Drive My Car Challenge 100,000km

 1994年8月に、80,800kmで入手したマイカー。車検が切れる1998年4月18日までに、トリップメーターを100,000kmまで持っていけるかチャレンジのコーナー!のバックナンバー!ところどころ後日談も追加されてこいつはお得!
last update: 1999/07/17


NOW 0 0 0 5 2 . 8 km

マイカー・スバルレックスの写真(15KB)
1998/01/24撮影

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94/08/xx〜97/08/1280800.0km+14461.2km=95261.2km
 大学3年の夏、N先輩からスバルのレックス(1985年型・赤)を格安で譲り受ける。今でこそそれなりに乗りこなしているが、マニュアルなもので乗り始めた当初はかなりしんどく、実は乗るのがいやだったりもした。なんとか扱えるようになったのは数カ月後のことだ。以来那須高原を何度か往復したのを始め、九十九里浜やら水上温泉やら大洗海岸やら蓼科高原やらといった遠出をした。もちろん近所をうろうろするのにも便利なやつである。
 就職すると、学生時代のようには車に乗らなくなる。社会人1年目の96年は特に、土日以外はほとんど運転しなかった。トリップメーターが90,000kmを超えたのが95年、大学4年の夏である。レックスに乗り始めて1年で10,000km運転したことになるのに、それから2年たってもまだ5,000kmしか走っていない。この調子では、98年4月までに残り5,000kmなどとても走りきれないことになるが…どこまで稼げるか、自分でも興味深いところではある。

97/08/13 Wed:95261.2km+8.0km=95269.2km

 NTTの営業所で、ISDNの工事を申し込む。その足で量販店へ向かい、カーステレオ用のカセットアダプタを購入。2,980円。レックスのカーステレオにはCDプレーヤがついていなかったので、これにディスクマンを接続するのだ。ふふふ。あと半年強でこの車を手放すかもしれないのに、とか思うけれど、その間だけでも車でCDを楽しめるならよい。

97/08/19 Tue:95269.2km+71.3km=95340.5km

 ふと思い立って、仕事で全然連絡がつかない人の家に行ってみることにする。綱島街道を南下して大倉山まで。案の定、お盆前に送った宅配便の不在票がドアに挟んであった。困ったぞ。
 そうそう、カセットアダプタは問題なく動作してくれたけれど、助手席に置いたディスクマンの音飛びが激しい。試行錯誤のあげく、膝の上に乗せたら嘘のように音が飛ばなくなった。次の課題は、CD2枚ぶんしかもたない充電池だ。シガーソケットから給電する方法もあるが軽の悲しさ、電気を使いすぎると馬力が落ちるのだった。

97/08/23 Sat:95340.5km+1.5km=95342.0km

 深夜、近所に住むレックスの前オーナーN先輩宅へ、明日留学へ旅立つ友人Aさんへの餞別を受け取りに行く。ブツは、先輩がアメリカ出張のときに飛行機が遅れて帰れな〜いという状況で買った、国際電話もかけられるLAXのテレホンカードだ。
 テレカといっても日本のそれとは違い、電話機には差し込まない。カードの裏にフリーダイヤルの番号がいくつも書いてあり、それぞれ各種の言語(英仏独語にスペイン語、イタリアハングル廣東話、そして我らのジャパニーズ)で案内音声が応答する。ここでカード固有の番号(PINという)に続いて相手先の電話番号をかければ、めでたく電話がつながるというわけ。先輩から受け取ったのは$20のカードで、これで日本とは5分話せるということだった。面白いのはこのカードがrechargeable、つまり残金がなくなってもまた度数を追加できるということだ。詳しい仕組みは聞きそびれたが、カードに「追加料金を入れたいときは#を押して、案内に従ってください」というようなことが書いてあった。
 とまあ、そんなカードを明日渡すわけである。自分もなにか渡すつもりだがまだ決まらない。日本語の本でも渡すことにしようか。となれば趣味に走ってツツイの『虚航船団』かコマツの『果しなき流れの果に』か。でも留学に行くのに日本語はアレだろうか。イヤイヤ英語漬けになる時期こそ日本語のよさを…(それにしちゃ〜の選択肢ですね)。全然車の話をしてないな。いかんいかん。
 先輩宅の帰りにコンビニに寄る。
 明日は16:10のフライトだというが、いったい何時に家を出ればいいのだかわからない。

97/08/24 Sun:95342.0km+217.0km=95559.0km

 というわけで成田へ。実はナビなしで首都高をゆくのは初めてだ。イナカモノである。予習のかいあって、迷わずに9号から東関道へ抜けることができた。しかし首都高の案内板はわかりづらい。前方の分岐で目的の方向へ行くについて、車線を変える必要があるのかどうかがわからない。なんとかしてほしいところだ。
 東関道へ出てしまえば「Narita」の看板を目指せばよく楽なもの。東関道にはゆるやかな下り坂がときどきあり、気がつくとスピードメーターがふりきれていたりした。といっても軽だから、速度はせいぜい130km/hなのだけど。
 友人Aさんへは無事、成田でテレホンカードとツツイの『虚航船団』を渡すことができた。彼女が帰国するのは来年6月という。「すごく変わって帰ってくるから」とは本人の弁だが、洋行帰りで本当に変わってしまった人を見たことがない。ともあれ楽しんできて下さい。
 ハムフェアで掘り出し物を探しているN先輩(with T先輩)に連絡をとり、秋葉原で落ち合い神保町で食事。この2人、実はそろってアルシオーネのオーナーである。今日はT型アルシオーネ(スカイブルー)が出動していた。ちなみにN型アルシオーネは濃いグレー。
 2人と別れたところで友人Pに電話(T先輩、食い逃げごめんなさい)。家で埃をかぶっている98用の3.5インチFDDを渡すことになっていたのだった。新宿の南口で落ち合い、彼の家まで送りがてらブツを渡す。
 今日は200km以上も走らせてしまった。この調子で毎週成田まで行けば、100,000kmなどあっという間だ。逆にいえば、このペースでいかないと100,000kmに届かないということでもある。こりゃまた大変な計画を立てたものだ。
給油302.3km÷21.0l=14.4km/l

97/08/29 Fri:95559.0km+3.2km=95562.2km

 近所のスーパーへ。ここは朝の7時から夜の11時までやっていて、ちょっとコンビニ級だ。蛍光灯とグローランプを買う。せっかく車に乗ったのだからと、少し遠回りして帰る。

97/08/30 Sat:95562.2km+3.5km=95565.7km

 深夜、駅へ兄を迎えに行く。この兄は今朝2年ぶりくらいに電話してきて泊めてくれとのたまう兄なのだった。

97/09/06 Sat:95565.7km+23.3km=95589.0km

 あちこち回って雑用をあれこれ。車で移動しながらあちらこちらの店で少しづつ物を買っていると、家に戻ってきたときにはもう荷物が大変な量になっている。家に運び込むのも一苦労である。
 それから、今日のように車の乗り降りが頻繁な日は、車内でCDを聞くには不向きなのだった。カセットならば車のエンジンと連動するから、車を停めている間は音が出ないし、当然テープも進まない。ところが、CDプレーヤは外付けだからエンジンとの同期がとれない。車を停めている間CDを一時停止にすれば電池が消耗する。ならばと停車中はプレーヤを止めてしまうと、次にエンジンをかけたときにちょうど続きを聞くことができない。かといってエンジンを止めている間もプレーヤを動かしていたら、次に発車するときにはもう何曲も先にいってしまっているか、もう再生が終わっているか、あるいは電池が切れていて続きを聞くどころではなくなっているかもしれない。
 ちょこちょこ移動するのにCDは向かないとなると、遠出するときならCDを聞くのにいいような気がしてくる。ところが遠出するとなると、今度はCD2枚ぶんしかもたない電池では駆動時間に不安があるという現状が顔を出すのだった。このままではあちらを立てればこちらが立たず、略して「あち立てこち立た」である(いま考えた)。どこかでこの不便連鎖を断ち切らねばなるまい。

97/09/07 Sun:95589.0km+38.4km=95627.4km

 披露宴の司会をするにあたっての打ち合わせでファミレスへ。
 そう、司会なんである。10月10日である。実はまだ不安。なぜ自分に。新郎新婦はともに大学時代よく遊んだ仲間で、佳いことであるし結婚式に出るのは初めてゆえ楽しみでもあるのだがしかし。結婚式に出たことがない人間が披露宴の司会を。いやまあ本番には何とかなるとは思いますが。今回は孤独な司会ではなくて相方もいるし。
 打ち合わせのあと、新郎新婦も車に乗って相方のAさんを世田谷区の自宅まで送る。世田谷区というところは本当にどこでも道が狭くて複雑で、この土地に不案内な人間を惑わせる。住んでしまえば、それが世田谷の魅力になるのだろうけれど。

97/09/10 Wed:95627.4km+31.1km=95658.5km

 仕事がひと段落ついたので、今日は会社を休んであちこち動き回る。お昼頃大学へ。卒業以来、平日の活気ある様子にふれるのは本当に久しぶりで懐かしい。同時に今の自分が、いかにこの場になじまないかも痛感させられる。大学にはもう、戻れる場所はないのだった。
給油298.9km÷23.1l=12.9km/l

97/09/12 Fri:95658.5km+4.2km=95662.7km

 知人に借りたビデオを返すため、駅前のゲーセンへ。
 このところ、傘を持つと降らず、傘を持っていないと降られることが多い。今日も、車を置いてゲーセンへ行くときには傘を持っていったのだが、結局傘を開くほどの雨足にはならなかった。
 帰り道、ちょっとコンビニに寄る。読みたい雑誌があったのと、少し買い物をしようと思ったからなのだが、ほんの数分後に店を出ると外はすっかり本降りなのだった。少しの用事と思ったので傘は持ってきていない。車はすぐそことはいえ、かなりの降りよう。またマーフィーの法則が証明されてしまった。

97/09/13 Sat:95658.5km+134.7km=95793.2km

 大学のコミュニティのOBOGで、那須にある大学の宿泊所へ行くという毎年恒例の企画がある。今年は、13日に出て15日に帰るという日程である。
 ところがところが、13日の昼間と15日に用事が入ってしまい、13日の夜に那須へ向かい14日の夜には東京へ戻ってこなければならなくなった。久しぶりに会う人々と過ごす時間が短くなってしまうのは残念だが、那須を往復すれば400kmは堅い。これで一気に96,000km台に乗せることができる…はずだった。
 13日の夜。雨の中、東北道をひたすら北へ走る。大急ぎで行く必要もないので速度を100km/h巡航と決め、CDなぞかけながら順調な道のりだった。
 100km巡航と決めていても、微妙な坂道や周囲の車との具合でスピードを一定に保つのは難しい。ちょくちょくスピードメーターを見ながら調整していたのだが…ふと見るとメーターが0km/hを指している! てことは車が止まっている? もちろんそんなはずはなく、車は相変わらず100km前後で走行中である。
 つまりタイヤとスピードメーターを結ぶワイヤーのどこかがダメになって、メーターが反応しなくなったようなのだった。それにしても、実際に走っている車という現実よりも、メーターの指す数字を優先してしまったこの感覚はなかなか奇妙な体験だった。…と面白がっていたのもつかの間、動かなくなっているのはメーターだけではないとわかった。
 スピードメーターが0km/hを指したままになっても、タコメーター(こちらは機能している)と体感速度から100km/hと思われるスピードで走ることはできる。走行そのものに支障が出たわけではないので、気を取り直してさらに進む。看板が見えた。目的地の白河インターチェンジまであと30kmだ。トリップメーターは95793.2kmを指している。ということは30を足して、95820kmくらいまではとりあえずそのまま走っていればよいことになる。速度が100km/h程度だから、20分といったところだろうか。そんなことを考えながらしばらく進み、何気なくトリップメーターを見るとまた95793.2kmを指している!!
 どうやらスピードメーターとトリップメーターには同じワイヤーが使われているらしく、つまりスピードメーターが0km/hを指すようになった時点でトリップメーターも進まなくなっていたのだ。
 ここに往復400kmの野望は崩れ去った。
 那須に着いたのは、深夜も近い11時半だった。

