2004福井水害ボランティア

ボランティア


 8月1日(日)から3日(水)までの3日間ですが、福井県美山町の水害復旧ボランティアに参加しました。その時の体験レポートといくつかの話題を公開します。
 ナホトカ号の時には三国町のボランティア本部メディアル−ムで活動しましたが、今回は土砂の片づけなどに汗を流しました。
 なお、今後もより詳しいレポートを作成してゆく予定です。個人的な体験からのレポートであり、誤り等あるかと思いますが、お許しください。

勉強になった点。(10月時点)
執筆時の時系列はページ内の記載と前後します。

1災害ボランティアには精神的強さも必要。
 被災地のみなさんは悲嘆にくれている方もおられる。お話をうかがったり、ボランティア活動の際のうちあわせなどで地元被災者の方とお話する機会もかなりある。
 お話を聞いて精神的にシンクロしてしまうことが少なくなかった。
 ===○○さん(集落の人)が流された。出水時に出かけなければ流されなかったものを。。。と話すボランティア支援の方。
 ===キーウイを育てていた棚の「アルミ」だけでもなるべくそのまま残してほしい。。。最終日、流されてきて住宅にぶつかってとまった「倉庫」を片づける作業をした。小屋と流木、その他漂着物を解体、撤去する作業。作業中に受けた依頼だ。しかし、水の勢いで大きく壊れている。また、草やツルやゴミがからまってなかなかうまく行かない。よく見れば丁寧に端を斜めにカットしたアルミ角材。銅線で角材どうしを止めるところも本当にきれいに巻き付けてある。キーウイの実は大きくふくらみ、収穫寸前だったろう。キーウイも棚も手塩にかけたものであったことに気づく。
 ===避難した役場の窓から自分のクルマが流されていくのを見ていた地元ボランティアの方。。。
 ===床下泥の撤去のとき、身体も大変だったが、被災者のお話を聞くのが一番つらかった。。。と言うボランティア仲間の話を聞いて、また辛い思い。
 被災者の本当の辛さは、わからない、と思いながらも、どうしてもシンクロしてしまう。気が滅入ることもある。逆に、がんばりすぎることもある。後者が特に要注意。キーウイの時は休憩を忘れそうになった。が、それではひょっとすると倒れてしまうかも知れない。
 あるところで冷静に、第3者的に作業をする精神的な強靱さが必要、これは、気持ちの持ち方でかなりコントロールできるので事前に心がけた方が良いと感じた。
2装備は言われたとおり完璧に
 ホコリがひどいとは理解していた。マスクはボランティア本部で受け取った。しかしゴーグルは必須ではないと思って持って行かなかった。たいていの作業では必要を感じなかったが、2日目の作業は、ガードレールにからまったゴミ、流木片づけであったが、「ガードレールの清掃」で軽作業。」というアナウンスに油断したのもあったが、川風に乗って目の前のゴミにスコップを入れると猛烈な砂塵が(ゴミ清掃と言っても蔓草、流木、流木に泥土がからまったものにガードレールが埋まっている。スコップで掘り出すことになる。)目をつぶらないと作業できず、たびたび中断。
 ゴーグル、マスクが必要と判断されたが、地元ボランティアの方がおかあさんに携帯で電話して調達、持ってきていただけた。助かったが本部にはゴーグルもあったので、常に持っておけば良かったと反省。
 ここまで要らないだろうと思ったペットボトル飲料(私は多い目に5本は持って行った)も多くてちょうど良かったし、塩も梅干しもやはり必要であった。
 道具も、要らないだろうけど運んでもらえるなら、と持って行くことにしたもの(バール、鋸、そのた場合によっていろいろ)が役に立って「持ってこなければどうなっていたろうか」と思う経験を何回もした。
 必要と言われたものは、自分では要らないと思っても準備する。体力、運搬手段などとの兼ね合いがあるが、 準備できる装備はなんでも準備することが、重要だと感じた。
3ボランティアの役割とは
 ボランティアのする活動の範囲について。今回得難い経験をし、強く感じたことがひとつある。ボランティアが入る被災地には当然様々な組織、団体、人がある。どこをボランティアがやるのか。なんでも頼まれたことをやる。一つの答えである。
 ボランティアが効率的にやって喜ばれることがある。
 行政が責任を持つべき仕事がある。
 阪神大震災のときの某府知事の発言もあるから、被災者の方がやるべきことは、災害の直後の状態ではないと考えよう。実に本当は被災者の方がやるべきこと、というのは、(ボランティアセンター本部の方も言っておられたことであるが)ボランティア活動終息後の息の長い復旧、復興、職業や生活の再建だと私は考える。

