どうもみなさんご心配をおかけいたしました。
Mr.Luckyは2月5日に無事退院いたしました。
その入院生活のすべて?をみなさんにご報告させていただきます。

まえがき

昨年の10月の事である。ある朝目を覚ますと頭痛がした。 少し前から右耳が痛かったが「我慢してたのがいけなかったのかな?」と思い、 休みを取って病院へ行くことにした。 家を出て、以前診てもらったことがある病院へ行こうとしたのだが、近くの交差点まで歩いた時に、 ふと「そういや、もう一件病院あったよな。」と反対側に耳鼻科があったことを思い出し、 180度回れ右をしてそちらの病院へと向かった。 (なぜ急にそう思ったのかはいまでもわからない。もしかしたら天の声だったのかも。) 診察の結果、右耳の外耳道炎および急性中耳炎とのことだったので点耳薬と飲み薬をもらって帰った。 一週間くらいたって、もう一度病院で診てもらったところ、外耳道炎はほぼよくなったのだが、 「どうも鼓膜の具合が・・・。」と先生。 不安にかわれながらベッドに横になり顕微鏡で診てもらったら 「もしかするとグロームス腫瘍かも知れませんね?」と言われた。 「ブラームス何とかって何ですか?」と質問したところ、グロームス腫瘍とは血管性の腫瘍らしいのだが 非常にめずらしいケースらしいのだが鼓室型といって中耳にできることがあるという。 「うーん、これはですね。万が一、破れると大出血を起こして死ぬ可能性もあるんですよ。」 と言われてしまった。 さらに「手術も血がいっぱい出るんで非常に難しいんですよ。」ときた。 心の中で「おーまいがぁ!」と叫んでしまった。 「絶対に耳掃除しないで下さい。死にますよ。」という先生の言葉の「死にますよ。」 というフレーズが頭の中をグルグルまわった。 これまで、のほほんと人生を歩んできていた僕が、はじめて「死」を意識した瞬間であった。 それから数日「あぁ、僕はもう死ぬんだ。あぁ・・・」という状況に陥ってしまったのはいうまでもない。 「とりあえずCTを撮ってみましょう。」とのことで週明けに別の病院でCTを撮影した。 できあがったCTを持って病院へ行き先生に見てもらった。 しばらく眺めたあと「うーん。やっぱりできてますねぇ。」 「・・・。」 「宮崎に日本でも有数のすばらしい先生が居られるんで一度診てもらって下さい。」 と先生に言われ紹介状を書いてもらい、いざ宮崎へ。 紹介してもらった宮崎医科大学付属病院の教授先生に診てもらった。 「うん。こりゃたぶんグロームスだね。」と軽く言われてしまった。 それから助手の先生に「念のためにMRIを撮りますんで。」と言われ MRI検査の予約をしてもらいその日は帰った。 後日、再び宮崎をおとずれMRI検査を行った。 結果は数日後に電話するとの事でまた不安な日々が過ぎていった。 一週間後、電話がありMRIの結果「グロームス腫瘍」じゃなくて 「コレステリン肉芽腫」の可能性があると言われる。 「ブラームスの次は何タラリンわかめ酒?!」。 ややこしい病名に頭が混乱したが、先生の説明では悪性ではないとのことでやや安心。 どちらにしろ手術が必要らしいので1月12日に入院をお願いしたという次第である。

入院生活日記

