【新世紀エヴァンゲリオン・オリジナル・ストーリー】
『囁きがわかる距離』
  第1話 「再会」


 碇シンジが第3新東京市にやってきてから2年5か月の月日が流れていた。

 セカンド・インパクトによって失われた「秋」という季節が、サード・インパク

トによって15年ぶりに、第3新東京市に復活してから2度目の秋である。

 NERVは、あの”使徒”と呼ばれしものとの激しい戦い以来、第3新東京市の修復、

政治機能、経済機能等の、人間が快適に生きていくための社会づくりに追われてい

る。それは、NERV総司令 碇ゲンドウが日本という国に住むすべての人々へ向けた、

せめてもの罪滅ぼしのつもりなのかもしれない……。

 とにかくNERVはこの2年間、ゲンドウの指揮の下、葛城ミサト、赤木リツコ等の

面々を中心に地道な活動を続けていたわけである。その甲斐あってか、第3新東京

市も数年前とはうって変わって、人々の活気に溢れた賑やかな街になりつつあった。

 まるで20年前の首都「東京」のように−

 2015年12月24日のサードインパクト以後、エヴァ計画は当然の如く破棄

された。しかし、いつかあるであろう地球外からの侵略勢力に備え、NERV総本部で

は赤木リツコ博士の指示の下、2体の戦闘用高機動型アーマーロイドを開発に着手

した。その制御装置にエヴァの開発で培った従来のパイロットシステムを駆使した

そのアーマーロイドは、「あの惨劇を忘れることのないように」というゲンドウら

の願いから再び「エヴァンゲリオン」と名付けられたのである。

 そのような事情で、シンジを初めとするチルドレン達も、再びエヴァンゲリオン

のパイロットとしてNERVの一員となり、数々の起動実験、実戦シュミレーション等

に参加する毎日であった。

 これは、そんな時期のおはなしである。

◯2017年10月某日 16時40分 第3新東京市 NERV総本部 26階 第1開発室

 監視制御の役割を備えたその部屋の壁は全面ガラス張りになっている。そのガラ

ス(とはいっても厚さ数十センチの耐圧ガラスである)の向こうは、上下20フロ

ア程度の打ち抜き状になっていて、そこに赤と青の2体のエヴァンゲリオンが向き

合って静止している。

 開発室の中には、エヴァ開発部部長となった白衣姿の赤木リツコとその直属の部

下である伊吹マヤ、そして青葉シゲルらの姿がある。

「起動準備整いました」

「シグナルはオールグリーンです」

 青葉とマヤが順にリツコに報告した。

「それじゃ、シンジ君、レイ。始めて」

 リツコがコントロールパネルから突き出たマイクに向かって言う。

「はい」

 開発室の天井に設置された大きなモニターディスプレイに映る少年、碇シンジが

声を発した。そのモニターと、ガラス越しに見える光景を凝視するエヴァ開発部の

面々。

「行くよ、綾波」

 二号機に乗っているのは、蒼銀の髪に真っ白な肌、それらに対照的な深紅の瞳を

持つ少女・綾波レイ。彼女も無表情のまま、コックピット内のモニターに映る一号

機の姿を見つめていた。

 以前より若干表情が柔らかくなったような印象を受ける。

「ええ……」

 レイがそう答えると、シンジが操る赤いエヴァ一号機が両腕を胸の前に構えた。

 それにならうように、両腕を胸の前に構えるのはレイが操る青いEVA二号機。

「せえの……」

 息を飲んで、ガラスの向こうの2体のアーマーロイドを見守る第1開発室内のリ

ツコたち。

「じゃんけんぽん…あっちむいてほい!」

 いきなり、あっちむいてほいを始める一号機と二号機。

 黙々とデータの並ぶディスプレイを見つめるマヤと日向。

 白衣のポケットに手を突っ込んだまま、リツコが無表情にその光景を見ていた。

 それから、約十分後…… 

「じゃんけんぽん……あっちむいてほい!」

