はじめてのにゅういん

去年の秋、わたしは初めて入院というイベントを経験した。

けいちゃん足ちょん切るの巻
〜ことの発端は、96年6月のことであった〜

まえから(いつって覚えてないぐらい)足の裏の小指の付け根の関節のとこが皮が厚くなって痛かったので、わたしはずーーっとこれは魚の目だと思っていたのである。
あんまりしつこく痛いので、よくよく調べてみると、なんか足の中のほうにすごくでかい固いものがある。
「骨だよこれー」
なんかものすごく恐いことになっているのではないか。不安のどん底につきおとされる少女(うそつけ)であった。

んで、母上推薦の近所の整形外科にいってレントゲンかけてもらったら、やっぱりそこんとこの骨にコブができていることが判明。
がまんするか、手術するかどっちかとゆうことになった。
(ちなみにこの医者が一見どってことないのであるが、話をしているとネイティブの日本語ではないのである。台湾か中国の人らしくて、そう思ってみると中華料理屋の大将みたいでもある。普通のお医者さんだったら「切りなさい」とか「手術の必要はありません」とかはっきり言うところ、そういう意思決定を助けてくれないのである。そういう国民性なのかしら)
わたしははじめから痛いし気になるし切っちゃうぞ、って思ってたのだけど、下半身麻酔ていうのにちょびっとびびってしまった。
ていうわけで、秋に手術をすることにしたのであった。

お医者さんに書いてもらった紹介状を持って、わたしは国立京都病院を訪ねた。家から歩いて行ける距離なのである。
初診担当のまたせんせいは、想像よりずーっと若いおにいさんだった。
「これは痛いね」
アジアなお医者さんと違い、このわたしの状況に同情してくれている。
入院は、10月9日となった。6人部屋の窓際である。
楽しかったのは、入院準備の買い物である。
寝間着3着(パーソンズとかアツキオーニシとか)、キティちゃんのマグカップ、キティちゃんの洗面器、そして大事なのはヒマつぶしとして、カーディガン分の毛糸。
そして、
・テレビは見ない
・病院のメシだけ食って間食しない
ことを決心したのであった。そういう1週間があってもいいと考えたのである。
入院のその日、わたしは母親とともに整形外科病棟のナースステーションを訪ねた。あいにく看護婦さんは誰もおられなくて、リハビリの看護士さんみたいな若いおにいさんがひとり、仕事をしていた。彼は私たちに気づくと、用件を聞きに表に出てきた。そして、私たちの用件を聞いた後、「わたしが主治医の斎藤です」と言ったのであった。おいおい、大丈夫かよー、である。そしてわたしはついに彼を「先生」と呼ぶことはなかったように思う。こうしていきなり不安な入院生活ははじまった。
手術までの毎日、わたしは内科的にはどこも悪くない体で、病院のベッドの上で編み物をしていた。まわりのおばちゃんたちも、何編んでるの、とかわたしを構いに来る。が、話かけられたら答えるけれども決して自分からは話をしないわたしの態度に愛想をつかしてか、だんだんそういうこともなくなっていく。
ひとりでいるのはきもちいい、と思った。でも友達には毎日電話したり、手紙書いたりしてたなあ。要するにその場かぎりの人間関係を作るのが苦手なのである。