97/09/14 Sun:95793.2km+0.0km=95793.2km

 せっかく東京から那須まで来たのに、トリップメーター上の距離はわずか120km。しかもひと足早く東京へ戻らなければならない。さらに、この帰り道は100,000kmの計画にまったく寄与しないのだった。嗚呼。
 というわけで、あれこれと残念のネタを抱えつつ、やはり今日中に東京へ戻らなければならないKさんを助手席に乗せて帰途についた。
 東北道は、鹿沼より南が3車線になっており、ここから東京まではまず渋滞にならない。問題は鹿沼以北だ。明日も休みとはいえ日曜日の夕方、2車線ではいかにも狭すぎる。10kmほどの渋滞につかまってしまった。
 2車線の渋滞では、左右の車線のどちらも、進み具合は平均すれば同じだろうと思っていた。サービスエリア(SA)やパーキングエリア(PA)の手前では、左へ抜ける車がいるため左車線がよく流れるが、逆にこれを過ぎた直後は左から入ってくる車のために左車線が混雑する。手前と過ぎた直後の混み具合を合わせれば、おそらくプラスマイナス0になるだろう。つまり、最終的には左右の車線のどちらが有利といったことはないはずだ。
 もちろん、左右の車線が同時に詰まったり流れたりするわけではない。うまく車線を移動すれば、いま前にいる車よりは何台か先につけることができるだろう。例えば、SAやPAの手前では左車線につける。この地点では左車線からSA、PAへ入る車があるため左車線が流れやすく、右車線よりは先行できるはずだ。少し進み、SAやPAから出てくる道との合流地点が近くなったら右車線へ移る。今度はSA、PAから出てくる車のために左車線が詰まるので、右車線のほうが先に進みやすいというわけだ。といっても、こうやって地道に前へ出ていっても数分程度しか稼げないような気もするのだが。
 というわけで、上のような方法で少しでも前へ出ることを考えなければ、左右どちらの車線にいても同じ…はずなのだが、右車線から見ているとどうも左車線がよく流れているようだ。いや、明らかに左が先行している。なぜかと考えてみるに、2車線が3車線になる場所のことに思い当たった。
 鹿沼で3車線になる際、そこまでの2車線に加えて左に1つ車線が増える。そうなれば、空いている最も左の車線に車が流れ込むだろう。このとき、左へ移動しやすいのは? もちろん左車線の車だ。つまり2車線が3車線になるというよりも、右車線はそのままで左車線が2車線になる、といった具合になっているから、2車線のここでも左車線のほうがよく流れているのではないか、という結論に達したのだ。さっそく左車線へ移動したところ、確かに右車線よりよく進む。渋滞を抜けるまではこのあともかなりかかったが、ひとつ発見があったのでわずかながら気楽になったのだった。
 Kさんを荻窪で降ろし、帰宅は11時近かった。那須から東京まで走ってきたのにトリップメーターはまったく進んでいない。しかも週末になるまで、スバルの工場に車を持っていく時間はなさそうだ。
給油?km÷17.8l=?km/l

97/09/20 Sat:95793.2km+0.0km=95793.2km

 スバルの工場へレックスを持っていく。メーターのワイヤーが切れたとのことで、部品が届くまで4〜5日かかるという。気になるお値段は、技術料込みで\5,500ほど。部品が届いても平日は仕事があるから工場へ持っていくことはできない、てーことは…来週末まではいくら車に乗ってもトリップメーターは進まないっちゅーことなのだった。

97/09/27 Sat:95793.2km+3.5km=95796.7km

 改めて、スバルの工場へレックスを持っていく。修理は30分ほどで終わり、工賃はしめて\5,281。
 さて、100,000kmチャレンジは仕切り直しである。とりあえず…那須でも行きますか?(行きません)

97/10/09 Thu:95796.7km+36.0km=95832.7km

 なんのかんので車に乗らないまま2週間がたってしまった。ワイヤー切れの後遺症的落ち込みが予想外に大きかったということかもしれない。ほかにもいろいろとあるんですけどね。えへへ。えへへじゃないか。
 今日は所用ありて実家へ。いろいろのため少々急いで往復しなければならなかった。家を出たのが夜10時すぎで、道は比較的すいてはいたのだがこういう時に限ってのろのろと走る車が多い…ような気がしてしまう。しかしイライラしてはいけません。細野の"N.D.E."をかけながらういうい進む。それにしても前の車、この道で40km/hはないでしょう、とよく見ればドライバー&助手席のツーショット車。これじゃあ仕方ないでヤンスね。にくいよ梅さん。
 というわけで明日はいよいよ披露宴の司会なのだった。どうなることやらお楽しみ。

97/10/10 Fri:95832.7km+11.0km=95843.7km

 披露宴の司会、おかげさまで何とか終わりました。身近な結婚式は初めてで、久しぶりに会う人も多く、いろいろ考えることもあり。
 太郎さん、実和子さん、ご結婚おめでとうございます。

97/10/18 Sat:95843.7km+121.8km=95965.5km

 秋葉原へ。目的は(1)ビデオカメラ(2)Duke Nukem 3Dだったのだが…。
 (1)この「ビデオカメラ」、会社の先輩の話では・\2,980である・子供用である・電池で動く(単3が6本で24時間)・白黒である・ズームやピント合わせなどはない、ということだった。白黒とはいえビデオカメラがこの値段というのは興味深い。値段相応の画像しか撮れなくても、それはそれで遊び方があるだろう。何よりビデオカメラを持たない身には、自分で好きなものを撮影できることが大きな魅力に思えた。「市販のビデオテープは使わないようだ、しかし箱には録画時間が書かれていなかったように思う」という言葉が気にはなったが、とりあえず実物をと総武線のガード下にある雑貨屋へ向かったのだった。
 現物はすぐに見つかった。わりあい大きめの箱が塔をなしており、売り子のおばちゃんの後ろには、そのビデオカメラからの画像がテレビに映し出されている。画質はほとんど防犯カメラで、これはまあしかたがないだろう。値段は話の通り\2,980だ。箱を手に取り、能書きを読んでみて「録画時間不明」の秘密がわかった。このビデオカメラにはテープの駆動部分がないのだ。
 つまり、このビデオカメラには映像出力端子がついている。ここからビデオデッキなどに接続し、録画はそのビデオデッキの側で、ということなのだ。これでは本当に単なる「ビデオカメラ」で、これを使って屋外で撮影するには、映像入力端子のある別のビデオカメラを持っていくなどしなければならない。さすがにこれを買う気にはならず、次の目標に向かったのだった。
 (2)「Duke Nukem 3D」はパソコン用のアクションゲームで、DOS/V版に遅れること約1年、ようやくMacintosh版がリリースされた。日本語版は今のところなく、輸入版を探すことになる。アメリカでは実売価格が$39.95くらい、秋葉原では\5,000程度で売られていると聞いていたが、やっと見つけた店では\7,200で、いくら何でもというので今回は見送ることにした。
 さて、せっかく秋葉まで来たのにまだ何も買っていない。こういうのは危険な気分で、なにかを買わなくてはいけないような気になってしまう。あげく、なんだかどうでもいいものを買ってしまったりする。さっさと秋葉を離れればいいのだが、この買い物気分が落ち着く程度の買い物はやっぱりして行きたい。と、中古ソフト屋で「GADGET」完全版が\2,000で売られているのを見つけた。機会があれば遊んでみたいゲームだったので、これを買ってようやく気が収まったのだった。
 さて次は、10/10に例の結婚式を迎えた2人の新居のお披露目へ。
 新築の新居での新生活は新品に満ちている。竹中直人の映画『東京日和』を観たときも感じたのだが、ソファのある生活って実はすごくぜいたくなんではないだろうか。食卓があり居間があり、居間にはソファがある。生活に最低限必要なところを越えた位置にソファはある。うらやましい限りだ。
 10人ばかり集まった今日は、披露宴〜2次会のビデオを観、当日上映できなかった力作スライドを観、ボウリングをし…といった具合。スライドはスキャナで取り込んで、ぜひWWWに上げてもらいたいと思う。当日観られなかった人や来られなかった人もこれで安心。
 とかなんとかやっているうちに0時を回り、電車のなくなったアキヒロ氏を自宅へ送りがてら帰宅。
給油200.7km÷15.6l=12.9km/l

97/10/19 Sun:95965.5km+76.8km=96042.3km

 今日はまた結婚式だ。「また」というのは失礼だけど。
 今日は大学の同期が結婚する。このあたりの面々では一番乗りである。
 アークヒルズでの豪華な披露宴に続いて、代官山で二次会。代官山というところには今まで縁がなかったが、こんな狭苦しい界隈に代官山ブランドを背負ったたくさんの店があるのが面白い。でも車で来る場所ではないよね。
 新郎新婦を見送ったあとは、同期の「このあたりの面々」で渋谷へ出、小さな三次会。それぞれ年齢相応に変化しつつ、基本的な部分はちっとも変わらない人々といると安心する。
 帰り道の途中に住んでいるKさんを送り、帰宅。

97/10/26 Sun:96042.3km+4.8km=96047.1km

 がぜをびいでじばった。のどがいだい。
 のどが痛いからあまりしゃべりたくないのだけど、声を出してみるとこれが低音の魅力。大塚周夫か津嘉山正種か。
 というわけで買い物に出た。スーパーで龍角散ののど飴をひと袋、本屋で赤瀬川原平の『名画読本・日本画編』(光文社)など。本屋にはもう来年の手帳がたくさん並んでいた。

