さらば東洋の巨人 「ジャイアント馬場が亡くなった」とのニュースを聞いた時、僕は自分の耳を疑った。最近はほとんどプロレス中継を見ていなかったし、プロレス雑誌も読んでいなかったのでG・馬場がリングを休んでいたことさえも全く知らなかった。ただ、最近「馬場さんテレビに出ないなあ」くらいは思っていた。僕が初めてG・馬場を見た(といってもテレビのブラウン管ごしだけど)のは、小学生の頃だった。当時、僕が住んでいた熊本では日本テレビ系の放送局がなかったので、土曜八時にプロレス中継はなく、数週間遅れで土曜日の午後に放送されていた。そこでドン・レオ・ジョナサンやボボ・ブラジルと対戦する姿を見たのである。残念ながら全盛期はやや過ぎていたが、体には筋肉がついていたし、リング上で走っていた。身長209cmと聞いて自分の家の柱で高さを計ってみたら、ほとんど天井まであったので、子供心に「わあ、大きいなあ」と思ったものである。また、小学校の廊下に壁新聞が張ってあったのだが、そこに馬場のPWF連続防衛のニュースがあったの覚えている。プロレス人気が衰えていたとはいえ、まだ全日本も新日本も国際もゴールデンタイムで放送されていた時代であった。馬場は1960年のデビューから通算5759試合もしたらしいが、僕が一番記憶に残っているのは、世界タイトルを獲得した試合ではなく、またタイトルマッチでもない試合である。それはブルーザー・ブロディとの試合である。その試合で馬場はなんとあのブロディからピンフォールを奪ったのである。試合がシングルマッチであったか、タッグマッチであったかも覚えていないが、そのシーンだけははっきり覚えている。馬場はコーナーポスト上からブロディに覆い被さり、そのままカウント3を奪ったのである。「あの、ブロディからピンフォールを奪うなんて・・・馬場ってすごい」と思ったものである。いまになって考えれば、全日本プロレスの社長である馬場と、そこに呼んでもらって収入を得ている外人レスラーの関係を考えれば仕組まれた結末であったのかも知れない。(たぶん、そうだろう)しかし、年齢を重ねていくにつれて、馬場からすごさというものは消えていった。が、存在感の大きさは最後まで消えうせることはなかった。まさに大きな人であった。もう10年ほど前になるが、僕は全日本プロレスを2回ほど見に行ったことがある。リングサイドの席からリング上の馬場を見た時、あらためて馬場の大きさに驚かされた。何度もいうがスケールの大きな人だった。馬場がいなくなった全日本プロレスはごはんがない夕食みたいなものだろう。猪木が引退し、馬場が亡くなった。坂口も長州も鶴田も引退した。前田さえも引退してしまった。僕の中でプロレスは終わってしまうのだろうか?いや、もうすでに終わっているのかも知れない。だけど僕の心の中では16文キックや必殺のネックブリーカードロップを繰り出す馬場の姿は生きている。ボボ・ブラジルやブルーザー・ブロディだって生きている。僕だけじゃなくて、みんなの心の中にも馬場は行き続けるだろう。さらば世界のジャイアント馬場。