重油回収ボランティア体験記

ボランティア


REPORT


1.出発


1月19日早朝
1月19日午前5時、まだ明けやらぬ大阪府藤井寺市の自宅前、車を駐車場から持ってきて、前夜までに準備した荷物を積み込む。
 改修作業用のゴム合羽、手袋、長靴等の装備、布団と着替え、それにデジタルカメラ等の撮影機材、1500CCセダンのトランクは一杯になり、一部を後部座席に積み込んだ。  起きだした妻が眠たげな、半ば不安げな目で見送ってくれる。
 「なぜまた、私が行かなければ行けないのか。」そんな疑問を前夜の私にぶつけていた妻であるが、やはり、納得しかねている様子。寒さが厳しく危険の伴う作業を思い心配でもあろう。
 準備が整い、運転席に座る。交通情報、天気予報を聞くべく、カーステレオはNHK総合テレビに。
 まだ、夜の闇がうっすらと残る道をヘッドライトを付けて走りはじめる。
 自宅すぐ近くに藤井寺インターチェンジがある。ランプから本線へ。まだ早朝であるせいか、今日が日曜日であるせいか渋滞はない。
 重油漂着の状況と、今日は改修作業を中止する予定であることがニュースで伝えられる。
 「順調にいけば9時前には着くかな、しかしやるべき作業はあるのだろうか。」と考えつつも車を走らせる。
 近畿自動車道、名神高速、北陸自動車道を経て金津インターを出たのは8時30分ごろであった。
 そこからインターネット重油災害ボランティアセンターのホームページで入手した現地地図を頼りに、東尋坊方面の道標を頼りに、始めての道を走る。海は中々見えない。
 浜地の道標が見えて信号のある交差点に差しかかったとき、民家と林の広がる景色の向こうに海が見える。雲が低くたれこめ、暗い海であったが、車からでは重油汚染の気配は見えない。一見何の変わりもない、日本海の景色である。


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2.現地到着


 さらに道を進め、雄島入口にさしかかると、光景は一変する。あちらこちらに警察官が立っている。レインコートや手袋、長靴で身を固めたボランティアとおぼしき人々。
テレビ局や新聞社の車。「今日は回収作業は中止です。勝手に海岸に降りないで下さい」と、繰り返す広報の車。
 岸壁の続く一帯の海岸沿いは、東尋坊から雄島のあたりは松林に覆われているが、そこここの空き地には、回収した重油を入れたと思われるドラム缶が20本、10本単位で集積されている。全部で何本になるのだろうか。
 もうそろそろボランティア本部が近いはず。警備の警官に道をきこうと、ウインドを降ろす。鼻をつく重油の匂い。一瞬くらっとするほどであった。ボランティア本部の看板を 見つけ、進入路がバリケードで封鎖されていたので、一般車は入れないのだ、と悟り、雄島公園の駐車場に車を入れる。
 車を降りて、長靴に履き替え、コートを羽織る。慣れたのだろうか。このころには重油のあの刺激臭は全く感じなくなっていた。
 デジタルカメラと三脚、1眼レフ一式を肩に、ボランティア本部に急ぐ。




3.ボランティア本部


 本部はテントが3張りと移動ハウスが数棟、トラックやバン等の車も見える。三国町安島の「子供広場」とは名ばかりのフェンスで囲まれた空き地の中にひしめきあうように設 置されていた。この広場は海から30メートル程の防潮堤のすぐ内側にあり、私が歩いてきた海岸沿いの道路から全体を見下ろせる。かなり強い風に雨がまじる。
 防潮堤の天端の道路を通り、本部の入口へ。敷地内は露地で泥濘の状態である。そこに明るいグリーンのコートを身に纏ったボランティア、消防団、警察関係者、胸にガムテー プの名札を付けた本部スタッフなどなど、5,60人の人がせわしなく動き回っている。
受付窓口らしきものは見当たらない。この日の作業中止の広報に回る人、車両の手配をする人、みな、数人から数十人のグループに分かれてそれぞれの相談をしたり、連絡を取 り合ったりしている。
 とにかく、自分でこの人達の誰かにアクセスし、自分の役割を見つけなくてはならない。迷っていても誰かが案内してくれる訳ではなさそうである。
 そう、ボランティアは自発的かつ積極的に自ら動かなければ、はじめることはできないのである。
 テントや人、プレハブの中をうろうろする。急造ゆえ、目立つ看板や案内はない。
 そこここの貼り紙の看板を頼りに受付テントを見つける。受付班の名札(ガムテープ製)を付けたスタッフに、用紙を貰い、ボランティア登録とボランティア保険への加入手続 きを済ませる。とは言っても、B4の用紙に上から順番に名前と住所、電話番号を書くだけであるのだが。
 「すみません。インターネットで、デジタルカメラの撮影の人手が要ると聞いたのですが、どこでしょうか。」
 「それなら本部で聞いて下さい。」
 本部ではメディアルームに、情報スタッフが詰めていると聞き、メディアルームなる小さな貼り紙のあるプレハブを捜した。