99/01/12(火) 朝一番の高速バス「なんぷう号」に乗り宮崎へ向かった。 3時間あまりかけて宮崎へ到着。バスを乗り換え大学病院へ。 1Fの入院受付けへ行き入院誓約書と病医借用書を記入し7Fの耳鼻科のナースステーションへ。 「あのう、すいません。今日から入院する者ですが。」と挨拶したら、 「はい。お待ちしておりました。」と愛想よく言われてしまい少し緊張が緩む。 (この人は婦長さんだった。かなり明るい。) 病室へ案内されたが、年明けなのでまだ患者が少ないらしく4人部屋に1人で入ることとなった。 病室でぼんやりしていたら、看護婦さん(美人)がやってきて施設の案内をしてくれた。 その後、担当の看護婦さんに明日の検査の説明を聞いた。 血管造影検査なのだが、そけい部の血管からカテーテルを入れて患部を造影して撮影するという。 結構、大変な検査なんだなと思っていると、 「それで、下の毛を剃っておいて下さいね。」と看護婦さん。 感染防止と、止血の際にテープを貼るので、そけい部の周辺の毛を剃らねばならぬらしい。 「看護婦が剃ってもいいんですけど。」と言われたが、アレに自信がない僕は 「い、いえ。自分で剃ります。」と下を向いて答えた。 「お若いですからね。恥ずかしいですよね。」と看護婦さんは笑った。 売店でムダ毛そりのカミソリを購入し入浴のさいに剃る。 剃ってる最中に人(入院患者)が入ってきたんで少し慌てた。 変態と思われたくなかったので、自分から 「明日検査なんで剃ってくれと言われたんですよ。情けないっすねえ。ははは。」と話しかける。 「看護婦さんに剃ってもらえばいいのに。」その人は笑いながら言った。 剃り終えた下半身を見て小学生の頃を思い出したことも付け加えておく。 風呂から上がると看護婦さんが「チェックします」との事。 大事な部分を手で隠して何とかチェック完了。(ふぅ。) 明日は「T字帯」をつけると言われ売店にて購入する。「T字帯」とはフンドシだった。 ゆっくりする間もなく採血、心電図、胸部レントゲン、血液型、血の止まる時間の検査を行い耳の診察。 夕方、主治医の先生が来られて検査の説明を聞き承諾書にサイン。 はじめての病院での食事をとったがけっこー満足。(普段がいいもの食べてないからね) 寝る前に明日検査後は絶対安静なので尿瓶での排尿を練習させられた。 ひとりでベッドに寝たまま、尿瓶におしっこしたのだが妙に緊張(注:勃起じゃない)してなかなか出ず。 出し終わったところで看護婦さんを呼び捨ててもらう。少し恥ずかしい。 こうやって入院初日はあわただしく過ぎて行った。 99/01/13(水) 午前6時起床。血圧を計り、採血と検尿を済ませる。 今日の血管造影検査(アンギル)でグロームス腫瘍かコレステリン肉芽腫かはっきりする。 もしグロームス腫瘍ならば手術前日にもう一度アンギルを行い、 腫瘍へのびる血管を詰める必要もあるらしい。 朝食は食べられたが、お昼は絶食ということで点滴を打たれる。 午後になり下着をすべて脱ぎ、検査衣に着替え、精神を安定させる注射を2本打ち (筋肉注射でけっこう痛かった)、ストレッチャーに乗せられ検査室へ向かう。 ベッドに移され検査衣をまくられたところで、検査室の看護婦さん?に 「わあ、毛深いね。これじゃ、テープじゃ止められないね。」と言われる。 せっかく毛を剃ったのに、足りなかったらしい。 右そけい部に局所麻酔の注射を打たれる。(けっこう痛い) 感覚が麻痺した頃を見計らい、そけい部の血管にカテーテルが挿入される。 モニターに血管の中を進む細い管が見えている。 少しずつ頭部へと移動されていくのがわかる。 体の中を虫がはいずりまわってるような感覚だ。(うわあ、何だこりゃぁ〜) やっと右の耳のそばまで到達。 管の先が血管の壁に当たったのか音が聞こえてくる。(恐いよー) 「それでは撮影します。」との合図でカテーテルの先端より造影剤が投入される。 右耳から後頭部にかけてカッと熱くなる。 まるで頭が爆発するんじゃないかと思えるくらい熱い。 2、3秒でじわーっと熱さが引いていく。(はぁ〜) これを5、6回繰り返して撮影完了。管が抜かれていくのがわかる。(ああ早く抜いてくれ〜) 管を抜き終えると止血だ。