女子大生・綾波レイ シリーズ(PART6)
 『エンドレス・サマー』

○『プロローグ』

 季節は夏。第3新東京市に夏という季節が戻ってきてから既に4度目の夏を

迎えていた。今年の第3新東京市は例年にも増して暑い日が続いている。

 女子短大生になった綾波レイがふとした理由からウェイトレスのアルバイト

をする事になった学校のそばの喫茶『ろまねすく』では、8月になってから連

日、アイスコーヒーやアイスティーの注文が多い。そのせいか、ホットにコー

ヒーの真髄を求める『ろまねすく』の若いマスターは、アイスコーヒーの注文

がかかる度、厨房の中で嘆いていた。ちなみにこのマスター、極度のあがり症

で、カウンターの仕事はアルバイトのレイと優美に任せきりである。

「ほんと、今日はアイスがよく出るわね〜」

 テーブルが6つにカウンター席が10席と、そんなに広くはない店内にびっ

しりのお客をくるりと見回してから、薄いピンク色のエプロンを身に付けたこ

の店の看板ウェイトレス(とは言っても2人しかいないのだが……)優美が言

った。後ろで一つにくくった長い髪がふわりと揺れる。

「ほんとに……」

 洗い場でグラス洗いに追われているレイが手を休めて微笑んだ。

 レイはバイトを始めてからまだ2ヵ月足らずだけれど、どの時間に店が混雑

するのか、どのメニューが人気があるのか、といった店の事情まで分かるよう

になっていた。おかげで優美も時々『ろまねすく』を抜け出して、本業のおし

ぼり屋の電話番に戻る事が出来るようになった。

 さて、今はちょうど夏休みの時期である。けれども午後3時という今くらい

の時間になると、この店の名物・ジャンボパフェ目当ての女の子で店はいっぱ

いになるのだった。

 そして、この時間になると決まってやってくる少女達がいる。

『やっほーっ! レイちゃんいる〜?』

 髪をサイドでお団子状にまとめた小柄な少女が店に入ってきた。

 レイの通う短大の友人・草薙うららである。

「だからオレは甘いものが苦手だって言ってるだろうが!」

 うららに怒鳴りながら続いて入ってきたのはスポーティーな感じの漂うショ

ートカットの似合う少女。うららの高校時代からの知り合いで、レイの友人で

もある天城アヤであった。

「いいじゃな〜い。私が来たいっていうんだからっ!」

 うららは無邪気な笑顔でそう言うと、お決まりの窓際のテーブルに座った。

「あのな〜……」

 相変わらずマイペースというか自分勝手なうららの態度に呆れるアヤの背中

から、長い髪を背中まで伸ばしたおとなしそうな少女が控えめに顔を出す。

「いらっしゃい……七瀬さん」

 ニコッと微笑んだレイと目が合うと、彼女・七瀬ミオは少しはにかんだよう

な笑顔を見せた。

「こ、こんにちは……」

 洗い物に追われるレイに代わって、優美が氷水の入ったグラスを持ってカウ

ンターから出てくる。

「ほら、アヤちゃんもミオちゃんも座ったら? 暑かったでしょう」

 満面の優美の笑顔を見て、アヤは渋々とした表情で、ミオはほんの少し恥ず

かしそうな笑みを浮かべて、うららの待つテーブルに席を取った。それを洗い

物をしながらカウンターの中から見ていたレイは、ふと手を休めると嬉しそう

な笑顔を見せた。

「海に?」

 注文のジャンボパフェをうららの前のテーブルに置きながら、レイが少し驚

いたように言った。

「うんっ。日帰りなんだけど、明日みんなで行こうって事になったの」

 さっそく嬉しそうにスプーンでクリームをすくいながらうららが言う。

「分かるだろ? またこいつのワガママだよ……」

 アイスティーを飲んでからふてくされたようにアヤが言ったのを見て、ミオ

がおかしそうに笑った。

「だって暑いんだも〜ん。いいじゃない、せっかくの夏なんだし」

「付き合わされるこっちの身になれよな!」

「それにしては、アヤちゃんも嬉しそうじゃない?」

 うららが悪戯っぽい口調で言うと、アヤが言い返すより先に、レイがアヤの

顔を覗き込んで尋ねた。

「どうして?」

「えっ……? い、いや……そ、そんなワケないだろ!」

 アヤはそう言ったきり、窓の外に視線を逸らしてしまった。アップルティー

のカップを傾けていたミオがくすっと微笑む。

「レイちゃん達が行くって言ってた海に行くの〜。アヤちゃんがそこならいい、

 ってダダこねるものだから」

 うららがレイの顔を見上げて、嬉しそうに答えた。口の回りにはクリームが

べっとりと付いている。

 レイは明日、リツコやミサトやマヤ、そしてシンジ、アスカ達といった中学

校時代の仲間達と一緒に1泊の予定で海に遊びに行く事になっていた。

 当然その中には、レイやミオ達がアヤが気になっている相手じゃないかと睨

んでいるリツコの部下の大和の名前も入っている……。

「誰もそんな事言ってないだろ! あそこの海なら行ってもいいかな〜、って

 言っただけじゃね〜か! ネルフの人達がいるからなんて言ってね〜だろ!」

 頬を紅潮させながら反論するアヤを見て、ミオとレイはクスッと楽しそうに

笑って顔を見合わせた。

「お前ら……何嬉しそうな顔してるんだよ!」

 ふたりを見ながらアヤが頬を膨らませる。

「アヤちゃんって正直だな〜って思って」

「うらら! テメ〜っ!」

 がたんとテーブルを揺らせてアヤが立ち上がった。

「ま、いいじゃない。レイちゃん達と同じ海に行けるんだから」

 動じることもなく、黙々とパフェにスプーンを入れながら言ううらら。あま

りにも淡々としたものだから、アヤも反論する気が失せてしまった。

「……ったく……ま、いいか……どうせうららとは別行動なんだしな」

「なんでよ〜っ!」

「お前はいつも食ったりナンパされたりでウロチョロしやがって、泳ぎもしね

 〜だろうが!」

「ふんっ! どうせうららは泳げないもんっ!」

「なら海に行こうなんて言うなよ!」

「だって、楽しいんだもんっ!」

 きっぱり言い切ったうららに、アヤはまた怒る気も失せてしまったのか、テ

ーブルに突っ伏してしまった。

「勝手にしろ……」

 ジャンボパフェを美味しそうに平らげるうららを間に挟んで、ミオとレイは

楽しそうに顔を見合わせて微笑んだ。

○『SCENE1』

「センパイ、センパイっ! 明日着る水着ってもう決めちゃいました?」

 定時を告げる鐘が鳴り終わりもしないうちに、赤木リツコの席に駆け寄って

きた伊吹マヤが彼女に尋ねた。最近めっきり女っぽくなったと噂の彼女ではあ

るが、その幼げな風貌と話し方は相変わらずである。

「ど、どうしたのよマヤ?」

「明日、みんなで海に行くじゃないですか。海といえば水着ですよねっ」

「そ、それはそうだけど……」

 そんなふたりの会話に、リツコの視線の先でキーボードを叩いていたリツコ

の部下の大和は手を止めると、リツコ達の方を見てクスッと笑った。それに気

付いたリツコは思わず頬を赤く染める。

「センパイ! センパイ……どうしたんですか?」

 マヤにぐいと顔を覗き込まれて、リツコは慌てたようにマヤの方を見た。

「う、ううん、なんでもないわ。……私は、去年買った水着で済ませようと思

 ってるけど」

「そうですか……」

 しゅんと沈んでしまったマヤを見て、リツコは心配そうに彼女に尋ねた。

「どうかしたの? マヤ?」

「センパイも決めてないのなら、一緒に買いに行こうと思ってたんです……」

「そう……。いいわよ、付き合ってあげるわ」

 リツコはマヤの顔を見てニッコリと笑った。

「本当ですか?」

 マヤの顔がパーッと笑顔に変わった。

「ええ……。だから、早く仕事片付けてらっしゃい」

「はいっ!」

 ビュンと駆け出してゆく後輩の後ろ姿を微笑みながら見送っていたリツコは

なんとなく視線を横に移した。すると、ずっとこっちを見ていたらしい大和と

おもむろに目が合った。

「な、何?」

「楽しみですね、明日」

 微笑みながら大和が答える。

「そ、そうね……」

 リツコは何故か頬を赤く染めながら、視線を机上の書類に移した。

○『SCENE2』

 同じ頃。第3新東京市のとある街の大通りを、ふたりの少女が歩いていた。

「まったく、今日も暑いわね〜」

 手でぱたぱたと顔を扇ぎながら、うらめしそうに惣流・アスカ・ラングレー

は天を仰いだ。ずっと伸ばし続けている栗色の髪が、太陽の光に照らされてキ

ラリと光る。

 空はそんなアスカをあざわらうかのように、真っ青に晴れ上がっていた。

「仕方ないわよ。夏なんだから」

 髪を後ろでひとつにまとめた少女が額の汗を拭いながら答えた。今年から市

内の料理専門学校に通っている洞木ヒカリである。ふたりは明日の海への旅行

に備えてデパートで買い物をした帰りであった。

「なにか冷たいものでも飲みたいわね〜」

 すっかり暑さでバテてしまったらしく、ぜいぜいと肩で息をしていたアスカ

は、遠くに見える地味な看板に気がついた。瞬時にして目に生気が戻る。

「ヒカリっ! あれって喫茶店の看板じゃない?」

「……みたいね……ってアスカ、どこ行くのよ!」

 突然、駆け出したアスカの背中にヒカリが声を掛けると、アスカは目をらん

らんと輝かせて振り返った。

「休憩よ休憩っ。ヒカリも早く来なさいよ!」

「何回目の休憩だと思ってるのよ。アスカ、アスカってば!」

 荷物を両手に提げたまま、ヒカリは渋々アスカの後を追った。

「『ジャンボパフェ』だって……すごい大きさね……」

 ようやく店の前でアスカに追い付いたヒカリは、息を整えながら店頭のディ

スプレイを見て驚いたような口調で言った。

「へえ〜、ここにこんなお店があったのね〜。全然知らなかったわ」

 それもそのはず、アスカの通う4年制大学はこの街の駅から2駅離れた駅の

そばにあったからだ。

「ほら、とにかく入るわよ。私、喉が乾いちゃって」

 アスカはヒカリの手を強引に引いて店の扉を開けた。

『いらっしゃいませ〜』

 ドアの上部に取り着けられたベルが心地よい音を立てたのと同時に、さわや

かなふたりの女の声がアスカ達を迎えてくれた。

「あら、ファーストじゃない。こんな所で何してんのよ」

 きょろきょろと店内を見回していたアスカが、カウンターの中でグラスを磨

いていたレイを目敏く見つけて言うと、ドアのそばに立つアスカとヒカリの方

を見た彼女は驚いたような表情を見せた。

「レイちゃん、お友達?」

 優美が尋ねると、レイは静かにこくりとうなづいた。