97/11/01 Sat:96047.1km+115.7km=96162.8km

 いよいよ11月になってしまった。このペースでは100,000kmは厳しい様子だが、まだ4か月残っている。あれ、あと4か月しかないのか。
 さて、以前友人の真辺(まべ)氏に古いパソコンを貸したのだが、本人はなんだか新しいPCを組んでしまったらしい。ほかに有効に使ってくれそうな当てもできたので、彼のところからパソコンを回収することにした。
 そして今日は第一土曜日なので、秋葉原で定例の飲み会(通称「どいち会」)があるのだった。秋葉原で、というのがミソで、やっぱりそちら系の飲みなわけである。
 まず、パソコンを貸しているまべ氏宅へ。パソコンを受け取ったついでに、彼も一緒に秋葉原へ。
 秋葉原ではすでに6人ほどができあがっていた。そのまま閉店まで居座る。帰りはまべ氏に加え、時田氏とH氏を送ることになった。
 それにしても深夜の幹線道路は工事が多い。こんな時間のひどい渋滞は、工事のために車線規制されているのが原因だったりする。快適な交通のために工事は必要だとは思うが、目の前の不快はとりあえず不快だ。といっても今日のように、人を送る道すがらであれば長い時間話をできて、それはそれで悪くないともいえるのだけれど。
 3人をそれぞれ降ろしたところで連絡のついたレックス元オーナー、N先輩とディスカウントストアで落ち合う。
 深夜のディスカウントストアという場所は、なかなかまったりした空気が流れていて面白い。N先輩はいつものように、なんだかいろいろ買い込んでいた。
 自分のカメラの調子が悪くなっていたので、N先輩からコンパクトカメラを借りる。帰宅は午前3時ごろでばたんきゅー。
給油209.1km÷15.0l=13.9km/l



時田氏のページは98年4月ごろ移動になっています。それから、ここで時田氏、真辺氏とともに送って行った「H」氏とは、真辺氏のページにときどき出てくるKIMITU氏なのだった。KIMITU氏もパソコン持ってるのだから、ゲームばかりやってないで通信すればいいのに。(記:98/05/16)
まべ氏のページは99年7月に移動になりました。KIMITU氏はまだ通信を始めていません。このままじゃ21世紀が先に来ちゃうよ〜。(記:99/07/17)

97/11/02 Sun:96162.8km+99.1km=96261.9km

 今日は母校の大学祭だ。
 卒業して2年目なら、現役の中にまだ少しは知った顔もあるし、久しぶりに見る同期の面々もある。しかし大学祭そのものは十年一日で、人間が入れ替わってもすることは変わらず、新鮮な楽しみはほとんどないのだった。
 さらに今夜は、Kさん宅に集まって鍋だ。そういえばこの文章、「Kさん」という名前がよく出てくるな。実はそれぞれ別のKさんなのだけど。
 Kさん宅へは東京を反対側まで抜けることになるため、首都高を使ってみる。箱崎ジャンクションのあたりは構造上いつも渋滞しているようだ。この周辺に見える看板は、やはり値段も張るのだろうかなどと考える。途中少し道を間違えたりしつつ、1時間40分ほどで到着した。
 Kさん宅では6人で鍋を囲んでだらだらと過ごし、翌朝の6時すぎに辞する。帰りは下の道を通ったがさすが早朝、1時間10分ほどでもう家に着いた。

97/11/03 Mon:96261.9km+6.7km=96268.6km

 今日も大学祭に顔を出してみる。
 学生時代は人形劇研究会に所属していた。この人形劇研究会、普段は大人向けの公演を打っているが、大学祭では子供向けの公演が恒例になっている。公演の様子はと訪ねてみると、当然というか子供が大量に発生している。
 もともと子供という人種に対して、好き/嫌いといった感情は特に持っていなかったのだが、不思議なことに今日は子供たちがやけに愛らしく見えた。昨年まで、同じように大学祭で無数の子供を前にしたときにはまず得ることのなかった感情である。可愛らしい子供たちの群れを眺めつつ、この気分の原因を考えずにいられなかった。
 このところ、周囲で結婚式が続いている影響だろうか。自分と同じ年ごろの友人たちが新しい家庭を作り始めたので、遺伝子が「君もそろそろじゃないかね」とせかしているのかもしれない。といっても、遺伝子にせっつかれたところで子供どころかそれ以前の当てすらあるでなし、かなり困ってしまうのだけれど。

97/11/08 Sat:96268.6km+79.3km=96347.9km

 夜から、大学のコミュニティのOBOGでお好み焼き屋に集まる。参加者は20人以上で、なかなかの盛況であった。そのまま日が変わる頃までカラオケの果てに、電車のなくなったS氏を送る。

97/11/09 Sun:96347.9km+18.3km=96366.2km

 ほら今日も結婚式だ。遺伝子が。さらに、今日もカラオケだ。さすがに明日は月曜日、終電までということもなく帰宅した。

97/11/15 Sat:96366.2km+9.7km=96375.9km

 いろいろの経緯によって、我が家でテーブルトークをすることになった。駅前に集合した他のメンバーを送り迎えする。
 テーブルトークは別名ロールプレイングゲームといい、そのへんにあるコンピュータRPGの始祖となった遊びである。「ゲームマスター」が用意するシナリオにプレイヤーたちが参加する形で行われる。マスターの仕事はいってみればコンピュータRPGのコンピュータの部分で(と書くと、テーブルトークのファンは渋い顔をしそうだが)、プレイヤーのこまごまとした要請に応えなければならない。もちろんコンピュータRPGと違って、プレイヤーの行動はその想像力ひとつで無限の選択肢をもっているため、マスターには世界の全てをうまくマネージメントできる能力と、プレイヤーの突拍子もない行動に対応できる機転が要求される。今回はマスターのL氏以外が全員テーブルトーク初体験ということで、なかなか苦労をかけたようだった。
 セッションの内容を文章に起こしたものは「リプレイ」と呼ばれ、これが小説の形で出版されることもある。今回のセッションをかいつまんでリプレイ風に記してみると…
 「ソードワールド」と呼ばれる世界、オラン国にクレモナという街がある。ここの宿屋で、3人の冒険者が遅い朝食をとっていた。戦士ランディは25歳の正義感あふれる若者、ハーフエルフ族のユーズルは盗賊や吟遊詩人などさまざまな能力を持つ23歳、そしてエルフの「あるさす」は108歳の精霊使いである。そこへ一人の少年が飛び込んできた。リックと名乗るその少年は、クレモナから少し離れたレナン村から来たという。レナン村の司祭でもあるリックの姉が森から戻らず、村長もとりあってくれない。少年が懐から出した金額は冒険者を雇うにはあまりに少なかったが、好奇心が強く美人に弱い3人はリックとともにレナン村に向かうことにした。
 村に着いた3人は村長を訪ねてみたものの、村長の話は今ひとつ要領を得なかった。森の奥からかつて魔物が出たことがあり、そのときは冒険者を雇って村から追い払った、森へは山菜を採りに入ることもあるが決して奥までは行かぬよう言ってある、リックには気の毒だが、リックの姉を探すために山狩りをしてまた行方不明者が出るようなことは村長としては避けねばならない…。はっきりしない部分もあったが、それなりに有効な情報も得られた。どうしてもついていきたいと言うリックを連れ、3人は森へ足を踏み入れた。
 4人が森の奥で見つけたのは、ダークエルフが守る砦だった。激戦の末、数人のダークエルフたちを撃退する。砦の地下室に幽閉されていたリックの姉を救い出した一行は、無事レナン村に戻った。
 リックの姉は、村長に薬草を採ってくるよう頼まれたという。再び村長を訪ねた冒険者たちは、村長から事の真相を聞くことができた。
 ある日一人のダークエルフが村長のもとに現れた。村の司祭が必要だという。村長は、ダークエルフから村を守るためにやむをえず、リックの姉を森の奥にやったのだった。少々後味の悪い結末だったが、リックの姉は無事戻った。彼女は村長を許すという。リックもまた、冒険者たちとの数日間で得るものがあったようだ。3人は次の冒険を求め、クレモナの街へと戻っていった。
 てなところである。話すと短いが、不慣れもあって結局このセッションは6時間以上かかってしまった。それでも、マスターとプレイヤーたちの連携で新しい世界を作り出し、その中で「役割を演ずる(ロールプレイング)」楽しみは十分に得ることができたのだった。それから、人を家に呼ぶことになると片づいていいですね。

97/11/16 Sun:96375.9km+5.1km=96381.0km

 11/1にまべ氏から受け取ったパソコンをF氏宅へ運ぶ。

97/11/17 Mon:96381.0km+4.2km=96385.2km

 灯油を買う。いよいよ寒くなってきた。
給油326.0km÷20.9l=15.6km/l

97/11/22 Sat:96385.2km+220.8km=96606.0km

 大学時代の計8人で、草津の近くの尻焼温泉へ。
 東京を昼前に出発、関越道を軽井沢へ向かう。途中寄り道もしつつ、中軽井沢から草津方面へ抜けて、宿に着いたのは日が暮れてからだった。
 尻焼温泉は川に面しており、川原は硫黄で茶色に染まっている。川原には岩で仕切られた露天風呂もあると聞いていたが、工事中で来月まで入れないという。残念。
 宿にも露天風呂はあり、こちらを攻めることにする。今日は曇りがちだったが、夜には空も見え、星の光を浴びながら温まった。

97/11/23 Sun:96606.0km+46.9km=96652.9km

 明け方近くまで飲み、朝食ののち昼までぐうたら寝る。
 ほかの宿泊客の車がすっかり出払ってしまってから、どこかへ行こうという話にはなり、草津から志賀高原へ抜ける道が途中で閉鎖されているとのことで、行けるところまで車2台でドライブすることになった。まず草津へ出たところで昼食、のはずが、草津の湯畑脇にある駐車場は満車で、湯畑を一周するがまだ満車。もう一周するがまだ満車。ぐるぐる回っていれば100,000kmには近づくが、これではあまりに詮がない。結局、湯畑から少し離れたそば屋で昼食となった。
 草津のあたりで小雨は小雪に変わったものの、スキー場にはまだ雪はない。しかし志賀高原に向けて走るうちに道脇の笹が白く染まってきた。そこから先が通行止めになっているロープウェイ乗り場は雪が舞い、寒風が吹きすさぶ。ここはもう、厳しい冬に向けて一直線なのだった。

97/11/24 Mon:96652.9km+253.5km=96906.4km

 今日帰京するとなれば、さすがにゆうべはそれほど遅くまでは呑まず、適当に切り上げたのだが、それでも朝はなかなか辛い。
 帰りは往路と同様、軽井沢から関越に向かうことにする。軽井沢では国道沿いのそば屋で昼食、隣のジャム屋でおみやげを買う。そば屋の駐車場には「ジャム屋をご利用の方は車も移動してください」みたいな看板があったのだが、そば屋からジャム屋へ向かう時には目に入りづらい場所にあり、ジャム屋からそば屋へ戻ってくると「あれ、この看板」と気づくしかけになっているのだった。そば屋で車の整理をしている警備員に、ジャム入りの袋をまじまじと見られる。
 さて、今日は3連休の最終日だから渋滞が渋滞で渋滞だ。上信越自動車道にいるうちは「練馬から渋滞3km」との表示。関越に入ると「練馬から渋滞6km」。一行の4台が落ち合う手はずの高坂SAが近づく頃には「練馬から渋滞7km」。高坂でインフォメーションボードを見ると「練馬から渋滞8km」てなもんで、所沢でするりと降りた。実家にジャムを届けて帰宅。
給油349.1km÷20.0l=17.5km/l