部屋のほかの5人はといえば、かぎばり編みをしているおせっかいなおばちゃんと、すんごい耳の遠いかわいいおばあちゃんと、どこが悪かったのか、足の付け根から足首まで、おおきな手術痕のあるおばちゃんと、韓国人のおばちゃんと、わたしと一緒に入院した、気の弱いおばちゃんであった。
韓国人のおばちゃんのところには、毎日お嫁さんがお見舞いに来ていた。ここの息子、つまりおばちゃんの孫がジャニーズ系でかわいかった。わたしの数少ない楽しみ。おばちゃんの話題は、韓国の料理とか韓国の風習のことが多くて、別に聞こうとしてたわけではないが、面白かった。特に、韓国から来たお友達がお見舞いに来たときは突然バイリンガルになったりして、わたしを驚かせた。
整形外科は、死ぬ病気の人はいないので、基本的に明るい雰囲気である。体は動かないけれども元気いっぱい、といったところか。それがかえってうっとしかったわけであるが。
閉口したのは、テレビである。テレビは一人一台端末(笑)で、プリペイドカードでもって何時間か見られるようになっている。規則としてはイヤホン使用のこと、なのだが、同室のおばちゃんは「どうせみんな見るから」といって、「ふたりっ子」から朝のワイドショーあたり、ボリューム全開にしているのである。わたしは「右から左に流す」機能のついてない人間なので、非常にうっとしい思いをした。
夜は夜で、全員がイヤホン着用で同じサスペンスを観ているのである。そして翌朝、「犯人誰やった?」などと答えあわせをしていたのだ。めまいがした。
ま、病院というところはみんな入りたくて入ってるわけじゃない人ばっかりで、それぞれにストレスもたまってるんだろう、わたしは1週間で出られるのだから、と思い、自分を納得させてひたすら編み物にはげんだのである。
夜、いつもひとりで寝ているわたしは、6人部屋というのになじめなくて、眠れなかったため睡眠薬(ミンザイ)を飲ませてくれるように頼んだ。
看護婦さん「いつも何飲んでるの」
けいちゃん「ハルシオンです」
ハルシオンというのはニュースでも話題になった「クる」睡眠薬である。通の皆さんの間では、パッケージに製造元である「UPJOHN社」のロゴがついているため「アップジョン」と呼ばれている。
当然看護婦さんはいい顔はしなかった。そしてやはり、アップジョンは処方されず、ぜーんぜん効かない薬をくれたのであった。わたしはごっつい寝不足の状態で、手術当日を迎えることになったのである。
さて、前述したとおり、わたしの主治医はさいとう(落ち着きのないしょうゆ顔)と、 また(おっとりしたソース顔)の若いおにいちゃん二人である。早い話が「濃いのと薄いの」だ。どっちかというとまたちゃんのほうが先輩であったようだ。さいとうはいつもばたばたと病棟と診察室を行ったりきたりしていた。いい人みたいなのだが、いい人な上にドクターの間では下っ端なのでいろいろと忙しいようである。そういう落ち着きのないやつにわたしの足を切らせてよいものか、不安は日増しにつのったのであった。またちゃんは手術前夜、わたしのところにやってきて、足の裏から切ると歩行に支障をきたすので、足の甲の側から切るということを優しく説明してくれた。
しかし、これは大ウソだったことが後に判明するのである。