「じゃあ、レイちゃんに任せるわ」

 優美は微笑むと、レイの手からグラスを受け取って静かに磨き始めた。

 レイはちらりとアスカ達の方を見てから、水を持ってカウンターから出る。

「こちらへどうぞ」

 驚いた表情を浮かべているふたりを窓際の一番眺めのいい席に案内する。

 アスカ達はただ呆然とレイの後ろ姿を見つめたまま、彼女のなすがままに席

についた。

「ご注文がお決まりでしたら、承りますが……」

 エプロン姿のレイの横顔をぼーっと見ていたアスカは急にレイがこっちを向

いたのを見て、ようやく我に返った。

「そうね……綾波さん、ここは何がおすすめなの?」

 レイは少し考えるような仕草を見せてから、ヒカリとアスカの顔を交互に見

て静かな口調で答える。

「……そうね……コーヒーは美味しいわ。あとケーキも美味しいし、アップル

 パイもよく出るわね……。それと……」

「ジャンボパフェ」

 ヒカリがレイの言葉を遮って言うと、レイはニッコリと微笑んだ。

「ええ……そうね」

 ヒカリはレイに微笑み返してから、アスカの方を見た。

「アスカどうする?」

「そうね、せっかく来たんだし……そのジャンボパフェとかなんとかいうのを

 食べてみようじゃない。ファーストもおすすめみたいだし」

 レイと視線を合わせないようにしながら、アスカは照れくさそうに言う。

 レイはなんだか嬉しくなって、やわらかな微笑みを浮かべた。

「じゃあ、ジャンボパフェを2つね」

「はい、かしこまりました」

 丁寧に頭を下げて、やわらかに微笑んでから席を去ってゆくレイの背中を、

アスカは取りつかれたようにじっと見つめていたが、やがて嬉しそうに笑った。

「アスカ、何嬉しそうな顔をしてるのよ」

 ヒカリが目敏くそれに突っ込むと、アスカは慌てたように顔を背けた。

「嬉しくなんかないわよっ!」

「フフッ……素直じゃないわね……」

 ヒカリが楽しそうにクスッと笑ってグラスの水に口をつけると、グラスの氷

がカランと涼しげな音をたてた。

「へえ〜……なかなかのものじゃない。ねっ、ヒカリっ」

 空っぽのパフェの器を前に、アスカが満足げに笑う。

「そうね……今晩体重計に乗るのが少し怖いような気もするけれど……」

「ヒカリ〜ぃ。甘いもの食べた後に、それは言わない約束でしょ〜」

 アスカとヒカリは顔を見合わせて笑った。美味しいものを食べた後の女性と

言うのは、誰でも上機嫌なものだ。

「……大丈夫よ……カロリーの低い甘味料を使っているみたいだから……」

 アスカとヒカリが顔を上げると、レイが微笑みながらそばに立っていた。

「お水……いかがですか?」

 残り少なくなってしまったふたりのグラスを見て、レイがやわらかに言った。

「そ、そうね……頂こうかしら」

「ファーストっ、私のもね」

 レイは軽く微笑むと丁寧な仕草で、グラスに水を注いだ。

「それにしてもさっきの話……カロリーが低いって本当なの?」

 興味津々といった顔でヒカリがレイに尋ねる。

「ええ……このお店って女の子が多いから、マスターが気を使っているみたい」

「まさに女の子のためのお店ね〜」

 アスカは親しげに話すふたりから、ただなんとなく視線を逸らした。

「ねえアスカ? また時々来ましょうよ」

 ヒカリはそう言って、レイからアスカの方へ視線を移した。アスカはレイの

方をちらりと横目で見てから、照れくさそうに視線を外して、そして言った。

「そうね……ファーストの顔を見に、また来てあげるわ。今度はシンジも連れ

 てね」

 その言葉にレイは嬉しそうにニッコリと笑った。

「ま〜た、碇君におごらせるつもりなんでしょう?」

「あら、よく分かってるじゃない? ヒカリっ。 何ならヒカリも鈴原連れて

 来れば?」

 ヒカリの顔が赤く染まった。

「えっ……わ、私は……」

 アスカはしてやったりとばかりにニヤリと笑うと、そばに立っているレイの

方を見上げた。

「ファーストっ!」

 レイは驚いたような顔でアスカの顔を見つめて彼女の言葉を待った。

「ヒカリが鈴原とここに来たら、必ず私に報告するのよ。すぐ飛んできて、鈴

 原にパフェのひとつでもごちそうしてもらうから」

 冗談ぽい口調で笑顔を浮かべながら言うアスカをレイはじっと見つめていた

が、やがて楽しそうに微笑むとこくりと縦にうなづいた。

「分かったわ。携帯電話でいいのね」

 レイの言葉に、アスカも分かっているじゃない、とばかりに楽しそうに笑う。

「もう、アスカも綾波さんもからかわないでよっ!」

 ヒカリが真っ赤な顔で、頬をぷうと膨らませてそっぽを向いたので、レイは

アスカと顔を見合わせて、そして楽しそうに笑った。

 こうしてふたりで顔を見合わせて笑うなんて初めての事だった。

「ハハハッ。冗談だってばヒカリっ。本気にしなくったっていいじゃな〜い」

「……もう知らないっ!」

 ふたりに背を向けたヒカリを見て陽気に笑っていたアスカが、しばらくして

レイに向かって小さく手招きした。レイがアスカに顔を近づけると、アスカは

レイの耳元にこう囁いた。

「シンジを連れてくるっていうのは冗談じゃないからね。楽しみにしてなさい

 よ……」

 レイの顔が瞬時にして赤くなるのを見て、アスカは楽しそうに笑う……。

 そんな3人を優美がカウンターの中から微笑ましく見つめていた。

○『SCENE3』

 翌日の土曜日の正午前。

 第3新東京市から車で2時間程飛ばせば行く事のできる太平洋側のとあるリ

ゾートビーチ。そばには素敵なシーサイドホテルも建っているこの海岸にレイ

達はいた。

「ってワケで、これから自由行動にするわよっ。それぞれネルフの一員として

 責任持った行動を取るよ〜に」

 派手な赤のハイレグ水着を身につけ、日除けのサングラスをかけたミサトが

シンジやレイを前に声高々に言う。そんな彼女を前に、トウジはシンジにひそ

ひそと耳打ちした。

「なんでネルフの名前が出てくるんや?」

「なんでも『研修』とか何とか言って、経理課からお酒代出させたらしいんだ

 ……だから報告書も出さなくちゃいけないんだって、車の中でぼやいてた」

「なんやて〜?」

「ま、カタチだけだよカタチだけ。どうせミサトさんの事だから……」

「シンちゃ〜ん、なんか言ったあ〜?」

 ミサトがサングラスを外してギロリとシンジを睨んだ。

「な、なんでもないです……」

 シンジがひょいと首をすくめると、それを見ていたレイはクスッと楽しそう

に微笑んだ。 

「まあ、一番気をつけなければいけないのはミサトだけれどね」

 シンプルな真っ白のワンピースの上から、白衣のように白のシャツをラフに

羽織ったリツコがわざとミサトに聞こえるように言うと、その隣にいたマヤと

大和がクスクスと笑った。

「うるさいわよ、リツコっ! あんたも久々に男と海だからってうかれてない

 で、ちゃんと監視しなさいよね!」

「な〜んですって〜っ! ミサトっ!」

 顔を付き合わせてにらみ合いを始めるふたりを見て、加持は苦笑いを浮かべ

るとシンジ達の方に近づいてきた。

「ま、ミサトはああ言っていたけど、せっかく海に来たんだ。みんなで楽しん

 でくればいいさ」

 赤を基調にした少し派手目のワンピースに身を包んだアスカが、ふわりと髪

を揺らせて加持の顔を覗き込んだ。

「さっすが加持さん。ミサトと違ってハナシが分かるじゃな〜い。ねっ、ヒカ

 リ?」

 アスカはクルッと振り返ってヒカリの方を見た。彼女はおとなしめのグリー

ンのワンピースに身を包んでいる。

「え、ええ……で、でもいいんですか……? ミサトさんはああ言ってました

 けど……」

「形だけさカタチだけ……。だってほら」

 加持が後ろを振り返って指差した方にシンジ達が目をやると、ミサトがリツ

コにぶつくさ言われながら、早速缶ビールを煽っていた。

「あ……もう飲んでる……」

「好きやな〜ミサトさんも」

 半ば呆れたように言って、シンジとトウジは顔を見合わせた。

 みんながミサトのわがままぶりに呆れている中、シンジの隣のレイだけが、

きょろきょろと辺りを見回していたが、やがてひとりだけその場を離れて、辺

りを見回し始めた。

「ってワケで、逃げておいた方がいいと思うぞ」

「そ、そうですね」

 ぐびぐびとビールを煽るミサトを見て、少し怯えたようにシンジは言った。

「こら〜っ! 加持っ! そこでなにやってんのよっ!」

 遠くからミサトが怒鳴る。

「ほら、早く行きな……アスカ、シンジ君」

「そ、そうね……行くわよ、シンジっ」

 アスカは少し照れくさそうにそう声を掛けると、粒の細かい乾いた砂を蹴っ

て駆けてゆく。

「ちょ、ちょっと待ってよ、アスカ〜っ」

 シンジは少しはなれた場所で誰かを探しているようなレイの横顔を一目見て

から、栗色の髪の彼女の背中を追った。

「ア、アスカっ……待ってよ!」

 ヒカリは大きな声でアスカを呼び止めたが、彼女は立ち止まらない。ヒカリ

の声が聞こえていないわけではない。わざと立ち止まらなかったのだ。

「……ほな、わしらも行くか……」

 駆けてゆくアスカとシンジを見送っていたトウジが突然、自分の方を見たの

でヒカリは思わず顔を赤く染めてしまった。

「う、うん……」

 ヒカリはそう答えるのが精一杯だった。

「あれ? 綾波は?」

「えっ? 今まで近くにいたと思ったけど?」

 ふたりは辺りを見回したが、近くにレイの姿は見当たらなかった。

「仕方ないな……そんなに広いわけやないし、すぐに見つかるやろ。行くで、

 洞木っ!」

「あ、う、うん……」

 ヒカリは照れくさそうにうつむきながら、差し出されたトウジの右手をつか

んだ。瞬間、トウジも照れくさそうに頬を赤く染めたが、すぐにヒカリに背を

向けるようにして駆けだした。

「いいねえ……若いっていうのは……」

 ふたりを見送っていた加持がひとりごとのようにつぶやくと、ガンと後頭部

に缶が投げつけられてきた。

「痛いじゃないか! 葛城っ!」

「うるさ〜い! とっととこっち来て酌しなさいよお〜」

 すっかり出来上がってしまっているミサトを見て、加持はこめかみに指を当

ててつぶやいた。

「もっとおしとやかに出来ないものかねえ〜」

「なんか言ったぁ〜〜!?」

 声と同時に2つ目の空き缶が放り投げられてくる。加持はそれを片手で受け

ると、ミサトの待つ休憩所のパラソルの下へ駆け出した。

 

