帰郷 11月も終わりが近づいたある日、仕事を終えた私は駅への道を急いでいた。駅へ着くと緑の窓口に並んで自分の順番を待った。しばらくして私の番がきた。「すみません。12月29日ですけど、博多まで新幹線空いてますか?」と駅員にたずねた。駅員はしばらく無言のまま端末を操作した後に「すべて満席ですね。」と答えた。「すべて満席・・・」初めての帰省となる自分には予想していなかった答えであった。「えー、あのー、そ、それじゃ寝台はどうですか?」再びたずねると、すぐに「空いてませんよ」と返事がかえってきた。「じゃあ・・・いいです。」力なくそう答えると窓口を離れた。「切符が取れない=帰れない」ぼおっとする頭でそんなことを考えながら夕暮れの街を寮へと向かって歩き出した。冷たい風が吹きつける人気の少ないドブ川ぞいの道を歩きながら、だんだん目頭が熱くなってきた。だけど泣いてはいけないと思い上を向いて歩いた。夕焼けがにじんで見えた。私はこの春、熊本から上京したばかりであった。たくさんの夢や希望を胸に抱いていた。3月の下旬から新人研修が始まり、4月1日に入社式があった。しばらくは仮配属ということで組み立てラインに入って仕事をしていた。単純作業ではあったが楽しく頑張っていた。しばらくして正式な配属が決まった。全く予想していなかった交替勤務の職場への配属であった。私は大きなショックを受けた。採用試験の面接で交替制になってもよいか質問され、はっきりと「いやです。」と答えたはずなのに・・・何故?会社というものが信じられなくなった。数日後、配属先へ行った。工場の片隅にあるその職場はうす暗く機械の音だけが響いていた。そこで働く人たちの表情もなぜか暗く見えた。私の仕事は自動機械のオペレータであった。オペレータというと何やらかっこよく聞こえるが、実際はたびたび故障を繰り返す機械を油まみれになりながら修理する日が多かった。また機械の音がかなりうるさいので仕事中は耳栓をしなければいけなかった。組み立てラインに配属された友達は椅子に座って楽しそうにおしゃべりしながら働いているのに、自分は汚れた作業着をまとい耳栓をし一日中立ち仕事だった。さらに私達の職場は工場内の他の職場から偏見を持たれているようだった。「ちょとおかしい人達が働いている」と思っている人がたくさんいた。しかしそれは全くの誤解であった。ただ私が配属される直前に自殺者が出ていたらしいのだが、そのことを知ったのはずいぶん後の事だった。仕事納めの日がやってきた。私はついていないことにその日は夜勤であった。夕方に起きて食事をしていると納会を済ませた先輩や同期の人間が続々と帰ってきた。田舎が近い人はそのままそれぞれの故郷へと帰って行った。午後10時を過ぎて私が出勤する頃には、かなりの人がいなくなって寮はしんと静まりかえっていた。いつもより重たい足取りで工場へと出勤した。工場の門には門松が飾られ工場内のラインには大きなビニールシートがかけられきれいに片づけられていた。午後11時を過ぎ仕事を開始した。少しでも早く朝が来るように願いながら仕事をした。眠気と戦いながら働いているうちに、だんだんと外が明るくなってきた。早めに仕事を切り上げて大掃除を済ませた。午前7時より納会だった。休憩室で紙コップのビールで乾杯した。疲れきった体にはコップ一杯で十分過ぎる量であった。千人以上の人が働くこの工場で、たった十人足らずの人間だけがこの早朝に納会を行っていた。盛り上がる元気もなくきわめて儀礼的に終わった。ふらふらしながら寮へ帰りながら、故郷へはいつ帰ろうか考えていた。とにかく猛烈に眠かったので「とにかく帰ったら寝よう」それだけを決めた。寮に帰りつき風呂に入ってから午前9時過ぎに布団に入った。しかし体は極限まで疲れているのにアルコールのせいかなかなか寝付けなかった。こうなったらこれからすぐ帰ろうと思いたち、布団をたたんでバックに荷物を詰め込んだ。寮を出て私鉄の駅へと向かった。時計は午前11時を少し廻っていた。