【新世紀エヴァンゲリオン・オリジナル・ストーリー】
『囁きがわかる距離』
  第19話 「ふたりの距離」

 時は12月20日。古川春菜が一時帰国からアメリカへ戻り、レイがシンジ
と劇場へ足を運んだ翌日の事である。
 北陸のとある温泉旅館のロビーのソファーで、和服に身を包んだ20代後半
らしき女が得意先の本屋から先程届けられたばかりの写真週間誌のページを何
気なく開いていた。
 ぱらぱらとページをめくっていた彼女の手は、その週刊誌の真ん中あたりに
あったとあるモノクロの写真を目にしたトコロで止まる。どのくらい、そうし
ていただろうか……。彼女はしばらくその写真を食い入るように見つめた後、
しなやかな仕草でその雑誌をテーブルに置くと、どこかへ行ってしまった。

○同日 9時10分 NERV総本部 作戦指揮部長室
 机の前で制服姿のミサトが考え込むような仕草を見せていた。ドアをノック
する乾いた音が響いたので、ミサトは慌てて机の上の封筒を引き出しに隠した。
「はい。どうぞ〜っ」
「よう。葛城作戦指揮部長殿」
 少し冗談めいた口調で入ってきたのは調査部に属している加持リョウジであ
った。
「なんだ……加持クンか……。何か用?」
「……『何か用?』とはご挨拶だな。実はウチの人間がやっかいなモノを仕入
れてきてな。葛城の意見を聞こうと思ってきたんだが」
「ふうん……やっかいなモノねえ……。何?」
 少し深刻そうな目をしたミサトの机の上に、加持は1冊の写真週刊誌を広げ
た。見開きのそのページには、どこかのロビーらしき場所でキスする男女の姿
が鮮明に写っている。
「今日発売の写真週刊誌なんだけどな……」
「こ、これって……!?」
 写真の中の男は紛れもなくタクミであった。そして当然、女性の方にも心当
たりがある。
「葛城には知らせた方がいいと思ってな。幸いネルフの名前は出ちゃいないが、
それも時間の問題だ。で、葛城作戦指揮部長にご報告に来たというわけさ」
 ミサトは写真誌を手に取るとさらっと目を通した。その記事の見出しには、
『新進女優・古川春菜 渡米直前の空港で熱い抱擁』と写真の横に書いてある。
「最近はなんだかんだで、出版社の押さえも効かないからねえ……。でも、彼
の事なら、私よりリツコに聞くべきじゃないの?」
「リッちゃんの所にも行ったさ。そうしたら、『ミサトに任せるわ』って一言
で追い返されたよ」
 そう言って加持は苦笑いしたが、ミサトは相変わらず真面目な顔でじっと考
え込んでしまった。
「……悪いわね加持君。少し面倒かけるかも知れないけど、ここの出版社への
交渉、お願いできる?」
「ああ、構わないさ。出来る限りの事はするが、期待はしないでくれよ」
「ま、あんたの事だからね、それくらいは承知よ」
「ひどいな……じゃ、すぐに処理しておく」
 加持は苦笑いを浮かべると、回れ右して扉へ向かったが、扉の手前ではたと
立ち止まった。
「……実はリッちゃんも、葛城ならそう言うんじゃないか、って言ってたんだ」
「ふたりで私を試したわね」
 ミサトは加持の背中を見つめながらフフッと笑った。加持は右手を軽く挙げ
て部屋を出て行ったが、その扉が閉められた瞬間、ミサトの顔から笑顔が消え
た。ミサトは引き出しから封筒を取り出して、机の上に置くと、さっきまでよ
りも深刻な顔でそれを見つめた。
「余計に面倒な事になっちゃったわね……」
 それは……今朝郵送されてきたばかりのミサコの退職願だった……。