 さて、レイはミサト達のいる場所から20メートルほど離れた場所でキョロ

キョロと誰かを探していた。薄い水色のワンピースの上から、リツコと同じよ

うに長袖の白いシャツを羽織ったレイは、砂浜にいる女の子の中でも一際目立

っていた。

「キャッ……!」

 突然肩を叩かれたので、驚いてレイが振り返ると、水着の上からアロハシャ

ツを着込んだ大和が微笑みながら立っていた。

「ご、ごめん……。さっきから誰を探しているんだい? シンジ君達はもうど

 こかに行っちゃったよ」

 レイがくるりと辺りを見渡すと、大和の言葉通りシンジ達の姿はなかった。

「……友達を探しているんです……。こっちに来ているはずだから……」

「友達って、短大のあのコ達の事?」

 タクミはアヤやミオ達と面識があるので、すぐに事情を察した。レイはこく

りと縦にうなづく。

「じゃ、一緒に探してあげようか?」

「えっ……? で、でも……」

 レイはうつむきながら、こっそりと大和の顔を覗きこんだ。大和はレイの方

を見てニコニコと微笑んでいる。

「遠慮しなくったっていいさ。僕も暇だし、困った時はお互い様だろ?」

 ほんの2か月ほど前、車酔いになった大和は家の途中までレイに送ってもら

った事があった。

「じ、じゃあ……お願いします……」

 レイが照れくさそうにそう言うと、大和は笑ってくるりと辺りを見回した。

「バスの到着場はあっちだから、あっちの方から探してみようか?」

 なんだか楽しそうな大和の横顔をじっと見上げているレイ。その大和がクル

ッと振り返った。

「じゃ、行こうか」

 レイは頬を赤く染めて、こくりと縦にうなづいた。

「ほ〜ら加持ぃ〜。注げ〜っ!」

「だから葛城、ほどほどにしとけって」

「わ〜たしはいつだってほどほどよ〜ん」

 加持とミサトがいつものようなやり取りを交す隣で、リツコはぼーっとレイ

と大和の姿を見つめていた。その横顔は少し寂しげで、せつない。

「センパイ、センパイっ!」

「な、何? マヤ」

 慌てた様子でリツコが声の方に振り向くと、マヤが大きな浮袋を持ってリツ

コの顔を覗き込んでいた。

「泳ぎにいきましょう、センパイっ! せっかくのお休みなんですからっ!」

「そ、そうね……せっかくの休みだものね……」

 リツコはそう言いながら、少し離れた場所にいる大和とレイの方に目をやっ

た。ふたりはちょうどどこかへ歩いてゆく所のようだ。

「あっ、レイちゃんに大和くんじゃないですかぁ〜。どこに行くんでしょう?」

 リツコの視線の先を追ってふたりを見つけたマヤが笑顔で尋ねた。

「さ、さあ……」

「まさか、あのふたり付き合ってるとか? もしそうだったらどうしましょう

 センパイっ!」

 リツコはレイと大和の方から目を逸らして、すっくと席を立った。

「マヤ……行くわよ」

「はいっ! センパイっ!」

 嬉しそうなマヤの表情とは対照的に、リツコの表情は少し曇っているように

見えた……。

 最初、ミサト達がいた場所に立てられたビーチパラソル。

 その下に男がふたり、寂しげにたたずんでいた。

「なあ、マコト……」

「なんだ? シゲル?」

「俺達忘れられていないか……?」

「やっぱりそう思うか……?」

「ああ……」

 ふたりの男は崩れるように頭を垂れた。

○『SCENE4』

 自由行動になって2時間ばかり経過した頃、降り注ぐ太陽の光のまぶしさも

最高潮に達した午後1時過ぎ。浜辺にある休憩所のパラソルの下に、いちごシ

ロップのたっぷりかかったかき氷を額の汗を拭いながらつついているレイがい

た。その向かいにはこれまた取りつかれたように宇治金時のかき氷をつつく大

和がいる。

「それにしても狭い海岸だとはいえ、人探しって難しいもんだね」

 大和はくるりと辺りを見回してレイに言った。まわりにいくつかあるパラソ

ルにはカップルらしき男女が楽しそうに会話を交しながら、トロピカルドリン

クなどを飲んでいる姿がちらほらと見られた。

「え、ええ……」

 大和と目を合わせないようにしながら、恥ずかしそうにレイは答えた。端か

ら見るとまるで本当の恋人同士のようである。

「でも人探しって楽しいよね」

「えっ……? ど、どうしてですか……?」

 涼しげなかき氷の器をなんとなく見つめながらレイは尋ねた。

「だってさ、いろいろな事考えながら探しているとなんか楽しいだろ。目的の

 相手を見つけて、その相手が君の顔を見た時どんな顔をするんだろう、とか

 ね……」

 大和は楽しそうにそう言って、すっかり氷の溶けてしまったグラスの水を一

気にあおった。レイはそんな大和の様子をじっと興味深そうに見ている。

「さてと、休憩はこれくらいにして早く見つけないと、日が暮れてしまうな」

 冗談ぽく言って元気に笑った大和の顔を見て、レイはクスッと笑った。

「そうですね……」

 そう答えて水を喉に流しこみながら「このままずっと探し続けて終わるのも

悪くないかな……」とレイが思ったその次の瞬間である。聞き慣れた甲高い少

女の声が近くから聞こえた。

『アヤちゃん、そんなトコロでなにやってるの〜?』

 間違いなくうららの声である。レイはハッとした顔で、声がした方を見た。

「ば、馬鹿っ! 急に声をかけるなよ!」

「うらら、馬鹿じゃないもんっ!! アヤちゃんこそ、レイちゃん探すのをや

 めてサボってるなんてズルいじゃないっ!」

「サボってなんかねえって! 気付かれるだろ!」

「気付かれるって誰によっ!」

 顔を突き合わせてにらみ合うふたりの肩を、薄いグリーンのワンピースの水

着に身を包んだおとなしそうな少女が申し訳なさそうに叩いた。

「邪魔しないで、ミオちゃんっ!」

「止めるなよ、ミオっ!」

 ミオはふたりの顔を見ると、無表情にふたりの後ろを指差した。アヤとうら

らがほとんど同時に後ろを振り返ると、レイがじっとこっちを見ていた。その

向かいでは大和がおかしそうに笑っている。

「……あっ……」

 アヤは恥ずかしそうに頬を赤く染めて、レイの方から目を逸らした。

「きゃっほーっ! レイちゃんじゃな〜い! やっと見つけた〜っ」

 花柄のカラフルなビキニの水着姿のうららは弾むような足取りでレイの方に

駆け寄ってゆく。小柄ながらもそのグラマーなカラダにそこら中の男は視線を

くぎづけにされた。

「こんにちは。草薙さん」

 首根っこに擦り寄ってきたうららを嬉しさと照れくささの入り混じった複雑

な表情を浮かべてレイは言う。

「ずっと探してたんだ〜っ! 良かったぁ〜見つかって! ほらっ、ミオちゃ

 んもこっちおいでよ〜っ!」

 うららが手招きしたのを見て、ミオが後ろ手にゆっくりと近づいて、大和に

ちょこんと頭を下げる。

「……みんなで探してくれていたの?」

 水着姿がよほど恥ずかしいらしく、少し視線を落とし気味にしているミオに

向かってレイが尋ねた。

「ええ……お昼前に来たんですけど……アヤさんが取りあえず綾波さんを探そ

 うって言って……」

 それを聞いてレイはまだ少し離れた場所で立ち尽くしているアヤの方を見た。

アヤは少し照れくさそうに頬を指で掻いてから、レイの方に近づいてくる。

 身体にぴったりとフィットしたスポーツタイプの黒の水着がよく似合ってい

るなとレイは思った。

「……よ、よぉ……」

 大和をちらりと横目で見てから、バツが悪そうにアヤが言ったので、レイは

ニッコリと微笑んだ。

「じゃ、うららはしばらくこの辺りを探検してくるね〜っ!」

 そう言い残してうららは駆け出してゆく。

「お、おいっ! 時間までには戻ってこいよなっ! 置いて帰るからなっ!」

「分かってるって! じゃ〜ね〜っ!」

 振り返ったうららはレイ達の方へぶんぶんっと手を大きく振ってどこかに行

ってしまった。

「ったく、5分とじっとしていられないんだから、あいつは……」

 ぶつくさと言ったアヤを見て、隣の椅子に座っている大和がクスッと笑う。

「他のみなさんはどちらにいらっしゃるんですか?」

 日除けの麦わら帽子をかぶったままのミオがソーダ水のグラスをテーブルに

置きながら大和に尋ねた。

「葛城さん達はあっちの休憩所でビールでも飲んでいるんじゃないかな? 赤

 木博士と伊吹さんなら向こうの方の浜で波遊びしているのを見かけたよ。そ

 ういえば、日向さんと青葉さんはどこへ行ったんだろう」

