十六茶と歌姫 最近、夕食時に飲むのは「十六茶」に決めている。その前は「レモン・ウォーター」がその地位を占めていた。僕はこれがおいしいと思うと、とことん飽きるまで同じものものを食べ続けたり飲み続けたりする。吉野屋の牛丼を1ヶ月以上毎日食べていたこともあった。対象が次に移った場合でも別にきらいになったわけではないので、たまに思い出したようにまた食べたりする。その時においしいと思えばまた続けてそれを食べることになる。僕の中に偏執的な部分があるのだろうか。音楽に関しても同じで、あるアーティストが好きになるととことん飽きるまで聴きこむ日々が続くのである。ジャニス・ジョプリン、ドアーズ、ジョン・レノンの場合もそうだった。同じ様にケイト・ブッシュに凝った時期があった。ぶらりと寄ったレコード屋で暇つぶしのつもりで「愛のかたち」を買ったのが始まりだった。結局その日は寝る直前まで「こいつはすげえ」という感じでそのレコードを何度も繰り返し聴いた。それから僕は毎日「愛のかたち」を聴くはめになってしまった。ケイトの甘く官能的であったり、狂気を感じさせる迫力ある声に魅せられてしまったのである。特にどの曲がというよりもアルバム全体が最高に刺激的で魅力的であった。そして前作「ドリーミング」まで買ってしまった。このアルバムの方が狂気性が高い感じがした。とくに「ピンを引き抜け」という曲はすごく恐く感じた。毎日ステレオのボリュームを上げてケイト・ブッシュの世界に浸っていたがある事件が発生し聴くのを止めてしまった。事件とは寮の隣人が発狂したのであった。まさか隣の部屋まで「ピンを引き抜け」が聞えていたわけではないと思うが、もしかしたら・・・と思うとこのアルバムは恐くて聴けなくなってしまった。それと同時にケイト・ブッシュから離れていき最近はたまに聴く程度になった。今夜もまたローソンのおにぎりと「十六茶」が夕食となるだろう。そしてまだ当分は「十六茶」を毎晩飲み続けることだろう。