○同日13時15分 NERV総本部 総司令室
「……以上の理由で明日12月21日から3日間の謹慎処分とする。今度も所
外での行動には十分注意したまえ」
 椅子に腰掛けたままでゲンドウが言うと、正面に立っていた制服姿のタクミ
が深々と頭を下げた。その脇には上司であるリツコの姿がある。
「今日は普段通り勤務したまえ。引継ぎ等あるだろうからな」
「……はい。御迷惑をお掛けしました……失礼します」
 少し沈んだ表情のタクミが総司令室を出ようとした瞬間、扉が開いてミサト
が入ってきた。タクミはミサトと目があっても深々と頭を下げただけで、無言
で司令室を出て行ってしまう。リツコも少し困ったような顔でミサトと目を合
わせてから、タクミの後に続いた。
 ふたりが出て行ったのを確認してから、ミサトはゲンドウの前に立つと、ニ
ッコリと笑って言った。
「私の意見を聞き入れて頂き、ありがとうございます」
「うむ……。この時期に人手が欠けるのは非常に痛いが、君の言う通りならば
仕方あるまい。リハビリも十分に済んでいない人間をこきつかうワケにもいか
ないしな」
 今回のタクミの処分は他ならぬミサトの発案だった。
‥ この司令も丸くなったわね ‥
 ミサトは心の中でくすっと微笑んだ。
 タクミのリハビリが終わっていない話をミサトはミサコの退職願いに同封さ
れていた手紙で知ったのだった。その書面では、フランスへ行く前にぜひ体調
を完璧にして送り出してほしいというミサトへのお願いの他に、タクミへの想
いが事細やかに綴られていた……。タクミに伝えられない想いを全部ここに書
き出したのかと思うと、ミサトの胸はひどく痛んだ。
 しかし、落ち込む間もなく、ミサトは病院から診断書を取り寄せるとゲンド
ウにそれを見せ、『彼には休養が必要です』と説いのだった。他にもいろいろ
言いはしたが、故に今回のような措置が取られたのである。
「では、失礼します」
 ミサトは回れ右して扉に向かった。
「葛城君……部下のプライベートな事まで面倒をみさせて……すまんな」
 ゲンドウの声にミサトは振り返ってニッコリと笑った。
「みんな私の家族みたいなもんですから」
 ゲンドウはそのやさしさに満ちた言葉と穏やかな彼女の笑みに、思わず口元
を緩めた。

「長門クン……ちょっと」
 前をつかつかと歩くタクミをリツコが呼び止める。
「なんですか?」
 少しいらただしげにタクミが聞くと、リツコは白衣のポケットから子猫柄の
メモ用紙を取り出し、それをタクミの目の前に差し出した。
「ミサコの実家の住所よ。あのコ、きっとここにいるわ」
 タクミはそのメモ用紙をじっと見つめたけれども、すぐに視線を逸らした。
 それを見たリツコは少しイラついた様子でメモをタクミの胸ポケットに押し
込む。
「それをどう使おうとあなたの勝手よ。確かにあのコは勝手すぎるかもしれな
い。でもね、これだけは覚えていて欲しいの。あのコはここに必要な人間だし、
彼女を呼び戻せるのは、あなただけだっていう事を……!」
 リツコはそれだけ言うと、ただ立ち尽くすだけのタクミを置き去りにして開
発室へと歩いていった……。 