 ちょっとした悪戯ゴコロを芽生えさせた大和は、わざとそんな風に答えた。

「あ、あの……そ、そうじゃなくて……」

 顔を赤く染めてうつむいてしまったミオを見て、大和はクスッと微笑む。

「あっ……鈴原くん達だわ」

 回りをきょろきょろと見渡していたレイがぽつりと言った。

「そ、そう……鈴原クン達はどこにいるのかな〜って……えっ?!」

 ミオがバッと顔を上げると、トウジがシンジと一緒に浜辺に立っているのが

見えた。大和はクスッと笑うと、椅子から立ち上がった。

「お〜い、鈴原君、碇君。こっちにみんないるよ〜!」

 トウジとシンジはその声に振り返って、大和やレイの姿に気付くと、2、3

言葉を交してから、大和達のいるパラソルの方へ近づいてきた。

「やあ、綾波。ちょうど探してたんだよ。アスカが綾波がいないとつまらない

 って言い出してさ」

「そうやそうや。着いてくる思とったら、いつまで待っても来いへんから、み

 んなで探しとったんやで」

 レイはそれを聞くと、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「そ、そう……ごめんなさい……」

「あ、謝ることはないよ……。僕だって……」

 レイがシンジの顔を見ると、シンジは言葉を途中で止めて、恥ずかしそうに

顔を逸らしてしまった。

「こ、こんにちは」

 レイとシンジの方を見て笑っていたトウジがその声の方を見ると、ミオが顔

を真っ赤にして隣に立っていた。

「あ、ああ……こんにちは。今日も暑いねんけど……大丈夫かいな?」

「は、はいっ! こう見えても私、暑さには強いんですっ」

 ミオはパーカーの袖をまくると、ぐんっと腕で力こぶしを作るポーズをとっ

た。けれども、透き通るように真っ白で、捻ると折れてしまいそうなその腕で

はいかんせん説得力がない。

「そうかいな。そりゃ、いらん心配して申し訳ありまへん」

 ははーっとばかりに大げさに頭を下げたトウジと、その反応に少し戸惑って

いる様子のミオを見て、レイと大和とアヤとシンジは愉快そうに笑った。

「シンジ〜っ! ファースト〜っ!」

 突然聞えたその声に、レイとシンジが声の方に目をやると、アスカがヒカリ

の手を引いてこっちに駆けてくるところだった……。

「そこで、あの……え〜っと誰だっけ? こうやって髪を両方で縛ったちっち

 ゃい賑やかなコ……」

 シンジ達のそばに到着したアスカがぜいぜいと息を切らせながら言う。

「うららさん?」

 アスカ達の姿が見えてきた瞬間からなぜかいなくなってしまったレイに代わ

って、ミオが答えた。

「そうそう、そのコに会って、話を聞いたらここにいるって言ってたから、走

 ってきたのよ」

 ようやく呼吸が整ってきたアスカはシンジの顔を見る。

「あれ? ファーストは?」

 そう尋ねた瞬間に、アスカの頬を冷たく硬い感触が襲った。 

「ひゃっ!? な、何するのよっ!」

 アスカが勢いよく振り返ると、スポーツドリンクの缶を二つ手に持ったレイ

が微笑みながら立っていた。

「はい。喉乾いてるでしょう? あげるわ……」

 レイはそう言ってアスカの前にドリンクの缶を差し出した。

「わ、私に……? アンタが買いに行ってくれたの?」

 レイはこくりと縦にうなづいた。

「ええ……。私を心配してくれたお礼……」

 アスカはそれを聞くと、ギロッとシンジとトウジを見た。

「あんた達っ! あれだけ言うなって言っておいたのに、喋ったわねっ!」

「ま、ええやないか……こうして見つけられたんやし」

「良かないわよっ! 約束も守れないのアンタ達はっ!」

「別に悪い事じゃないじゃないか」

 シンジがそう言ったのを聞いて、アスカはレイの方を向くと、スポーツドリ

ンクをレイの手からひったくるように奪い取った。心なしか頬が少し赤い。

「ありがたくもらっておくわ。でも、勘違いしないでよねっ! 私はアンタが

 心配なんじゃなくて、仲間外れにしていると後味が悪いから探してただけな

 んだからねっ!」

 それを聞いたレイがニッコリと微笑んだので、アスカは照れくさそうに横を

向いた。そこへ彼女の神経を逆なでするかのようにトウジが声を掛ける。

「どこが違うっちゅうんじゃい!」

「うっるさいわね〜鈴原っ!」

 顔を見合わせてから楽しそうに逃げ出したトウジとシンジを追って、アスカ

も駆け出した。栗色の長い髪がふわりと風に揺れる。

「素直じゃないわね……相変わらず……」

 やさしげなその声にレイが横を向くと、いつの間にかヒカリが立っていた。

「洞木さんもどうぞ……」

 差し出されたスポーツドリンクを笑顔で受け取ると、ヒカリはプルタブを引

いて、中味をごくごくと飲んだ。よっぽど喉が乾いていたらしい。

「ふう……美味しい……。でもね、綾波さん……あなたがいなくて一番つまら

 なさそうにしてたのはアスカなのよ……」

 遠くでトウジとシンジとじゃれあうように追っかけっこをしているアスカの

横顔を見ながらヒカリがぽつりと言うと、レイは蒼銀の髪をふわりと風に揺ら

せて、微笑んだ。

「……分かってるわ……」

 その横顔はとてつもなく幸せそうな想いに満ちあふれていた……。

「じゃ、僕はそろそろ行こうかな……」

 レイやシンジ達の姿を微笑みながら眺めていた大和が急に立ち上がったので、

アヤは慌ててしまった。

「行くってどこへだよっ!」

 大和は「しまった」というような表情のアヤを見てニッコリと微笑んだ。

「大人は邪魔だろう……どこかで時間を潰すよ」

「じ、邪魔なんかじゃないさ……」

 頬杖をついて顔を背けたまま、アヤはわざとぶっきらぼうに言った。

「じゃ、君が話し相手になってくれるかい?」

 アヤは思わず頬を赤く染めた。それを見ていたミオがクスッと微笑む。

「だ、誰が話し相手になんかなるかよっ! そんなのはミオに頼みな」

「じゃ、七瀬さん。一緒に話しでもしようか?」

 大和は悪戯っぽい笑みを浮かべると、アヤの隣に座っていたミオの顔を覗き

こんだ。

「わ、私ですか……?」

「だぁ〜っ! 本当にするんじゃないっ!」

 アヤがイラついたように言ったのを見て、大和とミオは楽しそうに笑った。

 それから2時間あまりの間、それぞれの想いの中、8人はそれぞれに楽しい

時間を過ごした……。

 その楽しさは、後日のレイの日記にも詳しく記されることだろう。

○『SCENE5』

 その頃。

 浜辺をサングラスを掛けて、白のサマーセーターを着た少女が歩いていた。

 銀色の長い髪が、夏の日差しに眩しく輝く。

 その彼女(?)は遠くから駆けてくる幼な顔の少女の姿を見つけると、少

し困ったように顔を伏せた。

『うわ〜っ!』

 その少女がちょうど彼女の真正面でステンと転んでしまう。

「うわっ……!」

 その拍子に女のサングラスとウィッグが飛んでいった。

 慌ててそれを拾い上げようとする彼女だったが、運悪く少女に顔を見られ

てしまう。その彼女はシンジの友人・渚カヲルだった。

「あっ?! カヲル君じゃな〜い! ここに来てたんだ〜っ!」

「だ、だから、あんまり近くに寄らないでくれないか……」

 カヲルはじりじりと後退りする。

 彼は極度の女性恐怖症であったからだ。

「ねえねえ、一緒に遊ぼ〜よ〜っ! あっちにレイちゃんやシンジ君達もいる

 よ〜っ!」

 それまで怯えきっていたカヲルの目がキラリと輝いた。

「シンジ君? シンジ君がいるのか?!」

「う、うん……さっきあっちの方で会ったけど?」

「よ〜し、シンジ君。今すぐそっちに行くよっ!」

 カヲルは行こうとしたが、いつしか辺りは水着のギャルであふれかえってい

た。まあ、人間離れしたルックスを持つ彼だから仕方もなかろう。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。あんまりそばに寄らないで……」

 終いの方は声にならなかった。そのまま気絶して倒れてしまったからだ。

「カヲル君っ! カヲル君ってば!」

 うららはゆさゆさとカヲルの身体を揺すったが、一向に気付く気配もない。

「……シンジ君……」

 漂ってくる女の香りにうなされながら、カヲルはシンジと会う夢でも見てい

るのか幸せそうに微笑んだ……。

「ねえ、カヲル君ってば! どうしたのよ〜っ!」

 それにしてもそろそろ気付いてやれよ、うらら……。

 お前も原因のひとつだという事を……。(笑)

