スペイン編(2) 南部

スペインの南部、アンダルシア地方は中世にアフリカから来たイスラム教徒の支配の中で、キリスト教徒が国土を回復して行く(レコンキスタ)中、最後までイスラム教徒の残っていた地方です。そのため、いまだにイスラムの文化の影響が色濃く残っています。そして、そのイスラムの文化とジプシーの血が、我々のスペインに対する印象を形作っているのかもしれません。


 

コルドバの旧市街は迷路のように入り組んだ町並みに、パティオと呼ばれる中庭を持つ家々が並んでいます。夏の日中は、耐え難いほどの暑さになり道行く人もいなくなりますが、ひとたび門をくぐってパティオに入るとひんやりと涼しくて、その住居の形態がいかに気候風土によって規定されているのかが実感として分かります。

僕はそんなパティオを持つ古い住宅のペンションに二日ほど泊まっていました。

 

 

コルドバの下町の広場。ここでは毎朝、市が立ち、食料品、日用品が売られている。日本とは違った風習が見られて面白い。蛸(プルポ)の足ははさみで切って売られているし、冷凍の鱈(バカラーオ)は、電気鋸のようなもので輪切りにされている。チュウブの先からつながって出てくる長いパン生地を、油で揚げて売っているのは、北京の朝市で見たのとまったく同じだった。どういうつながりがあるのだろうか。

 

これはコルドバの旧市街の中心地スケッチ、とグアダルキビル川に掛かる、プエルテ・ロマーノ(ローマ時代の橋)から見た旧市街、メスキータを眺めたスケッチです。

 

グラナダにある、あまりにも有名なアルハンブラ宮殿のパティオ。

1492年にイザベル、フェルナンド両王によって完全にイスラム教徒がイベリア半島から追放されるまで、イスラムの王宮であったところ。精密で、繊細なデザインは、当時のイスラム文化がいかに爛熟していたかを物語っている。

毎年夏に、ここでヨーロッパ音楽祭が催されていて、僕はある日の夜、フェネラリーフェの庭で行われたフラメンコのカンテの演奏会に行きました。朗々と歌い上げる歌声は、舞台を囲む糸杉の木立の先から夜空に登って行き、スペインとイスラムは本当に近いところにあるのがよく解りました。

 

 

スペインの最南端、タリファという小さな村で僕は三日ほど民家に泊めてもらいました。息子が独立して、部屋が一つ空いているというのでその部屋に安い宿賃で泊めてもらったのですが、パティオを中心に部屋を配置する作りの典型的なアンダルシアの民家でした。

タリファの海岸には小さな岬があってここの西側は大西洋、東側は地中海ということです。僕はその海岸をどんどん歩いて岩場を更に行くと、投網を打っている漁師に出会いました。挨拶をすると、彼は海のかなたを指差して、タンヘール、タンヘールと叫ぶのです。海のかなたに目を凝らすとぼんやりと島影のようなものが見えて、さらに見ているとトラックが走っているのまで見えます。その時僕は、それがアフリカ大陸だということに急に気がつきました。意外にも、目の前にアフリカがあることに僕は感動しました。タンヘールとはモロッコの都市タンジールのスペイン読みだったのです。