記録癖

 物心がついた頃から僕は数を数えたりすることが好きだった。
たとえば小学校から家までの何歩かかるか数えたりすることは日常茶飯事だった。
バスに乗れば座席の数えるのはもちろん、バス停からバス停までに何本の電柱があるか
ということまでも数えたことがあった。
数えたからといって何の意味のないのだが、数えるという行為自体が好きだったのである。
ある時は僕の住んでいた町の電話帳を持ち出し、何という名字が一番多いか数えたこともあった。
「あ行」から始めて多そうな名字を数えてメモし、それを「か行」、「さ行」・・・と続けていった。
半日ほどかけてやっと結果が出た。
たぶん「田中さん」か何かが一番多かったと思うのだがはっきりとは思えていない。
そんな事をしている僕を両親は「何でそんな事をしてるの。」という目で見ていた。

もっと下らないものを数えたことがある。
それは友達の家に行く途中で落ちているウンチの数であった。
なんでそんな物を数えたのかといえば、その友達の家は集落から山道を登り切ったところ
にポツンと立っており、その山道にたくさんのウンチが落ちていたので
「果たして何個くらい落ちてるんだろう?」と気になったからである。
一度、疑問を抱いてしまうと解決しないと済まない性分であったので、
その次にその友達の家へ行くことが決まった時に「よし、ウンチを数えてやる。」と決心した次第である。
山道を登りながら「1、2、3・・・」と数えていった。
ウンチかどうか判別しにくい場合は、木の枝でそれを突っつき匂いを嗅いで判別していった。
普通なら5分くらいで行ける道を10分以上もかけてウンチの数は判明した。
さすがにもう忘れてしまったが、友達の家に着いてからその友達に
「○個のウンチが落ちていたよ。」と自慢したことだけは覚えている。
彼にとっては”大きなお世話”であったろうことは容易に想像がつく。

中学生くらいになると数えた結果を元に平均を出したり、簡単なグラフを作ったりするようになっていた。
たとえば一ヶ月間、毎日おしっこの回数を数えて記録し、一日あたりの平均回数を求めたりしていた。
一ヶ月過ぎたらその記録を元にノートに折れ線グラフを描き、「この日はおしっこが多かったな。」
などと眺めていた。まったくのお馬鹿さんである。
勉強はしないくせに、こんな事ばかりやっていたのである。
これでは成績が上がらないのも、もっともであった。

大人になってからも数えて記録する癖は全く衰えなかった。
デートの記録をマメにつけていて、日時、場所、キス、セックスの回数をノートに記録していた。
さすがにこれは失恋した時に全部破って捨ててしまい、それから二度と記録しなくなったのだが、
家計簿をつけてみたり、天気を記録したりはしている。
もちろん車の走行距離と燃費はきちんと記録している。
それらが何かの役に立つかといえばそんな事はないのだが、
記録することで満足している次第である。

この数えたがりの記録好きという性分は一生治らないものだろう。
年寄りになったら庭に来る鳥の数でも数えるんだろうか。
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