○『SCENE6』

 さて、時は進んでその日の夕方。

 いい加減はしゃぎすぎて遊び疲れたシンジ達が浜辺で休憩していると、加持

とリツコがぐでんぐでんに酔っ払ったミサトを連れてやってきた。その後ろか

らはマヤが心配そうな顔でついてきている。なぜか、マヤ以外は水着を着替え

ていた。

「どうしたんですか?」

 アスカとレイに挟まれて、3人で話をしていたシンジがリツコに尋ねると、

リツコは困ったような申し訳なさそうな顔でこう答えた。

「ちょっと急な仕事が入ってね……私とミサトだけ本部に帰らなくてはいけな

 くなったの」

 レイは驚いたような表情を浮かべた後、残念そうにリツコの方を見た。それ

に気付いたリツコは、やさしく微笑みを返すと隣のミサトを心配そうに見る。

「で、ミサトはこの調子だし、加持君にも一緒に帰ってもらう事になってね。

 急で申し訳ないんだけど、後はみんなで楽しんでちょうだい。事務的な事は

 全部マヤにお願いしてあるから」

 リツコがマヤの方を見て言うと、マヤは照れくさそうにてへっと笑った。

「でも、ミサトさん……それで仕事が出来るんですか……?」

「まあ、会議に顔を出すだけだから、そこの海の水でもありったけ飲ませて、

 車酔いにして、本部で吐かせれば酔いもさめるでしょ」

 リツコは冗談ぽく言ってフフッと笑った。他のみんなもおかしそうに笑う。

「リツコぉ〜っ! 人が苦しんでいるのに言いたい放題言ってくれるじゃな〜

 い」

 酔いつぶれていると思っていたミサトがぬ〜っと顔を上げたので、シンジ達

は驚いた。けれどもリツコはさほど驚いてはいないようで、ちらりと一目ミサ

トの方を見てから、澄ました口調で言った。

「飲み過ぎたあなたがいけないんでしょ?」

「……ま、それはそうなんだけどさ……。う〜ん、炎天下の下で飲むと、酔い

 も回りやすいのね〜……勉強になったわ」

「ミサトの場合は量の問題よ。量っ!」

 リツコが呆れたように言ったので、シンジ達は笑った。そのミサトがくるり

とシンジ達の方を見た。

「みんな〜……私達は帰っちゃうけど、楽しんでいってね。いい思い出作るの

 よ……」

 ミサトは諭すようにそうシンジ達に言うと、加持の背にもたれるようにして

深い眠りに落ちていった。

「ま、葛城もこう言ってる事だし楽しんできてくれよな。じゃ、リッちゃん、

 俺達は先に車に行ってるから……」

「ええ……すぐに追いかけるわ」

 加持は微笑むと、くるりと背を向けて駐車場の方へ歩みを進めた。

 次第に遠ざかってゆくミサトの後ろ姿を、レイはじっと取りつかれたように

見ている。ふとレイが横を向くと、アヤが立っていた。

「……何見とれているんだよ……」

 からかうような口調でアヤが言うと、レイはやわらかに微笑んだ。

「……うらやましいなって思って……」

 アヤはじっと目を逸らすこともなく見つめ続けるレイの横顔を見ていたが、

やがてミサト達の行った方へ目を向けると静かにつぶやいた。

「……そうだな……」

 レイはやわらかに、そして嬉しそうに微笑んだ。

 やがて、ミサトと加持の姿が見えなくなると、リツコがミオとアヤのそばに

やってきた。アヤの隣のレイを見てやさしく微笑んでからリツコは言う。

「あのね……私もミサトも加持君も帰るから、泊まるホテルに3人分空きが出

 るのよ。どっちにしたってキャンセル代も戻ってこないし、よかったら泊ま

 っていかない?」

 レイとミオは驚いて顔を見合わせた。ついさっき、「泊まっていきたいね」

と話していたばかりだったからだ。

「いつもレイがお世話になっているお礼といってはなんだけど、もしよかった

 ら……」

 リツコがそう言ってレイの顔を見ると、レイは嬉しそうに微笑んでくれた。

「は、はいっ! 泊まらせて頂きますっ!」

 ミオがリツコの方を見て元気よく答える。

 数ヵ月前までの、堅くて生真面目な彼女には考えられない事だった。

「おい、ミオっ! お前いいのか? 家、厳しいんだろ?」

 アヤが言うと、ミオはくるりとアヤの方を見て微笑んだ。

「一晩くらいなら構いません……それに私、もう子供じゃないですから」

 そう言って微笑んだミオの顔を見ると、アヤは何も言えなくなってしまった。

「あなたはどうするの?」

 リツコに尋ねられて、アヤは少し考える仕草を見せたが、嬉しそうにはしゃ

ぐレイとミオを見てから、こくりと縦にうなづいた。

「そう……じゃ、後の事は彼女に任せてあるから、何かあったら何でもいって

 ね。ああ見えても、結構頼りになるから」

 リツコは大和ときゃいのきゃいのとはしゃいでいるマヤを指さした。

「は、はい……どうもありがとうございます」

「いいのよ……お礼を言うのはこっちの方だわ」

「えっ?」

 アヤがリツコの方を見ると、彼女は微笑みながら、楽しそうにはしゃぐレイ

とミオの姿をじっと見ていた。

「あんな顔……昔は全然見せなかったのにね……」

 ひとりごとのようにそう言ってから、リツコは満足そうな笑みを浮かべて、

駐車場の方へ足を向けた。

 アヤはリツコの後ろ姿を見送って、レイ達の方へ視線を向けた。

『アヤちゃ〜ん、ミオちゃ〜ん。荷物を持ってちょっと来てくれる〜?』

 マヤが呼ぶ声が聞こえたので、アヤはそっちの方へ近づいていった。

 ふたりがそばに来ると、マヤはふたりを見て嬉しそうに笑った。

「ホテルまで案内するから一緒に行きましょうね」

 人に頼られるのがよほど嬉しいのだろう、マヤは上機嫌であった。

「あっ?! うららのこと、すっかり忘れてた」

 アヤが思い出したように叫ぶと、大和はクスッと微笑んだ。

「じゃ、一緒に探しに行こうか?」

「そうね。大和君はうららちゃんとアヤちゃんをよろしくね。私はミオちゃん

 を案内するから」

 反論する間もなく、マヤが笑顔でそう言ったのでアヤは抵抗する気も失せて

しまった。

「というわけだから、一緒に行こうか」

 アヤの方を見て笑顔で言う大和の顔が照れくさいアヤである。

「分かったよ!」

 照れ隠しのためか、わざとぶっきらぼうに言って、アヤはつかつかと歩きだ

した。大和はおかしそうに微笑んでその後を追う。

「………」

 少し離れた場所から、レイはふたりの背中を見送っていた。アヤが大和に気

があるんじゃないかという事は、うすうすと分かっていた。

『ファーストっ! ちょっと、ちょっと!」

 突然、アスカに呼び止められてゆっくりと振りかえった瞬間、真っ黒な何か

がレイの顔面を襲った。

「キャッ!」

 レイは思わずかわいらしい悲鳴を上げて、その物体をつかんだ。

 それは、黒々として水分をたっぷりと含んだワカメだった。

「ほ〜らひっかかった! やっぱり単純なんだからファーストって」

 赤い水着を来たアスカが夕陽をバックに楽しそうに笑う。

「やめなさいって言ったんだけどね。ごめんね〜、綾波さん」

 その隣で同じく楽しそうに笑うグリーンの水着姿のヒカリ。

「大丈夫よ……全然怒っていないから……」

 レイはにっこりと微笑むと、握っていたワカメを投げつけるようなポーズを

取った。

「ちょ、ちょっとファースト。まさか投げ返そうってんじゃないでしょうね」

 レイはクスッと悪戯っぽい笑みを見せると、じりじりとふたりに近寄った。

「ま、まさか……私も?」

 ヒカリが言うと、レイはニッコリと微笑んみながらこくりとうなづく。

「ほらヒカリ逃げるわよっ!」

 そう言ってヒカリの手を引くアスカ。とても楽しんでいるように見える。

「ちょ、ちょっと待ってよ! アスカっ!」

 駆け出すふたりを待っていたかのように、レイはふたりを追いかけ始めた。

 前を駆けるふたりの少女に心からの感謝の気持ちを投げかけながら、レイは

走った……。

 こんな瞬間がずっと続くように、さもなければこんな瞬間が幾度となく巡っ

てきますようにと願いながら……。