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4.メディアルーム初日


 さて、メディアルームであるが、なんと4畳班くらいのプレハブであり、入口のある側からは窓もなにもない。中は何があり、誰がおり、何をしているのか。全く窺い知ること はできない。把手を握り、おそるおそる開けてみる。
 中は、煙草の煙がもうもう。スタッフが20人近く。この小さな場所によく、と思うほどである。長机が3列に並べられ、上にはノートパソコン、デスクトップパソコン、プリ ンタ等が雑然と並び、入力作業がばたばたと進められている。FAX、電話は鳴りっぱなし。センター長の東角氏をはじめとする福井ブロック青年会議所のメンバーやメディアル ームのチーフ小野氏等、主だったスタッフは電話の応対や報道関係者の対応に忙しい。
 誰が責任者やら判らないので取り敢えず入口近くにいた女性に
 「受付でこちらに来るようにと言われました。デジタルカメラが必要であると知り持参しました。パソコンもある程度使えるのですが、何かお手伝いできるでしょうか。」
 「ここの責任者は小野さん、真ん中のテーブルでパソコンを打っている人です。小野三の指示に従って下さい。」
 こうして、小柄で細面のこの時は30歳後半とお見受けした小野さんの下での仕事が始まった。取り敢えず本部の付近の様子をデジタルカメラで撮影してきて欲しいとの指示を 受ける。ロータス(表計算ソフト)は使えるか。使い慣れたパソコンは何か。何時まで滞在するか、等、簡単な打合せをし、撮影が終わったら、ここメディアルームで、ボランテ ィア名簿の入力を行う、ということになる。指示にしたがい、スタッフ名簿に記録、スケジュール表に滞在期間を記入し、ガムテープ製名札を胸に張りつける。

デジタルカメラ大活躍


 早速持参したデジタルカメラ オリンパスC800Lの準備に入る。撮影だけなら何も準備は要らない。メインスイッチを兼ねたスライド式レンズバリアを開けるだけなのであ るが、撮った画像をパソコンに取り込むためのパソコンのセッティングが必要である。
 「空いている98か、PCATは有りませんか。」
 一台の98ノートを見つけ、背面に接続コードをセットし、持ってきた接続ソフトをインストールする。至って簡単である。
 準備万端、荒れ模様の天候が続く外へ飛び出した。防潮堤の端まで来ると海面でテレビニュースで見たあの船首部分が波に洗われている。思ったより近い。すぐ近くに大型ダン プ用の進入路が造られ、桟橋を伸ばす工事が行われている。船首と工事現場を見渡せる防潮堤天端道路の一段と高くなった場所に中部テレビの中継車が常駐している。中継車の一 帯と工事現場は一般立ち入り禁止となっているが、警備にあたっている警察官は、
 「ボランティア本部 メディアルーム」のガムテープ名札を付け、カメラを持っている私を見ると、通してくれた。完全にここの本部スタッフは、災害対策の要員としての役割 を担っているのだ。
 デジタルカメラを構えると風のため、構図がなかなか決まらない。船首を中心にしたショット、桟橋工事現場、荒れる海等のショットを撮影。本部まで引き返し、作業にあたる スタッフや消防団の一団を撮影。今日は防潮堤から下の海岸へは降りられそうにない。  メディアルームに戻り、カメラをパソコンに接続して、画像を取り込む。インターネットのホームページ更新を担当している曾良氏に最新デジタル画像がある旨を伝える。目的 に応じて撮った画像は大きさや構図を自由に加工できる。
 撮影作業が一段落つくと、ボランティア名簿の入力である。
三国町現地ボランティア本部が立ち上がったのが1月11日、それからこの日まで10日間のボランティア名簿は大半が未入力である。保険加入のため、確定人数の報告のため、 そして活動の記録のためにもボランティア参加者の名前はきっちりデータとして保存する必要がある。
 今日の作業は中止であるが、すでに現地入りしていた人等、午前中は少ないながら登録のみを行ったので、 9時、10時、11時と1時間毎に受付名簿が集積される。これを エクセルあるいはロータスのワークシートに入力していく。あとでファイルは変換し、エクセルで集計するのである。
 特殊なものでないかぎり、文書やデータベース、画像等のデータの互換性はかなり確保されるのである。

