天空のエスカフローネ 〜infinite〜

ACT.13 ルナティック・セレナ
 クルゼードでの旅は順調だった。
 町や村があれば漏れ無く立ちより、白いガイメレフの情報を集めた。そしてまた、その時に調達してくるその土地独特の食材を使った食事を楽しむ事が、乗組員全員の密かな楽しみになっていた。
 ひとみは、食事の用意のために、クルゼードの厨房に立つことが多くなった。もともとはメルルが、男所帯の粗末な料理などバァン様には食べさせられないと言って厨房に立つようになったのが始まりだ。そしてひとみは、メルルが何か不気味な物を調理するのではないかとそれが心配で、一緒に厨房に立つようになった。最初はひとみの事をうるさがっていたメルルだったが、さすがに大所帯の食事の用意を一手に引き受けるには無理があったらしく、今はひとみをいいようにこき使っている。
 「あんた不器用ね〜」
じゃがいもに良く似た野菜の皮をむいているひとみの手元を見ながら、メルルが小ばかにするように言った。ひとみはそう言われるほど不器用ではないのだが、メルルの手際の良さを目のあたりにすると、反論をしようという気にはなれなかった。ひとみは心の中で、『王様付きの待女っていうのは伊達じゃなかったのね』とメルルの家事の手際に惜しみ無い賞賛を送っていたが、それを口に出すことはなかった。そんな事を言ったって、生意気な顔で『あたりまえでしょ。あんたばかじゃない』なんて言われるに決まっている。
 ―生意気な事言わないんなら、素直に褒めてあげるのになぁ。
ひとみは自分を見下ろすメルルをちらっと見上げてそう思った。
 皮むきが終わると、野菜全部をとろみの付いたスープがはってある大きな鍋に放りこみ、
「ひとみ、これあと、焦げないようにかき混ぜてて」
と言って、メルルはさっさと厨房から出て行ってしまった。
「ちょと、メルル。どこ行くのよ!」
「せ・ん・た・く。バァン様のお召し物、そろそろ代えがなくなってきたから。」
立ち止まりもせず背中越しにそう言うメルルを呆然と見送って、ひとみは火にかけてある大きな鍋の前に戻った。
「なによ、メルルの奴、やな感じ・・・でも、もしかして私、何か怒らせる様な事しちゃったのかなぁ」
ぶつぶつとつぶやきながらひとみは大きな木製の杓子で鍋の中をぐるぐるとかき回した。
 「猫人は、自分の感情を押えようとはしないものだ。心根は悪くない種族だから、機嫌が直るのを待つことだ。」
振り向くと、厨房の入り口にジャジュカが立っていた。
「それから、そんなに乱暴に扱わない方が良い。ダダグは崩れやすいんだ。」
「え、ダダグって、このじゃがいもみたいな野菜のこと?」
ひとみは大鍋の中を指差して言った。
「そうだ。ちょっと貸してごらん」
ジャジュカは鍋の前に立つと、火加減を調節しゆっくりとかき混ぜてから言った。
「少し火を落としたから、後は時々混ぜるだけでいい」
 意外そうなひとみの視線に、ジャジュカはふっと笑って答えた。
「私の様な獣人が人の中で生きて行くには、何でも出来ないとだめなんだ。少なくともザイバッハではそうだった。」
「・・・ザイバッハ、では?」
「そうだ。昔のザイバッハは荒れ果てた土地しか持たず、わずかな食物を巡る争いの耐えないとても貧しい国だった。そんな貧しい国にいる獣人は、人の口に入る食料を確保するため徹底的に迫害されて来た。そして、国が豊かになってからも、人々の心の中から獣人を忌む気持ちはなくならなかったんだ。私は、魔導士達に受けた恩を返すためだけに、ザイバッハに留まることを許された身。ごく稀な例外はあったが、ザイバッハには自由を持った獣人など居なかった。だから私には始め、あの王の前で気ままに振る舞う猫人の娘や、主従関係を持たないアストリアの獣人達の存在が、信じられなかった」
ジャジュカは言葉を切ると、鍋の中をゆっくりとかき混ぜた。
「・・・どうしたんだろう、こんな話をするなんて」
驚きと同情の入り交じったひとみの表情を見て、困ったようなすまなさそうな顔でジャジュカが言った。
 「いいんです」
ひとみは明るく言うと、少し考えこんでから慎重に言った。
「あの、ジャジュカさん。セレナさんの事聞いても良いですか?アレンさんにはなんだか聞きづらくって」
 ひとみの言葉が聞こえなかったかのように、ジャジュカは黙って鍋の中をかき混ぜている。
―どうしよう。やっぱり聞いちゃダメだったのかな?ジャジュカさんってセレナさんの事になると人が変わったみたいになっちゃうし、アレンさんとだってあんまり口きかないし。あっ、もしかして、この二人って仲悪いのかなぁ。でも・・・
 困り果てた顔でジャジュカを見上げるひとみに向かって、ジャジュカはゆっくりと口を開いた。
「私もひとみに聞きたい事がある。」
ひとみはジャジュカに促されるまま、傍らの椅子に腰を下ろし、長い体毛に包まれた犬人が口を開くのを待った。
 「ひとみがセレナに会った頃、私は全身大火傷を負っていて、一人で動くことさえ出来ない状態だった・・・」
