絵 と 詩 の ギ ャ ラ リ ー
「れんぎょう」

 

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ギャラリー 「れんぎょう」にようこそ!
 ご来場ありがとうございます。ここは、「絵一枚、詩一編」のとても小さな私的なギャラ リーで、その他のものは何もありません。今回はその27回展です。
 月始めからカナダに行き、11日夕に帰ってきて、12日は痴呆状態、13日に爆睡して、昨日やっとこのページを作りました。詩(?)は、旅先で書いたメモを清書しただけなので、かなりあやふやです。もし直せばよくなるようでしたら、そうしてみますが… (藤川昶/'02.7.15) (少しづつ手直ししています。 〜9.1)

れんぎょう

(藤川 久代 / 昭和62年4月)

 

   画の廊下



 あ じ さ い 

(藤川久代 / 2000年8月3日)

 

    詩の階段

                           
カナダ・グース 妄 想
                                
 ありふれた街中の公園。広い池の一画が、百羽以上の鴨の群に蔽われている。黒い頭、黒い頚に、純白の頬とタイが目に沁みるようだ。茶色の胴の上に、なだらかに傾きながら、それがスッと立っている。数字の2のような形で、広い水面に、撒かれたように浮いている。(緑の首のマガモも、隅の方に少しいる。)
 重さがないようにふわりと水面に浮き、じっと動かない、清楚な流線形は、メロディーがそこに見えているよう、とでも言うほかない。

 鴨が心にくっついて離れず、マリーン湖の岸辺の観光客相手の土産物屋で、一番小さいデコイを買った。(大きいのはうんと高い。)彩色されていて、材の木が硬く持ち重りがする。同行のカナダ住まいの娘が言う。「カナダ・グース。どこにでもいるから、すぐ見飽きた。これ(小さなデコイ)、なんか(本ものと)違うな。」

 カナディアン・ロッキーの高い山々の真下を直通するハイウェイを、数日、自動車で走った。
 いたるところに氷河と湖。北国のトゥリー・ラインは低く、灰褐色の岩また岩が淡青の空に重なる。大概の山肌に、分厚く堆積した岩層の条痕がはっきり見える。(この山脈の目立った特徴)。その一筋一筋の表わす年数のケタが、重く気にかかってくる。(時おり大形の野生動物に出会うのは、その都度ちょっとしたお祭りだ。)

 羽虫がフロントガラスに衝突しては小さなシミになる。運転の娘が汚ながる。そこで小さなユウレカ。「五分の魂は破れた内臓」。
 おれの五分の感官も、雄大、壮麗、怪偉な山々の岩壁に衝突しては、木霊のようにはね返るだけだ。

 ホテルでは早く目が覚めてしまう。(疲れるのがイヤだから、もっと寝たいのに。)カナダ・グースのことをとりとめもなく思う…
 カナダ・グースの気品ある装いは、いったい誰に見せようというのだろう? 自分にでも、おれにでもないことは確かだ。別のギースにだろうか? たぶんそうだとしても、ギースはどれも同じく美しく、どれも仲間を見ていない。というか、あるかないかのその小さな眼は、星座のように中空に止まったきりだ…

 そこでまたもや、怪しげなユウレカ(!?) 「世界は、厚さ幾千米を知らぬ氷河の断面、見られることなき美の凝固だ。」
 テレビ、写真等々 ―なんとも汚ない。レオナルド・ダ・ビンチだって、セザンヌだって、テレビほどではないにしても、見たり見られたり、クソであることには変わりはない。(クソはクソでも、クソマジメなところが、いいと言えばいいような気がしないでもないが。)

 若い時、眠る前に、沖の波を想うようなことがあった。モオツァルトの後期のシンフォニーの緩徐楽章を目をつむって聴いている時にも、人気ない沖合に波が高まり崩れた。
 「モオツァルトのかなしさは …(中略)… 空の青さや海の匂ひの様に、萬葉の歌人が、その使用法をよく知ってゐた「かなし」といふ言葉の様にかなしい。」(小林秀雄「モオツァルト」)

 世界は恐ろしいほど美しい、きっと。「きっと」と言うのは、しゃべり詰めで上の空の我々の意識には、なんかよく映らないから。(どうせコトバの上のことだから、「恐ろしいほど醜い」と言ったって、たぶん同じことだ。)
  人間は、今なら、生態写真家になって熊に喰われたり、一昔前なら、ゴーギャンみたいに南の果ての島でひどい目にあったりしながら、美の幻をつかもうとする。身も心もスッカラカンにはたいてしまう変人が、ほんの少しいるのだ。野生動物とか、太古の民とかに、この世ならぬものがチラッと映っているような気がするのだろう。

 だが、ありふれた街中の公園の、あのグースの装いは? …
 「野の百合、我々はそれを、すみずみまで享楽にゆだねられた、一つの体として想像してみることができる。… 植物であるということは、おそらく無限の痛みのようなものであろう。」(ラカン「セミネール 第17巻」)  (注 新宮一成「無意識の組曲 精神分析的夢幻論」より)

      雲上ノ結界 山
      荒野ノ他界 花

 「悠然トシテ南山ヲ見ル」  気取ってる。みだりに人間くさい。きらいだ。

美がまえにある
美がうしろにある
美が上に舞う
美が下を舞う
私はそれにかこまれている
私はそれにひたされている
若い日の私はそれを知る
そして老いた日に
しずかに私は歩くだろう
この美しい道のゆくまま
   (ナヴァホ族の讃歌)   (注 真木悠介「気流の鳴る音」より)
 木の声のような、羽の色のような、この歌が好きだ。歌われているとおりなら、我々はみな根は変人というわけだが… きっとそうなんだろうが、こうも美だらけではたまらない!  (2002年10月28日)

藤川 昶 (Fujikawa Hisashi) fujika@pluto.dti.ne.jp