男の先生がかなり強い力で傷口を押さえている。(これが痛い) 5分くらいで止血完了。 看護婦さんが「お疲れさま。のどがかわいたでしょ。」と麦茶を一口飲ませてくれた。 再びストレッチャーに乗せられ病室へ。 3人かかりでベッドへ移され、傷口の上に砂袋をおかれ、絶対安静に入る。 造影剤を排出するために、用意しておいたポカリスエットを寝たままの状態で飲む。 それから6時間は長かった。何が辛いって腰が痛いこと痛いこと。 絶対安静の間、2度ほど看護婦さんに手伝ってもらって尿瓶へおしっこをする。 ナースコールで看護婦さんを呼び「すいません。おしっこ。」という時は、すごく情けなかった。 看護婦さんは慣れた手つきで「T字帯」の傍からヒョイとポコチンをつまんで尿瓶へさしこんでくれた。 「小さくて恥ずかしいなぁ。ん?でもちょっと気持ちいいぞぉ〜!」と馬鹿な事を考えてながら、 「終わったら呼んで下さいね。」と言われチョロチョロと尿を出す。 5分くらいかけて排尿完了。再度ナースコールを押し、看護婦さんに来てもらう。 今度はポコチンを尿便からつかみ出され尿を捨ててもらった。 看護婦さんて、ポコチン見ても無反応な人達であることを、改めて認識する僕であった。 99/01/14(木) ようやく安静がとけて、少し動けるようになった。 昨日の検査の結果、病名はグロームス腫瘍ではなく、 コレステリン肉芽腫であると、主治医の先生に告げられた。 詳しい話しは後日ということになったが、 とりあえずもう一度アンギルをしなくて済んだんでほっとする。 だって昨日は、ほんとに辛かったんだもん。(涙) 午後、回診があり先生に診てもらった。 ベッドに横になり耳鏡を耳の差し込んでのぞきこまれた。 少し見て次の患者のところへ行かれたのはいいが、僕の耳にはまだ耳鏡が差し込まれたまま。 「はい。終わりました。戻られていいですよ。」と看護婦さんに言われたので、 「あの〜、まだこれが。」と耳を指差した。 数人の研修医から笑いがもれる。 教授先生は別の患者さんに夢中?でまるで気付かず。 さすが大物は違うと妙に感心。 99/01/15(金) 手術まであと5日。 少し間が空き過ぎのような気がするがしょうがない。 首を洗ってまっておこう。 それにしても一日が長いこと長いこと。 食べては寝て、また食べては寝るという生活って、けっこう辛いものだということがわかった。 特に同室に誰もいないんで話し相手がいないんでめっちゃ退屈だす。 99/01/16(土) 昼間寝てばかりいるんで、夜眠れない日々が続いている。 また腰が痛くなった。なんか情けない。 それにしてもこんなに人と話さない生活ってはじめてじゃないかな。 ストレスが溜まって叫びたくなってくる。 心の中で「ウォー!」と雄たけびをあげる。 99/01/17(日) 明け方に変な夢(だと思う)を見た。 病室のベッドの上で自分の体が浮いているのだ。 「わーい。空中浮遊だあ。」と思ったが「幽体離脱」だったのかも。 昨日は戦争で戦車を攻撃している夢を見た。 変化があるのは夢の中だけだね。 99/01/18(月) とりあえず手術までにできることといえば、 たくさん食べて体力をつけることぐらいなので、 食べては寝て体力を温存している。 このあいだ剃った毛が少し伸びてきてチクチクしやがる。 夜、先生に呼ばれて検査を受けた。 ベッドに横になり片方ずつ耳の穴に水を入れられた。 上を向いて眼球の動きを調べて刺激によるめまいが起きるかどうか調べる検査だった。 冷たい水が入れられた瞬間、目がくらくらとして2、3分はぐるぐるとまわっていた。 右と左では目が廻る方向が逆であることがわかった。(人間の体って不思議) それが済むと今度は舌に電極をつないで刺激を与える検査だった。 