ご来場ありがとうございます。ここは、「絵一枚、詩文一編」のとても小さな私的なギャラリーで、その他のものは何もありません。今回は、その70回展です。 (2013年4月1日)

れんぎょう
(藤川久代/昭和62年4月)

つる草のリース
(藤川久代/2013.1.17)
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詩の廊下
「対称性人類学」(中沢新一)メモ
目鼻がついた。そんな気がした。少し興奮もした。
今頃になって、2004年刊の中沢新一「対称性人類学」(講談社選書メチエ)を読んでのこと。
中沢の「カイエ・ソバージュ」シリーズは全部読んだつもりだったのに、Xの「対称性人類学」というのがあることに、最近気がついた。9・11のとき、中沢の「緑の資本論」に強い感銘を受け、このホームページにもそのことを書いた。この書物の核心は「対称性」対「非対称性」の観念だった。それで「これは読まないわけにはいかないな」と思い、買って読んだのだが…
この本はもう買ってあって、「積ン読」の山の中に隠れていた! ただ、読んだ覚えはまったくない… のだが、ほんとはどうだったのやら。
以上、老いぼれの無意味な前置き。× × ×
二つの抜粋で、「対称性人類学」の要約に代える。
1.「まえがき」より
「対称性の考え(注1)によって、私は神話的思考の本質をあきらかにしようとすると同時に、「無意識」の働きに格別の価値を回復しようともしている。…… 対称性の論理で作動をおこなっている「無意識」は、欠けたところのない充実した流動的知性(注2)としての本質をもっている。いっぽうで認知考古学の研究は、現生人類としての私たちの「心」の形成を可能にしたのは、この流動的知性の発生にあったことをしめしている。つまり、「無意識」こそが現生人類としての私たちの「心」の本質をなすものであり、非対称性の原理によって作動する論理的能力は、この「無意識」の働きに協力しあうものでこそあれ、それが人類の知的能力の本質であるなどとはとうてい言えないことがわかる。私はこの対称性人類学という学問をもって、現代に支配的な思考に戦いを挑もうとしている。」 (7〜8ページ)
(注1)対称性の考え… 現実の世界の様々な非対称的なあり方(事物が一つ一つはっきりと区別され、論理的に秩序づけられた あり方)を否定したり、乗り越えてしまう、神話や夢などの思考のこと。
(注2)流動的知性… 約3万年前に、現生人類の脳に起こった革命的変化が可能にした知性のこと。分離した異なる知の領 域を横断的に連結する脳内の神経組織が形成され、その組織網を高速に流動する知性が生じた。
2.「終章・形而上学革命への道案内」より
「…神話的思考に見出された対称性の論理は、じつは無意識のおこなう作動から生み出されたものであり、その無意識はホモサピエンスの「心」の基体をなすものとして、どのような抑圧や情報化の操作や非対称性論理による組み換えが加え続けられようとも、人類の「心」の中で不変の作動を続けています。そのため、この無意識のおこなう対称性=高次元性=流動性=無限性をひめた潜在能力は、たしかに形而上学化(注3)された世界の中で自由な活動を奪われているように見えるけれども、それがひめもつ潜在的な能力を豊かに発達させていく可能性は、少しも損傷を受けていないのです。」(294ページ)
(注3)形而上学化… ハイデガー由来の観念。「キリスト教=一神教」、「国民国家」、「資本主義」、「科学」は、いずれも形而上学の形態として「同形」を示し、現代は、それらの仕組が有機的に結合して、その支配が全面化されている。おもいきり簡単に言うと、「現代は、対称性の心の基体から派生した非対称性の側に大きく偏り、それがあまりにも支配的になった、いわば「末世」である。今は、その乗り越えが長期的な課題として姿を現してきている。そして私たちの対称性の心は少しも損なわれていないのだから、長期的には希望はある」というようなことか。キーワードは「無意識」。
