新聞少年 これまでの人生で僕が唯一経験したアルバイトが新聞配達である。高校の3年間、僕は新聞少年だったのである。僕が配達していたのは恐怖新聞であるわけはなく、熊本日日新聞という地元では超メジャーなローカル紙であった。毎朝、午前5時に起きて新聞販売店まで行き、そこで新聞を自転車の荷台に積み込み、そこから1キロほど離れた担当地区まで行って、約70件の家々に新聞を配っていた。僕の担当していた地区は新興住宅地と昔ながらの農家が混在しており坂や舗装されていない道が多かった。原付の免許を取ってからは原付バイクで配るようになったので、少し楽になったが、結構大変であった。何が一番大変だったかというと、冬の寒さと雨の日である。熊本は南国といえども真冬は氷点下5度くらいまで気温が下がることもあるような所なのでかなりの厚着をしてもバイクで走ると無茶苦茶寒かった。それから雨の日だが、家によっては新聞受けが雨に濡れるところがあるために、そういう家の分は、新聞販売店で新聞を一部一部ビニール袋に入れて圧着するという面倒な作業を行わねばならなかった。さらに全体を大きなビニール袋に入れて、配達しながら新聞を濡らさないようにするのが大変だった。それでもたまには新聞を濡らしてしまい苦情を言われたことが何度かあった。さらに梅雨や台風の時はもっと大変だった。地盤が低い場所では冠水した中をずぶぬれになりながら配達したし、台風で瓦が空中を舞う中でも休まず新聞を配達した。ただ、さすがに10cmくらい雪が積もった日だけは、自宅から販売店へ向かおうとしたのだが、バイクのタイヤが滑ってしまい、どうしようもなくなりその日だけは休ませてもらったことがあった。また、たまに配達を終えて荷台に新聞が余ってりたりすることがあった。もしかするとどこか配り忘れたのかも知れないし、販売店で多く数えてしまったのかも知れない。気持ちが悪いんでその日の記憶を必死に思い出し、配り忘れがないか何度もチェックしてから帰ることになる。それでも何度か配り忘れて怒られたことはあった。大変な事が多い新聞配達ではあるが、たまにはいい事もあった。早起きは三文の徳とは昔の人はよく言ったもので、お金を拾ったこともあったし、エロ本を拾ったこともあった。また、ある時期には「集金もやってくれないか」と頼まれ集金もやったことがあった。集金したのは僕が配達していた地区ではなく、自宅の近くだったのだが、集金の場合は嫌なことばかりで何もいい事はなかった。ある家では「先月もその前も来なくて、何でいきなり来るの?」と文句を言われた。僕はその月から集金するようになったので関係ないのだが、「どうもすみませんねえ。」と笑顔で謝るしかなかった。また「配達の時間が遅いんだよね。もっと早く持ってきてよ。」と言われたりもした。「僕が配ってるわけじゃないんで。」と言うわけにもいかず、「はい。店の人に言っておきますんで。どうもすいません。」と頭を下げた。たまには暇をもてあました若奥様とかが「あがっていっていいわよ〜。」とか言ってくれないかなあと思ったが、そんな事は一度もなかった。あまりに不愉快な事が多かったので集金だけは三ヶ月で辞めさせてもらった。それにしてもこの根性なし野郎の僕が、3年間もよく新聞配達を続けられたものである。両親も「きっと、三日坊主に終わるだろう。」と思っていたようだ。でも、現在の僕に明日から新聞配達してくれと言われたら、たとえそれがわずかな件数であったも一日もできやしないだろう。僕の中の根性エネルギーは、あの3年間ですべて使い切ってしまったのである。