97/11/29 Sat:96906.4km+9.1km=96915.5km

 テーブルトークのセッション2回目。今回もリプレイ風に書いてみよう。
 ランディ、ユーズル、あるさすの3人の、クレモナでの暮らしも少々長くなってきた。といって、先立つものが寂しい状況ではほかの町に移る気もなえてしまう。先日のレナン村での仕事も、結局目立った報酬といえばダークエルフの砦で手に入れたブレスレットくらいだ。幸い宿屋の主人が、見も知らぬ少年の頼みを引き受けた先日の一件から一行を気に入ったようで、まとまった収入があるまでつけておいてくれるという。その上、懐具合が悪く身動きがとれない一行を見かねてか、ひとつ用事をもちかけてくれた。
 主人の古い友人が、ここから北へ2日ほどのランザスという町で武器屋を営んでいるという。彼に手紙を届けてもらいたいとのことだった。世話になっている身で役に立てるならと、3人は北へ向かった。
 途中すれ違った隊商から気になる話を聞いた。ランザスの町では疫病が出ているという。果たして町の門は固く閉ざされ、門番は3人に町に入らぬよう忠告してくれた。しかしここで引き返すのでは仕事を果たせない。せめて武器屋を訪ねてみようという話になった。
 町の目抜き通りは閑散としている。武器屋の扉をノックしてみると、現れた主人の顔には赤い点が無数に出ていた。これが今ランザスの町で流行している赤点(せきてん)病の症状だ。一行は預かった手紙を渡し、病気は体力があれば見かけほど悪いことにはならないが、老人や子供に命を落とした者もあること、神殿の図書館に治療法があるかもしれないことなどを主人から聞いた。
 神殿の図書館では、病気の治療法について書かれた文献を総出で探している最中だった。3人も文献探しを手伝うことになった。
 文献探しは深夜にまで及んだが、ついに関連の本が見つかった。それによると、今から100年以上前に同じ病気がはやったことがあり、この時はルーシェントというエルフが治療法を確立したという。これで治療に使う薬草の種類はわかったが、調合については書かれていなかった。
 翌朝、ランディは手の甲の赤い点に気づいた。どうやら病気にかかってしまったらしい。しかし、魔物も出る野原に薬草の捜索隊が出ると聞き、ランディは病をおして捜索隊に加わった。一方ユーズルとあるさすは、森へエルフのルーシェントを探しに出ることにした。あるさすはエルフ、ユーズルはハーフエルフである。同じエルフの血が流れていれば、森へ隠れたルーシェントともなにか通じるものがあるだろう。
 薬草を探しに出たランディたちは、果たしてホブゴブリンの襲撃を受けた。少々の傷と引き替えに、彼らは魔物を撃退した。
 あるさすとユーズルも、幸運にもルーシェントに会うことができた。過ちを繰り返す人間たちへの諦念がルーシェントの心を支配していたが、説得の結果、2人は病の治療法を受け取ることができた。
 いくつかの偶然と幸運が重なり、ランザスの町からはふたたび病が駆逐された。また同じ病気が出ても、次こそはすぐに対処できるだろう。3人は次の冒険を求め、クレモナの街へと戻っていった。

97/11/30 Sun:96915.5km+13.0km=96928.5km

 新聞のチラシを見ていると、ガス圧で高さを調節できる椅子が安いというので近所のパソコンショップへ向かった。店で、たまたま4年生のM氏に会う。大学は秋休みだが、卒論に忙殺されているという話だった。
 目当ての椅子を首尾よく手に入れた次は本屋で来年の手帳と、本を数冊購入。手帳は毎年悩んで買っている。(1)厚くなく(2)カレンダー形式の予定表が(3)日曜始まりのもの、という条件を満たす手帳はあまり多くない。といっても、覚えていられる程度の予定しか入らない暇人が手帳を駆使するチャンスもあまり多くなく、使っている手帳はしおりが数か月前のページにはさまれたまま、という状態も珍しくないのだった。とほほ。
 続いてディスカウントストアへ。ここは毎週のように自転車を安売りしている。いま乗っている自転車がへたってきており、そろそろ買い替えたいところだ。しかし今日は残念ながら、サドルの高さで気に入るものがなかった。ここではなにも買わず帰宅。
 今日は、車に乗っていた時間はそこそこあったが、結局家の周りの半径3kmほどをうろうろしただけの1日だった。

97/12/02 Tue:96928.5km+131.5km=97060.0km

 うまい具合に仕事がひと段落したので、大学の現役数名による温泉企画にまざる。大学は秋休みで平日の1泊旅行だから、翌日休むことにして仕事が終わってから車で向かうことになる。
 会社からいったん帰宅し、同行のCさんを拾って一路箱根は仙石原へ。東名の御殿場インターから仙石原へ抜ける峠は街灯も少なく、澄んだ空に星がまたたいている。ガードレールの向こうには地上の明かり。
 宿に着いたのは11時前。さっそく露天風呂で温まり、酒を入れつつ遅くまで語らう。
給油196.0km÷12.1l=16.2km/l

97/12/03 Wed:97060.0km+130.6km=97190.6km

 眠い目をこすりこすりチェックアウトをすませる。今日は芦ノ湖へ行くことになった。ひと足先に東京へ戻るCさんと別れ、強羅駅へ。ここからケーブルカーで層雲山へ、さらにロープウェイで芦ノ湖へ向かう。ロープウェイはスキーのリフトに似てるね、などと話していたらとんでもない深さの谷を渡る区間に出た。高い所が苦手なU氏は体をこわばらせている。リフトでこの高さだったら誰でも手軽に即死できるだろう。地上の岩原には温泉の煙が幾筋も上がっており、ロープウェイの窓を開けたら硫黄の匂いが強く入ってきた。
 ロープウェイは芦ノ湖まで続いているが、姥子(うばこ)で降りて遊歩道を湖までぶらぶら歩くことになった。都会で仕事をしていると土を踏む機会はまずなく、足下の柔らかい感触が心地よい。芦ノ湖畔で昼食。少しくつろいだのち、車が置いてある強羅まで、今度は芦ノ湖からロープウェイに乗って戻った。
 強羅まで戻ったところで、小田急線で帰るグループとレックスに乗ってゆくグループに分かれる。さすがに平日の午後、渋滞にもつかまらず無事帰宅。

97/12/07 Sun:97190.6km+75.7km=97266.3km

 昨日、実家の車で少し遠出をした。この実家の車というのがホンダアコードのSiR(2200cc)で、なんだかもう自分の非力なスバルレックスと同じ自動車と呼んでいいものかわからないくらいのパワーを持っている。なにしろ、アクセルを踏むとちゃんとスピードが上がるのだ! いやこれは言い過ぎだが、気がつくと簡単に70kmくらいにはなるような車で、こういう恐ろしい相手は軽のオーナーには毒なのだった。
 帰り道、秋葉へ寄らせてもらう。以前から眼をつけていたソニーの17インチモニタが6万円を切ったので、いよいよ買う決心がついたのである。翌日は雨になるようなことを聞いていたから、天気がいいこの日のうちに買ってしまおうともくろんだわけだ。ところが17インチのモニタというのは箱が巨大で、このソニーのモニタは特に大きい(店員さん談)。いくら3ナンバーの車でも、セダンのアコードにはあと数センチのところで入らないのだった。結局この日はお店に取り置きしておいてもらい、翌日レックスで改めて受け取りに行くということになった。
 というわけでその翌日、つまり今日も秋葉へ向かったわけだが、師走の東京は異常な量の車であふれ返っていた。家を出たのが午後1時前、秋葉でモニタを受け取ってから実家へ行き、少しくつろいで家に戻ったらもう夜になっていた。

97/12/14 Sun:97266.3km+60.2km=97326.5km

 会社まで往復。会社の先輩から借りていた『ガラスの仮面』、文庫で22巻まであるのだが、通勤電車の中にこの重い紙袋を持ち込むのが気苦労で今まで家に置きっぱなしになっていた。これを会社に持っていくのがひとつ。それから、会社の先輩から買ったタブレット。こちらは重くはないのだが箱が大きい。これも帰りの通勤電車に持ち込む気がせず、だいぶ前から会社に置きっぱなしになっていた。そんな次第。
 午後の日差しの中、急ぐ用事でもないので、ラジオなどかけつつ適当に進む。このところ遠出が多く、こんなふうにふらふら運転するのは久しぶりで気分がいい。100,000kmという目標への焦りがあったせいか、少し気を張りすぎて疲れていたようだ。ひどい渋滞にも遭うことなく、つらつら帰宅。
給油337.5km÷19.0l=17.8km/l

97/12/20 Sat:97326.5km+8.5km=97335.0km

 灯油を買うなど。
灯油\630÷18.0l=\35/l

97/12/28 Sun:97335.0km+13.7km=97348.7km

 東京の反対側からわりあい近くに引っ越してくるKさんの手伝いなど。このKさんは11月2日に鍋を囲んだKさんで、この時の大鍋はうちから供出したものなのだった。Kさん宅に置きっぱなしになっていたこの鍋を受け取りついでに荷運び人夫となり、トラックからマンション4階エレベータなしの部屋へあれやらこれやらそれやらどれやら。

97/12/31 Wed:97348.7km+10.5km=97359.2km

 今日も大学で実験をしている(大晦日だというのに大変だ)Sさんに会い、本(神林長平の『敵は海賊』シリーズ)を借りる。研究室には当然というか、ネットにつながっているマシンがあり、これを少し使わせてもらう。線はあまり太くないと聞いていたが、こんな日に回線を使う学生も少ないせいだろう、なかなか快適な速度だ。学生の特権、うらやましい限り。Sさんを駅まで送ったのち、本屋→コンビニと回って帰宅。
 さて、今年の運転はこれでシメということになりそうだ。このコーナーを立ち上げてから4か月半で、運転した距離は2098km。コーナーを立ち上げて以来、運転する機会はそれなりに多くなったものの、このペースでは車検の切れる4月までに100,000kmはとうてい達成できない計算になる。どうなることやら、自分にもお楽しみだ。