様々なハードウエア


 ここに配置されている機械(パソコン)は地元青年会議所所有のもの、企業から提供を受けたもの、そして圧倒的に多いのはボランティア持参のもの。とにかく寄せ集めであり 、ハードについては、98あり、マッキントッシュあり。ノートあり、デスクトップありサブノートあり。当然それぞれの機械にインストールされているソフトウエアも様々であ り、使い慣れた機械で作業するようには行かない。空いている、与えられた環境に慣れるしかないのである。
 住所録の入力は熟練した専門のオペレーターでも一日200行程度という。
最初は私も1時間で20行くらいしか行かない。日本語変換方式やキーボードの配置の些細な違いで、能率は格段に落ちてしまう。
 しかし、朝9時から夜10時まで、様々なコンピュータで表計算、ワープロ、ホームページ更新、通信等の作業を続けた結果、様々な環境での作業にも次第に慣れていったので あった。(なんと、3日目には日本で使われているマック、98、PCATの主要な3つの仕様のパソコンを一応使いこなせるようになるのであった。)

入力作業

 皆で分担して名簿を打ち込んでいくが、始めはなかなか思うように捗らない。スタッフのパソコンの腕前もいろいろで、なかなか進まない人もいれば、1ページ分の約30件ほどの入力が数十分でほぼ終わりかけている人もいる。これを小野さんが調整する。
 残っている名簿を確認し、各人の入力速度に合わせて、入力の遅い人には少なく、早い人には多めに名簿を配るのであるが、各人の作業能力と、全体の残入力件数をその場で把握し、配る名簿の枚数を決めるのは微妙なカンが要求される。2日目からはこの全体の進捗管理を任されたが、各スタッフは前述したように不慣れな機械やアプリケーションに適 応することを余儀なくされている。当然、操作や入力方法に判らない部分が出てくるので、パソコン教室のインストラクターのように、漢字入力の切替え、変換モードの切替えなどの質問に答え、操作方法を教える作業も加わるのである。
 人に教えることで、自分も今まで使っていなかった、マックや、その他様々なノートパソコンのいろんなポインタも、かなり自由に使えるようになってしまった。
 自己満足ではないが、私がパソコンを使いこなす能力は、ボランティアに参加したおかげで各段に進歩したことになる。

仕事は自分でさがせ。


 ここではいわゆる「支持待ち族」には仕事は回ってこない。入力すべき名簿の手書き原稿、ファックスや電子メールの送信、仕事は山積しているが、材料を見つけ、集め、手順 を決めて分担し、処理していく。これらの一連の作業はすべて、そのときメディアルームで作業しているスタッフが自分たちで相談し、進んで、「私はこれをします。」というふ うに、志願するのである。みんなボランティアであるので、基本的にはリーダーもいない。メディアルームでの経験が長い人、状況を把握している人が自然とリーダー格として働 くだけであり、指示する、されるの上下関係はない。
 こうした災害時のボランティアは例えは悪いが戦争での前線基地に似ているのではないか。
 自ら生き残り、そして組織に貢献できるものは、自然と指導的役割を担うようになる。
命令に従うしか術を知らず、能動的に行動できないものは、状況判断をあやまり、足手まといになるか、悪くすれば命を落とす。
 ここでのボランティア活動も同じである。生命の危険すらないではない。日本海の好転は、道路を歩くのすら危険にするからだ。また、自己管理がきちんとできないと、疲労、怪我等により、活動自体を続けられなくなる可能性もある。
 さすがに時間もお金も費やして、危険を伴うボランティア活動に参加しようとする意欲のある人ばかりなので、概して行動的な人が多かったが、中にはメディアルームの入口で声をかけられるまで突っ立っている。作業が終わってもぼうっと待っている。そんな若者も散見された。能動的に働き、的確な成果を出せるか、人間の総合力が問われる場所であ ると実感した。


