絵 と 詩 の ギ ャ ラ リ ー
「れんぎょう」



あなたは 番目のお客様です。
 

ギャラリー 「れんぎょう」にようこそ!
 ご来場ありがとうございます。ここは、「絵一枚、詩一編」のとても小さな私的なギャラ リーで、その他のものは何もありません。今回はその20回展です。 (2001年5月15日 藤川 昶) 

れんぎょう

(藤川 久代 / 昭和62年4月)
 

  絵の部屋



ひなげし
 藤川久代/ 2001年5月)




   詩のページ       

    花 見 川 は 鳥 の 里

 花見川は鳥の里だ。花見川の左岸のサイクリング・ロードは、時候の良い休日こそ子供らの自転車でいっぱいだが、実は、朝の散歩とジョギングの道、近在の釣人の道で、ふだんは静かな中高年向きの道なのだ。そして鳥がとても多い。
 では、川下の浪花橋から、川上へ向かって走り(歩き)出そう。
 早朝、浪花橋の少し先の川端の高圧線に、くすんだ色の鳩が数十羽、ごちゃごちゃとまっている。毎朝餌を持って来るおじさんを待っているのだ。うまくいけば、餌をやっているおじさんの頭や肩に乗りそうな勢で、鳩どもがばたばた舞っているところが見られる。
 亥鼻橋の際でも、高圧線が川の上に架かっていて、そこに黒い鳥が数羽とまっていて、ちょうど五線譜の上の音符のようになっている時がある。音楽好きなら、あるいはそこに何かモチーフを読み取るのかもしれないが、楽譜の読めない中高年には、これは奇怪な偽(えせ)哲学の門である。「虚空に玉ゆら現われた鳥の配置は、普辺法則の幻の碑(いしぶみ)ならずや。これを『永劫回帰』の響き無き歌と解することの正否如何。」
 亥鼻橋から上流は、秋から春までは水鳥の楽園。多いのは薄茶色の鴨の仲間で、小さな群を作って冷たい鉱石色の水面を辷っている。見ていると、野生の喜びと自由が跳び散り、何とも気持がいい。夕方、停めた自転車に跨り、それらに見惚けて、無心に笑っている高校生を見かけたことがある。それが良くて、忘れられない。
 どんどん走ろう(歩こう)。
 向う岸が花島観音の花島橋を過ぎると道が土になり、人影もほとんどなくなり、本当に鳥の里だ。春は、鶯の声なんか、まるで雨だ。(嘘じゃないですよ。)浅緑色に縞の入った小さな卵のような鳥、濃い朱茶の鳥。「ウィアー、ウィアー」とけたたましく鳴き出して、「ウィ・アー・ザ・ワールド」の一句を英語でくり返し歌う鳥(これは「コジュケイ」というのかな。)
 春が過ぎると、鳥の声もずっと少なくなる。静まりかえった岸辺の木陰を走っていると、頭の中がしんとして、思考の機械の微かな震えさえ聞えるようだ。そんな時に、もし鋭い一声が空を切れば、その時「森に一羽の鳥がいて、その歌が、人の足を止め、顔を赤くさせる」(ランボオ)ことが再び起るだろう、若い日の至上の一時そのままに。
 終点の元池弁天の祠も、もうすぐです。

   ( 「カルチャー千葉」(千葉市文化振興センター)'87冬 第14号 に初出 )
                    


藤川 昶 (Fujikawa Hisashi) fujika@pluto.dti.ne.jp