「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2002/06/29 12:00

第58回配信
送油管を逆流させろ


経済制裁時代、20リットル入りのガソリン缶とブリキの漏斗は旅に出る時の必需品だった。今では見なくなった光景を悪友バーネに再現してもらった
   「もうすぐノートが一冊100円という時代になるんだ。キミはもっと紙を大事に使いなさい」。第1次石油ショックが73年に引き起こした騒然とした雰囲気を、筆者は教師に注意された小学校3年生なりに記憶しています(もちろんユーゴではなく、日本での話ですよ)。
   92年、国連が課した包括的経済制裁でセルビアは突然の「石油ショック」を経験します。しかし93年の超インフレをはじめ、産業や生活が悲惨をきわめた時期も、自動車の数はそれほど減りませんでした。ガソリンスタンドは空っぽなのに、ルーマニアやハンガリー、ギリシアなどから制裁破りの闇ガソリンがどんどん入って路上で売られるようになったからです。「ほら、あそこで売ってるペットボトルの青いヤツ、あれはルーマニア製で質が悪いんだ。赤いハンガリー製のを買わないと」。ドライバーの間でのヒット商品はプラスチック製かブリキ製の漏斗でした。闇ガソリン商から買ったガソリンを缶で貯めておいて、長旅に出た時はガソリンが切れそうになると自分で漏斗を使って路上で缶から給油する姿があちこちで見られたものです。
   99年に北大西洋条約機構(NATO)の空爆が続いた3ヶ月は、制裁でヘコタレなかったセルビアの車の数もさすがに大きく減りました。用事もないのに外出するには不安があり、男性は外国に出られないこともあります。しかし経済制裁時代とはユーゴを取り巻く環境も少し変わっていました。ハンガリーは空爆開始直前にNATOに加盟していましたし、ルーマニア、マケドニアなどもNATOに協調、組織的な密輸を助けることはとても出来なくなっていたからです。空爆が終わった99年夏、変わったものは人々の表情と、急にまた増えたクルマの数でした。

   70年後には地球の石油は枯渇するとも言われ、世界では太陽、水素などの代替エネルギー研究が進んでいることは筆者も承知しています。しかしあと10年、20年で石油の重要性が急低下し、時代遅れの燃料になると考えるのも非現実的です。原油がこれからもしばらく生活と産業の生命線であり続けることはバルカンでも日本でも変わりません。今回は旧ユーゴ圏の原油供給とガソリン商戦の話題を拾ってみます(主に工業燃料として使われる天然ガスには触れません)。またまた経済ネタですが、コムズカシイ話は出来るだけ控えますので最後までお付き合い下さい。

