歯車

 僕は以前、工場で働いていた。
その頃のことについては、断片的に色々と書いているので、すでに読まれた方も多いと思う。
では、具体的にその頃の生活がどんなものであったかを物語る文章がある。
それは、僕が始めてパソコンに向かって書いた記念ずべき文章である。
それを書いたのは、もう10年以上も前のことであるが、当時勤めていた会社の残業時間を使って
書き上げたものだ。
以下にその原文を載せようと思う。

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         歯車

 午後6時、目覚ましの音で起こされる。
寝不足で重たい体を引きずるようにして風呂まで行く。
まだ誰も入っていない大きな風呂に一人で入る。
とても気分がよい。まるで王様にでもなった気分だ。
やがて人が入ってくると途端に小市民に戻り風呂から上る。
そして人影もまばらな食堂へ行き、セルフサービスの料理を食べる。
食堂のおじさんは人はいいんだが料理はあまり旨くない。
さらに胃の具合もずっと良くないので大抵は残している。
部屋へ戻ってテレビをつけ、ぼんやりと画面を眺める。
「ああ今夜も夜勤だ」と思うと、ため息が出てくる。
隣人はまだ眠っているらしく物音がしないのでボリュームをさげてロックを聞く。
愛用の赤いギターをアンプにつながず手にし、下手くそなロックン・ロールを弾く。
そのうちイライラしてきてギターを部屋の隅へ片付けて出勤の準備を始める。
テレビに映ったNC9の木村太郎を横目でみながら服を着替え、10時を回った頃、出勤する。
寮の玄関で酔っ払って帰ってくる人達とすれ違いながら、小さな声で「いってきます」。
真っ暗な道を通って工場へ向かう。
工場へ着くと作業服に着替え、非常燈のみの暗い廊下を通って休憩室へ行く。
既に先輩は出勤しているが、テーブルに死んだように伏せている。
みんな死んだような目をしている。
やがて班長が「おはようございます。」といいながら入ってくる。
最初はこんな夜中に「おはよう」だなんてと思ったが、今では慣れてしまった。
うちの職場は朝も昼も夜もいつも、あいさつは「おはよう」なのだ。
朝礼?を済ませ遅番の班と交替する。
私の担当はプリント基板にICを挿入する自動機械の面倒を見ることだ。
機械は全長5メートル以上あり騒音をあげながら動作する。まるで巨大な怪物だ。
メーカーの説明では挿入成功率99.9%ということだが実際はとてもエラーが多い。
部品のせいということだがエラーが起こる度にラジペンでICを基板から抜き取り、
リード線を伸ばし手で基板に挿入しなければいけない。
更にICがすぐに切れるので機械の後ろへ周ってICを供給してやらねばならない。
ICが部品棚にない場合、大急ぎで倉庫まで行き、台車にICの袋をのせて運ばねばならない。
この怪物相手に格闘するのは容易ではない。
汗と油にまみれながら睡魔という悪魔とも戦わねばならないのである。
午前1時にやっと休憩時間となり休憩室に集まり食事をする。
食堂の残りものを集めたおいしくない弁当をレンジで温めて食べる。
いつも揚げ物ばかりで気持ち悪くなる。
この食事の後いよいよ睡魔との本当の戦いが始る。
立って作業しながら眠ってしまい倒れそうになる。
トイレへ行き小用を足すと白い尿がでた。(精液ではない)
ふらふらしながらやがて東の空が明るくなってくると「帰れるんだ」と思ってほっとする。
午前7時になり、早番の人達と交替してやっと帰路につく。
登校、出勤の人達と道ですれ違う。
彼(彼女)らはこれから一日が始まるが、私はやっと一日が終わったのである。
寮へ帰りつくとすぐに風呂へ行く。
夜と違って交替勤務者用の小さな風呂だが、湯船につかって体を伸ばすととても気持ちがよい。
気持ちよすぎてイってしまいそうだ。
この時間になると意識がもうろうとしてくる。
風呂から上がると、這うようにして部屋まで戻り、敷きっぱなしの布団に潜り込み眠りに就く。
一日で一番幸せな時間が訪れる。
しかし、この幸福は子供達の声や工事の音ですぐに破られ、何度も目を覚まし、
その度に気が狂いそうになる。

私の職場ではこの3年ほどの間に、自殺した者1名、病死した者1名、発狂した者1名、
入院した者数名を出してしまった。わずか20人足らずの職場でである。
私達は歯車である。
壊れるまで回転しつづけ、壊れれば新しい歯車と交換される。
私の体は痩せ細ってしまった。
身長が170センチで体重は40キロ。
友達は「おまえ大丈夫か?」と聞く。
私は力なく笑うのが精一杯だった。
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この文章はすべてノン・フィクション(真実)である。
僕はこんな生活を3年ほど続けたのち工場を辞めた。
いまから考えれば、もっと早く辞めていればよかったのではないかと思うが、
当時の僕は「石の上にも3年」と思い我慢していたのである。

いまでも僕は、世の中から見れば一個の歯車に過ぎないと思うし、それでいいのだと思う。
たた、同じ歯車でも、役に立たない歯車にはなりたくないと思っている。
世界にたったひとつしかない、交換のできない歯車に僕はなりたい。
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