天空のエスカフローネ 〜infinite〜

ACT.10 想母

 ズガァァン!
激しい金属音と共にクルゼードが大きく左に傾いた。その拍子に格納庫にいたひとみとメルルは、もんどり打って床に転がった。
 「いったぁ〜。今の、なに?」
すぐに水平に戻った床の上に、頭と腰を押えながら起き上がったひとみ。
「あんた、体の方も鈍いのね〜。」
ひとみとは対照的に、しなやかな身体を流れる様にくるんと回して、床にちょこんと座ったメルルには何のダメージも無いようだ。
―もう!私、運動神経には自身あるのに〜!
そう思いながら、澄ました顔で憎まれ口を叩くメルルを、ほっぺたを膨らませて睨み返したひとみだったが、いきなり、その全身が恐怖に包まれるのが、傍目からでもはっきりとわかった。
 「バァンが、バァンが・・・」震える声で小さな叫びを上げながら、すっと立ち上がって駆け出すひとみを追って、メルルも、猫の俊敏さで操舵室へとかけ戻って行った。

 「アレンさん!バァンは!?」
そう叫びながら操舵室に駆け込んだひとみの視界に、ビジョンで見た赤い巨人と、その胸部ハッチから半身をのぞかせている犬の容貌をした人物が飛び込んできた。そして、あの泣き声も・・
(・・ひとりにしないで・・・)
 でも、今のひとみには、どちらもどうでも良い事だった。赤い巨人の向こうに小さく見える、エスカフローネ。その片膝をついて身じろぎもしない姿を目にして、ひとみは全身が総毛立つのを感じた。
「アレンさん。お願い。バァンの所へ!早く!!」
血相を変えてそう叫ぶひとみの姿にただならぬ物を感じたアレンは、すぐさまクルゼードの格納庫下部に設けられたゴンドラを、エスカフローネの側に降ろすよう命じた。
 「バァーン!!」
誰よりも速く、ゴンドラを飛び降り、エスカフローネに向かって駆け出したひとみの声が届いたのか、エスカフローネの胸部ハッチが開き、中から血まみれのバァンが顔を出した。
「バァン!!」
「バァン様!!」
悲鳴に近い、ひとみとメルルの呼びかけに、バァンは辛うじて手を上げて答えたが、それ以上動く事は出来ないようだった。
「バァン!バァン!」
ひとみは、見惚れるほど見事な跳躍と身のこなしで、バァンのもとへと駆け上がって行った。遅れてメルルもエスカフローネに駆け上がる。
 「ひとみ・・。これしきの傷、少し休めばだいじょうぶだ。」
苦しげに笑みを浮かべてそう言うバァンは、どう見ても、大丈夫には見えなかった。額と腕、脇腹からにじみ出る血液は、止まる気配を見せることなく、バァンの体を赤く染め上げていく。
 イスパーノ製のガイメレフは特別だ。それは、その場に居た者皆が知っている。だから、血の契約によりエスカフローネの主となったバァンは、そのエスカフローネと一体になってしまっている事、故に、エスカフローネが傷ついた今、バァンもまた、同じ傷を受けてしまったのだという事を、誰しもが悟っていた。
 ひとみは、バァンの傷ついていない方の手を握り締めて、ミラーナの名を叫んだ。
「ミラーナさん!バァンの傷の手当を。」
大国の姫君でありながら、医術の心得のあるミラーナは、しかし、その首を横に振ると辛そうに言った。
「ひとみ。ひとみも、わかっているのでしょう。エスカフローネが傷ついている限り、その傷は治らないって。医術では、その傷は治せないって・・・」
ひとみは涙がこぼれ落ちそうになるのを我慢して、バァンを見た。流れ続ける血の赤と対照的に、バァンの顔色は悲しいほどに白い。
「バァン」
 その時、エスカフローネの胸にはめられた、赤いエナジストが光を放った。光は赤から白へ、そして緑へと変わると、エスカフローネを優しく包み込んだ。
「この光は・・・」
皆が口々に驚嘆の声を上げる中、ひとみとバァンには、この光が何なのかすぐにわかった。
―この感じ、優しい森の緑・・。この緑、深い緑の髪の・・・
「・・バァンのお母さん。この光、バァンのお母さんのエナジスト・・・」
「母上・・」
光はエスカフローネの全身を包み込むと、そのまま徐々に薄れ始めた。最後には、バァンとエスカフローネの傷口に緑の蛍火がぼうっと残るだけとなったが、それもすぐに消えてしまった。 
 「おい、エスカフローネの傷が直ってるぞ!」
誰かの声に皆の視線がエスカフローネの傷のあった場所に注がれた。エスカフローネの額も腕も脇腹も、たった今磨き上げられた様に滑らかで傷一つない。
 ひとみは、ポケットから取り出したハンカチでバァンの額の血をそっと拭ってみた。すると、そこにあったはずの傷もまた、跡形なく消えている。
「バァン、お母さんがバァンの事・・・」
「ああ・・・」
バァンの腕もシャツも血糊で赤く染まったままだが、もう新たな血で染まる事はない。
 「母上・・・」
バァンは胸部ハッチの上に立ち上がると、安堵に満ちた笑みを浮かべてエスカフローネの胸のエナジストを見つめた。
 ひとみも、そしてメルルさえも、バァンの、そんな本当に穏やかな顔を見るのは初めてだと思った。

 「バァンさま〜、良かった〜、本当によかった〜」
こらえ切れずにバァンの胸に飛び込んだメルルの頭を、優しくなでるバァン。そんな二人を笑顔で見つめるひとみ。そして、その三人を喜びの罵声と暑苦しい抱擁で向かえるクルゼードの面々。
 だが、その歓喜の中で、ミラーナの瞳には、赤いガイメレフに乗ったままの犬人=ジャジュカを険しい顔で見つめるアレンだけが映っていた。

(つづく)

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