ボスニア・ガソリン紛争

   今年1月、クロアチア政府はタンクローリーなど車両による外国産可燃性危険物の第3国への陸路通過を著しく制限する閣議決定を発表しました。「環境保護とヤミ経済に断固対抗するため」(ラーチャン首相)と、理由は立派に聞こえるものでしたが、周辺国はこぞって異議を唱えました。
本文前半関連地図。白はアドリアパイプライン、石油精製施設を黒い四角で示した。三角は主な油井
クロアチアの西隣ボスニアでは戦争復興が一応安定し、ガソリンなど石油産品の需要がこの数年大きく伸びていますが、国内の石油精製施設はボサンスキ・ブロドの一箇所だけで、実際にはほとんどを輸入に頼っています。その約60%を押さえているのがクロアチア石油公社INAで、20%をスロヴェニアのペトロール社とオーストリア・スロヴェニア合弁のOMVイストラべンツ社が争っている状況でした。前回配信にも書いたように今春民営化に着手されたばかりのINAにとって、ボスニア市場は唯一の輸出先であると同時に全体収益の10%を上げることが出来る美味しいシマです。ペトロール、OMVイストラベンツのスロヴェニア系両社はこの5年以内に数十のガソリンスタンドをボスニアに新設、INAとのシェア逆転を狙っていた矢先のことでしたので、クロアチアの新政令はシマ争いでのスロヴェニアに対する嫌がらせであることは関係者の誰の目にも明らかでした。貨車輸送では時間が掛かる上にコスト高。スロヴェニア製ガソリン小売価格は40%は値上がりを余儀なくされてしまいます。
   なぜクロアチア政府がこの措置に踏み切ったのか、ウォッチャーの意見はさまざまです。エネルギー問題に詳しいセルビアの週刊エコノミスト誌R・レピヤ記者は、クロアチアからボスニアに輸出されたINA製品がクロアチアの非INA系=民間資本のスタンドに横流しの形で再輸出されていたので、これをボスニアに警告し自国市場を引き締める意味で政府がこの措置に踏み切ったのではないかと推測しています。
   スロヴェニアとクロアチアは旧ユーゴ時代の経済先進度で一位と二位の地域です。独立後スピードこそ異なれ、ともに欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)への加盟レースを進めていますが、両国関係は決して円満ではありません。ピラン湾での領海の線引き、クルシュコ原発利用権などを巡っては独立直後から対立を繰り返してきました。EU、NATOなどへの加盟条件の一つは近隣国との良好な関係ですが、この加盟レースで先を行くスロヴェニアに対してクロアチアがまたしてもイチャモンを付けたのだという解釈もあります。
   INAのリエーカ、シサク両精製所で作られるガソリンは鉛や硫黄の含有率が高く、スロヴェニア製やEU製に比べ品質が落ちます。ボスニア国内にはINAボスニアがあり、輸入利権はクロアチア人支配地域が握ってサライェヴォのボスニア人中央には見返りが少ないことも想像に難くありません。いずれにせよクロアチアへの依存度をこれ以上高めず、スロヴェニア製でもオーストリア製でもどんどん進出してほしい、というのがボスニア側の本音です。
先に仕掛けたクロアチア(ピツラ外相=左)が譲歩しつつ落とし所を探ったが、ボスニア(ラグムジヤ外相=右)も抵抗し、本格的経済紛争が危惧された
ただしボサンスキ・ブロドの石油精製所だけは、自社シェア増加を期待し、クロアチア政府決定支持を発表しています。
   クロアチア対ボスニア・スロヴェニア連合軍。旧ユーゴ紛争時代なら対セルビア共闘で同じ側に立ってもおかしくない隣接3国で、なし崩しにガソリン紛争が始まってしまいました。クロアチアはボスニア国境4箇所からのガソリン通過を認め、当初発表よりも「歩み寄る」姿勢を見せましたが、いずれもセルビア人共和国(ボスニアの旧セルビア人支配地域、ブロド精製所もこちらに属する)に隣接するポイントで、むしろサライェヴォ中央=ボスニア連邦側に対しては嫌がらせのように解釈出来る「譲歩」でした。ボスニア政府は対抗措置として、クロアチア産可燃性危険物の輸入禁止を発表。通過出来る唯一の国境はボスニア西部、ビハチ市近郊のイザチッチだとしました。しかしイザチッチはクロアチア・プリトヴィッツェ国立公園に近く、表向き「環境対策」で通過禁止を唱えたクロアチアとしては「ではイザチッチからも通れるようにしましょう」とは簡単に言えないわけです。今度はINA製品がストップしてしまいました。さらにボスニア側はINA製品よりも高い品質の低鉛・低硫黄ガソリンのみ輸入を認める方針を掲げ、嫌がらせに対する対抗嫌がらせも続きます。
   事態を懸念したEUがクロアチア政府に介入、これを受けてクロアチア・ピツラ外相は「農産物など全面経済戦争に発展したりしたら、わが国から言い出した話だけに恥ずかしいことだ」と発言した辺りからブレーキが掛かり始めました。スロヴェニアはこの間も180キロ、4時間だった代わりに1000キロ、38時間の回り道をしてボスニアへのガソリン輸出を続け、政治レベルではボスニアに「代理戦争」をやらせていた感がありましたが、2月中旬クロアチアから入ってくるトラックなどに課税する措置をちらつかせるに至って、ついにクロアチア側の妥協を引き出しました。夜間に限り警察車両のエスコート付きという条件でイザチッチ経由の通過が認められたのです。ボスニア・クロアチア間にはその後特別協定が成立、スロヴェニアは5月14日さらにEUのエネルギー憲章担当部へ提訴しましたが、世界貿易機関(WTO)への提訴は回避されました。
   こうして「言い出しっぺ」クロアチアの敗色濃厚となり、ボスニア・ガソリン紛争は沈静化しました。「INA民営化が始まる直前に傷を付ける結果になった。政府にとっては次の反応を考えてから何を言い出すか熟慮しないといけない、という教訓になった」とクロアチア英字紙「クロアチアタイムス」(3月号)は少し自虐的です。武力衝突の時代は過去のものになりましたが、隣国どうしの利害と感情が微妙に対立するバルカンらしさを実感させる(?)経済紛争でした。