○同日14時10分 新豊島区郊外 第3新東京市立第5高校 1年B組の教室
 休み時間を利用して編みものをしているらしいレイの姿があった。どうやら、
マフラーらしい。
 その様子を少し離れた自分の席から、トウジが頬杖をついてじっと見ている。
「鈴原っ! 何見てんのよっ!」
 慌てて声の方を見上げると、エリが腰に手をあてて立っていた。
「な、なんや……佐伯か。何か用か?」
「『何か用か』じゃないでしょ! 先生に呼ばれてるんじゃないの!? 早く
行かないとまた呼び出しくらうわよ」
「おっ、そうや、そうやった。サンキューな」
 トウジは席を立って、教室を出ようとしたが、ふとエリの方に振り返った。
「でも、なんで佐伯がそんなこと覚えとるんや?」
「ど、どうだっていいでしょ!? は、早く行きなさいよねっ!」
 エリは頬を赤く染めながら、トウジに向かって怒鳴った。 
「まったく、素直じゃないんだから……」
 レイの席の前の自分の椅子でレイの手さばきを見ていたカナコがクスッと笑
った。レイも手を止め、エリの真っ赤な顔をちらりと見ると、くすっと楽しそ
うに微笑った。そして、また手を動かしはじめる。
「……それ、長門さんの?」
 頬杖をついて楽しそうにレイを見ていたカナコがいつもののんびりとした口
調で尋ねてきたので、レイは照れくさそうに顔を伏せた。
「でも、前に白いマフラーも編んでいましたわよねえ……」
 1カ月ほど前の放課後、レイから編み方を尋ねられた覚えのあるカナコは首
を傾げた。
「……もうひとつ……必要になったから……」
 レイは恥ずかしそうにうつむきがちにそう答えた。
「誰に……?」
 カナコに尋ねられると同時に、レイはさっとグラウンドに視線を移した。カ
ナコも同じようにグラウンドに視線を送る。
 肌寒そうなどんよりした空の下で、体操着姿のシンジがケンスケと一緒に、
体操着姿アスカに追いかけられているのが見えた……。

○同日15時00分 NERV総本部 ハンガー内 三号機胸部あたりのタラップ
「……だから、頼むよ」
 日向がそう言っても、タクミは端末のディスプレイに見つめたまま、何も答
えようとはしなかった。日向は苦笑いすると、諦めた様子でその場を後にした。
 タクミは少し申し訳なさそうに、横目でその後ろ姿を見送る。
「長門クン……久しぶりね」
 突然、背後から声を掛けられ、タクミは振り返った。
 笑顔のサユリがドライバースーツ姿で立っていた。
「……最後にお見舞いに行ったのが1カ月前だから、それ以来ね」
 サユリはニッコリと笑ったが、笑顔の後にふと寂しげな表情を浮かべた。
「……そうだね。……そっちの身体の具合は?」
「もう……リハビリも終わって、普通通りに仕事してるわ。相変わらず、って
感じかな……」
 サユリはそう答えるとタラップの柵に腰を掛けた。
「変な噂立ってるじゃない。松前さんが辞めちゃうって話……」
「そ、そうなんだ……?」
 それが噂ではないことを知っているタクミは、それを悟られまいとするよう
に端末のディスプレイに視線を移した。 
「私ね……あの事故の後、ここを辞めようって思ったの。でも、松前さんが親
身になって私を気遣ってくれて……そのおかげでなんとか立ち直れたの……」
 サユリはじっとタクミの背中を見つめていた。
「だから、心配でたまらなくって……。あの松前さんがここからいなくなるな
るなんて、私には考えられないもの……」
 今にも消え入りそうな声で言ったサユリの目にじわりと涙が浮かんだ。
「大丈夫だよ……あの人がここを辞めるはずがないさ。きっと誰かの悪い冗談
に決まって……」
 そう言いかけた瞬間、タクミの背中にずしりと重力がかかったかと思うと、
次の瞬間、タクミの首筋にサユリの額の感触が感じられた。
「ねえ……長門君。きっと……きっと……大丈夫だよね……」
「う、うん……」
 タクミの頬が赤く染まる。
「松前さん……絶対辞めたりしないよね……」
「……うん……」
 サユリはタクミの背中にひっつけた頬を少し浮かせると、ホッとしたような
表情を浮かべた。
「少し……安心した……」
 サユリは涙を拭いながら、タクミから離れた。
「長門君って不思議な人よね。あなたに大丈夫って言われると、本当に安心で
きるもの……」
 タクミは相変わらず、端末のディスプレイを見つめていた。まだ少し頬が赤
い。
「みんな騒いでいるから、心配になっちゃって……。ごめんね……いきなりこ
んなことしちゃって……」
「……い、いや……」
 タクミはかたかたと適当にキーボードを叩いた。そうでもしないと間がもた
ないと思ったからだ。
「じゃあ、私……仕事に戻るね……」
「うん……気をつけて……」
 サユリはニッコリと微笑うと右手を挙げて、その場を後にした。
‥ 不思議な人、か…… ‥
 タクミは複雑な表情でその後ろ姿を見送った。 