== ボランティアの得意なこととは?
 手作業。人的作業、人海戦術が効率的なもの。機械でできない仕事。労働以外にお金がかからないこと。そして、被災者の身近の人間的な作業。

==  行政(公共)が責任を持ってやるべきこと。
 災害対策、と言ってしまえば身も蓋もないが、まず、道路、交通、電気ガス水道などのインフラストラクチャー(基盤)の復旧。これは美山では相当素早く対応されたと思うが、これも置いておいて。  ボランティア作業の得意分野と対比して言うと。
 機械作業(車両・特殊車両や建設機械を使わないとできないこと、その方が効率的なこと)
 お金がかかること。お金を使えばできること。
 被災住宅の床下から泥を出す作業を例にとると、ボランティアは、被災者のお話を聞きながら家具を洗い(手作業)泥をすくっては搬出する。(人海戦術)床板をはがすのは、被災者の方にお願いしないと行けない部分もあろう(壊す作業だから)。で、泥土を庭に集積(人海戦術)。ダンプで土砂の集積場所に運ぶのは、後ほど行政にお願いしたい。
 大特免許を持っている人が居るからと言って、河川の流木片づけを重機でやるのも行政、特に河川管理者にお願いしたい。
 今回は水害対策を言うことで、作業には実は治水、治山作業への理解が必要になる。
 例えば、民家などから排除した泥土や流木などを河川に捨てる場面があった。しょうがないから、許されるのか。実は流木は大きなままで捨てると次に同レベルの出水があったときは、橋桁にぶつかったりして落橋や破堤の原因になるかもしれない。
 広いからと言って、泥を回収した土嚢を河川の高水敷に集積するのも実は問題がある。パラペット堤防が破壊された箇所では、堤内地(川の流水に対しては堤防の外側の地域をこう言うらしい。堤防で囲まれた内側に人が暮らしている。)でも油断できない。冠水したところは避けないと、同じ規模の出水があると流される。
 しかし、行政の専門家から適切な情報提供があったとはいえないようだ。県、土木事務所などとボランティア本部とはこうした問題について、情報のやりとりはあったようだが、「予算がない」「しょうがない」レベルのやりとりで終わったようだ。本部に土砂捨て場などについて相談して間接的にそのように受け止めている。
 しょうがないならしょうがないなりの次善の対策について、少なくとも具体的な指示は現場に行き渡っていなかった。今回、職業柄もあり(大阪府庁職員)一番気になった点である。
 
4それでもボランティアはやり甲斐がある。
 歩いているだけでも、頼もしいなあ、と声をかけてくれる地元の人にたくさん出会った。
 暑い中、手押し車(シルバーカー)を押しながら飲み物を差し入れてくらた高齢女性がいた。しきりに「自分の家は大丈夫だったけど、若い人は偉い。」ということを繰り返し言っていただいた。
 存在そのもの含め、さっきのついついシンクロしてしまう、どういうのか、気の毒な、辛い、被災の話を聞くことも含め、来て、居て、役に立っていようがいなくても活動している存在だけでも力になっていることは間違いないと感じた。だって、10人いようが20人いようが現場に着いたときには「人力で、こんな作業が一日で片づくのだろうか?」と必ず思うのである。昼休みには「うまくいくとできるかも知れない」撤収時には不思議にちゃーんと相当の延長の水路が復旧していたり、多くの流木が片づいていたり、道路が綺麗になっていたりする。
 また、若い本部スタッフの皆さん、経験者も居れば、初めての人も居たようだが、いろんな社会の断片、集まってくる多様な人間の断面に、一喜一憂しながら、真剣に悩み、奮闘されていた。ボランティアセンター、社協の職員の方もそうだけど、それぞれの立場で、真摯に役割を果たす仲間を身近に見ることができた。今の日本では、職業や学校社会、地域社会でも、ボランティア活動より、真剣に頑張る機会の方がひょっとすると少ないかも知れない。
5台風23号、新潟の地震ではどうするか?
 余震の中、ボランティア活動を開始することが適切かどうか、判断が難しいようだ。が、ニーズは避難所などで徐々に高まってきている。
 救助、2次災害防止活動と、道路の復旧、家屋の修復などの基盤の復旧、人的・精神的分野を含めたボランティア活動が長い期間並存することになると思う。
 今の時点で思うのは、余震が続く地震、という難しさと、自治体によって情報発信、ボランティアや物資、義捐金募集のアナウンスの早い遅い、上手さ下手さに自治体間格差があると言うことだ。
 今のところ現地にも出向いていないし、頭と口だけの自分であるが、何かできることがあれば、と思っている。ただし、自分の仕事や生活があるため、ままならない。
 兵庫県の水害もたまた大変である。

