、ダイは口の両端を上げ目尻を下げてにっと笑った。
 「なに?こいつぅ」
メルルは、バァンの腕にしがみつくと、ダイの可愛いとも表現出来るその笑顔を気味悪そうに眺めた。バァンはどうしたものかと、ダイとメルルを交互に見やったが、最後には助けを求めるようにひとみに視線を投げかけた。
 ダイはそんな事にはお構い無しにメルルの手を取ると、
「俺の嫁さんになってくれ」
と笑顔で爽やかに言ったのだ。
 「!?」
さすがのメルルも、驚き顔でダイを見つめ返す事しか出来なかった。バァンやひとみも同様に驚き顔で二人を見た。
 驚き顔の一同を尻目に、ダイはとびっきりの笑顔を見せると、メルルの手を引いて通りの真ん中に飛び出した。
「・・バァンさま〜」
バァンの腕から引き離されたメルルは戸惑いに満ちた声でバァンの名を呼んだが、バァンの方も事の成り行きについて行けず、メルルがしがみついていた腕を二人の方に差し伸べたまま、その場に立ち尽くしているばかりであった。
 ダイは通りの真ん中に立ち、声を張り上げた。
「みんなー見てくれー!俺の嫁さんだー!!」
すると、通りにいた人々から一斉に祝福の声が上がった。
「おめでとう、ダイ!」
「まあ、可愛らしい子じゃないか。お似合いだよ」
「よかったなー。おめでとう!」
 事ここに至り、メルルはやっと状況を呑み込んだらしい。
「ちょちょちょっと、勝手に決めないでよ。私にはバァン様にお仕えするという大切な役目があるんだから!それになんで私があんたみたいな奴の、嫁になんてなんなきゃいけないのよ。だいたい始めて会ったばかりでプロポーズするなんて、むちゃくちゃじゃない!あんた絶対変よ!」
「なんだそんな事気にすんなよ。バァンってあの赤シャツの兄ちゃんか?だったら俺もお前達についてくよ。心配すんなって、これからはお前の事、俺がちゃんと守ってやるからさ!」
「ちょ、守るって、そんな事誰が決めたのよ!私あんたになんか守ってもらわなくったって結構よ!」
「そんなに照れるなって」
「照れてるわけないでしょ!!」
目をつり上げ小さな牙をむき出して怒るメルルを前に、上機嫌でにこにこと笑うダイ。そんな二人を囲んで、お祝いムードに盛り上がる市場を、ひとみ達は遠巻きに見ているしかなかった。
 「俺達さ、ドライデンの旦那を捜しに来たんだよなぁ」
ガデスが力なく口を開いた。
「白いガイメレフの情報集めもだ。進路方向から予測して、ザイバッハ帝都を通ることはほぼ間違いないのだから」
気を引き締めるように、ジャジュカが言ったその時、
「俺ならわかるぜ。白いガイメレフがどこに行ったのか」
一同の背後から、そう喋りながら現われたのは、ドライデン=ファッサその人であった。

あとがき
 オリジナルキャラ『ダイ』登場!
 名前の出所は知る人ぞ知るって事で、どうぞ宜しく。

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