電流が流れると、冷たいスプーンをなめた時のような感覚が舌にひろがった。 これは手術中に味覚をつかさどる神経が切れることがあるので、事前にチェックしておくためだとの事。 それから耳の中をファイバースコープでモニターに映し出された状態で、病気と手術の説明を受けた。 コレスレリン肉芽腫というのは、耳管(耳と鼻をつなぐ管)の通りが悪いか、 中耳の分泌物が異常に多いことにより、それが鼓室に溜り、肉芽状になるものらしい。 腫という名前がついているが「できもの」ではないとの事。 説明が終わり病室に戻っていると先生が手術の同意書を持ってこられた。 読み終えてサインしようと思ったら、右耳ではなく左耳となっていたので 先生を追いかけて訂正してもらう。(先生はあれ?と言って笑っていた) 先日、よその大学病院で医療ミスがあったばかりだし、大丈夫だろうかと不安になる。 手術の内容は以下の通り。(説明・同意書より抜粋) 手術は全身麻酔で行います。耳介後部を切開し、外耳道皮膚を剥離し、鼓室内に入ります。 さらに耳介後部の骨を削り、乳突部を開けます。鼓室、乳突部を観察し病変部の広がりを調べます。 病変部を周囲組織より剥離除去することを試みますが、 すべて除去できるかどうかは病変部の広がりによります。 病変部除去後、耳小骨の連鎖が途切れていないか、あるいは動きが悪くなってないか調べます。 連鎖に異常を認めた場合、連鎖を作り直し、聴力の改善を試みますが、 病変部の広がりによっては困難な場合があります。 場合によっては聴力が悪化することもあります。耳管機能が悪いことが予想されますので、 鼓膜にチューブを留置し空気が流れやすくします。鼓膜が結果的に穿孔した場合は、 側頭筋膜で鼓膜を形成します。 なお、手術後の合併症として一時的な顔面神経麻痺、味覚異常が考えられます。 まあ、早い話しが開けてみないとどうするかはわからないとの事。 手術後は通常退院まで1週間ちょっととの事だが鼓膜を形成した場合は 3週間くらいかかることなどを聞いた。 さあて、どうなりますことやら。 99/01/19(火) いよいよ明日が手術。 本日より尿を機械に貯めなくてはいけない。 (何のためかは聞き忘れたんでよくわからないっす。) 朝から回診があり、処置室で手術を執刀される教授先生に見てもらった。(少し緊張) お昼前に病室を移動。 初日に風呂で会ったお兄さんとじいさんが2人の4人部屋だ。やっと話し相手ができた。 午後になり看護婦さんが「これから剃りますんで、トイレ済ませて置いて下さいね。」と言われたので、 下の毛を剃るんだろうかと期待したが耳の周りの頭髪であった。(残念) 髪を剃られる際、看護婦さんに「前は髪伸ばしてたんですよ。」と話したら、 「ええ、そうだったんですかあ。」と驚いていた。 看護婦さん達の間では「すごくまじめそうな人」と思われていたようだ。(徳なのか損なのか?) 手術後は当分入浴できないんで、お風呂で念入りに体と頭を洗った。 売店でまた「T字帯」を購入し、看護婦さんへ渡した。 夕方、麻酔科の先生が病室まで来られて、簡単な問診と説明を受けた。 ああ、いよいよ明日だ。 不安がないと言えばウソになるが思ったより恐くはない。 「ええい。先生。早いとこ切っちまって下させぇ。」という心境。 99/01/20(水) 午前6時に起きてトイレを済ませ病室で待っていると、看護婦さんが手術衣と錠剤を2錠持ってきた。 下着をすべてとり、緑色の手術衣に着替え錠剤を飲んだ。 ストレッチャーが運ばれてきたのでその上に横になりしばらく待つ。 だんだんと眠くなってきた。 8時30分になり手術室まで運ばれる。この頃には頭はもうぼんやり状態。 