帰ってきてとりあえずの感想

 以上、作業の合間・休息時間などにに撮ったデジカメ画像ですが、被害のひどいところでは、作業が大事。大木が田んぼの真ん中にごろごろしていたり、あちらこちら泥だらけで、乾燥するとほこりだらけです。水路の泥上げを中心に作業しましたが水を含んだ土砂や、大きなゴロタ石や砂礫の混じった土、固く乾燥した土など、道具も役にたったりたたなかったり、スコップに一杯が重労働、こたえます。
 民家の泥片づけなどは終わりつつあるようですが、まだまだ、用排水路(農業盛んな土地柄だけに大変なことだろうと思います。)細い水路で順々にすべての田を潤し、排水もできるようになっているため、一カ所でも土砂で詰まったところ、漏水するところがあっては困ったことになるようです。 
 一見、復旧作業はお年寄りが多く、集落のポンプ施設など、パブリックな施設の復旧に頑張っておられ、住宅以外の個人の畑、倉庫など、手つかずのところがまだまだあるようです。
 今回、現場に行っただけで実感できたのは水害の怖さ。
 今回の水害のボランティアは、福井各地で今週中に終了するところが多く、多人数の組織だった活動は、終わるようです。
 しかし、生活の場ではまだまだ爪跡が残っており、被災された方々は大変だろうと思います。
 あちこちで、喜んでいただき、親切にしていただき、自分としても得るところが大きかったと考えています。
 また近日中にアップします。
 なんでもいい。ボランティア一度は経験されることをお奨めします。人間変わるかも知れません。

第1日 ボランティアセンター到着まで


 大阪からクルマで北陸道を約2時間。美山町は福井インターから10分程度で下字坂ボランティア専用臨時駐車場の看板が見えてきた。入り口が小さく、少し行き過ぎたがボランティア送迎のシャトルバスが出てきたので、それと気づく。
 駐車して荷物をおろし、作業用の服、軍手などを準備、現場に着いてすぐに活動できるよう荷物は携行する最小限のものをバッグひとつにまとめる。先ほどボランティアを満載して出て行ったバスに続いて、もう一大マイクロバスが待機している。
 ボランティアセンターのスタッフの指示に従い、乗り込む。シャトルバスと行っても、福祉施設で使用しているものであろうか。車いすのまま後部扉から乗り込めるようになったもので車内後部には座席がない。
 今日は昨日の土曜日と同様だと、千名以上のボランティアが来ると予想され、町も車両を総動員しているのであろう。作業服と長靴で固めたボランティアにとっては後部の方が乗りやすく、迷わず後ろから順番に詰めて座る。水害発生以来被災地を走り回っているせいか、バスは元の色が判らないほど、車体下部を中心に泥で汚れ、茶色っぽい色に見える。被災地の状況が想起され、緊張感が高まる。
 私の他にも同様に臨時駐車場にクルマで駆けつけたボランティアが20数名。さすがに若い人が多いが、見たところ、私と同年配かそれ以上の人も。女性、学生だろうか、も数人。
 発車、整備された国道、真新しいトンネルには水害の影は全くない。しかしトンネル抜けて、足羽川(あすわがわ)の鉄橋にさしかかるとひとつまたひとつと水害の爪痕が見えてくる。ちょうど、町の観光施設あいくいてい、ごっつおさん亭のところだ。左手(下流方向)の河川敷にはおおきな流木が。岸辺の護岸のない部分は、川面のすぐ近くの杉木立は一部なぎ倒されており、また、枝、草、蔓、ゴミがからまりひっかかっている。川の水は前夜の台風10号の影響か黄土色の濁流で、水位も低くはない。低水路いっぱいに水が流れている。
 右手の水田のなかには同じく流木が転々と。鉄橋の高さとあまり変わらない地点まで水が達していたのだ。遠く下流を鉄橋から見通すと、コンクリートの護岸がさらわれ、抜け落ちたようになっている箇所、一旦流されたのを引き上げたのだろう。高さ60cmほど、10mくらいであろうか、パラペット堤防が堤防上に積み上げられているところも。土嚢で仮復旧されているところもある。
 また、国道沿いに走る越美北線の線路はずたずただ。国道を進むにつれて、重機が入り、レエルと枕木を撤去してしまった箇所、雨のようにのたうっている箇所、道床が洗われ枕木と線路だけが浮き上がった箇所。
 被災地の厳しい状況を垣間見て絶句してしまう。作業環境も相当厳しくなるであろう。バスの中からもうわあと言う嘆息とも驚愕ともとれる声が上がっている。18日以降相当の復旧作業が行われているはずだが、まだまだ厳しい状況にあるようだ。

