天空のエスカフローネ 〜infinite〜

ACT.12 小夜曲

 雪の様に舞い散る、白い羽根。
 ひとみは、降り散る羽根の向こうに、白く美しい翼を背に持つ人影を見つけた。『誰?』ひとみに背を向けた人物は、その翼を震わせながら静かにたたずんでいた。翼は水に溶けるようにゆっくりと散り、その羽根が雪のように舞う。
 ひとみは悟った。この翼はこの人の最後の翼だと。この翼が散ってしまったら、この人はもう二度と翼を持つことは無くなるのだと。
 ひとみはその人が雪の様に降る羽根の向こうで薄く笑ったような気がした。

 夢から覚めたひとみは、しばらくの間ぼんやりとした頭で、見慣れない天井を見ていた。
 クルゼードのプロペラが起す微かなうなりが、静かな寝室に心地良い振動を与えている。
 「夢・・・」
―誰だったんだろう。長い髪の人。バァンじゃなかったみたいだけど・・・
ひとみは今見た夢の事を考えながら、上半身をベットの上に起こして室内を見回した。部屋の壁に沿って、L字型に2台のベットが置かれ、その入り口近くの1台には、メルルが丸くなって眠っている。窓の外はまだ暗い。
 目の冴えてしまったひとみは、そっと部屋を抜け出すと格納庫に向かった。風にあたりたいと思ったのだ。
 途中ひとみは、談話室から明りが漏れているのを見かけたが、気に止める事なく通り過ぎた。
 談話室の中にはアレンとミラーナがいた。
 先ほどの話し合いの後、皆、自分にあてがわれた寝室や持ち場に戻ったが、一人だけ談話室に残ったアレンをミラーナが心配して様子を見に戻って来ていたのだ。
 「アレン、そろそろお休みにならないと」
アレンは航法図から顔を上げるとドアを背に立つミラーナに、寂しげな微笑みを向けて言った。
「ああ、姫。ご心配にはおよびません。それよりも、ジャジュカの事はあれで良かったのでしょうか?」
ミラーナは一寸微笑むと、うつむき加減で答えた。
「セレナさんを見つけた時に、ジャジュカが必要になると思いましたの。」
ミラーナはアレンが大きく動揺するのを感じた。少しの沈黙の後、アレンはゆっくりと口を開いた。
「たしかに、セレナの精神状態が不安定な時に、セレナを押えられるのはジャジュカだけです。しかし、姫のお立場を考えると、あまりにも軽率な行動ではないかと」
ミラーナは、一寸悔しげに答えるアレンの前に立つと、その左手を差し出して言った。
「お気になさらないで。この2つの指輪が私の手にある限り、アストリアの何者も私に指図する事なんて出来ませんもの。」
2つの指輪は、アストリアの王と女王の証。ミラーナは、形の上では現国王であるアストン王に並ぶ実権を持っている事になる。
「それに、」
視線をアレンからふっとそらすと、ミラーナは言った。
「アレンの力になれるのなら・・・」
「姫・・・」
アレンの憂いのこもった目差がミラーナを真直ぐに捕えたが、ミラーナは目をそらしたまま、取って付けたような笑顔で言った。
「そう、ドライデンが見つかれば、きっとアレンの力になってくれますわ。それに、セレナさんがなかなか元に戻れない事だって、何か良い方法を知っているかもしれなくってよ。だから、そんなに暗いお顔をなさらないで。そんな顔、アレンには似合わなくってよ。」
アレンは、花の様な笑顔を見せるミラーナに頭を下げ、手を胸にあてて言った。
「姫。姫にその様に想って頂けるなど、騎士として何物にも代え難い喜びです。」
アレンは、にっこりと微笑みながら軽く頷くミラーナを切なげに見つめると、流れる様に自然な動きでミラーナの背に手をまわし、その細い体を引き寄せ、花を思わせる唇に自分のそれを重ね合わせた。
 突然の事に身動き一つ出来ずにいるミラーナを優雅な仕草で解放すると、アレンは片膝を着いて頭を垂れた。
「ただいまの御無礼、お許し下さい。」
アレンはもう一度切なげにミラーナを見やると、談話室を静かに出て行った。
 呼吸さえも止まったままのミラーナは、やっとの事で大きく息を吸い込むと、手近にあった椅子にストンと腰を下ろした。しばらくして、その驚きに大きく見開かれた瞳から、涙があふれ出ているのに気付いたミラーナだったが、その涙が何を意味するのか―喜びなのか悲しみなのか他の何かなのか―自分にもわからなかった。