手術室へ入り麻酔科の先生が何か言われたと思ったところまでは覚えているが、 気付いた時には手術を終え病室のベッドにいた。 ぼんやりと時計を見ると12時を少しまわっていた。 鼻と口には酸素マスクがあり頭は包帯でぐるぐる状態。 左手の甲には点滴がささり、ポコチンには尿を出す管が入っていた。 「ああ、無事終わったんだ。」と思った。 しばらくして酸素マスクだけはずされる。少しまだ息苦しい。 しばらくして母と妹の声がしたと思ったら、そばにいることに気付いた。 声を出そうとするが、さっきまで麻酔の管が気管に入っていたためか声が出ない。 ノートを取ってもらいなんとか筆談で 「何とか大丈夫。今日は安静だけど明日は動けるらしい。」と伝える。 夕方母と妹は帰っていった。 ぼぉっとしながらも手術の結果が気になったが 「もう少し元気になられてから説明しますね。」と先生に言われた。 たしかにこの状況で説明されても半分くらいは覚えてないだろうと納得。 ただひたすらに安静。 しんどいっす。 99/01/21(木) 朝、昨日からの点滴が終わり、ベッドに寝たまま看護婦さんにおかゆを食べさせてもらう。 美人の看護婦さんだったので嬉しかった。 しかし、あまり口が開かないのでおかゆが口のまわりにこぼれていく。 介護される人ってこんなにつらいんだと改めて気付く。 昼前に「もう起きていいですよ。」との事で体を起こしてみた。 自分の体がまるで鉛でできてるんじゃないかと思ったくらいに重く動かなかった。 それでも手すりに掴まり何とか上半身を起こした。 「尿の管、抜きますね。」と看護婦さん。 T字帯のわきからポコチンをつまみ出されたかと思うと、管をシュルルルと抜かれた。 少し尿道が痛い。 お昼はベッドの上で自力で食事を取る。 あらら、舌の右半分が味を感じないぞ。まぁいいか。 午後、回診があり先生と医学生の団体が現れる。 僕のことを話しているみたいなのだが専門用語ばかりで全然わからない。 2時頃、母と妹がまた見舞いに来た。今度はけっこう話しができた。 昨日は僕の顔が2倍くらいに腫上っていたそうで、まるで別人と言われた。 夜、抗生剤の点滴。入院から手術まで絶っていたテレビを少しだけ見た。 99/01/22(金) 恐い夢を見た。 ベッドで寝ていると目の前を光がゆれて頭の中から暖かい液体が流れ出し、 慌ててナースコールを押しながら「ああ、死んじまう。」と考えるという非常にリアルな夢だった。 目がさめた時は「ああ、夢だった。まだ生きてる。」と本気で安心した。 体のほうは昨日よりは少し元気が出てきたが喉が痛い。 おそらく麻酔の管が気管に入れられていたせいだと思う。 朝と夜に抗生剤の点滴があるだけであとは何もなし。ベッドの上で過す。 眠たいのだが傷がズキズキ痛んであまり眠れない。 包帯の下はいったいどうなってるんだろう。すごく気になる。 あと何日くらいは痛いんだろうか? 午後、手術後初の排便を行う。3日ぶりでたくさん出やがった。 99/01/23(土) なぜか手術前より食欲がある。これはいいことだろう。 日々回復している感じがする。 人間の体ってすごいなあ思ってしまった。 朝と夜に抗生剤の点滴。 99/01/24(日) 本日より点滴はなくなり抗生剤の飲み薬をもらう。 風呂は当分無理なのでタオルをもらい体を拭く。 看護婦さんに「ヒゲ伸びましたね。」と言われる。 そういえば手術以来ヒゲそってなかったことに気付く。 でも面倒くさいから当分放っておこう。 99/01/25(月) ゆうべは結構眠れた。少しずつ痛みが減ってきている。 午後処置室で外側のガーゼを交換。 ばんそうこうまけしていることが発覚。10円玉くらいの面積がかぶれて汁が出ていた。 