ボランティア本部


 バスから役場、学校、その他の公共施設が見えてくる。その中に瀟洒な建物群が見える。みやまきごころ文化の郷、である。文化ホール、交流館、図書館、イベント広場などからなる複合施設であるが、これら施設の駐車場と府イベント広場がボランティアセンターに充てられている。
 交流館の一階事務室がボランティアセンター本部。イベント広場に数張りのテントが配置され、ボランティアの受付、待機、物資補給や資材置き場などに充てられている。
 本来美しい煉瓦貼りの広場であるらしいが、泥と土ぼこりで面影はない。植栽も泥だらけ。美しい玉砂利は泥と混じったため、回収して洗浄が必要であるとあとで聞いた。)この日は朝から陰っていて日差しは強くなく風もあってしのぎやすいのであるが、風で舞い上がる微細な砂塵がひどい。
あちこちに回収された土砂が土嚢につめられて山をなしている。
 バスを下りて、早朝まだボランティアの数も本部スタッフの数も少ないが、ざっと見渡すと受付の流れがすぐ判った。受付でボランティア活動受付表に氏名、年齢などを記載。これを以て待機テントで待機する。ボランティアニーズ(つまり被災地の方からの作業要請)が本部に入ると地区名、作業内容、必要人数、注意事項、必要機材などがアナウンスされる。体力やまあ最終的にはボランティアの本人の志望、ということになろうか、に合致するものがあれば、手をあげて応募する。

