「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
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最終更新 14:19 98/09/06

第6回配信
がつなぐ分断の町


旧ユーゴ大地図にリンク    今回の(旧)ユーゴ便りは、突然ですが日本からの、それも平和問題ゼミに比較的近い北九州からの配信です。この夏国際協力事業団が実施した上水道漏水対策の研修で、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの6人の水道局上級技師が名古屋、北九州などで日本の水道技術を学びました。私は高校時代理科系科目では悲惨な点数を取り続けましたが、普段の報道通訳のアタマを切り替え、急場しのぎの(?)勉強で何とかその通訳をつとめることが出来ました。

   一昨年から始まって3回目の今年はボスニア人、クロアチア人、セルビア人が2人ずつ別々の6つの町の水道局の出身者、という構成でしたが、今回はその中で最年長、明るい性格でグループのリーダーの役割を果たしたクロアチア人ジェリコ・ロジッチさん(36、モスタル西部水道局)に、水道事情から見た故郷モスタルの現況、遠い日本での研修の感想などを語ってもらおうと思います。特に彼を選んだ理由は、ひとつは彼が「クロアチア人の自分」という立場は守りながらも民族主義に毒されず(セルビア語を話す通訳と第4回配信で書いたような問題は起こりませんでしたよ)、自分の町の復興共存を心から願っていること。もうひとつは私自身が毎年のようにモスタルを取材して比較的よく知っており、雑誌にも何度か記事を書いていることがあります。この町に興味をお持ちの方は下の参考リンクの他、「ワールドプラザ」96年10−11月号(残念ながらこの雑誌はこの号をもって休刊になりましたが、大きな図書館では見ることが出来ると思います)の拙稿「かけられる橋、癒される傷」などを参照いただけると幸いです。

   なお私は通訳をつとめた上で知った内容を別の雑誌などに発表するのは「反則」だと考えていますが、このページへの掲載についてはこの原稿の末尾に掲げる各団体の研修関係者とジェリコ氏本人の許諾を得ていることをお断りしておきます。

橋を失った「橋の町」

Kindness of Mr.J.Kozlich
戦争前の古い石橋とネレトヴァ川(ジョン・コズリッチ氏提供)

   サライェヴォが北部・中部の高原地帯ボスニアの中心なら、石灰岩の山が深くなる南部ヘルツェゴヴィナの主要都市がモスタルです。この町を二分するようにネレトヴァ川(ご年配の方はパルティザンを描いた「ネレトバの戦い」というユル・ブリンナー主演の映画をご存知かも知れませんね)の美しい緑の水が流れています。戦争前のモスタルは町の象徴である古い石橋と、オスマントルコの趣を残す旧市街が観光客を集め、人口比ではボスニア人、クロアチア人が約3割、セルビア人が2割を占める多民族共存を実現した町でした。
   93年春からボスニア人、クロアチア人両勢力間の戦闘がヘルツェゴヴィナで激化し、砲撃、銃撃による破壊と並行して東モスタルではクロアチア人、西モスタルではボスニア人の駆逐が進められました。町はほぼネレトヴァ川を挟むようにして二つに分断され、川にかかっていた4つの橋はすべて壊されてしまいました。有名だった古い石橋は跡形もなくなり、今は吊り橋が仮設されているだけです(ユネスコが中心となって再建計画が進められていますが、まだ建設は始まっていません)。確かに他の橋は再建され、市内の難民がもと住んでいた地域に戻るなどの動きはありますが、依然としてクロアチア人(西)、ボスニア人(東)の対立が根強く、西モスタルと東モスタルは事実上二つの別の町として機能しています。デイトン和平協定がめざす共存再現への歩みはなかなか進んでいません。いやむしろ、ボスニア和平プロセスの遅れが言われるとき、まず引き合いに出されるのがこの町です。モスタルという町の名自体が橋(モスト)に由来しており、民族共存の象徴だった橋の町は、橋を失って民族分断の象徴になったままなのです。