「こりゃ、痛かったでしょう。」と言われたが僕は少し痒いなあくらいにしか思っていなかった。(鈍いのか?) クロマイを塗ってもらい乾燥させるよう指示された。 先生が手術の説明をはじめようとされたらTELが入り結局中止。 99/01/26(火) 午後、先生に手術の結果の説明を受けた。 鼓膜の奥にはコレステリン肉芽腫と分泌液が溜まっていたらしくそれを除去したそうだ。 ただアブミ骨のまわりにも肉芽腫らしきものがあり、それについては無理して取ると 内耳炎を起こす恐れがあったので除去できなかったとの事。 また鼓膜にはチューブを入れたがそれ以外は元のままなので 退院までそんなには長くかからない事を聞いた。 また除去したものについては病理解剖へまわしたので後日結果が判るらしい。 あとは明日か明後日に抜糸をししばらく様子を見守るということだ。 99/01/27(水) 今日で手術から一週間。 本来なら抜糸の日なのだが、教授先生の都合がつかず、明日の回診時へ延期。 シャワーの許可が出たのでシャワーを浴びた。 1週間ぶりだが気持ちがいいというよりは、疲れたというのが正直な感想である。 99/01/28(木) 午後の回診の際に耳の中のガーゼ交換と抜糸をしてもらった。 頭を一周していたネットも取られて、耳を覆うガーゼのみとなった。 看護婦さんに洗髪してもらう。 ちゃんと美容院みたいな椅子がありそこに上向きに座って洗ってもらった。 夕食より病室ではなく食堂で取ることになった。 なんか少し退院が近くなったみたいで嬉しかった。 99/01/29(金) 今日から飲み薬もなし。 昨日ネットを取ってガーゼのみになったんだけど、これが落っこちてくる。 看護婦さんに言ったら、またネットをするはめに。 ネットをすると頭が締め付けられるんできついんだよな。 孫悟空の気分である。 そういえば会社へ連絡しておかなきゃと思い出し「無事、生きております。」と連絡。 99/01/30(土) 午前中、先生に診てもらった。 耳のガーゼを交換してもらい、耳管の通りを確認するために鼻から空気を通す。 気持ち悪かったけど空気が少し通ったようだ。(これはいい事らしい) 夕食からお粥から普通食にしてもらった。 もう食べ物を噛んでも痛みはない。 99/01/31(日) 朝一で体重測定。ほとんど変化なし。 午後、先生にガーゼを交換してもらう。 まだ分泌液が出ているのでそれを吸引してもらう。 傷口が完全にふさがり、分泌液が出なくなったら退院できるという。 もう少しだ。 午後、会社の支社長と部長が見舞いに来てくれた。 思ったより元気そうと言われた。 99/02/01(月) ついに2月に突入。 先生にガーゼを交換してもらった。 まだ分泌液が出ているらしい。 木曜日の回診で教授先生にみてもらうことに。 もし分泌が止まらないようだと飲み薬を考えるということだ。 うーん、早く止まらないかなあ。 ぼんやりとTVを見て過す。 99/02/02(火) 午前中先生に診てもらったら、やっと分泌液が止まったらしい。 「この分だと早く帰れそうですね。」と嬉しいことを言ってくれた。 鼻から風通しをしたら完全に通った。 先生にとっては予想外だったみたいだが 「いい予想外ですね。」と、また嬉しいことを言ってくれた。 いい事を言ってくれる先生はすごくいい人に見えるから不思議だ。 耳の後ろの傷口を覆っていたガーゼはなくなり、あとは耳の穴の中のガーゼだけとなった。 よし、一歩前進。 99/02/03(水) 先生に診てもらったところ、傷口、耳の穴とも「もう大丈夫!」とのこと。 風通しと聴力の検査を行った。 聴力はさほど改善されていなかったが、風は通った。 そしてついに「金曜日に退院していいですよ。」