進む市場再編

かつては原油自給率35%だった旧ユーゴだが、生産はジリ貧、需要は拡大し輸入依存度が今後とも高まる一方とみられる(写真提供:Naftna Industrija Srbije)
   旧ユーゴ北部、現在のクロアチア中北部(シサク近辺)やユーゴ連邦北東部(キキンダ近辺)では原油が産出されています。かつては年産400万トンを超え、需要の35%以上を自給していました。リエーカ、シサク、ボサンスキ・ブロド、ノヴィサド、パンチェヴォには石油精製施設が設けられ、リエーカ港に近いオミシャリ備蓄基地からアドリアパイプラインがこれらの町を縫うように通り、旧連邦原油供給の生命線を作っていました(この送油管については後で詳述します)。しかし91年に発見され、ミロシェヴィッチ政権の選挙宣伝として華々しくオープンしたトゥリヤ油井(セルビア北中部スルボブラン市)は当初年間18万トンを産出していましたが、昨年は11万トン(可能産出量の6%)に落ち込んでいます。クロアチアでもINAの説明によれば旧来の油井周辺地域での原油産出の増加は期待できない、とのことです。枯渇によるものか、経済的な事情によるものかは今ひとつ不明ながら、今後とも発展に伴う需要増大の中、旧ユーゴ圏の原油自給率はますます低下し輸入依存度を高めていくものと見られています。
   今度はセルビアのガソリン事情を見てみましょう。ベオグラードのガソリン供給事情は、それでも空爆終了後は安定しています。本稿執筆時現在ディーゼル約72円/リットル、ガソリン約92円/リットルですから周辺国と同じレベルです。しかしガソリンスタンドに何時間も行列した経済制裁時代の経験から、西欧系公的財団の契約運転手を務めるA氏はどうしても自宅にヤミで入手したディーゼルのストックを造っておかないと不安だ、と言います。「出張が多く、月に4〜500リットルは使うので、ある人物から一度に1500〜2000リットル買って自宅にストックしている。ガソリンスタンドと同じレベルの値段だ。ガソリンと違ってディーゼルなので危険は少ない。この人物も出所は教えてくれないが、質が悪くないところを見るとロシア辺りから船便で来る国営企業向けのディーゼルが横流れしているのではないかと思う」。
   クロアチアが独立し現ユーゴ連邦が新国家として旗揚げした91年から92年、旧石油公社は当時のミロシェヴィッチ政権によって国営セルビア石油産業公社(NIS)に改組され独占体制が出来上がりました。ただしクロアチア本拠のINAのガソリンスタンド180、備蓄施設7と1500人を超える従業員などについてはNISに併合せず、ベオペトロールという別の国営企業として接収する形を取りました。
99年ユーゴ空爆でパンチェヴォ工業地帯が攻撃を受け、NIS石油精製施設にも被害が及んだ。このため現在も同施設の稼働率は低いままで、精製したガソリンが高いことの一因となっている(写真提供:Center for Peace in the Balkans)
   首都ベオグラードに近いパンチェヴォ市には石油精製施設を中心に工業地帯が形成されていますが、99年のNATOによるユーゴ空爆では大きな被害を受けています(第17回配信参照)。同市の窒素化学工場など3社はNISに対し天然ガス、原油などの未払いで10億円以上の借り入れがあり、これがNISの経営を圧迫していると言われています。5月、露チュメニ油田公社から月量13万トンの原油買付けの契約交渉が頓挫。政府とNISは理由を明らかにしていませんが、ロシアの原油・天然ガスに対するこれまでの多額の未払いなど、不安定な財政事情が問題になっていることは確かで、どうもNISから明るいニュースが聞こえてきません。