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5.ボランティア参加まで


 1月18日まで
さて、私がボランティアに参加したきっかけであるが、実は阪神淡路大震災のときにまで話は逆上る。
 私は大阪府庁に勤める公務員である。その当時環境保健部に所属して、公衆衛生、健康づくり等の業務を担当していたので、震災の朝、今までに経験したことのない大きな揺れに突き起こされた私は、まず、子供と妻の安全を確認、ついで、自宅の回りに大きな被害がないことを確認し、一安心。
 かなりの被害が出ているに違いないと思ってテレビを付ける。NHKの朝のニュースのアナウンサーが実況放送を開始していた。最初は震源地は舞鶴とか、情報が2転3転するありさまであったが、6時30分を過ぎると次第にいろいろな情報が放送されるようになってくる。ヘリコプターからの映像も入ってくる。神戸のあちこちで火災が発生している 。阪神高速の高架が倒れている。といった情報にまさか、と驚きながらも、とにかく空前の大災害であることはまちがいないと確信した。
 これほどの災害であれば、役所でも救援活動、医療など、私の職場にも緊急の仕事が回ってくるであろうと、使命感に導かれ、途中までは私鉄で、地下鉄も環状線も普通である大阪市内に入ってからは40分かけて徒歩で職場についたのである。
 はたして、すぐさま神戸方面に駆り出されるとおもいきや、組織的な救援活動がはじまるまでの1週間、被害確認、保健所への連絡等の他はただ待つだけの日々が空しく続いたのであった。
 このとき、「困っている人のために何かしなければ」という気持ちを抱きながら、待つだけの時間の空しさ。私は、「自分の気持ちに従い、自ら行動を起こさなければ、人を救えない。次にこんな災害に出会ったら、誰の指示がなくても身一つで、とにかく行動しよう」と心に誓ったのであった。
 それから2年、ナホトカ号沈没のニュースに接し、とにかく、できるだけのことをしようと考え、1月15日から準備にとりかかった。

必要な準備、自分に何ができるか。
 幸い神戸の震災を契機として検討されていた、災害ボランティア休暇が今回の重油災害救援に対して認められることとなっていた。5日間。上司に申し出て手続きを執る。
そして情報収集。
幸い職場の端末でインターネットから行政情報そのたを仕入れることができた。検索エンジンでボランティア、重油災害等を探し、日本災害救援ボランティアネットワーク”セイブザコースト”日本海沿岸自治体や海上保安庁、NHKボランティアネットワークの他、個人のページなどでも最新で、かつ詳細な情報が手に入る。
  1. ボランティアに出掛ける前の心掛け
  2. 現地ですぐ働けるように、ボランティア活動(海岸の重油除去)のために必要な装備
  3. 現地で、自分が自活し、地元に負担とならないように、着る、寝る、食べるといった生活のための装備。
  4. 現地までの交通の確保。
  5. 現地で自分は何をできるか、どこで、どういった仕事があるのかの見極め。
  6. 先方で、「私は何をすればよいのでしょうか、」という状態は避けたい。
 到着後、迅速に活動に入れるよう、また、現地の人々に、負担とならないよう心掛けたい。
 インターネットのホームページの情報を元に、ニフティサーブの掲示板と、電子メールを活用し、現地の関係者や福井県や、現地で立ち上がっていたボランティアセンターに連絡をとり、情報を集約し準備を進めたのであった。