 セレナがザイバッハに誘拐された時から優しく面倒を見てくれたジャジュカ。どんな時にも、どんなセレナでも命をかけて守ったジャジュカ。ジャジュカはセレナにとって、とても大切な恩人だった。だからセレナは、アレンと兄妹としての再会を果たした後、燃え上がるオレアデスの操演宮の中で虫の息となっていたジャジュカを見つけ、アストリアへ連れ帰った。一緒に持ち帰ったセレナの赤いオレアデスは、ジャジュカがアストリアで暮らす代償として王宮に差し出された。そして、セレナ達の献身的な看護のおかげで一命を取り止めたジャジュカは、身体が元どおりになると、ザイバッハのガイメレフを良く知る者として、アストリアの王宮に使える身となったのだ。
 「王宮での仕事、セレナやアレン殿との暮らし、すべてが私にとっては夢のような時だった」
しかし、1年程前から、セレナの様子がおかしくなりだした。始めは、記憶が途切れたように、ぼんやりとしているだけだったが、次第に、反抗的で残忍な面を見せるようになっていった。何時しか家の周りには、昆虫や小動物の死骸がみられるようになり、そしてある日、
「セレナはアレン殿に剣で切りかかった。セレナの瞳は憎しみに赤く染まり、まるで・・・いや、あれは、ディランドゥ様そのものだった。」
 「!」
ひとみの中に衝撃が走った。ひとみは1度だけ会ったことのあるセレナを思い浮かべた。優しく、可憐で月の光を思わせるはかなげなセレナ。ディランドゥと同一人物だと知ってはいたが、ひとみは今だにそれを信じられない気持ちでいた。
 セレナはどんな時でもジャジュカの言う事だけは聞いてくれた。時には素直に、時にはしぶしぶと。それは、アレンにとって愛する妹から憎しみの一刀を向けられた以上に、ショックな事だったに違いない。しかし、アレンにはディランドゥを妹として愛することの出来ない、それどころか、セレナの中のディランドゥを憎んでさえいる自分に負い目を感じてもいた。だから、ジャジュカに対して嫉妬に似た憎しみを少なからず持っていたにもかかわらず、セレナを、この心優しい犬人に託したのだ。
「アレン殿には気の毒としか言いようがない。一番手を差し伸べたいと思っている妹を、私のような者に託さなくてはならなかったのだから。」
 アレンは、無傷ですんだとは言え妹に刃を向けられて以来『私が居るとセレナの気が高ぶるから』と言って、セレナを避けて暮らすようになった。その選択は、アレンに胸を引き裂かれるほどの辛さと無力感を味あわせたに違いない。
 そして、家からアレンが居なくなったある日、突然現れた白いガイメレフがセレナを天空の彼方へと連れ去ってしまったのだ。
 「セレナは今でも私を呼んでいるのだろうか・・・その、アレン殿ではなく・・」
ジャジュカはひとみに、そう辛そうに尋ねた。
ひとみは少しの間目を閉じて、聞こえない声を聞こうとした。
「前ほどはっきりとはしてないけど、まだ、呼んでます。ジャジュカさんの事。」
「・・・どこで呼んでいるかわかるだろうか」
「それは・・・」
 ひとみはポケットの中でペンダントを握り締めたまま悩んでいた。
―ペンダントの力を借りればセレナさんがどこにいるかわかるかもしれない。でも・・・
ひとみはペンダントが原因でバァンと喧嘩して以来、ペンダントの力を借りることをやめていた。バァンはあれから何も言ってこないが、それでもひとみはペンダントを使う事に後ろめたさを感じていた。
―でも・・・
「私、やってみます」
そう言うと、ひとみはポケットから取り出したペンダントを手に掛け、目の前に下げて意識を集中させた。ひとみの閉じた瞳の中に、大きく揺れ動くペンダントが見える。だが、ペンダントはぐるぐると回り続けるだけで、いくら待っても、一定の方向を差し示す気配はなかった。
 ひとみはペンダントを下げた手を下ろすと、すまなさそうにジャジュカに言った。
「すみません。セレナさんがどこにいるかまでは、わからない」
「ありがとう、ひとみ。大丈夫。セレナは必ず見つける。あの白いガイメレフも。」
ジャジュカは優しく、そしてきっぱりそう言うと、厨房の入り口に目を向けた。
 ひとみがその視線の先を追って見ると、そこには、無言でたたずむバァンの姿があった。

あとがき
 ぽつんぽつんと「ジャジュカ出るの?」とか「ジャジュカ生きてたの?」なんて聞かれるんですが
皆さん、やっぱりあの時ジャジュカは死んじゃったと思われたのでしょうか?
 実は私、最終回の最後、皆がひとみを見送るシーンで、墓地にたたずむアレンとセレナを見た瞬間「ジャジュカはどこ??」って思ったのです。そう、私の中ではジャジュカは生きてる事になっていたんです。
 その後いろんな資料を見ましたが、だいたい死んじゃってる事になっている。ビデオを見直してみると、可燃性の流体金属に包まれたまま燃えちゃってるから、死んでる方が自然なのかもしれないと思いつつ、でもなかなか納得出来ない自分なのです・・・

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