98/01/02 Fri:97359.2km+45.9km=97405.1km

 あけました。今年もよろしく。
 さて、年も改まり、100,000kmチャレンジも佳境に入って来たところで気になるのが、次に乗る車をどうするかだ。今のこのレックスは1985年モデルで、さすがにだいぶガタが来ている。4月の車検でお役御免にするとして、さてそれから何に乗るか。
 車は前に進めばいいと思っている程度だから、パワーやら何やらのスペックで選ぶ気にはならない。となるとルックスで、となって、少し前のホンダ顔が自分としては狙い目になる。大きな車に乗る気もないし予算も少ないので、シビックかシティだろうか。ホンダの軽にはトゥデイがある。これもフォルムはなかなかいいとは思うが、また軽ではさすがに遠出につらいだろう。
 と考え、中古車選びが得意な(知る限り5台以上乗り替えている)T先輩にこのあたりを伝えて探してもらうことにした。ほかにいい車はあるかな…。
 さて今日は実家へ。親戚ご夫妻も交えて、なんだかひたすら食べていた。おかげでお腹が膨満感に効くザッツ。
 夜、家族3人で映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(恥ずかしい邦題だ)を観に出る。映画は、実在の登山家ハインリヒ・ハラー(これがブラッド・ピット)が1939年にオーストリアを出てヒマラヤに旅立ってから、さまざまな体験を経て戻るまでの紀行文をもとにしたもの。チベットでダライ・ラマに会うあたりがハイライトになっている。映画としては、心づかいが行き届いていないように思えていささか迂闊な作品という印象。前半部分も、原作となった本ではおそらくもっときちんと書かれているのだろうし、撮影もチベットの雄大さや異国感を描くには物足りなく、3時間以上の尺でゆったりと進めてくれれば自分の性に合っただろう。
 大学時代のO夫妻から連絡あり、ゲーム大会に参加。先述のT先輩ほか、のべで10人ほど集まった。プレイステーションで「みんなのゴルフ」「GunBullet」「グランツーリスモ」、またナポレオン(トランプの)など。プレステのゲームはどれも複数人でプレイするのにうまく作られており、特に「GunBullet」はチーム対戦もできて盛り上がる。さらに「グランツーリスモ」でダメプレイなどして楽しみ、午前5時ごろO宅を辞する。12時間近くなにも口にしていないのに、まだ腹が張っている。明日にはちゃんと空腹になってほしいと願いつつ、コンビニで弁当を買って帰宅。

98/01/04 Sun:97405.1km+5.1km=97410.2km

 夜になってから駅前で買い物。の帰り道、自宅へ通じる細い道へ、いつものように左折した。車を運転する方ならわかると思うが、細い道へ入っていく場合、右折より左折のほうが難しい(車は左側通行なので)。それでもレックスは小さい車だからスルリと入り込める。と、後ろを走っていた車までこの細い道に入り込もうとしているのがバックミラーに見えた。そういえば左折する前の通りでも、やけにぴったりつけてきていたような気がする。後ろの車は普通の大きさの白い乗用車で、角を曲がりきれずにバックして切り返しているのが見える。普通、この細い道に入ってこようとするのは付近の住人くらいで、切り返してまで曲がってこようとするのは何か変だ。細い道を突き当たり、右へ曲がって少し行くと我が家だが、停まったところで因縁をつけられるのも損だ。後ろの車も突き当たりをこちらへ曲がってきた。家の前をやりすごし、角を左折する。これでもまだついてくるようなら、レックスを追っているか道に迷っているかのどちらかだろう(道に迷った時、とりあえず前の車についていってみるのはごく普通の心理だ)。ついてくるのが見える。広い通りに出た。ここで左折すれば、別の細い道からぐるりと回って家の前に戻れる。が、後ろの車がレックスを追っているなら、レックスがこの区画に執着していることを知られたくない。右折するとすぐ交差点がある。信号は幸い青だ。しかも歩行者信号は点滅している。交差点に入ったところでちょうど黄色になった。右折する。後ろの車もこちらに向かってきていたようだが、このタイミングでは交差点を曲がってこられまい。道に迷った車だったとしても、広い通りに導いておけば問題はなかろう。少しほっとしながら改めて先ほどの細い道へ入っていき、駐車場に車を落ち着ける。トリップメーターの数字をメモしているその時、車の窓がコツコツと叩かれた。
 「何だい、逃げるこたぁないじゃん」大学のA先輩だった。前を行くレックスに気づき、後を追っていたのだという。こちらは白い車としかわからないから、思わずまいてしまったわけだった。しかし、知り合いの車を追っていることを前の車に知らせる良い方法はないものだろうか。

98/01/05 Mon:97410.2km+53.7km=97463.9km

 正月休みは今日までだが、所用あって会社へ。12月14日に会社へ車で行ったときは、帰りにいい道を調べるためにうろうろしておいたので、さっそくその成果が出た。
 会社での用事は済み、池袋で鞄と財布を探すことにした。どちらも7〜8年使っていて、だいぶ年季が入っている。鞄はチャックが古くなり、乱暴に扱うと閉めても逆方向に開いてしまう。肩紐もほつれてきた。財布など、小銭入れの部分が破れてきており、買い物をすると店員に「すごい財布ですね」と言われたりする。
 こうなるとさすがに新しいものを、となるのだが、鞄にも財布にも自分なりに求める部分がある。それは決して特殊な要請のつもりはないのだが、これと思うものがなかなか見つからないのだった。そういえば今のこの鞄も、10軒近く回ってようやく見つけたものだ。
 財布は東急ハンズでいいものが見つかった。と、これだけ書くと楽なものだが、これまで探してきた期間が長いぶん感慨がある。鞄は今日も満足のいくものがなく、ひとまず替えの肩紐をやはり東急ハンズで買った。ついでにハンズの裏の「まんがの森」でとり・みきの『SF大将』を買う。
 街道沿いのファミレスで遅い昼食をとり、帰宅。

98/01/11 Sun:97463.9km+6.9km=97470.8km

 この寒い上に雪が残っているというのに灯油がなくなってしまった。ついでに本屋と生活用品店にも行ってみる。
 日経BP社から出ているデビッド・シーゲルの『WEBサイト・デザイン』を探している。いくつか本屋を回ってみたがどうも見つからない。本当に出ているのか? 秋葉原や神田に行けば置いてあるのかもしれない。あと黒鉄ヒロシの『新選組』も欲しいな。
給油202.4km÷13.6l=14.9km/l



『WEBサイト・デザイン』はこのあいだ秋葉原の書店で発見。しかし200ページ(くらい)で\4,700(くらい)はコストパフォーマンスが悪いよね。ざっと立ち読みしたけれどそのときは買わず。いつか衝動買いするチャンスがあるかもしれない。『新選組』は買えました。いい作品だ。(記:98/05/16)

98/01/24 Sat:97470.8km+68.9km=97539.7km

 2週間あいてしまった。雪め〜。いやしかし、雪かきせずに車を出せなくしてしまう人も悪いんですが。
 アメリカから一時帰国しているNさんを囲む会で、夜からO夫妻宅へ。我が家の近くまで来ていたKさんのブルーバードを後ろに、つるんで行ったわけだがもう大変な渋滞で、だいぶ時間がかかってしまった。
 O夫妻宅に集まったのは、Nさん以下のべ15人ほど。持ち寄りのあれこれを食しつつ、久しぶりの人もありこないだ会ったばかりの人もあり、ゆるゆると過ごす。この10日ばかり妙にdepressな日々を送っていたのが、これでだいぶ解消した。
 午前1時すぎ、明日10時半の飛行機で帰国するNさん(なぜそんな強行軍なのだ?)を大井町のホテルへ送り、帰宅。
 さてこれで、ようやく97,500kmを突破した。残り2,500kmだ。

98/01/25 Sun:97539.7km+28.3km=97568.0km

 マイカーのページに写真が載ったのでわかるかもしれないが、先日デジタルカメラを買ったのだった。富士フイルムのDS-20で、安かったからもう1つ買ってしまったのだった。1つは常用、1つは保存用なのだった。わけなくて、1つは友人pigに頼まれたぶんなのだった。今日はこれを車で届けたのだった。



「マイカーのページ」とは、当時このページからリンクしていたレックス紹介のページ。買ったデジカメでウハウハ撮った画像を、広く世界に発信するために発生した(迷惑な話だね)。マイカーのページで紹介していた画像は、今はこのページ内で表示するようにしている(ページ冒頭の画像のほか、この下にいくつかあります)。画像のページをわざわざ別に作ったのは、読むのにストレスが少ない(=軽い)ページを目指していたからなのだが…バックナンバーとなった今ではアーカイブとしての利便性や、深いリンクを避けるなどを考えてこんな形に落ち着いたというわけ。(記:98/06/19)

98/01/27 Tue:97568.0km+3.5km=97571.5km

 会社から一度戻ってから、駅前のスーパーへ買い物に行く。こんなことでも、普段と違うことをすると気分が変わる。疲れでぼやけた意識が、珍しい刺激で活動を取り戻すような。わずか30分ほどの外出、わずか3.5kmの移動、わずか2曲のカーステレオだが、こういうのも悪くない。
 ところでこの駅前スーパーは、夜9時まで営業している。夏には10時まで延長され、営業時間で季節の移り変わりを知らせてくれる。9時や10時は、スーパーとしては遅いほうだろう。しかし駅から少し離れた別のスーパーになると、季節を問わず朝7時から夜11時まで営業していてまさにセブンイレブン。この無茶な営業時間に変わってから1年以上たつが、まだスーパーとしてやっていけてはいるらしい。
 実はこの周辺、2年前ごろから1年ほどの間、営業時間の延長合戦が繰り広げられたのだ。今はセブンイレブンとなったこのスーパーは、戦いが始まる前から季節を問わず夜10時までで、すでに営業時間に関しては周囲のスーパーと一線を画していた。駅前のスーパーもこの頃は閉店が夜8時で、夏も9時まで。普通のスーパーよりは少し長いけど、まあ一般的な営業時間だったんである。それがこれら以外のスーパーも巻き込み、あれよあれよという間に軒並み1時間営業時間を延ばしてしまった。といっても努力の成果はどこもおおむね1時間だったから、夜7時でさっさと閉めるスーパーが8時までになったところで、早く閉まることには変わりがなかったのだが。一方、朝7時開店にしてしまった前述のスーパーだけは計4時間も営業時間が長くなり、ここまでくるとなんだかヤケなものを感じないではないのだった。

98/01/31 Sat:97571.5km+64.8km=97636.3km

 呑み会の果てに、帰りの足がなくなったY氏を送る。
 彼は彼でトレノ(だっけ)に乗っており、あれこれ車の話。レックスに続く次の車について、実はホンダのビートにも傾きつつあったのだけど、エンジン音が大きいとかパワー不足だとかの話を聞いてちょっと気分が下がる。あっ、でもビートにはオーナーのメーリングリストがあったりして、好きな人にはたまらん車らしいですよ。とフォロー。スタイルは好みだし(よくビートと比較されるカプチーノのルックスは私は不好)、マニュアル車しかないところなど走りを追及させたいらしい意気込みがいい感じなのだった。でもやっぱりシビックかなぁ。さてさて。
 ところでY氏宅への道のりはちょうど実家を経由することになる。共通の友人宅も実家の近くにあり、ちょっと寄り道して「ここが彼の家で」「ほほ〜」などとやる。自分にとっては見慣れた、というより見飽きてほとんどノイズとしてしか認知しえない光景が、Y氏にとっては初めての家並であるのが面白い。Y氏宅まで来るとこれが逆転するのだけれど。

98/02/03 Tue:97636.3km+1.9km=97638.2km

 今日も一度帰宅してからスーパーへ。11時まで営業の、セブンイレブンスーパーにする。
 レジに並んでいたら何たる偶然、S先輩が入ってきた。一緒に卒業(あちらは院ね)して以来だろうか。だいぶ久しぶりだ。こちらは買い物袋を、S先輩は買い物かごを持ったまま立ち話。元気なようで&相変わらずなようで何よりです。