そして10月14日、手術当日を迎えた。言い忘れたが病名は「外骨腫」がいこつしゅ、である。

「グリセリン浣腸オヲタ」が印象に強く残る日である。
いろいろと注射を打たれ、血管が細いので看護婦さんに嫌がられる。いつものことだよん。
いつものようにさいとうはばたばたしており、他の手術の合間にばたばた走ってきて、わたしと母親に手術の説明をして、承諾書にサインするよう求めた。
手術室で不安だったのは、助手のおねえちゃんが新人さんだったこと。血管細いわたしに点滴の針をさすことができなくて、いくつもわたしの腕に穴をあけていた。痛いってば。結局ベテランのおねえちゃんがさしたのだ。
わたしは一生懸命、さいとうとまたちゃんの動きを目で追っていた。そしてわたしははっきり見たのだ、さいとうがとても楽しそうにラジカセのスイッチを入れるのを!!なんだか中途半端に古いジャパニーズ・ポップスの流れる中、手術は開始されたのであった。おいおい、こんな軽いノリかい。
下半身麻酔。背中の真ん中に麻酔。さいとうたのむぞ。痺れていくわたしの足。感覚がよくわからなくなっていく。自分では足をそろえているつもりなのに、目の前に持ち上げられ、消毒薬を塗りたくられているわたしの右足が見えた。気持ち悪くて気が遠くなりそうになった。
足がどんな目にあっているのか、ちょうど目の前にめかくしの布がかけられていて、詳細は見えない。
どれぐらいの時間がたっただろう、曲はバービーボーイズの「放さない」手術はクライマックスにさしかかっていた(たぶん)。ふいにけいちゃんのからだがふるえだした。
助手のねえちゃんに「寒いの?」と聞かれて、あっためた消毒薬のボトルを握らせてもらったが、震えは止まらないし別に寒いとも感じないのである。ねえちゃんが何か操作すると(点滴を止めたらしい)震えはとまり、再開するとまた震えが始まる。またちゃんが、わたしの手を握り締めていろいろ問診する。「これまで薬のアレルギーになったことはある?」とか「生理痛はひどいの?」とか。わたしを安心させようとしてくれているのはわかるが、なんかいやらしいぞまたちゃん。結局その点滴(化膿止めの抗生物質)がわたしに合わなくて、震え(シバリング)が起きたということらしい。手術後2日間ぐらいその点滴をすることになっているらしいが、飲み薬に変わったのでちょっとラッキーだったかも。さいとうはわたしがあっためた消毒薬のボトルを握り締めているのを見て、「何してるの」と鼻で笑った。対照的なふたりである。
いったん手術中にレントゲンをとり、その写真を眺めながら楽しそうにまたちゃんとさいとうは相談をしている。体がふるえていたせいで、わたしは「その骨ください」というタイミングを失ってしまい、またちゃんは助手のねえちゃんに「標本にしといて」とか指示を出していた。今ごろまたちゃんコレクションの一角を占めているのであろう、けいちゃんのご遺骨は。手術後またちゃんから、かなり大きい骨であったことを教えられた。「体に悪いところがあると、自信を持って人前に出られないから、当分は出張とかにでないように」との、またちゃんからのありがたいアドバイスをいただく。
手術の夜、「穴がない」という話があったが、お下劣なので差し控える。

次の日15日、わたしは麻酔が残っていてとっても気持ち悪かった。にもかかわらず、 いきなりひとりで車椅子に乗って手術後のレントゲンをとりに行く。「 これがストッパーですから、ひとりで行けますよね」ってそういうノリである、はじめから終わりまで。習うより慣れろ状態。高熱発しててしんどかったってば。
そのあと、さいとうが回診にやってきた。
さいとう「あしたから車椅子乗っていいですからね」
けいちゃん 「さっきもうひとりでレントゲン撮りにいったよ」
さいとう「・・・あそ。」
手術前夜のまたちゃんの言葉を信じていたわたしは、足の甲から切ったのだと思い込んでいて、「それにしては違うところが痛むな」とか言っていたら、向かいのベッドのおばちゃんが、「違うとこ痛くなるよ」と言ってくれたのでそうか、そんなもんなんだな、と思いながら、回診に来たまたちゃんに「ねえ、こっちから切ったんですよね」と確認してみた。すると彼は意外そうな顔で「裏から切りましたけど」みたいなことを言う。うそつきー。

16日、 車椅子超上達。車庫いれ車庫出し切り返しターンばっちぐー。 廊下を暴走する。でも腕が痛くなってしまう。結局わたしが車椅子に乗っているところは、家族友人誰も見ていないこととなった。
いままで包帯ぐるぐるで気づかなかったのだが、小指の感覚がおかしい。しびれてるみたいだ。さいとうに言ってみたがそのうち治るとのこと。

17日、 松葉杖を使うことなく2足歩行に移行。初日はすごく大変そうなびっこをひいていたが、日に日にすたすた歩くようになってしまう。でも熱は下がらない。編み物すすみまくり。おばさんがお見舞いにきてくれた。お見舞いの品は、鈴のついた金の指輪。「よく鳴る」と「良くなる」がかけてあるらしい。

18日、おばあちゃんがお見舞いに来てくれた。お見舞いの品はなんとシュタイフのテディベア。ちょっと予想外なところをつかれた。おばあちゃんといえば、わたしはおばあちゃんに作ってもらったキルトのかめさんを連れてきていた。

19日、きのしたがお菓子持って遠いところを来てくれた。いろいろと入院中にたまったストレスな話を聞いてもらった。ありがとうすんませんねえ。
家の近所の知り合いから電話がかかってきて、「選挙どうするの?」とのこと。彼女はバリバリの某党員なのである。そして退院の日は選挙の日でもあったのだ。病院まで迎えに来てくれるという申し出を丁寧に断り、選挙には行くから午後に家まで迎えに来てくれるように頼んだ。病人なのにいろいろ気を遣うわたしである。