○同日17時38分 新豊島区郊外 
        第3新東京市立 新東京第5高校 校門前遊歩道
「鈴原っ! それ以上近づいたら……殴るわよ」
「……わ〜っとるがな。そんなにツンケンしとったら、かわいい顔がだいなし
やで惣流」
 アスカの頬がポーッと赤く染まる。
「な、な、何を馬鹿な事言ってるのよっ……!」 
 真っ赤な顔のアスカを見ながら、トウジはカラカラと笑った。
『アスカ〜っ!』
 自分を呼ぶ声にアスカは振り返った。制服姿のヒカリが息を切らせながら駆
けてくる。
「よう、イインチョ。なんや? 部活の帰りか?」
「う、うん……。アスカ、どうしたの? 顔が真っ赤だけど……」
「な、な、なんでもないわよっ! それより最近、帰りが遅いじゃない。家庭
科クラブも案外忙しいのね」
 アスカは真っ赤な顔を逸らしながら言った。
「ま、まあね……」
 家庭科クラブは、毎年クリスマス前になると、ただの編み物同好会と化し、
部員が急増する。実は、つい1週間前までレイも部員だったりしたのだ。とは
いえ、それはふたりだけの秘密なのだが……。
「それよりさ、ヒカリも金曜日のクリスマス・パーティーには来るんでしょ?」
「えっ……う、うん……。葛城さんから招待状を頂いたから、行くつもりだけ
れど……?」
 ヒカリはチラッと横のトウジを見た。
「ワシもケンスケや碇と一緒に行くで」
「あんたは来なくてもいいわよ。……でも、久しぶりの三馬鹿トリオ勢ぞろい
もいい退屈しのぎにはなるかもしれないわね」
「わしも惣流の格好見てぶっ倒れるのは嫌やさかい、行くのやめようかいな」
「ちょ、ちょっと鈴原っ! それってどういう意味よっ!」
「お洒落した惣流なんか見るに耐えんっちゅうこっちゃ」
 トウジはベーッと舌を出して、元気よく駆け出した。
「ちょっと待ちなさいよっ! 鈴原っ!」
 アスカはすかさずトウジの後を追う。それを見て、ヒカリはクスッと微笑っ
た。ヒカリは思う。「いつまでもこのままの3人でいられたらいいのに」と。
 けれどもこの微妙な関係もしばらくの休養期間に入る。でも、その事実をア
スカは知らない。ヒカリには、それが一番気がかりだった……。

 それから数十分後。
○同日17時58分 新豊島区 新豊島駅前
「昨日は大変だったね……」
「ええ……でも楽しかった……」
 部活帰りのシンジとレイは駅前の通りを並んで歩いていた。ふとシンジはレ
イの鞄からのぞいている青い毛糸の塊に気付いた。
「あっ……」
 シンジの視線に気付いて鞄を後ろ手に隠すと、レイは照れくさそうにうつむ
いてしまった。
「……い、碇君は……青って……好き……?」
「……んっ? う、うん……好きだけど?」
 レイはホッとしたように、息を吐いた。
「……よかった……」
「えっ?」
「う、ううん……なんでもないの……」
 レイはいつもの微笑みでシンジを見つめた。シンジは照れくさそうに顔を背
ける。それからふたりは終始無言のまま歩いた……。
 けれどもふたりの心はなぜか暖かかった。

