イタリア編5 (シチリア)

2016年5月の始めに僕たちはナポリの港から夜行のフェリーでシチリア島へ向かい、朝早くにメッシーナ海峡を通過して、カターニャに着きました。

カターニャから、有名なリゾート地タオルミーナ、シラクーサ、シラクーサからはレンタカーを借りて、南の海岸沿いを、ノート、シクリ、アグリジェント、シャッカ、パレルモと一週間ほどの工程でした。

シチリアは、古代ギリシャ、ローマ、ビザンチン、アラブ、ノルマン、スペインと多くの国の支配と影響によって、複雑で豊かな、独特の文化を育んでいます。訪れた町は何処も美しく、海が近くに控えていることもあり、料理もおいしく、楽しい旅となりました。


パレルモの街の中心にある、クワトロ・カンティ。四辻のそれぞれの建物が丸く切り取られていて、そこに噴水と彫像が配置されている。

僕はここから3軒隣のホテルに泊まっていました。

パレルモの大聖堂。イスラムのモスクを、ノルマン王朝時代にキリスト教の聖堂に作り替えたと言われている、壮麗な聖堂でした。

 

大聖堂の近くにあるノルマン王朝の王宮。その中にある、パラティーナ礼拝堂は壁から天井にかけて一面に金色のモザイク画で覆われていて、ビザンチンの影響もみられるものでした。

 

パレルモの街は一歩裏道に入ると人通りも少なく、落ち着いて街歩きが楽しめます。


シラクーサはシチリアの南東の角に当たるあたりにあり、古くは古代ギリシャの植民地だった歴史の古い街です。

街は陸地側と、オルティ−ジャと呼ばれる島からなっています。島と言っても大きな橋が二本掛かっていて、半島が突き出ているような恰好ですが、その中心がドウモウ広場です。そのドウモウはギリシャ時代のアテナ神殿を7世紀にビザンツのキリスト教会に改造して、17世紀にバロックのファサードが付け加えられたという歴史があり、そのすべての様式が融合して現在も見られるというシチリアならではの建築でした。

僕たちは、オルティージャの西側の湾に面したホテルに泊まりました。そのホテルのテラスから眺める夕景は素晴らしいものでした。

この湾で2400年も前に、スパルタの応援を得たシラクーサが、アテネ軍と熾烈な戦争の末にアテネを破ったという史実を思うと不思議な気持ちにさせられます。

オルティージャは小さな島なので、街の中を歩いているといたるところで道のはずれに海が見えるのが独特な風景となっています

そして夜ともなると町中の路地から路地に、レストランからはみ出したテーブルで、楽しく食事をする人々が見られます。


 タオルミーナはメッシーナに近い、人気のリゾート地です。

海から立ち上がる急斜面の途中に猫の額ほどの平らな場所があり、そこを通るウンベルト通りを中心に街が広がっています。北のメッシーナ門から南のカターニャ門まで、800mほどの間は観光客でにぎわっています。

ウンベルト通りの途中にある、4月9日広場からは眼下に広がるイオニア海の絶景を見ることが出来ます。

ウンベルト通りは、等高線に沿って水平に走っていますが、一歩横道に入ると何処も急な階段道で、そこにもレストランや土産物の店がイスやテーブルを出して観光客を誘っています。

街の西のはずれにはギリシャ時代の野外劇場が残っていて、この町の歴史の古いことを感じることが出来ます。

舞台の後ろのレンガの壁はローマ時代のもので、ギリシャ時代には、後ろの海の景色を背景にギリシャ悲劇が演じられていたようです。ギリシャとローマの演劇の違いがここにも出ているということでしょうか。


シラクーサから南へ30kmほど行ったところに、バロックの街として知られるノートの街があります。これはノートの大聖堂

1693年にエトナ山を中心に起こった大地震でノートを含むシチリア南東部の街は壊滅的な被害を受けますが、その後バロック様式で再建され、現在この一帯の街が世界遺産に登録されています。

ノートの街は建物がバロック様式で統一されているだけでなく、建物の素材がどこも同じクリーム色の石で統一されています。

道路に張り出したバルコニーの持ち送りに。様々な怪物の彫刻がされていて、それを見ながら歩くのは楽しいものです。


ノートからさらに西へ50kmほど行ったところのシクリという街があります。海からは4kmほど入った、三方を山に囲まれた小さな町で、近くにあるノートやモディカなどの観光地程知られていないところですが、街の若者たちがアルベルゴ・ディフーゾ(分散型宿泊施設)の経営を通して街の活性化を図っていると聞いて尋ねてみました。

写真の中央の建物が市庁舎で、隣に教会があり、その前の広場が街の中心になっています。

僕たちが泊まった、アルベルゴ・ディフーゾはかっての貴族の館を改修したもので、豪華な部屋にモダンな設備が供えられた素敵な部屋でした。

ここにはアートカフェも併設されていて、ここに集まってきた人たちとの交流が良い思い出となりました。

このほかにも街の数カ所の民家が宿泊施設となっていて、レセプションと朝食は、市庁舎前の広場にあるカフェで取るようになっています。