20日、 退院。ぱちぱちぱち。9泊10日手術付きでしめて27、980円であった。その上あとから健康保険組合の返金が2万円ぐらいあったはず。いやー健康保険ってやつは。悔やまれるのは、生命保険の入院特約にはいっていなかったことだ。大もうけできるとこだったのにな。
約束どおり、選挙に連れて行かれる。受付でいきなり隣のおばちゃんに会って「どないしたん」とえらいびっくりされる。

21日、職場復帰。右足が包帯ぐるぐるまきなので右足は赤いゴムのレインシューズ、左足は普通の靴という情けない格好で、しかもびっこひいて出勤。しかし、そんなぐらいでは誰も席代わってくれないぞ、世間様は。わたしは調子にのってびっこひきひきうろうろしてたせいで、ものすごく腰が痛くてこの日はフレックスで帰ってしまった。

22日、ふたたび病院。さいとうの診察を受ける。「腰痛くてはきそう」とのわたしの訴えに、「へ?」というかんじのレスポンスである。とりあえずシップ薬を出してもらった。この日は午後から出勤だったのだが、むずかしいともだちのひろのちゃんが日本シリーズ観戦のためおやすみを取っていた。それじゃあお昼ご飯一緒に食べようよ、ということになり、京橋で待ち合わせをしていたらナンパされた。テレクラで女の子ナンパして京橋で待ち合わせてたのにすっぽかされたらしい。わたしをその待ち合わせの相手と思って声をかけてきたようだ。そのことをあとでひろのちゃんに話すと「そんなん靴違うの履いてるとかゆうたらすぐわかるやんなー」と笑っていた。とにかくその男はすごくしつこくて、今すぐついてくるか電話番号教えるかどっちかにしろという。めんどくさかったのでPHSの番号を教えておいた。ルックスが八十助8割に唐沢2割といったかんじでかっちょよかったのである。ゆえにこの男はその後、コードネーム「やそすけ」でわたしの会話に登場することとなる。だが、その後何度かかかってきた電話で脳みそはカラッポだということが判明。天は2物を与えない。その後彼と会うことはなかった。
包帯の間からテグスのような糸がぴんぴん出てくる。こんなもんで縫ってあるわけね。

29日、抜糸中の会話である。おかげで痛くなかった。
さいとう「きれへんー」← 糸ひっぱってる
けいちゃん 「いたい」← 一応言ってみた
けいちゃん 「わたし、一生バービーボーイズ聞いたら手術のこと思い出すと思うわ。かかってたでしょう」
さいとう「ははは、かかってましたねー」
けいちゃん 「誰の趣味なん」
さいとう「誰ってことないんですけどねーなんかあるんですよー」
けいちゃん 「だって、自分がかけてたでしょう」
さいとう「うん。あれは、骨とか切る音が患者さんに聞こえないようにかけてるんですよ。」
けいちゃん 「うわ、こんな軽いノリで足切られるーとかって、それまで ごっつ落ち着いてたのに」
さいとう「先生が年配だったりすると演歌かけますねー。演歌のほうがいいですかーとかって聞いて」
けいちゃん 「失恋のときにかかってましたとかだったらいいけど」
さいとう「足切られてましたって。ははは」
演歌聞きながら手術されるのと、ごりごり骨切ってる音が聞こえるのと、どっちを選ぶかは悩むところである。
さて小指の先はあいかわらずしびれている。
さいとう「神経は、えーとえーとえーとえーと、30日で1センチ、伸びます
から、ま、がんばってください」
ちょんぎったなーおまえ!

その後一月経ってもう一度さいとうのところに行き、さいとうなぜかその日はぶち切れていたのだが、もう大丈夫こんなもんです、と言われた。が、小さいときからケガをすると必ず膿んでしまう体質であるわたしは、やっぱり足の裏を膿ませてしまい、自分で切開してウミ出して薬塗って、なんていうことをしてなんとか治したのである。
4月になった今日、まだ傷口がつっぱった感じがするが、たぶん、まあこんなもんなんだろう。

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