ウイーン編

神聖ローマ帝国の首都であり、ハプスブルグ家の元繁栄を謳歌していたウイーンは、僕が訪れた1970年代は少しさびれた感じが付きまとっていました。ただ建築を学ぶ者にとっては、近代建築運動の中心地のひとつであり、オットー・ワグナー、アドルフ・ロース、ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒなどの建築家の作品を見ることが出来る聖地でもありました。


かって、ウイーンの街をぐるりと取り囲んでいた城壁は取り壊されて、今は旧市街を一周する道路となって「リングシュトラッセ」と呼ばれています。

夕暮れ時にこのリングシュトラッセを散策していると、ライトアップされた、ギリシャ神殿風の国会議事堂の建物が見えました。

 

国会議事堂の先には、ラートハウス(ウイーン市庁舎)と並んで、ヴォティ−フ教会の二つのゴシックの尖塔がその美しいシルエットを闇の中に浮かび上がらせていました。

 

カールスプラッツという広場に面して、北方バロックの傑作と言われる、カールス教会(カールス・キルヒエ)があります。

1713年に時の神聖ローマ皇帝、カール6世がペスト流行の終焉を祈願して建てたと言われ、オーストリアの建築家、フィッシャー・フォン・エルラッハが設計しました。

僕がウイーンを訪れた1974年当時はまだウイーンの街は整備が進んでおらず、カールス教会も黒く汚れ、カールスプラッツは工事中でしたが、今はすっかいきれいになって、教会前には池が作られているようです。

 

ウイーンの街の中心にはシュテファン大聖堂の尖塔が空高くそびえています。この聖堂の屋根瓦は色がついていて、きれいな縞模様を描いているところが、今までに見たことのないものでした。

インテリアは、日曜日のミサの時の様子です。

 

19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ各地で新しい建築運動が起きますが、その一つがウイーンを中心とした、ゼセッション(分離派)運動でした。
そのゼセッションの記念として、建築家ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒによって建てられたのがこのゼセッション館です。

真っ白な壁に、金色に輝く月桂樹のドームが載っているのですが、この時はすっかり色が褪せていました。現在は復元されてきれいになっているようですが。

 

王宮広場に近いミカエルプラッツの街角。正面の建物は、近代建築の中で、独特な位置を占めるアドルフ・ロースの作品。僕は彼の建築の持つある種の不思議な雰囲気が好きです。

 

ウイーンは又、バロックの街でもあって、カールス・キルヒェのようなオーストリア・バロックを代表する建物もあるし、このように、街の中のいたるところでバロックの彫刻を見ることができる。この彫刻は17世紀のペスト大流行の時に犠牲者の鎮魂のために作られたもの。

ウイーンで一番の繁華街、ケルントナー通りの路上で名物の焼き栗を売るおじさん。大人も子供もこれが大好きでみんな買って行きます。丁度日本の焼き芋売りのおじさんみたいだった。これと同じように、ウインナソーセージ(これぞ本当のウイーン風ソーセージ)を鉄板で焼いているおじさんもいて、僕も買って食べてみたけれど、これは本当においしかった。

 

10月のウイーンはもうすっかり晩秋の雰囲気で、郊外の並木道は木々の葉が見事に黄色く色づいていて美しかった。