 浜辺に立っているシンジは、そんなレイやアスカの姿をじっと見つめていた

が、ポンと肩を叩かれてそっちの方を向くと、トウジが笑みを浮かべて立って

いた。にっこりと笑って、またレイの方へ視線を移す。

「あんな綾波もなんかええな……」

「……うん……」

 シンジはずっと考えていた。

 こんな瞬間、こんな時間を迎えるために、幾度なく辛い戦いを繰り返してき

たのではないかと……。

 数年前までには考えられなかった光景が今、まさに目の前にある……。

 その現実に、シンジは感謝せずにはいられなかった……。

 さて、夕暮れ間際のビーチパラソル。

 昼間はあれだけあったパラソルももう数もまばらになってしまっていた。

 その中のひとつに、まだあのふたりはいた……。

「なあ、日向」

「なんだ……」

「……やっぱり忘れられてるだけだと思うんだが……」

「留守番だよ、留守番。伊吹さんが僕らを忘れるわけがないじゃないか」

「本当にそう思うか?」

「……い、いや……たぶん……忘れていないと思う……」

「じゃ、もう少し待つか……」

「ああ……」

 涼しげな波の音が聞える中、ふたりの男はまたがっくりと頭を垂れた。

○『SCENE7』

 その日の夜。日暮れから1時間ばかり経った頃。

 レイは海のそばにある見晴らしの良いホテルの6階にいた。

 リツコと泊まるはずだったこの部屋のシャワールームでは今、ミオがシャワ

ーを浴びている。

「いい風ね……」

 湯上がりでしっとりと濡れた蒼銀の髪を窓から入ってくる涼やかな潮風で乾

かせながら、レイはベッドの縁に腰をかけて、外の景色を眺めていた。

 昼間あれだけの人で賑わっていた海岸はその名残を残すこともなく、今は平

穏で静かな波音を奏でるだけになっている。

 そして、昼間真っ青に見えた海は、隠れていたもう一つの顔をさらけ出すか

のように、静かに揺れていた。

 シャワールームからミオの楽しそうな歌声が漏れてくるのを聞いて、レイは

嬉しそうに微笑むと、ゆっくりと立ち上がって窓の外へ身を乗り出した。

 こうすると、風がもっと近くに感じられた。

「あら? アンタも湯上がりなの?」

 声を掛けられて、隣の部屋の窓を見ると、やはり湯上がりらしいアスカが窓

の縁に腰を掛けてレイの方を見ていた。レイがこくりと縦にうなづくと、アス

カは海の方に視線を向けて、そして言った。

「今、ヒカリがシャワーを浴びてるトコロなの。ヒカリってば上機嫌でさ……

 何が楽しかったのかしらね」

 微笑みを浮かべながら楽しそうに言ったアスカを見て、レイも微笑んだ。

「こっちでも今七瀬さんがシャワーを浴びているわ……とっても上機嫌みたい

 ……」

「そっか……ねえ、花火行かない……?」

「えっ……?」

 レイは少し驚いたようにアスカの横顔を見た。

「今夜近くの河原で花火大会があるみたいなのよね。食事が終わった後、みん

 なで行こうかと思ってるんだけど」

 アスカはくるりと首から上だけをひねって、レイの方を見た。

「花火……? そうね……楽しみにしてるわ」

 レイがニッコリと微笑むと、アスカもニッコリと微笑み返した。

「じゃ、また後でね……。……そうそう、髪ちゃんと乾かしておきなさいよ。

 風邪でもひかれちゃ、こっちがたまらないんだからね」

 そう言って部屋に引っ込んでしまうアスカ。レイはしばらくアスカのいなく

なった空間を見つめていたが、やがてクスッと微笑むと部屋の中に戻った。

 栗色の髪の彼女に言われた通り、自慢の蒼銀の髪をしっかりと乾かすために。

○『SCENE8』

 そして夜。

 マヤやレイの一行は一部の置いてきぼりを残して、地元の人間に花火がよく

見えると教えてもらった河原へと歩いていた。

「花火かぁ〜……高校の時行ったきりだわ」

 先頭を歩く浴衣姿のマヤが楽しげに言った。

「あら、誰と行ったの?」

 その後ろをシンジとレイと一緒に歩いていたアスカがマヤの背中に向かって

悪戯っぽく尋ねた。

「やだ〜アスカっ……女友達と一緒に決まってるじゃない」

 照れ照れと笑いながら答えるマヤ。

「その顔はオトコねっ! 意外とやるじゃない!」

「だ、だから違うんだってばぁ、アスカぁ〜」

「まあまあ、照れない照れない。で、どうだったのよ……!」

 すっかり同級生のように意気投合したふたりを見て、シンジとレイは顔を見

合わせて楽しそうに笑った。

「へえ……料理学校に通ってらっしゃるんですか? もしかして、コックさん

 になられるとか?」

 おとなしめの白のシャツにロングスカートという清楚な彼女らしい服装に身

を包んだミオが、似たような服装のヒカリに尋ねた。

「……えっ? そ、そうじゃなくて……美味しい料理をずっと食べてもらいた

 い人がいるから……」

 ヒカリは恥ずかしそうに答えながら、ちらりと隣を歩くトウジの方を見た。

一瞬、目と目があったが、ヒカリはすぐに視線を逸らしてしまう。

「その人はとっても幸せですね……。鈴原さんもそう思いません?」

「そ、そうやな……えらい幸せもんやと思うで……」

 トウジは照れくさそうにポリポリと頬を指で掻いた。

 その隣のヒカリは照れくさそうにうつむいたまま歩いている。

「……なんでオレはここにいるんだ?」

 一団の一番後ろをひとりで歩きながら、アヤは自問自答していた。

 ちなみにその答えは明白である……。

『きゃっほ〜! アヤちゃん、待たせてごめんね〜っ』

 駆け寄ってきたうららが背後からアヤの首根っこに抱きつく。

「誰も待っちゃいないよ……それよりお前、もう少し人の迷惑も考えろよな」

 夕食後、花火に出かける時間になってもうらら一人が姿が見えなかったので、

大和がホテルの中を探しにいってくれたのだった。

「あっ、アヤちゃん、ヤキモチ妬いてる〜。カワイイっ!」

「誰がお前なんかにヤキモチなんか妬くかよ! 俺は人に迷惑かけんな、って

 言ってるの!」

 うららはそれを聞いているのかいないのか、アヤからパッと離れてピューと

露天の方へ駆けていってしまった。

「お、おいっ! 聞いてるのか! うららっ!」

 アヤがそう声を掛けたのと同時に、誰かが後ろに近づいてくる気配をアヤは

感じた。

「ま、いいんじゃないのかい。彼女らしくて」

 案の上、その気配の主は大和であった。アヤは苦笑いを浮かべて大和の方へ

振り返る。

「でもいつもうららに引っぱり回されっぱなしだと疲れるだろ?」

「そうでもないさ」

 笑って答えた大和を見て、アヤの胸の鼓動はぐんと早くなった。

「あ、あのさ……」

 アヤが何かを言いかけた瞬間、ヒュンという抜けるような甲高い音と共にパ

ンと花火が上がった。みんな一斉に空を見上げる。

「綺麗……」

 空に大きく拡がった青白い花火を見て、レイは自然にそうつぶやいた。

「そうだね……」

 隣のシンジは空を見上げながらそう言った後、なんとなくレイの横顔に目を

やった。花火の光でうっすらと浮かび上がるレイの細いうなじに思わずどきっ

とするシンジ。すると突然、レイがシンジの方を向いた。

「どうしたの……?」

 また一つパンと花火が上がった。

「い、いや……その……綺麗だね……花火」

 シンジは慌てたように天を仰いだ。レイはそんなシンジの様子にちょこんと

首を傾げてから、また夜空を見上げた。

 生まれて初めて見る花火は……とてつもなく大きくて、美しかった。

○『SCENE9』

 花火が終わった後、一行は露天を回ることになったが、マヤの意向で自由行

動となった。最初は固まって動いていたシンジ達であったが、意外と人が多い

せいもあってか、いつの間にか離れ離れになってしまっていた。

「で、なんで私があんたと一緒なのよ!」

 さっきから幾度となく繰り返された台詞をぼやくアスカ。隣にはふてくされ

たようにトウジが歩いている。

「そないな事言うても仕方ないやろ。それより洞木らを探すんやないんか? 