 バァンのエスカフローネ、アレンのシェラザード、ジャジュカのオレアデス。無理やり3体のガイメレフを押し込んだ格納庫の、開け放された外部ハッチから、夜の冷たい空気が流れ込んでくる。ひとみは格納庫の入り口で大きく深呼吸すると、格納庫の中央突き当たり、外側に半円形に突き出た床面を手すりで囲んだ小さなテラス様の場所に向かった。
 この下界を一望出来るクルゼードの特等席には、すでに先客がいた。二つの月の光を背に振り向いたその人物は、ひとみの名を優しく呼んだ。
「ひとみ。どうした?眠れないのか?」
「バァン。バァンこそ」
ひとみはバァンの横に立つと、自分の故郷=幻の月を見つめた。
「・・・帰りたいのか」
「・・う・・う・ん・・・」
同じように月を見ながら言うバァンに、曖昧な返事をしたひとみは、一呼吸置くと、明るく言った。
「バァン。お母さんのこと、よかったね。」
 昔、行方不明になったバァンの兄=フォルケンを探しに出たまま帰ってこなかったバァンの母。バァンは何も言わないけれど、自分は母に見捨てられたのだという気持ちが幼い頃から心の奥底にくすぶっていたに違いない。でも、バァンの母は、バァンの事を想っていてくれた。その想いをあの緑色のエナジストが教えてくれた。
 バァンは一寸驚いた表情を見せたが、すぐに静かな笑顔を見せて言った。
「皆は、エスカフローネが傷ついてももう安心だって、喜んでたけど、ひとみは違うんだな。」
そう言うバァンの優しい表情は、兄=フォルケンによく似ていると、ひとみは思った。
「もちろん、私だって、怪我の心配が無くなったのは嬉しいよ。そうそう、メルルなんて、バァンがエスカフローネで出て行った後、すっごく心配して、泣きじゃくって、たいへんだったんだから。」
「そうか。・・・俺はいつも皆に心配をかけて、助けられてばかりだな。」
くやしそうに言うバァンに、ひとみは大袈裟なため息をついてから言った。
「バァン。バァンのそういう所、私、良くないと思う。バァンはね、いつも、一人で何でもやろうとするでしょ。人に助けてもらっても、すぐ『借りを作った』とか思っちゃって。そういう律儀な所も悪くはないんだけど、でも、他人に力を借してもらうって事も少しは学んだ方が良いと思うの。」
いま一つ要領を得ない顔をするバァンに向かって、ひとみは言葉を継いだ。
「あのね、メルルもファーネリアの人達も皆、バァンの力になりたいんだよ。バァンの力になれたら嬉しいんだよ。アレンさんやクルゼードの皆だってそう。それに、バァンのお母さんだって」
バァンの顔に切なげな表情が走ったが、ひとみは構わず言葉を続けた。
「あのね、世話になるとか、借りをつくるとかそうゆうんじゃなくて、誰でも、自分の好きな人の力になれたり、頼ってもらえたら、とっても嬉しいの。反対に、頼ってもらえないと、寂しくって悲しいよ。」
そう言いながらひとみは、泣きじゃくるメルルの姿を思い出していた。
―ああそうか、メルルは寂しかったんだ。バァンに頼ってもらえなくって。
「バァンはひとりじゃないんだから。バァンにはいつだって頼って貰いたがってる皆がついてるんだから。私だって、」
 ひとみは急に言葉を切ると、うつむいて黙り込んでしまった。
「ひとみ?」
―そうだ、私はいつまでここにいられるんだろう・・・
ひとみは自分を真直ぐに見つめるバァンに向かって、切なげな表情で言った。
「私は・・・私だって、バァンの傍にいる間だけでも、」
と、バァンはひとみの言葉を遮るように、片手でひとみの肩をぐいと引き寄せ、はっきりとした声で言った。
「おまえは、今、ここにいる」
「私は、今、ここに・・・」
―そうだ、先の事はわからないけど、でも今は、バァンの傍に。そして・・・
「・・・私だって、バァンの力になれるよね・・・」
そう言うとひとみは、バァンの肩に頭を持たせ掛け、瞳を閉じた。肩にかかるバァンの手のぬくもりを感じながら。
 ―このまま時間が止まってしまえば良いのに
静かに寄り添う二人の願い。だが、永遠に流れ続ける時間の前では、その願いはあまりにもはかないものであった。

【おまけのお話】
[!警告!本編の余韻に浸りたい方、真面目に楽しんでいる方は、読まないで下さい]
クルゼードは眠れない〜セレナードを乱す愛すべきラプソディ達〜

Prev Act.11 焦心 Contents-Home Next Act.13 ルナティック・セレナ
感想は会議室もしくはメールでこちらまで。


Copyright URIU & M.Daini. Written by URIU and Produced by M.Daini.
この小説を個人的な閲覧目的以外で許可無く複製、転載する事を禁止します。