 その結果

  1. インターネットを中心とする情報発進業務に従事するスタッフが不足していること。
  2. 現地撮影、インターネット上での表示用に使う、デジタルカメラが必要であること。
  3. 天候は悪く、海岸での重油除去の活動は、作業中止になることが多いこと。
     がわかった。
 デジタルカメラ、電池、ケーブル、フロッピー等、現地で使えそうな消耗品、重油除去作業にも備えた合羽、手袋、杓の類、それに宿舎は雑魚寝ということで、寝具まで含めた 装備はそうとうな量であったので、1500CC平成2年型の愛車サニーで出掛けることにする。駐車場は心配ないことも確認した。
 ここまで調べがついたのが1月17日(木)の夕刻であった。自宅のパソコンの他、職場の端末でもインターネットに接続できたため、情報収集は大変迅速にできたと思う。  私はオリンパスカメラクラブ大阪支部幹事として活動をしていたので、ふと思い当たった、大阪のオリンパスサービスステーションに電話してみる。
 いつもお世話になっている大阪サービスステーションの飴谷氏が出る。
 「実は大変急な話なのですが、週末からボランティア活動で福井県に出掛けるのですが、オリンパスさんのデジタルカメラをお借 りできるとありがたいのですが。」急でしかも非常に厚かましい要求であるが、飴谷氏と上司の布川氏はデモ機と接続キット一式を調達してくれた。  翌日金曜日の仕事帰りにサービスステーションに寄り、カメラを受取り、出発の準備は整った。あとは荷物の積み込みをして、明朝早く出発するだけである。
 電子メールのやりとりの結果、情報発信はボランティア現地本部のメディアルームで行われ、責任者は東角氏であること、到着したら、メディアルームの彼を訪ねる、というこ とまで段取りが整ったのである

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6.ボランティア現地本部

 
 タンカー沈没が1月4日、漂着の危険を察知して、地元自治体や海上保安庁も当初の活動の立ち上げには時間がかかったようである。
 これに対し、ボランティア団体の動きは素早かった。
 沈没からほとんど看破津をいれず、NVNADのホームページで情報提供とセイブザコーストのボランティア集約の呼びかけがネット上ではじまった。
 神戸元気村の草島氏らが中心となって迅速な情報収集と頻繁な情報のアップデートを実行したのである。
さらに今回のボランティア活動で画期的であったのは地元福井ブロック青年会議所がボランティア団体、日本財団等の支援の動き、地元官公庁等の調整に入り、見事な連携を実現 したことである。
 現地ボランティア本部のホームページは当初、三国町青年会議所のページに間借りしたため、通常の開設手続きに手間取らず素早く機能することができた。また、既存の官公庁 とのリンクやJCネットの資産を活用し、関係各方面との連絡もスムーズに構築できたのであった。これに、ボランティア団体等でのネットであるNVNADが連携し、ボランテ ィア募集、現地情報の発信等に大きな役割をはたしたのである。

本部


ボランティア現地本部は青年会議所の東角氏をセンター長とし、消防団、警察、三国町社会福祉協議会等が協力して、総務、広報、車両、メディア、焚き出し、受付等の各班に分 かれ、それぞれ、めまぐるしくスタッフが入れ代わるなかで、継続的に活動をこなしていた。
 各班には長期ボランティアが可能な学生等の若者がリーダーとなり、リーダーやスタッフの交代もごく自然に行っている。そのときどきの相談でルールを決める。
 複雑なルールを固定せず、ときどきのスタッフのやり方に委ねるといった柔軟な運営が功を奏しているように見えた。