 惣流も少しは協力したらどうや?」

「私はさっきから一生懸命探しているわよっ! あっ……?!」

 トウジに文句を言うのに夢中になっていたためか、アスカは石につまずいて

転んだ。膝上までのズボンを履いていたため、膝が赤く擦りむけ、血がにじん

でいた。

「大丈夫かいな? ほら捕まりや」

 差し出されたトウジの手をわざと無視してアスカは一人で立ち上がった。

「痛っ!」

 膝からは痛々しく血がにじんでいる。

「ちょっと待っとれや。すぐ戻ってくるさかいに」

「ちょ、ちょっと何処行くのよ〜!」

 それに耳も貸さずに、トウジはどこかへ駆けていってしまう。

 アスカは壁にもたれて、ボーッと空を見上げていたが、やがてトウジが戻っ

てくると、わざと彼に背を向けた。

「……傷口拭いてな、これでも張っときや。ま、気休めにしかならんけどな」

 トウジが差し出したのは、濡れたバンダナと絆創膏1ケース。

 アスカは驚きのあまり、ただ言われるままにそれを受け取った。

「ほんと、気休めにしかならないわね……」

 憎まれ口を叩きながらも、アスカはどうしてヒカリがトウジを好きになった

のか、少しだけ分かったような気がした……。

 さて、そのヒカリはなぜかミオとふたりきりになっていた。

「これ、とっても美味しい。洞木さんもいかがですか?」

 たこ焼きの入った発砲スチロールの容器を片手にミオが言う。

「……ソースがちょっと違うわね。うん、合格」

 ひとつつまんだヒカリが真面目な顔で言ってからミオに向かって微笑むと、

ミオも楽しそうに微笑んだ。

「あ、今度はあっちの方に行ってみません?」

 初めての露天が珍しいのか、ミオはずっとはしゃぎっぱなしだった。

「そ、そうね……」

 その背中を見つめながらヒカリは思う。

 綺麗で、おしとやかで、物腰もやわらかい彼女。

 本来ならば恋のライバルで敵対心のひとつでも芽生えさせるものだが、なぜ

かヒカリは彼女を悪く思う事が出来なかった……。

 そこから100メートルと離れていない、露天の通りの片隅。

「アヤひゃん……このとうもろこひ……おいひいよ」

「食いながらしゃべるなって言ってんだろ」

 焼きとうもろこしをほおばるうららの隣で、アヤがふてくされるようにベン

チに座っている。

「あら? アヤちゃんとうららちゃんじゃない?」

 アヤが声の方を見ると、マヤと大和が立っていた。

「あっ、マヤさんだ〜。どこ行ってたんですかぁ? 男の人と一緒に」

「内緒よ……」

 マヤはそう言って楽しそうに笑ったが、アヤはつまらなさそうに横を向いた

ままだった。うららはちらりとアヤの方を見てから、こうマヤに切り出した。

「あっちに楽しそうな露天があるんだけど、マヤさん一緒に行きません〜?」

「そうね……一緒に行きましょうか」

 マヤがそう答えるとほぼ同時に、うららはマヤの腕をつかんで、ほぼ強引に

露天の方へと連れていってしまった。

「ちょ、ちょっとうららっ! どこ行くんだよっ!」

 アヤはそう叫んだが、その拍子に大和と目があってしまった。するとアヤは

照れくさそうに顔を大和の方から背けた。

「楽しんでるかい?」

 大和が自分に近づいてくる気配を感じながらも、アヤは何も答えなかった。

 いや、答えられなかった。

「ここ、座ってもいいかな……」

 今までうららが座っていたベンチの上を指差しながら大和が尋ねると、アヤ

はちらっとそっちの方を見て、ぶっきらぼうに言った。

「……いいよ……」

 大和はクスッと微笑むと、ゆっくりとベンチに腰を下ろした。

 瞬間、思い出したかのようにパンッと花火が上がった。

「残っていたのかな……」

「さあ……サービスじゃないの?」

 アヤはぶっきらぼうにそう言うと、ただなんとなく花火が散ってゆくのを見

ていた。

「しばらく、こうして見ていようか……」

「べ、別にいいけど……」

 空を見上げたまま答えるアヤ。ちらりと隣の大和の横顔を盗み見る。

 アヤは付き合い始めてから、初めてうららに心から感謝した……。

 さて、その頃、露天街の金魚すくい屋の水槽の前でレイが水面をにらむよう

に見つめていた。手にはすでに10枚目となった網が持たれている。

「……頭の向いている少し先の方から網をそ〜っと……」

 シンジに教えられた事を自分に言い聞かせるように小声でつぶやきながら、

レイは網を水面に近づけた。比較的大きな水槽になぜかたった一匹しかいない

黒い出目金に狙いを定める。

「せ〜のっ!」

 小さな掛け声と共に網を水の中に入れる。

 数秒後、その黒い出目金はレイの網を上をピチピチと元気よく跳ねていた。

「綾波、やったね」

 レイが金魚を器に移すのを見ながらシンジが言った。レイはニッコリと笑顔

を浮かべると、一瞬シンジの方を見てからまた水面に目を移した。今度は、ふ

つうの赤い金魚に狙いをつけたらしい。

「……あっ……」

 しかし、かなり水に濡れていたせいもあってか、紙の網は金魚が乗るとすぐ

に破れてしまった。

「残念だったねえ、嬢ちゃん。でも、せっかく何回もやってくれたから、こっ

 ちはサービスしといてあげるよ」

 はちまき姿の主人が比較的元気そうな普通の赤い金魚をレイがすくった出目

金と一緒に袋に入れてくれた。

「ありがとう……」

 レイはそう言って袋を受け取ると、ゆっくりと立ち上がった。振り返ると、

レイを見てずっと微笑んでいたシンジと目があう。けれどもレイは恥ずかしそ

うに視線を逸らしてしまった。

「……どうしてその黒い方をずっと追いかけてたの?」

 あてもなくてくてくと露天の通りを歩きながら、シンジは隣のレイに尋ねた。

「……ひとりぼっちだったから……」

「えっ……?」

 レイは頬を赤く染めて、持っていた金魚の入っている袋を目の前に掲げた。

「広い水槽にずっとひとりぼっちだったから……なんとかしてあげたいって、

 そう思ったの……」

 昔の自分の姿に重ねているのかな、とそんな事を思ったシンジはなんだか妙

に目の前のレイが愛しく思えた。

「……そうだったのか……。でも、もう寂しくないね……ひとりぼっちじゃな

 いんだから……」

 仲良くくるくると狭い袋の中を元気に泳ぐ2匹の金魚からレイの方へと視線

を移してシンジは言った。

 レイは微笑むシンジの顔を見て、一度やさしげな笑みを浮かべると、そっと

2匹の金魚に目をやった。

「……そうね……」

 しばらく、黙ったまま歩いていたふたりだったが、シンジが何かを思いつい

たように口を開いた。

「そうだ、名前でも付けてあげれば?」

「え、ええ……考えておくわ……」

 レイは何故か顔を真っ赤に染めて、そしてゆっくりと天を仰いだ。

 薄い雲の隙間から、黄金色の月が申し訳なさそうに顔を出している……。

 その頃、レイ達が宿をとっているホテルの一室では、青葉と日向が酒を煽っ

ていた。

「なあ、日向……まわりの部屋がやけに静かだと思わないか……」