98/02/04 Wed:97638.2km+4.2km=97642.4km

 今朝灯油がなくなり、やむなく今日も帰宅してから車を出す。ついでに買い物。毎日買い物。
 1月31日に家まで送ったY氏からメールがあり、彼の車はレビンだということだった。「でも納品書にも『カローラAE111』としか書いてないし、カローラに羽根が生えたみたいなもの」の由。それから、ビートのエンジン音がうるさいのは、パワーを出すためにいつも5000回転くらいになるようにセッティングしてあるからで、パワーがない上にうるさい、という車ではないとの指摘も。ありがとね。
給油171.6km÷12.2l=14.1km/l

98/02/07 Sat:97642.4km+108.5km=97750.9km

 大学の同期であるOさん宅のオープンハウスにお邪魔する。近所に住む後輩のNさんを乗せて一路横浜へ。と思ったら途中がやはりひどい渋滞で、第三京浜を使うことにする。
 高速に乗ってしまうと、それまでずっと車が詰まっていたのが嘘のようだ。雨が降ってきたが快調に進む。
 第三京浜から横浜新道、横浜横須賀線と有料道路を渡り歩き、3回料金所を通った。横浜新道の料金所でのこと。ブース手前の料金表を見、軽自動車は150円と確認する。200円を渡すと「はい200円」とレシートを渡された。しかしこちらは150円だと思っているから、「200円」が耳を素通りして思わずおつりを待ってしまう。向こうは、支払いを済ませたのだから車は出ると考える。お互いがお互いに期待している行動がとられないことに気づくまでの、わずかな間。もちろんこれは2秒くらいのことで、「あれ?200円ですよ」「え?軽なんですけれど」「あっそうか」となって落着するのだが、こうなるまでの微妙な時間が思い返すと愉快なのだった。さらに横浜横須賀線の出口でも、合成音声が「料金は、150円です」と言っているのに料金所おじさんには「200円です」と言われたりして、なかなか妙な具合ではあった。助手席のNさんは「おじさんは一日中200円ですって言ってるから、つい癖で200円てことにしちゃうんだよ」と話していた。
 Oさん宅に集まったのは計7人。あれこれごちそうになりつつだべだべと過ごす。明日の用事のことを考え、早めに帰ろうと思いつつ結局2時近くなってしまった。帰宅は3時すぎ。

98/02/08 Sun:97750.9km+57.3km=97808.2km

トリップメーター97777.7kmの巻(12KB)
トリップメーターが97777.7kmになりました
 去年の12月7日に新しいモニタを買ったので、それまで使っていたモニタを売ることにした。パソコン通信で買い手は見つかり、今日はこれを届ける手はずだ。
 家を出る直前、トヨタの営業所からtel。ここにはレックスの前回の車検をお願いしたりしてお世話になっている。次の車検が近いことをかぎつけ(人聞きが悪いね)トヨタ車を薦めてくれていたのだった。こちらが1300cc〜1500cc程度の3ドア、と話したらカローラIIの見積もりを出してくれたのだけど、どうもやっぱり新車は分不相応。しかもカローラII的にお気楽な車はあまり考えておらず、といった話をする。「中古車として、ご予算はどのくらいで」「40万円から高くて50万円くらいで考えてます」「えっと、それは頭金がということですか?」「いっいえ、総額なんですけど…」「あ、はあ〜そうですか」さすがにこれで新車はダメだとわかってもらえたようで、中古車を(トヨタ車に限らず)紹介してくれるという話になった。T先輩にも探してもらってはいるが、こちらでも掘り出し物があるかもしれない。ホンダ車のシビック的なものを、と話しておく。
 青梅街道から還7を北上、みぞれが降ってきたりして変な天気だったが、赤羽近くでモニタは無事受け渡し。この道中トリップメーターが97777.7kmを指した。路肩へ寄って写真を一枚。

98/02/11 Wed:97808.2km+8.6km=97816.8km

 数年間使ってきたポータブルのCDプレーヤーがいよいよ動かなくなってしまい、後継者を探すことになった。昨日までに池袋や新宿のカメラ屋で機種選びと相場チェックはすませてある。しかし近所の電気屋やホームセンターではどうだろうか。思案のあげく、やっぱり家の周囲のホームセンターと電気屋を回ってみることにする。しかし水曜日だからか時間が遅かったせいか、開いていたのは1つだけだった。しかもそこは品揃えがいまひとつで、狙っている機種は置いていなかったのだった。とほほ。



このとき狙っていたCDプレーヤーは翌日、都心のカメラ屋で無事買うことができた。機種はSONYのD-E500。これまで使っていた充電池が流用できるのが(自分的な)ポイントである。新機能としては音飛び防止のほか、停止したところから続きを聞くことができるという便利なものがあった。電池のもちもかなり良くなって、車内の音楽環境は大幅向上である。福福。

98/02/13 Fri:97816.8km+3.0km=97819.8km

 今年も花粉の季節がやってきた。まだほとんど症状は出ていないが、花粉症は発症前の投薬が一番だという。会社には少し遅れて行くということで、耳鼻科に行くことにした。いつもの耳鼻科は当日申請順の診察なので、いつもより早く起きて名前だけ書きに行き、ひとまず家に戻って朝食という手順。寒いから名前書きに行くのはもちろん車だ。
 幸い診察は早めに済み、点鼻薬と錠剤をもらう。薬袋には「本日処方された薬は、以下の通りです」なる紙が入っていて、時代の趨勢を感じる。・抗アレルギー剤・胃腸薬・噴霧剤。錠剤はガスロンN、セレスタミン、セルテクトを3日分で各6錠、点鼻薬はフルナーゼ。
 で、今日はこれでもう運転しないと思っていたところ、夜に後輩のS氏からtel。明日からの温泉&スキー企画にあたって持っていくものが多すぎ、自分の車にはもう入らなくなってしまったという。レックスも温泉には参加するので、荷物を分乗させてくれないかということだった。近所で落ち合い、荷物を受け取る。あちらではリゾ〜トマンションというものに泊まるため自炊なわけで、鍋釜米皿が山のようだった。

98/02/14 Sat:97819.8km+185.2km=98005.0km

 大学の仲間たち総勢20人弱の、水上温泉&スキー企画に参加。OBは自分を含め3人、あとはすべて学生である。スキーを目指し早朝から向かう車、電車、午後から出るレックス、午後遅めに出る車、夜出る車となんだかバラバラな集団だ。
 今度4年になるS氏と1年生のAさんを乗せて三鷹を出発したのが午後1時。関越はよく流れており、買ったばかりのCDプレーヤーが活躍。3時間ほどで水上温泉郷に到着した。今日の東京は最高気温が24度だったかで異常な暖かさだったが、群馬の山奥は寒風吹く吹く冬模様。
 先発隊がスキーから戻ってくるまで少し時間がある。車を駅前に駐めて付近を散歩、うどんで暖まる。
 午後5時、スキー部隊の帰投とともにリゾ〜トホテルにチェックイン。さっそく地下の露天風呂に、と思ったら諸般の事情でそこは使えず、フロントでお風呂券をもらって近所の別旅館の大浴場へ。ここは男湯がオーロラ風呂、女湯がエンゼル風呂で、いや、まあ名前はいいんですが、よく暖まりました。
 水上の温泉街はゲームセンターが多い。といってもゲーセンではなくゲームコーナーというか、そこにあるのは射的パチンコスマートボールといった具合で、実に温泉街的風情なのだった。2人がスマートボールに挑戦したところなかなか終わらず、飽きたら交替しながらぱこんぱこんと打ち出す玉がまた穴に入る。じゃらじゃらじゃら。
 フロのあとはメシ。鍋。酒。パスタ(スキー部隊の運転手S氏は実家がイタメシ屋で、彼の作ってくれるパスタが本当に美味なのだ)。酒。酒。酒。O氏の「3日会わないと醒める」発言を肴に酒。酒。酒。いかにも学生主体の呑みっぽいでしょ。いや、よく呑んだ。いつの間にやらバタンQ〜。これでメシフロネルが全部揃った。
 今日の行程でようやく98,000kmを突破した。残りは2か月弱だ。(←ねごと)
給油168.8km÷13.0l=13.0km/l

98/02/15 Sun:98005.0km+217.8km=98222.8km

 目が覚めてみると、夜から降り出した雪で外はすっかり白化粧である。車が少し気になるが、ここを出るのは夕方だ。雪は小やみになろうとしており、チェーンも用意してある。今日もスキーのとことんコースな面々を送り出し、残っただらだらコースの面々は雪が止むのを待ちながらオリンピックを見るなどして過ごす。
 今日の種目はジャンプのラージヒル個人戦で、原田選手の銅に続いて船木選手が金メダル。インタビューや試合結果の合間に、ジャンプのVTRが繰り返し放送される。するとアナウンサーや場内放送のセリフを覚えてしまう。船木選手のジャンプでは「ラージで、ラージで、ラージで!」「ふ、な、き、ふ、な、き」、原田選手のジャンプでは「立て立て立て、立ってくれー原田ー」といった調子。原田選手へのインタビューでは「原田さん、銅ですね。どうですか」なる「銅ですよ」としか答えようのない質問もあったりして、妙におかしい長野の空の下なのだった。ともあれメダルおめでとう。
 正午を回りオリンピックもひと段落。雪は止み、薄日が射している。数人で散歩に出ることにした。積雪は15cmほどのようだ。といっても温泉街のメインストリートには小さなスプリンクラー様のものが埋め込んであり、この道だけはまったく積もらないようになっている。「フライパン」なる食堂で昼食ののち、川べりへ出た。今日は水上雪合戦大会とのことで、河原にテントが立てられ試合場が作られている。競技が始まるのはもう少しあとのようだ。さらに下流へ歩くと誰も足を入れていない一帯になった。ふくらはぎのあたりまである雪を踏みわけていく。一番元気なPさんが雪に倒れ込んで人型をとった。結局全員の人型がとれる。デスマスクもとる(死んでないって)。雪玉を転がし、ひとかかえもある大きさまで育てる。川に投げ込む。靴の中はすっかり濡れ、着ているコートにも雪がつく。土手へ戻ると河原の会場で雪合戦大会が始まっている。転げ落ちていき観戦。
 この雪合戦は、お互いの陣地にある旗を取るのが目的だ。陣地の中にはいくつか身を隠せるトーチカがあり、ここから雪玉で敵を狙う。雪玉の当たり/外れは場外に何人もいる審判が判断する。雪玉を当てられた選手は退場だ。制限時間まで勝負がつかなければ、残った選手の人数で勝敗を決める。人数が同じだった場合にどうなるかはわからなかったが、こんなルールのようだった。
 心地よい疲れの中ホテルへ戻り、少し休憩ののち風呂へ。今日の大浴場はまた別のホテルで、こちらは露天風呂もある。川の向こうに電車が見える。(つまり向こうからも見えてるってこと?)
 風呂から上がるともう夕方だ。宿でスキー隊の帰りを待ち、軽く食べたのち今度4年になるS氏、1年生の元気なPさん、今度卒業のRさんを乗せて夜7時半にレックスは帰途につく。幸い道路に雪は残っていない。水上インターへ向かう途中の渋滞情報は…「水上IC〜上り渋滞30km以上」30km以上?…迷わず国道291号を南下。国道17号に入ってからはこちらも大渋滞で、沼田から高速に乗ってみるとゆーっくりと流れている。以前の那須からの帰り道で考察したように左車線を進むが、どうも右車線のほうがよく流れているようだ。右に移って進むと、どうやら左車線は赤城高原のSAに入ろうとする車で詰まっていたようだった。赤城高原を過ぎたあたりで「高速」道路になった。何回か渋滞しつつ、所沢ICまでたどり着いたのは日が変わろうとする時間。三鷹近辺に住むPさんとS氏を降ろし、Rさんを柿の木坂の自宅まで送る。帰宅は午前2時すぎで今日もバタンQ〜。でも今回の温泉企画ではリフレッシュできました。
給油356.2km÷21.0l=17.0km/l