東京駅は人で溢れていた。ホームにはロープが張られ駅員がひとごみにもみくちゃになりながら必死で列車を待つ人々を整理していた。私は途方に暮れながらもとにかく列の一番後ろに並んだ。先頭がどこになるのかさえわからない状況であった。夜勤明けの疲れきった体で博多まで7時間、乗車率200%の列車に立っていくのはとても無理だと思い、列車を一本遅らせれば座れるのではないかと考えた。ホームに列車が入ってきた。少しずつ列は移動し前の方へと進んでいった。しかしまだたくさんの人が乗れずに残ってしまった。「仕方ない。もう一本待とう。」と思った。博多行きは一時間に一本しかないから、一本待つということは一時間ホームに立っているということだが、それでも我慢した。もう一本見送り、午後5時前に最終列車にやっと乗り込んだ。車両の中央の窓側の席に座ることができた。しかしたくさんの人は座ることが出来ずに通路いっぱいに立っていた。それを見るとなんだか自分が悪いことをしているような気になった。「俺は疲れていんだ。何時間も待ってやっと座れたんだ。」そう心の中で自分にいい聞かせていた。ちょうど午後5時に列車は博多へ向けて発車した。私はサングラスをかけて眠るように努力したが、疲れと緊張でほとんど眠れずに過ごした。博多に着いたのは、午前0時を過ぎた頃だった。ぼんやりした頭で「どうせもう乗り継ぎの列車なんてないだろう。待合室で寝るか。」と考え列車を降りた。改札へ向かう途中、構内放送で何かアナウンスがあったがぼおっとして何だかよく分からなかった。私は博多までの切符しか持っていなかったので一度改札を出て改めて時刻表を見た。午前0時30分に熊本までの特急列車があった。「しまった!」と思い時計を見たら、すでにその時間は過ぎていた。仕方がないので待合室へ行った。暖房が入っており数人がそこで休憩していた。私も椅子に座って暖かいコーヒーを飲んだ。しばらくして駅員がやってきた。「この待ち合い室は午前1時で閉めますので、外へ出て下さい。」「そんな非情な」と思いながらも文句も言えず外へ出た。待合室の外はだいぶ冷え込んでいた。博多の街中へ行こうかと思ったが方向が分からないしホテルに泊まる金も持っていなかった。とにかく風があたらない場所を探して駅の中を歩き廻った。ようやく大きな柱の影が風が当たらないことを見つけそこにもたれかかった。駅の構内とはいえドアもないので外からの冷たい風が吹き込み相当寒かった。コートの襟を立て震えながら立ったり座ったりしながら過ごした。なんで自分がこんなところでこんなことをしているのか分からなかった。ただ朝が来れば始発の列車に乗って熊本へ帰れることだけを考えていた。やがて朝がきた。といっても真っ暗だが始発列車の時刻となった。始発の普通列車にはほとんど人は乗っていなかった。列車は南へと向かって走り始めた。やがて朝日がのぼり明るくなってきた。やけに眩しいと思ったら雪が積もっていた。ゆっくりとしかし確実に列車は熊本へ近づいていった。県境を超えてだんだんと見覚えのある景色が目に映ると、ほっとして周りを見渡す余裕も出てきた。 玉名を過ぎると熊本はもうすぐだった。懐かしい風景が朝日を浴び輝いて見えた。午前8時、熊本駅に到着すると改札を出て、公衆電話から実家に電話を入れた。私がすでに熊本駅にいると伝えると両親は少し驚いて、喜びに溢れた声で「待っとるけん。」と言ってくれた。久しぶりにバスに乗った。バスは熊本市の中心部を走り故郷の町へと近づいて行った。一時間ほどかかって目的のバス停に着いた。バスを降りると急ぎ足で家族が待つ家へと歩いた。10分足らずで家につき玄関のドアをたたいた。ドアが開くと両親が出迎えてくれた。こたつに入って暖まりながら明るい顔で、この春からこれまでの出来事を一気に話した。話し終えると急に眠くなってきたので布団を敷いてもらい眠った。久しぶりにぐっすりと眠った。こんなに安心して眠ったのは本当にどれくらいぶりだっただろう。故郷は暖かかった。