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7.インターネット大活躍


 世の中インターネットが流行りである。こうした流行に疑問を持ち、実際何の役に立つか疑問を感じる方も多いと思う。
 しかし、今回のボランティア活動でその威力に正直いっておどろいた。インターネットがなければ、今回のような大量のボランティアの募集、短期間での集中的活動もできなかったであろうし、地元、官公庁、ボランティア、その他企業等の大変機能的な連携も不可能であったと思われる。
 実感できる特徴
 例えば1月19日夕刻、悪天候のため、20日の重油回収作業を中止する旨、本部ミーティングで決定、ボランティア活動に参加していた人々に伝達すると同時に、インターネ ットで、翌日の回収作業中止の情報を直ちに発信した。
 この情報は、関係機関へのファックスの連続発信、リンクを張っている各ページ、電子メールでの関係機関への連絡等と合わせて、様々なネットワークに伝わった。
 当然、やや遅れて報道機関でも報道される。
しかし一つのホームページに発信された情報は、そのページにアクセスした人だけが見るのではなく、リンク先のページ、また、情報を見た人が自分のホームページに転載するするケース、電子メールでのクチコミ等によって、極めて短時間に多数の人に伝わるようである。今回は、最新の情報が、海上保安庁、警察、北陸を中心とする自治体、地元新聞や NHKホランティアネット等のボランティアネット等でも素早く、連鎖的に情報の更新が実施されたようである。
 かくして翌日、作業中止の情報を知らずに現地に着いたボランティアは皆無であった。 それでも、海岸での作業は無理でも掃除でもいいから手伝いたいという思いのボランティアがすこしではあるが訪れたが、こののち、作業決行の情報を発すれば、平日でも数百人のボランティアが集まり、中止情報を流せば、ぴたりとボランティアは来なくなる、というのが当たり前のようになったのである。

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8.情報管理の難しさ


一通の報道機関へのメール


ここメディアルームの発信する情報は、既にボランティア活動のオフィシャル情報として、半ば信頼されるようにまでなっていた。別に記者クラブを設けているわけではないのであるが、人数、作業の牛の中止、決定などの定時情報は、みな集計が終わり、一日の活動の最終時点で官公庁関係に最初に伝えられるのが暗黙のルールになっていた。
ある日、整理段階の情報が直接とある報道機関に送られていることがわかった。これはつまり、結果的にはリークということになる。
従来、問い合わせに応じて最新の断片的な情報でもそのままメールで求められるまま送信してきた名残から、何の悪意も疑問もなく、従前のように「電子メールの一斉送信先に加えておいてください。」という報道機関の求めにスタッフの一人が応じてしまったからだ。
ある新聞社からうちの知らない情報を某社が手に入れている、とクレームをつけてきた。
ボランティア活動とは言え、社会的にその活動が認知されてくると、情報発信にもそれなりの重みが生じ、個別対応ではすまなくなるということをメディアルームのスタッフ一同 認識した。以降、電子メール、ファックス等の送信先リストは官公庁、ボランティア活動団体、地元等に絞ることを徹底しようということになった。
(以下、工事中)

誤報、ゴシップ


  ボランティアとして一日数百人が集まる。常時百人程度が各地区で宿泊している。人間の活動のさかんなところ、ましてやナホトカの船首部分が横たわる三国町には報道陣がそれこそ雲霞のごとく集まっていた。船首部分と進入路を見下ろす岬の突端には中部地方のテレビ局の中継車が24時間体制で映像を送っている。環境大臣などが視察に訪れると、渦中の人物を取り巻き、ついて歩くテレビカメラ、記者、アナウンサー等の一団がまるで海面を行く竜巻のように地上を移動するのである。
(実際海のあれた日は竜巻が見られた。) 報道の加熱ぶりは当然のように、ガセネタや誤報を生む。
一番ボランティアにとって不愉快だったのが地元地方紙の、「三国ではボランティアがたくさん集まり治安が悪くなっている」というものであった。事実は一見の紛失物の届け出が情報源であったようだ。
また、海岸の重油除去活動中に倒れた漁師さんの死亡事故に対して、大手新聞がつけた見出し、「重油に殺された」なんという扇情的で冷静な分析を欠いた表現であろうか。一連の活動の結果の過労等はあったろうが、漂着重油にまきこまれたわけではない。これを見たボランティアに」行こうと考えている人々は躊躇するかも知れない。ボランティア参加者も、本部スタッフも事故防止に神経をすり減らし、危険個所での作業、グループを離れての単独での活動等は禁止し、パトロール隊までつくり、後日、健康管理のためのスタッフも設けたぐらい、気を遣っていたので、これにはみないい感じはしなかった。
その他にもボランティア活動にまったく関係のない水死事故やかなり離れた遠隔地での事件等、三国のボランティア活動と混同して、取材に訪れた報道機関がたくさんあった。
(工事中)
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