「やっぱりそう思うか……?」

「きっと忘れられてると思うんだが、俺達って……」

「……そう言うなよ……余計に悲しくなる……」

 部屋の窓の向こうに見える真っ暗な空に、ぱんと大きな花火が上がった……。

「俺達って、まるで花火みたいなもんだよな……」

「……華やかなのはほんの一瞬ってわけか……」

 ふたりの男ははぁと大きなため息をついた……。

○『SCENE10』

 日は変わって、翌日の昼過ぎの事。

 第3新東京市に戻ってきたレイは『ろまねすく』にいた。

 アルバイトのためである。

 店内にはレイひとりきり。優美は今日はおしぼり屋の手伝いの方へ行って

いてここにはいなかった。

「……ふう……」

 カウンターの中で一生懸命グラスを磨いていたレイは、全てのグラスを棚に

しまうと眠たそうにまぶたをこすった。今朝の明け方まで、ミオとおしゃべり

していたためだ。そのミオは帰ったらすぐに眠ると言っていた。それを思い出

して、レイはクスッと楽しそうに微笑む。

 アヤの方はといえば、駅まで一緒に戻ってきたのだが、トレーニングに行く

と言い残して短大の方へ行ってしまった。帰りにここに寄るらしいので、レイ

はそれを楽しみにしている。

 うららはどこへ行ったか、レイも知らなかったけれど、心配はしていなかっ

た。だって、彼女はいつだって神出鬼没なのだから……。

「今日は暇ね……」

 週明けの月曜だというのに、客足はめっきりと少ない。レイはふうと小さな

かわいらしいあくびをひとつすると、カウンターにもたれて壁の時計をぼーっ

と眺めた。

 時刻は2時すぎ。まだ店が混む時間には早い。

『カラ〜ン』

 扉の上部につけられたベルが鳴らして一人の客が入ってきた。

「いらっしゃいませ。あっ……?」

 レイは思わず声を上げた。

「や、やあ……」

 お客はブルーのポロシャツに身を包んだ、少し照れくさそうな顔のシンジだ

った……。

「い、いらっしゃい……」

 レイが言うと、シンジはまた照れくさそうに笑って、カウンターの席に腰を

かけた。それを見届けて、レイは水とおしぼりを出す支度をする。

 てきぱきと仕事をこなすレイの後ろ姿に、シンジはボーッと見とれていた。

「私がここで働いてるって知ってたの……?」

 水とおしぼりを差し出しながら、レイはシンジに尋ねてみた。

「う、ううん……アスカに綾波がここでアルバイトしてるって聞いたから……」

「そ、そう……」

 レイはほんの少し頬を赤く染めて、カウンターの上に視線を落とした。

「それで、あのコは……?」

「疲れたから帰って寝る、って言ってたけど……?」

「そ、そう……」

 そう答えたレイの表情は少し残念そうに見えた。

 なんとなく店の中を見回していたシンジは、ふと何かに気がつく。

「いいお店でしょう?」

「……う、うん……」

 シンジは慌ててレイの方を見て、こくりとうなづいたが、なんだかレイの顔

を間近で見ているのが照れくさくて壁に掛けられた板に書かれたメニューに視

線を移した。

「何にする……?」

 シンジは何か考えていたようだったが、やがて楽しそうに笑って、レイに言

った。

「そうだな……ブレンドひとつとジャンボパフェをひとつ、もらおうかな」

「えっ、碇君が……?」

 意外そうな顔をしたレイを見て、シンジはしなやかな仕草で店の窓の外を指

さした。レイが素早くそっちの方を見ると、人の姿は陰に隠れて見えなかった

が、風でなびく栗色の髪がちらりと見えた。

 レイはそれで全てを察すると、嬉しそうに微笑んで店の奥に向かって言う。

「マスター、ブレンドひとつにジャンボパフェひとつお願いします」

『りょ〜かい。すぐに出来るからね〜』

 奥の厨房から、マスターのやさしげな声が響く。

「たぶん……心配で着いてきちゃったんだろうな……」

 楽しそうに微笑みながらシンジが言うと、レイもやわらかに微笑んだ。

「……あのコらしいわ……」

 そうレイが答えたのと同時に、アスカがこっそりと店の中を覗きこんだ。そ

れを見計らって、シンジはアスカに小さく手招きする。アスカはかなり驚いた

ようだったが、シンジの隣の席のテーブルの上に、水の入ったグラスとおしぼ

りが置かれているのを見て、全てを察したようだった。

 店の外のアスカは覚悟を決めて、ぐいと店の扉を開ける。

『いらっしゃいませ』

 涼やかで響きの良い彼女の声が雰囲気の良い店の中に響いた。

 ここへくるとなんだか少し素直になれるような気がする……。

 カウンターの椅子に座っているシンジとカウンターの中のレイは微笑んで、

栗色の髪の彼女が席につくのを待った……。

「レイちゃん、ブレンドとパフェ、上がったよ〜」

 厨房から、マスターの威勢のいい声が聞こえる。

 時刻は2時20分……店が混み始めるまでにはまだ余裕がある……。

○『エピローグ』

 その翌日の事である。

 日付がもうすぐ変わろうとしている第3新東京市内のレイとリツコが同居す

るマンションの一室にリツコが仕事から戻ってきた。

 レイが起きている気配はなかったが、相変わらず部屋の電気は全部灯ったま

まであった。そんなレイの心づかいを心地よく感じながら、リツコはリビング

に足を踏み入れる。

「ただいま……」

 テーブルの上に置かれた真新しい水槽に向かって微笑みながら言う。

 水槽の中には出目金とふつうの金魚が仲良く連れ添うように泳いでいた。

「涼しそうでいいわね……」

 リツコは水槽を一目見てやわらかに微笑んだ。

 この水槽は昨日レイがペットショップから買ってきたものだった。金魚2匹

を入れるだけにしては大きすぎると思うのだが、そんなトコロがレイらしいと

リツコは密かに微笑ましく思ったものだ。

 そういえば、しっかり名前もついているらしいのだが、リツコが聞いてもレ

イは頬を赤く染めるだけで、教えてはくれなかった。

 でもリツコは知っている……。

 今朝、ふと目を覚ますと、リビングから『シンジ』と呼ぶかわいいレイの声

が聞こえていたことを……。

 おそらく、この黒い出目金の方の名前なのだろう。

 そして、この黒い方の後ろをぴったりとついて泳ぐ赤い金魚のもう一方の名

前はおそらく……。

 リツコは嬉しそうにクスッと微笑んでから、そっとリビングを後にした。

 もちろん、愉しい夢を見ているのであろう同居人の顔を見にゆくために……。

 誰もいなくなった部屋の壁に残された8月のカレンダー。

 土曜、日曜の欄にはレイの手によって書き込まれたのであろう遊びの予定が

びっしりと記されている。

 プール……ハイキング……ショッピング……キャンプ……。

 そう、楽しい夏はまだまだ終わらない……。

                      『エンドレス・サマー』(了)



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