98/02/21 Sat:98222.8km+57.4km=98280.2km

 突如パソコンを買うことになった大学の同期のTさんにつき合って、新宿から池袋へ。
 今回に限らず、パソコンを買うがドレがいいか?という質問をされることがある。そういう時、(1)WindowsとMacのどちらにするか、と(2)予算を聞けば、買うモデルはマア大体決まってしまう。予算に合わせて個性のないWindowsマシンをずらり並べ、「どれも同じだから見かけで選んじゃって」とやるのが精いっぱいとなるか、あるいはMacintoshなら機種の選びようがほとんどないのだった。
 Tさんの場合OSはWindows、Excelで持ち帰りの仕事を、Photoshopで趣味の写真をやりたいということなので、予算に合わせてMMX Pentium200、HDDは2.1〜3.2G、メモリは32〜64MB、17インチモニタ、Excelプリインストールのメーカー品…くらいを頭に浮かべた。この目的この予算、自分でなくてもある程度昔(極端にいえばWindows95登場以前)からパソコンを使っていた人種なら、このくらいで考えるだろう。がしかし。彼女はそういったお約束とは無縁だった。「部屋が狭いから液晶モニタにする」液晶〜!
 Tさんの会社は液晶モニタを使っており、自分の部屋にはこれしかないと決定したらしい。しかも本体まで小さいものがいいというのだった。じゃあノート型か、というとExcelの使い勝手の問題(ノートにはテンキーがないでしょ)や1024×768の解像度が欲しいことからノートはちょっと、となる。そこで、最近Akiaを始めいくつかのメーカーがオフィス向けに出している、小さい本体+液晶モニタのモデルを狙うことになった。
 池袋のビックパソコン館にAkiaのモデルを見つけた。TFT液晶のモデルが34万円弱だという。「これにする」ところが即納できず却下。考えてみればこの手の直販系モデルでは即納は難しい。じゃあどうする?「親がそのうちノートパソコンを欲しいと言っていたから、まずノートを買う。Akiaなり自分用のものを買ったら、ノートを親に渡す」というアクロバットとなった。で選んだのがメビウスノート、24万円弱。とりあえずこれでひと段落、ファミレスで食事、家まで送って帰宅。

98/02/28 Sat:98280.2km+6.4km=98286.6km

 近所から引っ越すK氏の家に置いてあったプリントゴッコを受け取りにいく。灯油を買う。銀行へ行く。など。
 ところで前回車検をお願いした店からついに「車検整備のご案内」が届いてしまった。4月18日に切れますよ、というわけでこのDrive my car challenge 100,000km!!は4月18日が期限というわけです。しかし残り1700km余りをあと1か月半でねぇ。さらにもし、18日間のために1年ぶんの自動車税を払うのが馬鹿馬鹿しいと思うなら、4月1日までに廃車(やな響き)にしなければならないのだった。
 検索サーバで「まんぷくや」を調べてみたら、「まんぷくや」という店が那須京都には実際にあるようだった。これを訪ねてみるか。東京から那須と京都の往復をすれば、これはだいぶ稼げそうだ。どうする?来週末か再来週の末はまた温泉に行きそうな気配だから、残り3週間のうち1週は那須へ行き、もう1週は京都へ行き、残った1週で次の車を購入する、とか。何というスケジュールだろう。でもせっかくだから100,000kmには持っていきたい。どうする?

98/03/04 Wed:98286.6km+2.6km=98289.2km

 いよいよ暖かくなってきて花粉症のくしゃみが出始めた。今日も耳鼻科へ行こうと思い、2月13日と同じように予約の名前を書くため早起きして耳鼻科へ向かう。…と、今日は休診でした。あらら。

98/03/05 Thu:98289.2km+2.7km=98291.9km

 今日こそ耳鼻科へ。もらった薬は錠剤、粉薬、目薬、点鼻薬。
 錠剤はセレスタミン、レミカットを4日分で各8錠、粉薬はGN-FG、これも4日分で8袋。目薬はクールウェイ(すごい名前)5mg、点鼻薬はフルブロン7mg。

98/03/11 Wed:98291.9km+6.2km=98298.1km

 ちょっと早起きして住民税の申告書を出しに行く。最近はこんな運転しかしていない。うーむ。今週末あたり那須のまんぷくやへでも行ってみるか?
 実はこの2週間ばかり、今ひとつ気分が乗らない日々だったのだが、ゆうべあたりから少しづつ上向いてきた。今朝運転したときの、アクセルを踏むと前に進む感覚に後押しされるように調子が出てきている。で、仕事を終えて一度帰宅してからまた車を出してみた。といってもいつものように買い物に行くくらいなのだけど、何だか体の中から湧き出る力が。(←なんかドリンク剤のCMみたい)明日もガンバロー。

98/03/15 Sun:98298.1km+2.8km=98300.9km

 うーむ、いけませんね。今日はふらっと那須へでも行くつもりだったが、この風と寒さですっかりこもりっきりになってしまった。風が強いすなわち花粉がたくさん飛んでいる、というわけで夜になってからちょっと買い物に出たのみ。うーむ、いけませんね。やっと98,300kmを超えました。いけませんね。

98/03/17 Tue:98300.9km+1.5km=98302.4km

 おう、なんだいTさん、あんたもインターネットしたいって? 卒業で大学のアカウントがなくなっちまうのかい。え、何が必要かってパソコンはあるわけだろう、それならまずはモデムだな。うまい具合だぜ、今家で使っていない28.8kのモデムがあるからこれを使うといいや。ケーブルはMac用のを用意しなきゃな。プロバイダは決めたかい。まだ。じゃあINTERNET magazineを買っておくといいや。これを見て検討だ。
 さて、モデムをつなぐとするかい。Performa588か、可愛いね。あっこいつはしまった、電話のケーブルを忘れちまった。じゃあ今日は仮につないどくから、電話のケーブルを調達、ゆめ忘れるんじゃないぜ。これでよし、電話は使えないが通信はできる。テストも兼ねて、大学のサーバに電話かけてみるかい。おっと、通信ソフトの設定が悪いようだ、エスケープシーケンスがうまく処理できてねぇや。jpineに限らずUNIXのメーラーはすべからくエスケープシーケンスを使うからな、これはあとで調整するとしてfingerだな、finger。や、S氏がいるじゃないか。talkだtalk。なに、S氏は大阪の実家からアクセスしてるってか。大学まで長距離電話かい。違う。家族のアカウントでインターネットに入って、そこからtelnetしてる。そいつは痛快だね、大学のサーバ使って大阪と東京でtalkしちまうんだから。おっと、だいぶ話しこんじまったようだ。そろそろ落ちるかい。じゃあまた東京で会おうぜ。logout。さあて、MacTCPの設定をする前にプロバイダを決めなきゃな。友達が入ってる××にするって? なるほど、こいつは値段も良心的だし回線も太いようだ。ビジー率も低いって? それなら悪かねえや。そこにするってんならそこでいこうぜ。問題はどうやってサインアップするかだ。InterQを使うのも手だが今日はもう遅いからな、明日うちからオンラインサインアップするといいや。今日はここまでだな。
 それにしてもナンだね、こんなに近いってのにTさんちまで車で行くってのもこりゃこれでまた乙なもんだね。なに? 暖気と一方通行で遠回りするぶんを考えたら自転車のほうが早いって? まあそう言うない。こんな地道な積み重ねでも100,000kmに近づくってもんだぜ。

98/03/20 Fri:98302.4km+16.7km=98319.1km

 車でうろうろ散歩。ひさしぶりに出してきたコンピレーションアルバム、「ミッション・ポッシブル」(この中の13曲目、Elementaryの"Vibraphonic"が木曜日の「クローズアップ現代」の予告で使われていた)をかけつつ、いつもの道を避けつつ、あてもなく運転する。
 この数日、風が強かったせいで車が砂埃にまみれてしまっている。普段は横着して洗車などしないたちだが、この惨状はさすがに気になる。明日は水で流すだけでもよいから、少しはきれいにしようと思う。

98/03/21 Sat:98319.1km+102.8km=98421.9km

 このところの強風で砂埃だらけになった車に水をかける。少しはきれいになったがまだまだ不十分。時間ができたらきちんと洗車しなければ。たぶんそれが最後の洗車になるだろう。
 大学の部室に置きっぱなしになっていた古〜いパソコン、その名もPC-9801CV(Macintoshに似たフォルムで、マネキントッシュと言われていた)を取りに行く。続いて、知人のかやま氏から古〜いPCをいただくことになり、彼の住む東京の反対側、江東区に向かった。のだが、車があまりに多くどこも混雑混雑の混雑で、家を出たときにかけ始めたLed Zeppelinが、かやま氏宅に着くまでにIからIVまで聞けてしまった。ゴッド。
 というわけで486SX33マシン(とDX2/66とSCSIカードと内蔵型CD-ROMとサウンドカードとメモリ)を譲っていただき、車の中はすっかりボロパソ市である。といってももちろん、活用するために家に連れて帰るわけなのだけど。特にPCのほうにはちょっと期待しておるよ。うん。
 夜は三鷹に戻り、大学の人形劇研究会の卒業生キックアウト(と呼ばれる追いコン)にまざる。自分が卒業してまる2年、×氏や×氏も卒業か。院生のSさんはあと1年残るのに、それよりも下の人々が先に卒業するものだから、余計にそう感じるのかもしれない。
 車を洗ったりしたせいか、雨がぱらついてきた。気合いを入れて洗車したら大雨になるだろうか。だが、雨がふると花粉が飛ばないのはありがたい。



98のほうはいまいち活用されず、部屋の隅に眠っている。一方PCのほうは開けてみたらDX2/66が刺さっていた。メモリは30pinのSIMMで16M。キーボードとマウスを買ってきてWindows95を入れてみたりした。で遊び半分でQuake(対応機種はPentium90MHz以上、Pentium150MHz以上推奨の3Dアクションゲーム)を入れてみる。おお、起動するではないか。しかし解像度は320×200、さらに効果音がとぎれとぎれ。こりゃダメだ。とりあえずWindowsは入ったから、次はUNIXでも入れてみようか?(記:98/05/16)