ボランティア本部
ボランティア本部
本部スタッフに合流して一輪車のパンク修理
本部スタッフに合流して一輪車のパンク修理
 「東天田地区 30人道路側溝、水路等の泥上げ、重労働で体力のある男性の方向き」とのアナウンス。私は最初のアナウンスのあったこの作業班に志願。
 募集人員に達するとボランティア作業班が編成され、リーダーを一名決める。リーダーは自薦、他薦あろうが、基本的に志願。前日までに美山での作業経験があり、本部スタッフともなじみの人が自発的に引き受けていく。本部スタッフから水分補給や休息、マスクや帽子など携行品についての注意を聞く間にリーダーは送迎とスコップ等の運搬用の車両を配車し、全員揃ったところで点呼、帰り際にも同じ人数で帰ってくることがリーダーの責任となる。作業中の連絡や休憩の確保、地元の人との細かい作業の打合せなどもリーダーを通じて行う。
 今日のリーダーは山口県からキャラバンをレンタルして乗り込んだボランティア団体のメンバー。数人で乗り込んだそうだ。他にも数日間作業を続けている人がいる。すっかりだんどりが判っていて、点呼なども手慣れたものであるが、2日目だそうだ。経験者が多いのは心強い。私も三国町の重油ボランティアなど、ボランティア経験はあるものの、水害の復旧は初めてだ。
 かなり大きな作業班、マイクロバス1台に乗り込んで被災地に向かう。町役場と中学校、その他町の中心地から足羽川をわたる橋を渡り、山道を行く。川沿いには泥土を被った田畑や復旧を諦めたのか復旧作業も行われていない民家が堤防沿いに見える。  一旦足羽川を離れ、山あいの村落の間の道を行く。道路沿いには重機、1t詰めとか聞く大きな土嚢があちこちに。バスが進む時の砂埃もすさまじい。  また川沿いに出る。橋はどれもよく流れなかったなあと思えるほど橋脚や橋桁に大きな流木やゴミ、時には農機具であろうか、塗装された鉄板のようなもの、が引っかかっている。鉄製の手すりが激しく壊れて曲がっている橋もある。  足羽川の西岸「西天田」地区から橋を渡り東天田地区に入る。一見集落の中は平和で被害も少なそうに見えたが、ミニユンボで作業をしている地元の人、足羽川に流れ込む支流沿いにやはり土砂が残っているのが見える。  東天田の集会所、神社の境内らしく立派な鳥居の足下にある。に到着、下車し、スコップ、一輪車などの機材をおろし、地元の人と落ち合う。作業箇所が複数あると言うことで3つの小班に分かれることになり、それぞれにリーダーを決める。
 私が向かったのは渓流沿いの道路側溝。(写真参照)
7人ほどの班で側溝ということであったので、鋤簾、くわ、平スコップなどを中心に持って行く。渓流自体は今日は、穏やかな流れで清らかな水。これが水害の日には大きなゴロタ石を含め山土、泥を流してきたとは。  各自のペットボトル、タオル等の手荷物を渓流沿いに農道を80mほどあがった石碑のところに集める。土砂で埋まって存在さえわからない側溝があるらしい。道路を横断している箇所ははっきり判るのだが。その間延長約30mほど。道路横断部で2手に分かれ、作業開始。渓流沿いの風が涼しいのが救いだが、剣先スコップで何度突いてもほとんど掘れない。どうやら大きな石が固くしまった泥土のあちこちに埋まっているらしい。少し掘っては大きな石を取り除く。5分も全力で作業すると汗みどろで、頭がクラクラしてくる。早朝クルマをほぼノンストップで運転してきたせいもある。
 一日にペットボトル4本は必要、とはじめに聞いたときは、そんなに要らないだろうと思ったけど、ひっきりなしに水分補給が必要。
最初の現場の水路、復旧
小さな道路側溝だが、やはり重労働

1日目 午後の現場

 今度はやや下流に移動して、農業用水路の泥上げ。「ここに30cmほどの幅の水路が、」と言われてもどこが水路か判らない。完全に土砂に埋まっている。足羽川沿いに西天田地区からわたってきた橋の取付部まで延長200mくらいあろうか。深さもわからないのに30人ばかりでできるだろうか。
 下の写真にあるように、用水路沿いには木立があり、根を上にして枝に引っかかっている樹木もある。竹藪も、ごみや流木が掛かって水路沿いに歩くことさえままならない。
 それでも、比較的泥が浅いところから検討をつけて、掘る。
 コンクリート製のU字溝が姿を現す。深さも30cmほどだ。みんなに知らせる。復旧するべきものの姿が見え、作業量が把握できると、士気があがるというか、目標が見えて、作業の見通しも立ち、各自工夫もできるのであろう。作業の進捗が目に見えてあがるような気がする。
 橋の下流も含めて隣の地区の被害が内部分まで概ね復旧することができた。
 ただし、重機がないと無理な橋の「ねき」の部分に若干の未練が。その代わり、近隣の農家から申し出のあった農業用倉庫、その他集落内の側溝など、手作業が必要な部分数カ所の復旧も分担して行うことができた。
木が逆さまに木の枝に引っかかった
木が逆さまに木の枝に引っかかった。
不通になっている越美北線美山駅
線路を歩けてしまう。
不通になっている越美北線美山駅
 不通になっている越美北線美山駅。前後の区間では、線路が路盤ごと流されてしまったところや蛇のように 曲折しているところ、レールとまくら木のみ宙に浮いているところも。

