苺畑の午前五時
僕がエッセーを書き始めた理由は、エッセーの前書きにも書いているように、
「自分が生きてきた証しとして、何か残して置きたい」という気持ちであった。
そこで「思い出」を書き綴ろうとしたのがはじまりである。
そう、あの太宰治のように・・・
しかし、いざ文章を書き始めてみると、楽しい思い出よりも、辛かったことや、悲しかったこと
ばかりが思い出されて、少し書いては涙ぐみ、また少し書いては涙ぐむといった具合で、
このまま書き続けたら、太宰のように自ら死を選ぶしかないのではないかと思い始めていた。
そんな頃、一冊のエッセーを読んだ。
松村雄策の「リザード・キングの墓」である。
元ロックミュージシャンで、雑誌「ロッキン・オン」などでライターとして
活躍されているのでご存知の方もいるかと思う。
その松村雄策の3作目のエッセーがこの本であった。
ちなみにタイトルの「リザード・キングの墓」とは、ドアーズのジム・モリソンの墓のことである。
内容はロックに関するものが多いのだが、プロレスや落語に関するものもあった。
このエッセーを読んで「こういう形だったら、僕にも書けるかもしれない。」そう思って、
「思い出」は小説から、エッセーへと変わったのである。
僕の初期の作品には、松村雄策の作品の影響が出ていると思う。
なるべく自分の感性で書いたつもりなのではあるが、書き終えて読み返してみると何故か似てしまうのである。
まあ、音楽的な趣味が非常に似通っているので書くテーマも同じようなものになるせいもあるのだが。
その松村雄策の作品に「苺畑の午前五時」という小説がある。
ビートルズ世代の少年、少女達の物語で、
東京の大森で生まれた亮二という名の少年が主人公である
やくざの息子である点や高校卒業目前で退学になるという設定などから考えても、
この主人公のモデルは松村雄策自身なのであろう。
当時の学生運動などの社会風景と、ビートルズの来日から解散といったことを背景に、
主人公や友人、恋人達が成長していく姿が描かれている。
ビタースウィートな物語なのである。
ちくまから文庫になっているので、機会があれば読まれることをお薦めする。
ちなみに、太宰も松村雄策も僕と同じ血液型であった。