98/03/22 Sun:98421.9km+443.0km=98864.9km

那須のまんぷくや(15KB)
▲ここが那須のまんぷくやです
トリップメーター98765.4kmの巻(10KB)
▲トリップメーターが98765.4kmになりました
 那須のまんぷくやに行くことにする。練馬から外環に乗り、東北道を那須まで向かうというルート。練馬へ行く前に給油。

給油238.1km÷16.7l=14.3km/l

10:40 練馬I.C.から外環に乗る
 外環は騒音対策のためか、両壁が高くすっぽりと道路を覆う形になっている。目に入る情報が少なく、なんだかゲームのようだ。
10:53 浦和料金所から東北に乗る
11:40 都賀西方で休憩
12:37 那須I.C.で降りる
12:46 まんぷくや到着
 まったく普通の中華レストランである。中華丼を頼む。750円。
13:14 まんぷくや出発
 那須にある大学の宿泊所に行ってみることにする。ここは何度も利用したなじみの場所で、このChallenge 100,000kmの企画を始めてからも1回、9月の半ばに訪ねている。このときは途中でトリップメーターが進まなくなったのだった。
 宿泊所は夏しか開放しておらず、このような春先の様子を見るのは初めてだ。林は葉が落ち、見通しがよい。建物の軒下にはわずかに残雪すらある。夏とはだいぶ様子が違っており、奇妙な感覚だった。
 白河I.C.に入る直前に給油。

給油222.2km÷14l=15.9km/l

14:08 白川I.C.から東北道に乗る
14:27 那須高原SA出発
 道中、トリップメーターが98765.4kmを指した。写真を撮る。
16:37 浦和料金所通過
 で吉祥寺に駐車して、大学のサークル(みたいな集団)のキックアウト(と呼ばれる追いコン)にまざる。そんなんばっかりやね。


98/03/28 Sat:98864.9km+1074.0km=99938.9km

 京都のまんぷくやに行ってしまった。
 東京から京都へのルートには東名高速、中央高速の2つがある。距離はほとんど変わらず、中央は全線最高速度が80km/hに規制されているがレックスではそう飛ばせるわけでもなく、どちらでもそう変わらない気がする。昼は海沿いを走るのがいいかな、と考え、往路は東名に決めた(といっても、海の見える区間は少ししかないのだけど)。まずは給油。

給油222.0km÷11.5l=19.3km/l
京都・嵐山のまんぷくや(20KB)
▲京都は嵐山のまんぷくや
京都・嵐山のまんぷくや入口(18KB)
▲入口から2階へどうぞ

07:02 川崎I.C.から東名に乗る
08:14 99000km突破
 都夫良野(つぶらの)トンネルの手前、大井松田I.C.の少し先から、東名の下りは右ルートと左ルートに分かれる。去年の12月に箱根の仙石原温泉へ行ったときは右ルートを通ったので、今回は左ルート。なぜこのような作りになっているのだろう。面白いけれど。
08:43 日本坂PAにて休憩
 快調快調。
10:13 浜名湖SAにて休憩
 うなぎパイとハイウェイカードを買う。東名/中央のSAPAガイドをもらう。
 名古屋の手前では渋滞。日が上がって暖かくなってきた。クーラーを入れるとパワーが下がるので、窓を少し開けて進む。
12:19 養老SAにて休憩
 名神のSAPAガイドをもらう。車に戻ってくると、すぐ脇のトレーラーに積まれた車にヒバリが止まり、ちよちよと鳴いていた。ここで給油。ずっと高速を走っていたから当然というか、異常に燃費が良い。
給油414.8km÷19.0l=21.8km/l
13:37 京都南I.C.を降りる
 京都に来るのは修学旅行以来。I.C.の出口を走る国道1号は異常な混雑。空が広く、都会といった感じはしない。ちょっとさえない(失礼)地方都市の1つといった印象。京都では建物に高さ規制があると聞いていたが、葛野大路では8階くらいのビルも見たから、この空の広さは規制の結果ではないのかもしれない。1200年を経た現状は、車のやたらと多い街だった。
14:30 嵐山(あらしやま)に到着
 嵐山には渡月橋(とげつきょう)なる木製の橋がかかっており、桂川の桜並木もあって観光スポットなわけである。桜は2分咲き。八つ橋やらお茶やらを売る店、タレントショップ、美空ひばり記念館(!)、人力車、大量の観光客などがずらりずらり。その中に目指すまんぷくやはあった。だいぶ暖かくてラーメンを食べる気がせず、那須と同じく中華丼を頼む。
 那須のまんぷくやではマッチをもらったが、このまんぷくやにはその手のグッズがない。紙ナプキンは無地。割り箸は割り箸タワーに刺さっており箸袋はない。伝票の裏に「まんぷくや」と書いてあるのを見つけ、店員さんに頼んで1枚譲ってもらう。ありがとう。
 渡月橋のたもとで桜を眺めていると、人力車夫が客引きをしている。車夫は若い兄さんばかりである。当然というべきか、よく狙われるのは若い女性客数人のグループだ。しかし見ている間、(若い女性客に限らず)誘いに乗った観光客はいなかった。車夫どうしがすれ違いに「どう?」「や〜全然ですね」などとやっている。人力車観光に出てしまえば渡月橋からは離れるから、客引き中の車夫ばかりが目立っていた。
16:06 嵐山を出発
16:56 京都南I.C.直前のスタンドで給油
給油138.4km÷7.7l=18.0km/l
 このスタンドを出ようとして、前の車とこすってしまった。先行していた前の車、左ウィンカーを出しておらず、ならば右折だろうと早合点して先行車の左につけた。と、この車が左折したためこすり合いになってしまったというわけ。まいった。相手の車は少し傷がついた程度、こちらは右前の角がへこんでしまった。110番して状況を説明。
17:40 京都南I.C.から名神に乗る
 帰りは中央にしてみる。トラブルのせいで気がさえない。
20:05 恵那峡SAで休憩
 ここで給油。
給油209.7km÷9.3l=22.5km/l
22:11 双葉SAで休憩
 中央はまさに山道。登坂車線多く、レックスは苦戦。岡谷ジャンクションの手前、「長野方面分岐2km先」の看板を過ぎた直後、左手に夜景が開けた。野原に光の粒をまいたよう。諏訪湖に映る夜景も美しい。
23:30 調布I.C.を降りる
 というわけで、大旅行は無事とはいかないもののひとまず終了。疲労疲労。
 帰宅してから天気予報を見て気づいたのだが、京都周辺の天気は大阪が出るのだね。京都、過去に生きる街。


98/04/04 Sat:99938.9km+37.1km=99976.0km

 家から少し離れたところにあるホームセンターのチラシがときどき入る。以前書いたように新しい自転車が欲しいから、この手のチラシのチェックは欠かせない。と、28インチ内装3段で16,800円というものを見つけた。乗り心地がよい大型で手頃な値段、しかも3段変速つき。これはよさそうだ。実物を前にしてもこれはよさそうだ。というわけで買いました。
 こういう大きな荷物を運ぶとき、3ドアのレックスは頼りになる。後部座席を前に倒し、自転車を前輪がはみ出る形で押し込む。物理的にも精神的にも大きな買い物だから、わたしのハートがうきうきしちゃうね。うきうき。
 さて、新しい自転車を手に入れたならまずは乗り回すしかないでしょう。折よく近所の母校は桜が満開だ。今日はだいぶ暖かく、人出も多いだろう。行ってみよう。着いた。
 この母校の桜並木は、卒業してからも毎年見ている。近所だし。そして毎年、本当にすばらしいと感嘆する。淡い桃色の雲が一点透視法で彼方まで連なっている。しかも自転車は新しい。うきうきと構内を回る。と、4つか5つ上の先輩K氏とさらに上の(失礼)Aさんに会う。2人もそこらへんで偶然会ったとかで、カメラメーカー勤務のK氏は魚眼レンズなど取り出して寝そべったりしている。3人でうろうろしていると、花見をしている集団の1つから声がかかった。2人と同じか、それ以上くらいのお知り合いだ。まぜてもらい、飲みつつ食べつつ、たわいなき話をする。南極観測隊での越冬経験があるKi氏の話が面白い。「どうやったら南極に行けるの」「やっぱり寒いの」「観測隊は何人」「どんなことをするの」的ありがちな質問におそらく何度も答えてきたのだろう、語り口はよどみない。K先輩は大学で雪氷(せっぴょう)をやっていたこともあり、南極にまだ未練があるようだ。「コックと医者はいつも足りないですから」と言われ「じゃあコックかな」「でも不味い食事しか作れなかったら越冬は長いんでしょ、隊員に恨まれそう」「じゃ医者?そりゃ無理無理」
 うだうだしていると、同期のOさんが歩いているのを見つけ引っぱり込む。飲みつつ食べつつ暗くなってきたところで、K先輩とOさんの3人でまとめて花見の場を失礼する。Oさんは駅までの足がないというので、いったん我が家に寄ってレックスで適当なところまで送ることになった(K先輩の足は「20年もの」の自転車)。
 家の前でOさんを乗せ、K先輩と別れてどこにする?じゃあ吉祥寺、ということで吉祥寺へ。ところが週末の吉祥寺は地獄的渋滞で、井の頭公園を抜ける道から三鷹台へ抜け、ここでOさんを降ろした。
 今日、給油。たぶんこの車では最後の給油だね。

給油317.0km÷17.5l=18.1km/l

98/04/11 Sat:99976.0km+70.6km=100046.6km

100,000kmの瞬間(10.6KB)
▲とうとう100,000kmになりました
 今日は大学のS先輩の結婚式なのだった。式場から新宿の2次会会場へ向かう道すがら、ついにトリップメーターが00000.0に戻った。路肩に寄せて1枚撮る。
 九州は鹿児島から駆けつけたK氏の誕生日が明日だということで、サプライズも兼ねてO氏宅に10人弱で移動。さすがに今日は一日が長く皆も疲れがたまっていたか、次々と沈没してゆく。午前1時ごろ辞する。

 

98/04/16 Thu:100046.6km+6.2km=100052.8km

 所用あり会社を休む。出かける前にちょっとお出かけ、次の車は軽ではないので車庫証明が必要だ。名義変更のための印鑑証明作成も兼ねて、警察署と市役所をハシゴした。この次の車、以前から探していただいていたT先輩の紹介で、平成1年型のホンダ・シビック(黒)となった。先方の都合で、車がこちらに来るのはGW明けだ。レックスの車検は18日に切れる。車のないGWとは残念だが、これは仕方ないだろう。

 というわけで、この「Drive my car challenge 100,000km!」のコーナーは終了です。レックス君にはだいぶ無理もさせましたが、一時は達成が危ぶまれた100,000kmの目標はなんとか完遂できました。また、車を運転するモティベーションを高めてくれたこのコーナーのおかげでいろいろな体験もできました。レックスはこれで手放すことになります。最初の自分の車として4年近くを共にしたレックスです。どうもありがとう。

レックスの後ろ姿(18KB)

Drive My Car Challenge 100,000km!! PART II

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