   大塚:「94年に二勢力間の停戦があり、翌95年にはボスニア全土での包括和平が成立しましたね。停戦後のモスタルの水道の状況はどうだったのですか。」
   ジェリコ:「戦争ではネレトヴァ川の上流にある配水池が完全に破壊されました。私が勤めている水道局の建物自体も、前線に近かったこともあってほとんど使えない状態になってしまいましたし、他にも壊された水道施設がたくさんありました。
   戦争前のモスタルは西部だけに水源があって、東部には橋の下に付ける水道橋を使って水が供給されていました。停戦になっても東西モスタル間の関係は断絶状態でしたし、水に困っているのはお互いさまだったわけですが、まだ西の状況のほうが東よりはいいこともあって、停戦一週間後には東岸のボスニア人の水道関係者と協力協定が結ばれました。東西の協力関係はその後徐々に進みましたが、その中で一番最初に打ち樹てられたのが上水道だったのです。水は人間の生活に一番大事なものですからね。
   ただその後の政治的状況がかんばしくないこともあって、現在東西モスタルには二つの水道局が設けられ、それぞれ復興を進めています。先進諸国からの援助も別々に受けているのが実状です。東は東で取水源を作っていますし、水道の運営に関わる料金の問題もあって西の水は東には行っていません。東西間の経済格差がまだ大きくて、共通の料金体系が作れないのです。でも水道橋は再建されましたし、東の状況もだんだん良くなっていますから、この水道橋を通って西岸の水が東岸に流れるようになる日も遠くはないと思います。私たち技術者はいつでも協力活動が始められるように準備をしています。」

   大塚:「途切れた民族間の絆を、水が再びつなぐということですね。」
g. Zeljko Rozic
ジェリコ・ロジッチさん

   ジェリコ:「そうです。私たち西部水道局の水を使っているのはクロアチア人だけではありませんが、別にボスニア人やセルビア人の家庭だけ料金が高かったり、不払いの罰則が厳しい、というわけじゃないですよ(笑)。東部水道局の作っている新しい取水源もやはりネレトヴァ水系ですが、そのネレトヴァ川の源流はモスタルからはるか東のグラーヴァ=ティチェヴォという所で、これはセルビア人共和国の中です。水は民族を選ばないんですよ。」

   大塚:「西モスタルの現在の水道事情はどうですか。」
   ジェリコ:「現在西岸ではほとんどの家庭が問題なく水の供給を受けています。しかし無収水率(料金にはね返ってこない水の率)は65-70%、このうち漏水が40-50%と推計しています。つまり流している水の半分が無駄になっているのです。日本の都市部は10%以下ですからね、ひどい数字なのがお分かりでしょう。原因は3つ考えられます。@水道管が古く、Aその質が悪いことと、B戦争で維持管理がほとんど出来なかったことです。
   例えば上流の配水池から引いている、道路で言うと幹線に当たる口径80センチの水道管(配水本管)が延長にして6キロくらいあるのですが、これは石綿セメント製(大塚注:構造的にもろく、先進国では20年ほど前から鋳鉄製に替えられており、日本でも現在ほとんど使われていない)で、家庭での水の出をよくするために水圧を上げようとすると漏れてしまうのです。
   漏水ではなくて料金にならない20%ほどの中には盗水もあります。戦争中はみんな生きるのが精一杯で、水道メーターを通さずに水を引く家庭など注意していられませんでしたから。ただ電気と違ってそういうケースは摘発して水を止める、というのが難しいのです。法的にも罰則がまだ整備されていません。今後は市役所や警察と協力して無収水率を下げていかなければなりません。
   EUから500万ドイツマルク(約4億円)の援助を受けて配水池とポンプが整備され、山岳地域への供給も可能になりました。でもそんなわけで、水は豊かなのに水道は非効率、という状態が続いています。」

暑かった!
漏水探知機演習(北九州市本城浄水場)
   大塚:「日本での研修はそうした状況の改善に役立ちそうでしょうか。」
   ジェリコ:「おととしの第1回研修には、ブラニミルという私の同僚が参加しました。彼は帰国後局内でセミナーを開き、日本で学んだことを説明しました。特に漏水調査を町の地区ごとに徹底して行う、ということに力点がおかれ、その通りに西モスタルを20の地区に分け、順序立てて漏水調査をやりました。その結果5-10%は漏水率が低減しました。
   私は情報管理の主任なので、日本のコンピューターを使った図面管理や水道情報管理に一番興味を持って研修を受けています。これは水道サービスの向上や効果的な運営に欠かせない分野です。コンピューター化の準備はほぼ出来上がっているので、後はデータのインプットの仕方とか、どういうソフトウェアを使うか、といった方法論を考えて行きたいと思っています。
   日本では水道事業に不可欠なバルブ、水道メーター、ジョイントなどの工場も見学しました。日本は地震国だから、揺れに強いジョイントや水道管の開発がどんどん進んでいます。モスタルも中規模の地震はいつあってもおかしくない所ですから、耐震ジョイントの仕組みを知ったり、実際に布設するところを見たのはいい勉強になりましたね。」