○同日21時20分 新豊島区 長門タクミのアパート
『……ったく、どいつもこいつも……』
 タクミは悩んでいた。ミサコを迎えに行っていいものか、ずっと悩んでいた。
 自分は春菜が好きだ……その気持ちに嘘はない……。
 けれどもずっとミサコの存在が気になっていたのも事実だった。
 八方美人な自分の性格をどうにかしなくてはいけないと思っている彼だけに
選択は困難を極めた。しかし、答えは出るはずもなく、タクミは部屋の畳に寝
ころび、ただなんとなく天井を見上げていた。
『ぷるるるるる……』
 電話の呼び出し音が鳴ったので、タクミはのろのろと受話器を取った。
 相手は昨夜唇を交した海の向こうの彼女だった……。

  翌日の12月21日(火)のこと。
○7時50分 新豊島区 葛城ミサトのマンション
「ミサト〜っ! どうして起こしてくれなかったのよ〜っ!」
 寝坊したアスカが吠えている。いつもながら騒がしい葛城家の朝であった。
 ミサトはタンクトップにショートパンツ姿で、ペンペンを抱え、ベランダに
立っていた。
「長門君、どうしてっかなあ」
 薄どんよりとした、肌寒い冬の空を見上げながらミサトはひとりごとのよう
につぶやいた。
「くわ〜〜っ!」
 ペンペンが声高らかに鳴く。
「分かった、分かった……ごはんを食べさせろって言ってるんでしょ?」
 ミサトはクスッと微笑うとリビングへ戻って行った。

○同日9時10分 北陸のとある温泉地のとある旅館『仙水館』
 タクミはその旅館の前に立っていた。足下には雪が積もっている。
 病明けの身体にこの寒さは正直言って辛い。
 最寄りの駅で降りて、バスに揺られること1時間。そしてそこから徒歩で3
0分……。遠路はるばるこの旅館へやってきた。バスの中から見える景色もず
っと一面の銀世界。まるで異世界にトリップしてしまったような錯覚すら感じ
ていた。
「何やってるんだろう? 俺」
 ふとそう思う。夜行列車に揺られて9時間。ミサコを追ってきたはいいもの
の、ずっと徹夜しても彼女に掛けるべき言葉は見つからなかった。
 正直、タクミはここまで来て、回れ右して帰ろうかとも思った。
「えっ?」
 突然、仙水館の扉が開いたかと思うと、掃除用のバケツを提げた着物姿のミ
サコが顔を出した。
「……な、長門君……?」
 驚きのあまり、ミサコは持っていたバケツを地面に落としてしまった。辺り
の雪がさーっと溶ける。
「お、おはようございます……」
 我ながら間抜けな挨拶だとタクミは思った。
「ど、どうして……?」
 ミサコが驚く間もなく、玄関の奥から、ミサコの母親らしき女性が顔を出し
た。ミサコの母は最初こそ、怪訝な表情だったが、タクミの顔を見ると、顔一
面に笑顔を浮かべて近づいてきた。
「なんだいミサコ。来るなら来るって言ってくれればいいのに。さあさあ、早
く上がりなさって」
 タクミはミサコの母親に手を引かれるようにして、古めかしい旅館の奥へと
連れて行かれてしまった。
「ちょ、ちょっと……な、なんなんですか……!」
 タクミの悲鳴のような叫びが廊下に響く中、玄関の土間でミサコは頭を抱え
た。けれども胸の鼓動は確実に高鳴っている。
『長門君が追いかけてきてくれた……』
 それが彼女には嬉しかった。