   NIS自体ももともと国営大企業の非能率体質を色濃く残し(総従業員2万)、さらに空爆被害を受けています。しかし大利権の絡む独占石油企業ですから、セルビア共和国政府はNIS民営化を先送りし、まず今年9月をメドにベオペトロールから民営化する方針を定めました。同時に上記A氏の例に見られるようなヤミ経済対策として、原油・石油製品輸入をNISの独占と定める政令を昨年定めました。これによりガソリン精製もNISパンチェヴォの独占となり、独占利益の一部を当の精製施設空爆復興費ほか政府財源(年間1000億円相当)に充てようというわけです。
   ところがヤミ経済対策で実施したNIS独占規定が、ベオペトロール民営化のネックになってしまいました。外資系の販売網(ガソリンスタンド)が参入してもNISパンチェヴォの精製したガソリンしか売れないわけですが、ハンガリーのMOL、オーストリアOMV、ギリシアのヘレニックペトローリアムなど、ベオペトロール買収に動いている周辺国石油企業の関係者は、パンチェヴォ精製施設のガソリンは高すぎるとしています。ガソリン価格は上記各社の自社精製施設では原油1バレル当たり15〜18ドルが現在の相場(1バレル=159リットル)ですが、パンチェヴォ製品は何と41ドルもします(それで小売価格は周辺国並みなのですから、パンチェヴォ精製施設の収益は極端に小さいことになります)。これではこの国にガソリンスタンドを作っても、収益率が悪く質の低い地元製ガソリンしか売れないわけですから魅力になりません。またクロアチアのINAはベオペトロール買収は断念した模様ですが、もともと自社のものだったスタンドを勝手に接収・改組してしまったセルビア(ユーゴ)を相手取って国際提訴する構えも見せています。しかしこの場合はセルビア側もクロアチアに残したNIS関連施設を巡って逆提訴する可能性があり、こうした所有権問題が決着しないうちの9月入札実施は難しいのではないか、という声も出始めています(セルビアの日刊ポリティカ紙5月11日付、週刊エコノミスト誌5月27日付などによる)。
INA、ベオペトロールをともに買収した企業は旧ユーゴ圏の石油業界を席巻することになる。このため両社株の入札には同じような名前が挙がっている
   ベオペトロール買収にはこのような問題が伴っているものの、参入が予想される企業は強気です。スロヴェニア・ペトロール社は「旧ユーゴの商習慣は熟知しているし、通訳なしでベオグラードの人々と交渉出来ることも大きい」としています。ハンガリーの旧国営石油企業MOL社も「たとえ入札に失敗しても、何らかの形でセルビア市場参入を図り続けたい」(モショニ社長)と元気です。
   ちょうど同じ時期に第一段階の株25%が公売され民営化されることになったクロアチアINAは、シサク、リエーカ両精製施設が老朽化しているなどの問題を抱え、ようやく昨年決算で黒字に転じたばかりですが、買収にはMOL、OMVなどベオペトロール民営化と同じ名前の他、伊ENI、さらにルクオイル、ユコスといったロシアの大石油企業も名前を連ねていると言われます(7月中旬に入札参加社名が正式発表される見通しです)。またボスニアのエネルゴペトロール公社についても民営化準備が進められています。MOL他の企業は、セルビア、クロアチア、ボスニアなどの精製・販売網を押さえて一気に「南東欧の雄」になることを目指しているわけですが、勝者は秋以降に明らかになります。
   というわけでバルカン原油市場は再編へ向けて今大きく動き出そうとしています。前節の「ガソリン紛争」も結果的に失敗に終わったものの、INAが競争生き残りを掛けて、あるいは民営化を前に輸出業績を固めるために動いたのだと解釈することが出来るでしょう。ベオペトロールは推定評価額6000万〜3億ドル、INAは10億〜15億ドルで、確かに中規模企業にとっては魅力になり得る拡大ということになりますが、一方で旧ユーゴ圏+アルバニアのバルカン諸国は、原油生産・消費ともに世界の0・01%を占めるに過ぎません。市場再編への動きが活発化している理由は、単に中規模企業のシマ争いなのでしょうか?別の理由を次節で探ってみましょう。

