左足の怪物

 1998年は日本サッカー界にとって、悲願のW杯初出場を果たした記念すべき年となった。
しかし、日本代表の成績はというと、三戦全敗という惨澹たる結果に終わってしまった。
とくに得点力不足は深刻で、ジャマイカ戦での中山のゴールが唯一の得点であった。
城や中山のシュートが外れる度に「あの男がいれば・・・」という思いが脳裏をかすめた。
「あの男」とは小倉隆史である。
彼は四日市中央工業高校時代に高校選手権で優勝し、
多数のJリーグチームの激しい獲得競争のすえに名古屋グランパスに入団した。
その後、オランダへ留学し、2部リーグのエクセルシオールにおいて、
もう少しで得点王という活躍を見せた。
サッカーに目の肥えたオランダのファンは彼をこう呼んだ。
「レフティー・モンスター」と。
留学を終えて帰国した彼は、すぐにファルカン監督の日本代表チームに招集された。
そしてキリンカップで代表デビューする。
強豪フランスの圧倒的な強さの前に、なすすべもなく大差をつけられた試合の後半、彼はピッチに立った。
そしてゴール前の混戦から、こぼれたボールに素早く反応した彼は、ゴールを背にした体制から
瞬間的に体を反転させ左足を小さく振りぬいた。
ボールは見事にフランスゴールのネットを揺さぶった。
日本代表のふがいなさに、なかば諦めながらTVを見ていた僕は、
その瞬間何が起こったのかよくわからなかった。
「誰?カズ?・・・・違う。小倉!?すげえや。」
それからJリーグでは彼の試合が放映されるのが楽しみになった。
おりしも当時の名古屋は、名将ベンゲル監督のもと実に面白いサッカーを見せてくれていた。

そして迎えたアトランタオリンピック予選。
当然彼はエースストライカーとして期待されたが、その合宿中に思わぬアクシデントが起きてしまった。
それは「右ひさじん帯断裂」という大怪我であった。
手術、そしてリハビリに励んだが、本大会には間にあわなかった。
前園や川口が活躍し脚光を浴びている姿を、彼は僕らと同じ日本からTVで見ていたのである。

さらに残念ながら、復帰後も彼のひざの状態はおもわしくなかったようだ。
一旦復帰したもののプレーに輝きはなかった。
彼はもう一度手術することを決意した。
復帰まではまた1年以上かかる、ということはW杯は諦めざるえない。
非常につらい決断であっただろうと思われる。

W杯を見ながら「小倉がいたらなあ」と思っていたのは僕だけじゃないはずだ。

その小倉が後半戦からついに復帰した。
何試合かTVで観戦したが、途中出場ばかりで、プレー時間も短く彼の復調ぶりはよくわからなかった。
もしかしたら、もう完全には復活できないのかなあ・・・?
僕の中で小倉と同じように大怪我から復帰した巨人の吉村の姿がオーバーラップしていた。
吉村も怪我をする前は、近いうちに4番を打つのは間違いない強打者であった。
しかし、復帰後の吉村は・・・代打屋になってしまった。
あの怪我さえなければ・・・どんな大打者になっていたんだろうか?

しかし、そんな僕の不安は先日の天皇杯で終わりを告げた。
準決勝の清水エスパルス戦。
0−1とリードされた名古屋は後半に入り攻撃的な布陣を敷いてきた。
しかし投入されたFWは小倉ではなく野口であった。
もう小倉の出番はないのか?そんな気持ちになっていた矢先、
3人目の交替として小倉がピッチに立った。
そしてその直後である。
攻め上がった小倉の前にボールが・・・・。
彼は力いっぱい左足を振りぬいた。
GK真田が反応するが、ボールはすごいスピードでゴール右上に吸い込まれていった。
ファーストタッチのシュートが見事な同点ゴールであった。
僕は思わず「ウォッ」と大声で叫んでしまった。
そして胸がジーンと熱くなるのを感じた。
こんな気持ちになったのはトウカイテイオーの復活レース以来である。
試合は延長戦で清水にVゴールを決められ負けてしまったが
小倉のこのゴールが見れただけで僕は大満足であった。

小倉の何がすごいのかを言葉で表現するのは難しい。
城や中山もすばらしい選手だと思う。しかし小倉とは何かが違うのだ。
ストライカーらしいストライカーとでも表現すればいいのだろうか。

来シーズン、きっと小倉は大活躍してくれるだろう。
そして2002年には日本代表のエースとして活躍してくれるはずだ。
僕は信じてるぜ。
頑張れオグ。
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