というお言葉が・・・・。 先生の言葉が、まさに天の声に聞こえた。 それから退院後の事について説明を受けた。 よろこんで実家に退院報告のTELを入れた。 ところが・・・。 じつは昨日、伯母が亡くなりこれから葬儀に行くとのことだった。 舞い上がっていた僕のテンションはいきなり地の底へと落ちていった。 この伯母は以前商店を経営していて子供の頃はよく世話になったものだ。 入院してなきゃ葬儀に行けたのに・・・。 「ごめんね。おばちゃん。安らかにお眠り下さい。」と心の中で合掌。 99/02/04(木) 看護婦さんに「ヒゲ伸びたね」と言われた。 この看護婦さんはかなりしつこい性格らしい。これで3度目だ。 しかし、この看護婦さんにはポコチンを見られてるんで立場が弱い。 下手に逆らうと、僕のポコチンが小さいことを指摘されかねないと思い、 仕方ないんでヒゲを剃ることにした。 ところがヒゲが伸び過ぎていてカミソリが役に立たない。 そこでハサミで短くカットしてから電気シェーバーで剃ったら何とかきれいになった。 別の看護婦さんに「こぎれいになったね。」と言われた。 ということは、いままでは「こぎたなかった」という事かと少しムッとした僕であった。 売店で耳栓を購入。今後は入浴時には耳栓着用とのこと。 先生に熊本の病院の先生への紹介状をもらう。 あとはその指示に従って下さいとの事。 右の耳たぶの感覚がおかしいことを尋ねると 「3ヶ月くらいたてば神経が延びてくるんで戻るでしょう。」との返事。 午後回診があり教授先生に診てもらった。 ベッドに横になり待っていると、教授先生曰く「この機械はどうすりゃ下がるのかな?」 と、僕の頭上の機械(顕微鏡?)について他の人へ質問。 「こうでしょ。」「いや、ああでしょ。」と僕の頭上で上がったり下がったりしている。 「おいおい。下に人がいるんだよ。危ないじゃないの?」と思ったが何も言えず。 やっとのことで診察され「おお。きれいになった。」で終わり。 今度はベッドを下げる時にベッドの下に椅子が入り込んでベッドが傾いちまった。 吹き出したかったのだが我慢して終了。 99/02/05(金) 朝食を済ませ、パジャマから服へ着替えた。 荷物をまとめて病室で請求書が来るのを待った。 9時頃先生が来られたので挨拶をすませた。 10時になって婦長さんが 「少しおおめにしときました。」と、くだらない冗談を言いながら 請求書を届けてくれた。 同室の人や看護婦さんらに挨拶して、荷物を持ち、CDでお金をおろし、 支払へ行き支払いを済ませた。 1枚の紙を渡され「これを婦長さんへ出して帰って下さい。」と言われたので 再び病棟へ行き看護婦さんに渡して手続き完了。 1ヶ月ぶりに病棟から外の世界へ踏み出した。 めっちゃ寒い。 病院からバスで宮交シティへ行き、昼食を取る。 1ヶ月ぶりの病院食意外の食事をゆっくりと楽しみ12時40分発の高速バスでいざ熊本へ。 さらば宮崎。

あとがき

今回の入院は僕にとって、初めての体験の連続であった。 入院、手術はもちろん点滴さえも初体験だった。 つまり、これまでは、ほとんど病院とは無縁の世界で生きてきたということだ。 病気のつらさと、健康のありがたみを身を持って体験した。 それから一番感じたのは、医者や看護婦さんの素晴らしさである。 とくにお世話になった先生方は、いずれも素晴らしい先生であったと思う。 また看護婦さんの大変さがよくわかった。 彼女らは本当に素晴らしい人達であった。 まさに「白衣の天使」。 僕なんて逆立ちしたって全然かなわないくらいすごいと思った。 最後に神様、そして先生方、看護婦さん、病院職員の皆さんに感謝します。 本当にありがとうございました。