○同日9時10分 北陸のとある温泉地のとある旅館『仙水館』
 8畳の広さの客間で、タクミとミサコが向かい合わせに座っていた。そのふ
たりの間で興味津々といった表情でミサコの母・カスミがふたりの顔を交互に
見比べている。タクミの目の前に差し出されたお茶は、既に冷めてしまってい
て、なんともいい難い張りつめた空気が部屋に流れていた。
「それじゃ、と……お母さん……お客様のお見送りの行くわね。ミサコちゃん、
後で今日お見えになるお客様の最終確認をお願いね」
 そう言ってカスミが立ち上がった。
「……分かったわ……」
「長門さん、ゆっくりしていらしてね」
 にこやかに微笑んでから、カスミは客間を後にした。タクミはふうと大きく
ため息をついた。
「……明るいお母さまですね……」
 ミサコはそれに答える代わりに、微かに微笑んだ。しかし、それも束の間、
また、沈黙がふたりを包みこむ。
 旅館のまわりに降り積もった雪のおかげで、太陽が顔を出していなくても、
十分に明るい。庭の獅子おどしの音だけが、鮮やかに鳴り響いていた。
「……仕事……どうしたの……?」
 ミサコがようやく静かに口を開いた。
「えっ? ……いや、その……休暇で……。リハビリも兼ねて、休めって赤木
博士が……」
「リツコに聞いたんだ……? ここ……」
 詰問するかのようにミサコは真っ直ぐにタクミの目を見た。
「はい……」
 申し訳なさそうにうつむいてしまったタクミに、ミサコは微笑んだ。
「……ここのお湯はいいわよ。関節や神経痛にも効くみたいだから、骨折にも
効果があるかもしれないわね」
 そう言ってミサコは微笑った。
「……あの……ネルフ辞めるって話……」
「あなたには関係ないわ……」
 タクミの言葉を遮って、ミサコが力強い口調で言った。
「あそこで生きていくのがイヤになったの……。ただそれだけの事よ……」
 ミサコは立ち上がると、客間を出ていこうとして、途中で足を止めた。
「良かったら……ゆっくりしていって……。シーズン前であまりお客様もいな
いし、遠慮はしなくていいわ。母も喜ぶから……」
「……は、はい……」
 タクミがミサコの背中にそう答えると、彼女はふと微笑んで客間を後にした。
 タクミはしばらくその後ろ姿を見つめていたが、外の雪景色に視線を送って
大きくため息をついた……。

 その頃、第3新東京市・遥か上空。2ヵ月前に姿を見せたあの黒い戦艦のと
ある一室で、端正な顔立ちをした赤い髪を短く切りそろえた女がひとり、足を
机の上に投げ出すような格好で座っていた。どう見ても20代前半くらいにし
か見えない彼女は、机の上の黒い仮面を細身のレイピアの剣先で弄んでいたが、
インターホンから聞こえた女の声で、投げ出していた足を椅子の下に納めた。
 ほんの少しの間があって、黒い髪を長く伸ばしたクールといった言葉がよく
似合う女が部屋に入って来る。あの日、ミサコがモニターでその姿を見かけて、
声を上げた彼女だった。
「艦長、ご命令通り連れて参りました」
「うむ、ご苦労だった。ミキ」
 ミキと呼ばれた彼女の傍らには、14歳くらいの蒼銀の髪の少女が立ってい
た。その面影は今第3新東京市に住む、2年前に『救世主』と呼ばれた彼女に
うりふたつだった。ただ、その彼女とは違って、瞳の色は南の島の海のような
透き通ったエメラルドグリーンだったが……。
「よく来たな……マイ。待っていたぞ」
 マイと呼ばれたその少女は、何も答えず、ただ無表情に頭を少し下げただけ
だった。赤い髪の女は苦笑いして、ミキの方に視線を戻した。
「もうひとりの方の具合はどうなっている?」
「はっ。体調も完全に回復し、出撃を待つばかりかと」
 ミキの言葉に赤い髪の女艦長はニヤリと微笑を浮かべた。
「そうか……今度は期待できそうだな……」
 相変わらず無表情なマイの横顔を見つめながら、彼女は不敵に笑った。
                              (つづく)



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Copyright Toshiya 1997