男子寮白書 工場で働いていた頃、3年近く寮生活をしていたことがあった。僕が住んでいた寮は50名ほどの男性社員が生活しており、日勤者用の旧館と交替勤務者用の新館に別れていた。別れているといっても二つの建物はつながっており玄関、食堂、風呂などは共通で使っていた。部屋は六畳のタイプと十二畳のタイプがあり、六畳には日勤者は二名で、十二畳は二名から三名が生活していた。交替勤務者はすべて六畳に一人で住んでいた。寮には寮生の他に寮長と食堂のおじさん家族も暮らしていた。寮長は会社を定年になった元部長という人であったが、いつ見ても暇そうにしていた。寮には実に様々な人が住んでいた。大抵の人は3、4年くらいで寮を出て行くのだが、中には年齢制限(たしか30歳)まで住んでいる"寮の主”的な存在の人がいた。そういう人の部屋はほとんどドアが締め切りになっており、変な匂いが漏れてきていた。ホモがいるかも?と不安だったが、僕が知るかぎりそんな人はいなかったようだ。ほとんどの人の部屋はそれなりに汚かったのだが、中にはとても綺麗好きでいつも掃除をしてる人もいた。トイレは各階にあったのだが、たいてい個室の仕切りの上にエロ本が置いてあった。もちろん目的はナニである。さすがに同室の人が寝てるそばで、ナニできるほど気丈な人間はほとんどいないのでトイレの個室の中でこっそりとナニしていたのである。ただ一人だけ、後輩と並んで寝ながら、ナニをしていたという先輩がいたらしい。後輩は内心「気持ち悪いな。」と思ったそうだが、相手が先輩だけに何も言えなくて寝たふりをしていたと、悲しい目で僕に語ってくれた。また、洗濯機置き場の棚の上もエロ本の隠し場所になっていた。僕はそこで裏本を発見したことがあった。その裏本が僕の愛用品となった事はいうまでもない。電話は公衆電話が玄関に3台設置されていた。寮生が交替で電話当番をするのであるが、休日だけは門限を破った人が罰としてやっていた。電話がかかってくるのはいつもだいたい同じ人であったが、3台ほぼ同時に電話がかかってきて、大慌てしている先輩がいた。もちろん相手はすべて別の女性であった。風呂は共同の大浴場があって、一度に十人以上が入ることができた。僕はこの風呂に一番先に入るのが好きだった。入浴時間になるとダッシュで風呂へ行き、まだ誰も入っていない湯船につかり「極楽、極楽」というのが定番であった。食堂はセルフ・サービスになっており、朝食と夕食を取ることができた。実はその食堂のおじさんが僕の高校の大先輩であったので、何かと気にかけてくれてお世話になった。僕にだけ卵をサービスしてくれたり、他の人に内緒で特別な料理を作ってくれたりした。寮の屋上は出入り自由になっており、休日には布団を干す人が多かった。僕はこの屋上が大好きで、夜一人で屋上に上がり、歌を歌ったりしていた。また、夏休みにはラジカセを持って行って、ロックを聞きながら上半身裸で日光浴をしたりもしていた。さて、僕が最初に住んだ部屋であるが、日勤者用の六畳で先輩と同室だった。この先輩は愛想は悪くないのだが、今一つ正体不明なところがあって僕とはあまり話しをしなかった。ある時、田舎からメロン(プリンスじゃなくて網がある高いやつ)を送ってきたので先輩にも一つおすそ分けしたのだが、「ありがとう。おいしそうだね。」と言って受け取っておきながら、何故か食べずに腐らせていた。それを発見した僕は「いらないなら、いらないって言えばいいのに!」と思ったが何も言わずに黙っていた。実はこの先輩が、後に後輩の寝ている横でナニしていた人である。もしかしたら僕が寝ている間にもナニしていたのかも知れない。ああ、考えるだけで気持ち悪い。ちなみに僕はこの部屋で生まれて始めて“夢精”というものを体験したのであった。半年程後に、交替勤務になったので交替勤務者用の部屋へと移った。そこは広さ的には、それまでと同じ六畳であったのだが、ベランダがなく、代わりに小さな窓があった。そこには窓型のクーラーが設置されており、カーテンは分厚い暗幕であった。昼間でも眠れるようにそうなっていたのである。ここは一人部屋であったのだが、日勤の友達が、いつのまにか布団を運んできて住み着いてしまった。結局、彼は寮からアパートへ移るまで一年ほど僕の部屋で寝泊まりしていた。寮長もこの事は知っていたようだが、彼は冷蔵庫に入れた自分のすいかにマジックで「食ったら殺す!」と書くような奴だったので、何も言えなかったのだろう。さらに一時期は別の友達まで布団を持ち込んできたものだから、六畳一間に川の字で寝たこともあった。そんな寮生活であったが、一番楽しかったのは、いつも友達と一緒に居れたことだろう。僕にとって、寮で共同生活していた友達は、ただの友達を超えており、兄弟みたいな存在であった。だから10数年経った現在でも友達でいられるのだろう。ここでは色々あったが楽しかった寮生活であった。