   大塚:「今回のように三民族が一緒になって、第三国で研修を受けることについてはどう思いますか。」
   ジェリコ:「戦争が始まってからというもの、クロアチア人がセルビア人やボスニア人と会って話すこと自体がなかなかないでしょう。だから同じ水道技術者が集まって同じ研修を受けるのは意味のあることだと思います。今後ボスニアが一つの国として機能していくのか、三つに分かれたままなのかを決めるのは私たち技術者ではなく政治家の仕事です。でも私たちにとっては他の地域の技師と情報を交換したり、協力関係を築いたりすることが仕事であり喜びです。出発する時は予想もしていませんでしたが、セルビア人の二人とも友だちになれました。
   サッカーの話ですが、戦争前モスタルでもセルビア人はレッドスター・ベオグラードを、クロアチア人はディナモ・ザグレブかハイドゥック・スプリットを応援する人が多かったものです。でも私はヴェレージュ・モスタルを応援していました。弱いけれどモスタルのチームですからね。自分は確かにクロアチア人ではあるけれど、自分を民族主義者だと思ったことはありません。」

日本で驚いたこと

八幡駅にて

   「電車が本当に分単位で動くことだけじゃなくて、いろいろな意味での正確さには感心します。水道の工事現場でも、規律がとてもしっかりしていると思います。一人一人の作業員が自分の仕事をよく知っていて、チームプレーで工事を進めますよね。なかなかモスタルではこうは行きません。こういう所から見習わないといけませんね。
   また研修とは別に、どこへ行ってもみんな親切で、言葉が通じなくても誠意が伝わってくる、という感じを受けました。私もあまり英語が出来ないのですが、困ったことはほとんどありませんでした。
   ただ物価の高いのにはびっくりしました。日本はハイテク製品の生産国として有名ですから、ビデオカメラやコンピューターがもう少し安いと思っていたんですけどね、買うのはあきらめました。
   名古屋の浄水場の境界が住宅地に隣接しているので話題になったことがありました(向こうでは付近立ち入り禁止が普通です)。浄水場が余分な土地を持てない、というその時の説明で分かったのは、名古屋の中心に近い地域とボスニアの平均地価では50倍くらいの差があるということでした。」

   モスタル近辺での戦闘では、ボスニア人勢力に比べクロアチア人勢力の方が軍事的に優勢でした。現在も損壊の程度が激しいのは東の旧市街の方ですし、古い石橋を破壊したのは(ボスニア人側の自作自演だ、とする説もありますが)クロアチア人勢力だというのが公式見解です。またモスタルにはネオウスタシャ(第5回配信参照)まがいのかなりキレたクロアチア人が少なくないことも知っています。クロアチアが快進撃を続けた先日のサッカーW杯の時は、流れてきた祝砲(?)で東岸のボスニア人が死んだケースがありました。そんなわけで旧ユーゴウォッチャーの間では、この地域に関しては「クロアチア人が悪い、ボスニア人は可哀相」という見方がどちらかと言うと一般的です。

* 参考リンク


  • オリヴェル・トルロ氏(スウェーデン)
    停戦前の93年、既に荒廃したモスタルの写真を中心に構成。
  • ジョン・コズリッチ氏(カナダ)(英語)
    戦争前・中・後のモスタルが古い石橋を中心に語られる充実したサイト。写真多数。ただし最初に流れてくるのはスロヴェニア国歌。
  • フェジャ・ハドロヴィッチ氏(イギリス)(英語)
    戦争でモスタルを脱出し現在イギリスに在住する氏の旧市街への愛着が感じられるサイト。
  • 国際協力事業団

  •    しかしそれは「クロアチア人は全て悪く、誰もボスニア人は悪くない」ということには間違ってもなり得ません。その意味でジェリコさんのような前向きのモスタルっ子に会えたのは私としても嬉しかったですし、彼の目指すような水道事情の改善と東西の協力開始が一日も早く実現することを祈って止みません。壊された橋が再び作られ、好むと好まざるとに関わらず「橋の町」の人々はまた一緒に生きていかなければならないのですから。この次にモスタルに行く時(この原稿がネット上に出る頃にはまた私もベオグラードに戻っています)には、仕事ではなく、友人として会いたいと思っています。日本で彼が美声を披露したカラオケというものはありませんが、美味しいヘルツェゴヴィナの赤ワインを飲みながらヨモヤマ話が出来たらと。(98年8月中旬)


    DUE TO THE KINDNESS OF MR. JOHN KOZLICH; ALL RIGHTS FOR THE PHOTO IN VIOLET HEADING (OLD BRIDGE) RESERVED BY MR. KOZLICH. UNAUTHORIZED MISUSE IS PROHIBITED.
    藤色の囲みの中の古い石橋の写真の権利はジョン・コズリッチ氏に属します。無断転載をかたくお断りします。掲載を許可いただいたコズリッチ氏に謝意を表します。
    このページの掲載に当たっては、次の諸団体の研修関係者及びジェリコ・ロジッチ氏本人の許諾を得ました。諸氏に謝意を表します:   国際協力事業団   (財)日本国際協力センター   (社)日本水道協会   北九州市水道局

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