対立を超えて

   中東では依然として不安定な情勢が続き、現在は押し引きが続いているアラブ原油価格が将来も高騰しないという保証はありません。
敵対の時代を過ぎ、旧ユーゴ圏全体の意味が通過拠点として再浮上する、と言うベリッチ氏
その中で非アラブ系油田として世界的に最有望視されているのがロシア、アゼルバイジャン、カザフスタンなどのカスピ海沿岸諸国です。そして中東への依存度を下げたいEUと原産国の通過拠点として、バルカンもまた新しい文脈の中で注目され始めているのです。
   アドリアパイプラインは、ユーゴ非同盟政策の産物でした。ポーランドなど旧ソ連圏東欧諸国は、ソ連のテコ入れによるドゥルージュバパイプラインを通して原油を供給していましたが、ティトーのユーゴはソ連への絶対的依存を避け、中東・リビアなどから届く原油をリエーカから内陸の工業地帯へアドリアパイプラインを通して流していました。しかし時代が変わった今、ハンガリー中部まで延びているこのパイプラインの支線をドゥルージュバとつなげ、流れを逆転させようという計画が進んでいます(パイプラインの「逆流」は技術的にはそれほど難しい話ではないそうです)。
カスピ海・ロシア原油を西へ。上に示したのは旧ユーゴ圏を通すパイプライン計画の一部に過ぎない
既に両パイプラインの結合は完了、本線との分岐点シサクまで流すことは現在でも可能な状態になっています。これが実現するとリエーカ港から西欧へ向けてロシアの原油輸出が可能になり、露原油総輸出量は10%の増加が見込まれています。アドリアパイプライン公社(JANAF)の株38%を保有しているのがINA。INA買収に各国企業が力を注ぐのはこうした理由によるものです。
   一方カスピ海からコーカサス・黒海を通った原油を西へ運ぶパイプライン新設の計画も次々に挙がっています。今年3月末、ギリシア・トルコ両政府間で2005年末までに天然ガスラインの共同建設計画が締結され、次期計画として原油ライン建設も期待されています。これはカスピ海沿岸非ロシア産の原油をEUに届ける早道になることでしょう。本稿執筆中の6月中旬には、ギリシア北部セサロニキ とマケドニアのスコピエを結ぶパイプラインが開通しました(将来はコソヴォへも延長を予定、NISはセルビア東部ニシュまでの延長を要求)。やはりこのラインも、トルコ・ギリシアラインを使ってやがてはカスピ海とつながることが前提となっているものと思われます。また黒海を渡ってブルガリアに到着した原油(カザフスタン、アゼルバイジャン産75万バレル/日)をマケドニア経由でアルバニアに、というライン(AMBO)計画もあります。アルバニアのドゥラス港から西欧へ、そして支線がユーゴ、ボスニアに延びるというこの計画は、エクソン=モービルやシェヴロン=テクサコなどの米メジャーが撤退を宣言したことから財源難に陥りましたが、2006年頃の開通目標は消えていません。米がAMBOを支持していたのに対抗し、コンスタンツァ港からルーマニアを横断、パンチェヴォへつなぐ、という計画を独仏が支持しています(HP National Energy Information Center 、セルビアの週刊エコノミスト誌5月27日号などによる)。
   NISナップ社のベリッチ技術副部長は「アドリアパイプラインの支線がハンガリーに伸びていることからも分かるように、旧ユーゴからはハンガリーなどへ非ソ連系の原油も流れていた。原油の流れる方向は変わるが、敵対の時代を過ぎてまたこの地域がかつて持っていたトランジット拠点としての意味が復活することになる。
南東欧協力プロセス外相会議でもパイプライン建設は地域協力の重要課題として位置付けられた
その中でセルビアにもクロアチアにもマケドニアにもプラス効果が得られればそれに越したことはない」と言います。
   去る6月19日、ベオグラードで南東欧協力プロセス(SEECP)外相会議が開かれ、スロヴェニアを除く旧ユーゴ4カ国、ルーマニア、アルバニアなど計9加盟国の外相級が会談しました。EU、NATO加盟への努力を「加盟国共同の戦略」と位置づけた共同声明はまた具体的な地域協力を掲げていますが、その中でテロ・犯罪対策、通信整備と並んでパイプライン建設などエネルギー対策が重要課題として挙げられています。
   もちろん大きな利権の絡む話の全てを「協力協働」という美談で了解するわけには行きません。マケドニア・スコピエの精製施設をギリシア・ヘレニックペトローリアム社が昨年買収した際も不正が噂されましたし、コソヴォは現在ヨーロッパ最大のマネーロンダリングの温床とも言われています。しかしギリシアとトルコ、ギリシアとマケドニアなど、小国がひしめき隣国どうしの対立は当然というイメージがあったバルカンで、今や時代は相互協力を要請するようになってきたのです。旧ユーゴ紛争が終わり、原油・ガソリンという現代的な資源を巡る協働の時代に入りつつある、と言うべきでしょうか。

(2002年6月下旬)


写真提供ほか本稿執筆に協力して頂いたNIS NAP社技術部のD・ベリッチ氏、週刊エコノミスト誌のR・レピヤ記者、Center for Peace in the Balkansに謝意を表します。テーマが旧ユーゴ圏全体にわたるため多くの新聞雑誌・インターネット資料を使用しましたが、煩雑さを避け出典の表示は一部にとどめてあります。無断転載はかたくお断り致します。
Zahvaljujem se na saradnji: g. Dobrivoj Belic (NIS NAP), g. Rade Repija (Ekonomist Magazin), Center for Peace in the Balkans --- Zabranjena je svaka upotreba slika i teksta bez ovlascenja.

プロフィール> <最新レター> <バックナンバー> <(旧)ユーゴ大地図
落書き帳(掲示板)> <関連リンク集> <平和問題ゼミナール> <管理者のページ


当サイトは、リンクフリーです(事後でもいいので連絡ください! →筆者メール )。
必ずカバーページ(http://www.pluto.dti.ne.jp/~katu-jun/yugo/)にリンクをはってください。

CopyRight(C)2002,Masahiko Otsuka. All rights reserved.
Supported by Katsuyoshi Kawano & Kimura Peace Seminar
更新記録 大塚真彦プロフィール 最新のレター レターバックナンバー 旧ユーゴ大地図 落書き帳 関連リンク集 平和問題ゼミナール 管理者のページへ