2日目 朝谷地区 足羽川沿いの通学路、ガードレールのゴミ除却

 ニーズとしては「女性向き軽作業 ガードレールのゴミ拾い、特に必要な道具なし」ということであったが、下の写真のとおり、支柱にワイヤーを張ったガードレールにびっしり蔓植物や流木、ゴミが絡まっている。総延長200mくらい。女性含む10人で現場に到着したときには、無理と感じた。
 地区はボランティアセンターから川を渡った対岸朝谷地区で、センターから徒歩10分。道具や飲料も一輪車に積んで移動。
 とりあえず下流川から作業に掛かるが、道具不要の前評判にも関わらず、剣先スコップで突いてもバールを使っても、小枝や流木が水流で複雑に絡み合い、ワイヤー、支柱にまとわりつく。隙間を作るだけでもなかなか進まない。
 それでも一カ所きれいにするとそこを手がかりにして枝や切り株、時に立派な流木を取り除いていく。
 川風に押されて細かい埃が目やのどを襲う。耐えられず手を止める。マスクは用意したがゴーグルも不可欠。途中で本部に取りに戻ったり、地元に里帰り中の女性ボランティアの方、機転を利かせて家族に買い物依頼。
立派なゴーグルが人数分そろい、午後からの作業はぐんと捗った。
朝谷地区 被災状況1
朝谷地区
朝谷地区 被災状況2
朝谷地区
一輪車に道具を積んで現場へ
一輪車に道具を積んで現場へ
電柱にからまった流木、ごみ
電柱にからまった流木、ごみ
川沿いの通学路。ガードレール 清掃前
川沿いの通学路。ガードレール 清掃前
川沿いの通学路。ガードレール 清掃後
川沿いの通学路。ガードレール 清掃後
軽トラック?
軽トラック?
黒いTシャツ
黒いTシャツ 埃より汗と塩
 現地の作業ではボランティアセンターなどの記事でもあるとおり、一日2リットル以上の水分補給と十分な塩分補給が 必要と案内されている。私も一日3リットルのスポーツドリンク等を必要とした日もある。それに伴い塩分も相当失われることを実感。

3日目 小和清水地区の流された倉庫解体

 被害状況は写真のとおり。作業途中の写真で、実は解体作業に掛かったときは、その場に建っていた倉庫が半壊したもの、と思っていたが、よくよく聞くと300m上流から流されてきて、こちらの農家の建物にひっかかるように止まったとのこと。スチールの大きな物置。間口は2m半はある大きなものも一緒に流されてきたようである。農家の建物にはたわたに実ったキーウイの棚(アルミ製手作り)があったようであるが、土砂と流木など漂流物に覆われ、全く判らない。
 午前中は手作業で倉庫とスチール製の物置を解体。昼からは重機で解体した倉庫をダンプカーに積むとともに、土砂を取り除き、アルミ製のキーウイ棚を掘り出す。この日は月曜日でボランティアの人数も少ないが土砂やゴミの運搬用のトラックが不足しており、トラックがゴミを搬出して戻ってくるまで、積み込みができず、効率が悪い。
 それでも5人と重機でなんとか、格好をつけることができた。手作りのキーウイ棚、材料の一部が再建に利用できそうであるが、もとの通りとは行かず、申し訳ない気分になった。アルミ押出し材、アングル材などを真鍮線やリベットでくみ上げた美しい棚であった。倉庫一棟を丸ごと流してきた水の勢いがうらめしい。
小和清水 洗掘され、基礎が見えた民家
小和清水(こわしょうず)地区
漂着した納屋の解体現場
小和清水(こわしょうず)地区。
 木造トタン葺き10坪程度の倉庫とスチール製物置が300m上流から流されてきたと言う。手作業と重機で7割方解体が終わったところ
漂着した納屋の解体現場
小和清水(こわしょうず)地区
解体がほぼ完了。建物の壁際に漂着物が。下にキーウイの棚が埋まっているとのこと
小和清水(こわしょうず)地区
 解体がほぼ完了。建物の壁際に漂着物が。下にキーウイの棚が埋まっているとのこと
一日かけてほぼ完了した現場 流木、土砂の下からキーウイの棚を掘り出す。
小和清水(こわしょうず)地区
 一日かけてほぼ完了した現場 流木、土砂の下からキーウイの棚を掘り出す。
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