絵 と 詩 の ギ ャ ラ リ ー
「れんぎょう」



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ギャラリー 「れんぎょう」にようこそ!
 ご来場ありがとうございます。ここは、「絵一枚、詩一編」のとても小さな私的なギャラリーで、その他のものは何もありません。
 今回で第10回展となります。詩は、引き続き「夜の歌」シリーズで、その5番目です。
 本当は、この他に特段申し上げることはないのですが、それではあまり無愛想なので、一言します。
 「夜の歌」というシリーズを思いついたのは、もうずっと前です。長年の間に、夜、というか、夢の詩で、自分でも嫌いでない詩がほんの幾つかあることが、なんとなく頭にあって、「夜の歌」という題の絵入りのごく小さな冊子が作れないかなあ、といったような空想が、いつともなく浮かんできました。(絵はSさんに、とも思っていたのですが、彼の都合がつかず、これは実現しませんでした。Sさん、言ってごめんね。)
 「夜の歌」×一年/隔月刊で、詩が六つ要る。一つ足りなくて、書いたのが、この小文です。これが詩?随筆じゃないの?(自分では手応え不明)。詩とは何か。とりあえず「わかりません」と言うほかないのですが、なんだか「これは詩だぜ」という判り方がありますよね。それでいうと、今回のは「天然果汁10%」ならぬ「天然詩味’X’%」です。もしよかったら、みなさんでこの’X’に、10とか、適当な数を代入してみてください。「ゼロ」? 仕方ありませんね。(藤川昶 ’99.9.15)

れんぎょう

(藤川 久代 / 昭和62年4月)
 

  絵の部屋
















ベゴニア

( 藤川久代
 1998.8










   詩のページ   

二  つ  の  絵
                                      ―或いはことばの習得についての簡単なメモ―

 こどもは、それを見ていると、いつも自分の中が森とし、遠くの方へ行ったようにな り、不思議な喜びに浸った。それを見るのが大好きで、飽きなかった。それはとても小さ な絵、兄か姉の誰か一人のクレヨンの箱の蓋の絵だった。(こどもは少し年の離れた末子 だった。)
 蓋一面に夜空の暗い藍、上の方に三日月が懸かり、(もしかすると黄色い丸い眼の梟も 隅の方に居て)、下には家々の黒い影、黄色い窓の明りがぽつりぽつりと灯っている。 どぶに落ちて泥だらけになり、おまけに握っていた一銭玉も落として泣いて帰ってきた ら、井戸端で洗濯をしていた母親が、笑って優しく体を洗ってくれた。水遊びで服をびし ょ濡れにしてべそをかいていたら、K―子ちゃんのおばさんが「こうしていればすぐ乾く よ」と言って袖をまくってくれた。そんな時は、嬉しさがいっぱいにこみ上げ、あたりに 日の光が溢れる。
  だが、クレヨンの箱の絵はそれとは違う。朝目が覚めてから、夜早くに寝るまで、気の 向くままに、家の内外のどこで何をしていても、よるべない、孤りぼっちの影が、いつも こどもといっしょにいる… こどもは部屋の隅に蹲っている。前の畳の上には、少し斜め に、手のひらに載るくらいのクレヨンの箱。夜の闇の中に、音なく黄色に灯っている、小 さな窓の明りが、こどもの耳もとに不思議なお話をそっと囁きかける。ことばにならない ことばで…
  どんなに狭くても、こどもには、世界中で一番きれいなもの。見ている自分が、絵の夜 の中に吸い込まれるようで、切ないほど懐かしい… こどもが「憧れ」ということばを知るのは、いったいどれほどの年月の後だっただろう か?そしてまた、与謝蕪村の「夜色楼台図」を知るのは?
  (こどもは幼なすぎて、このクレヨンを少しも欲しがらなかった。ただ、そこには字が 書いてあり、それを読んでもらって、「ダイヒャク」クレヨンという名前だと知ってい た。「第百クレヨン」?そんな銀行みたいな名前のクレヨンの会社が本当にあったのかし らん?大人になったこどもは、ずっと何か不得要領だった。)

  こどもは小学生になった。ある教科書の、春近く学年末になって習う終りの方の頁に、 貨物列車の挿絵があった。見開きの二頁の上の余白に、黒い小さな機関車を先頭に、同じ 形の小さな貨車が、長々と横に一列に繋がっている、カットみたいな絵だった。
 それを見ていると、こどもはいつも、ぼんやりして、遠くの方を見ている目になった。 (そんな時には、どうしてか、部屋の中に野の気配が立った、春風や土筆の出始めた堤な ど…) 夕方近く、光がやや黄ばみ始めた明るい空の下、遠くに線路が見える夢の原っぱに、こ どもは一人で立っている。前方の土堤の上の線路を、黒い貨物列車が長い間ゴトンゴトン と通り過ぎて行き、大きくカーブして、地平線の向こう、見知らぬ世界へと、ゆっくり遠 ざかって、小さくなってゆく。汽笛の遠吼え。残響が一時尾を引いて、寂しく空に消える …
 (こどもは汽車に乗るような旅行に連れていってもらったことがなかった。その頃のこ どもは、皆そうだった。遠足と運動会は嫌いだった。)
 漠とした希望と憂愁が溶け合った、何か涙ぐましく遥かな思慕の感情。それが「郷愁」 と言われることは知りようがなかったし、名づけようなどとはまるで思わなかった。

 成人してから、こどもは多くの絵を見、多くの画家の名を知った。(ほとんど印刷物か テレビで)。青年期、人並みにゴッホやゴーギャン、ルオーやクレーなどに感動したよう な気がした。(薄弱な興奮。感情の命名は、いつでも容易な事ではなかった。断片的な知 識もゴミみたいに増えた。)大人になると、もう少し深い気持でレンブラントの晩年の自 画像に搏たれたり、「大ガラス」に興味を惹かれ、駆出しのスノッブみたいになったりも した…
  それもこれも、長い花盛りの時節の一興だったのかもしれなかった。(もし百日紅が、 その晴れやかな一夏の思い出を語るとしたら、それが嘆息や後悔まじりの退屈な苦労話で はないと、どうして分るだろう?) だが、誰にも言わず、ひそかにあの二つの絵を好きだったように、絵が好きになったこ とは、その後二度となかった。あの無心の「好き」と、その裏に透明に広がっていた「よ るべない孤り」…

  時が過ぎ、やがてこどもも年取った。老人になったこどもは、思うことがある。「下り 勾配のきつくなる晩年に、運命がもう一度そんな天真を恵む(強いる?)ことが、時には あるのかもしれないな。」
 藤川 昶(夜の歌5 / '99.10.12)
                                          

藤川 昶 (Fujikawa Hisashi) fujika@pluto.dti.ne.jp