× × ×
こんな考えになぜ興奮したのか?(老人は心が冷え、おいそれとは興奮したりしないのに。)
それは、ぼくが「オワッタネ」と思っていたからだ。(なくなる前の木田元のように。)
自分ももちろん入ってしまうのだが、人間のやってきたこと、やっていることに、心底愛想がつきて、希望が消えた。
すべてはコトバから始まったような気がした。「始めにコトバありき。」毒リンゴを喰らって楽園追放。筋書どおり「最後の審判」もいずれ来るんだろうが、救われる者なんか一人もいず、起こるのは真っ暗な人類絶滅だろう。
東京あたりで、ピカピカでツルツルの巨大な超高層ビルを見ると、自分のまったき非力との極端な非対称に心が萎える(漠たる怒りも) …ような気がチラッとしたりしませんか? 二つの連想。原始キリスト教徒の目に映ったローマの都と、9・11の崩れ落ちる世界貿易センター・ビル。
超高層ビルはたとえだ。実体はハイデガーの言う「ゲシュテル」(注4)。
(注4) ゲシュテル… 「骨組、台」といった意味のドイツ語の日常語。ハイデガーの言うゲシュテルについては、「ハイデガー=存在神秘の哲学」(古東哲明著 講談社現代新書)に詳しい(というか、実はぼくはそれしか知らないのだが)。
一言で言えば、「現代の総体を根底から組織している、科学技術を組み込んだ構造ニヒリズム」― と言われても分かりませんよね。同書によれば、「社会組織も、国家システムも、経済機構もすべて…〔その〕管轄下におかれている…目にはみえないまるで怪物のような『強制システム』である。」(253〜4ページ)
ハイデガーは「ゲシュテルが君臨しそれにすっかり貫通され、仕組まれ、追い立てられて動く現代世界のありさまを、惑星帝国主義となづけた。」(247ページ)
そして、ゲシュテルは美名の陰に身を隠す性質がある。「進歩」、「ヒューマニズム」、「民主主義」等々々…
ゴヤの「巨人」を思い出す。
「闇は照らされず/ただそのありかを示す」(バイロン「眠れぬ者の太陽」より)
(これは、われわれ庶民は、心の底の底ではみんな感じてますよね。)
ハイデガーは、この前代未聞の怪物、ゲシュテルを前にして、どうしろといったのか?
「ハイデガーの答えは到って簡単だ。むしろそっけない。 どうしようもない。
どうか〈しよう〉なんてことがすでに人為。意志の立場。イカガワシイ。だから〈待つ〉。待ちながら、ひたすらゲシュテルという時代構造(同時に構造ニヒリズム)に、眼をひらいていたら、それでいい。そうあっさりいう。(中略)
この、「イエスともいわずノーともいわす目覚めつづける」態度。それが、いうところの放下(Gelassenheit = Let it be 在るがままなすがままに)である(「放下」)。」(同書262〜3ページ) 〔なお邦訳は「ハイデガー選集15・放下」で、古本です。ほかにもあるかも。〕ぼくは、ハイデガーをほとんど読んでないのだが、古東哲明氏のこの本を読んで、とくにそのゲシュテルの説明に震駭され、放下に同意した。ほんとうはよく知っていることを言い当てられ、それがはっきりした印象だった。現代世界ピントが合うと同時に、そういうことならどうなっても「モウイイヤ」となった。絶望?そうかもしれないが、反面、子ども時代に帰ったような、素朴な穏やかな気分。(背景には、「福島第一」やドジョウ一派による民主党(政権)の壊滅があったのかもしれない。)
それなのに、無意識、神話的思考が人間の心の基体であり、それは今でも「少しの損傷も受けていない」となれば!
一条の新しい光がパッと心に射すようだった。(ゲシュテルの根はどうしようもないニヒリズムなのだから。)× × ×
今回は粗筋だけで、骨皮筋ヱ門の、分かりにくい上にまるでおもしろくないシロモノになってしまった。もう少し言いたいことがあるような気がしているが、準備して次回にでもどうかな、と思っています。(「シュールレアリスム」、カスタネダの「ドンファン}、新宮一成の「カフカ論」など…) (2013年4月4日)