 まだ、続いている一号機と二号機のけったいなあっちむいてほい……。

「一号機、二号機とも100ゲームをオーバーしました」

 ディスプレイを凝視していたマヤがリツコの方へ振り向いて告げた。

「そこまで! 今日のパイロットとエヴァの反応試験は以上で終了。おつかれさま。

 シンジ君、レイ、ふたりとも上がっていいわ」

「……は、はい。分かりました」

 開発室の大きなディスプレイに映し出されたパイロットスーツ姿のシンジが言う。

「おつかれさま。一号機と二号機の後片づけをお願い」

 リツコはスイッチをハンガー向けに切り替えて、マイクに向かって言った。

 大きなディスプレイに浮かんでいたシンジとレイのコックピット内の画像が消え

ると、リツコはくるっと振り返って自分の椅子へと足を向けた。その途中でマヤに

向かって尋ねる。

「一号機とパイロットの平均制動誤差は?」

「0.002453秒です」

「昨日と変わらずね……。二号機は?」

「0.000082秒です」

「まずまずね。一号機は調整の必要があるわね。そんなに時間がかかったら、とて

 もじゃないけど、実戦では危なっかしくて使えないわ」

 リツコは椅子に深く腰を下ろすと、とっくに冷めてしまったコーヒーを一気に飲

み干した。

「でも、二号機と一号機に、こんなに差が出るなんて……どうしてでしょう?」

「もっと調べてみないと、何とも言えないけど、神経接続のシステム部分に何か問

 題がある可能性が強いわね……」

「ちなみに戦績は、一号機の23勝77敗です」

 キーボードを叩き続けていた青葉がリツコに報告する。

「そう……。相変わらずね」

 データシートを見ていたリツコはそれを聞いて楽しそうに微笑んだ。

「シンジ君の考えてることが完全に読まれているような感じですよね」

「……そうね。さてと……今の実験データをまとめて今日は終わりにしましょう」

 開発室内の開発部の面々に向かってリツコは明るい口調で言った。

「はい!」

 リツコが笑みを浮かべながら開発室の壁の時計を見上げると、時計の針は18時

35分を指していた。

◯同日 新豊島区郊外 第3新東京市 市立新東京第5高校 クラブハウス前

 グランドの隅にある2階建てのこじんまりとした運動部用のクラブハウス。校舎

のそばの噴水の脇に立つ大時計の針は18時を少し回った辺りを指している。

 10月ということもあって、既に陽は落ちかけ、グランドが真っ赤に染まってい

る。

 クラブハウス1階の「女子バスケットボール部」と書かれた札のかかった扉の横

で、壁に背をもたれて突っ立っている少女。名前を惣流アスカ・ラングレーという。

 彼女の栗色の髪は、赤い夕日に対してもその輝きにひけをとらない。

 そんな彼女とは対称的にタイをだらしなく緩めたまま、学生鞄代わりのデイバッ

グを肩に引っかけて現れるひとりの少年。彼はアスカの姿を見るとパッと表情を明

るくした。

「おう、惣流。シンジはまだかいな?」

「シンジは午後から本部に起動実験に行ったわよ。それよりファーストも来ないん

 だけど、あんた知らない?」

 その少年・鈴原トウジはアスカの友人であるレイと同じクラスであった。

「綾波も、今日は本部で起動実験や言うとったで」

「ってことは、今日はあんたと私のふたりだけ?」

「ちゅうことになるわな」

「……待って損した。私帰る!」

 アスカは少々不機嫌そうに鞄を後ろ手に持つと、スタスタと校門へ向かって歩き

始めた。

「ちょい待ちーな、惣流!」

 いつもと同じ調子でトウジはアスカの後を追い掛ける。

 というのも、シンジの提案でクラブの後は4人で一緒に帰る事にしているからで

あった。暗い中を女の子だけで歩かせるのは危ない、というシンジの提案に従って

のものだが「惣流やったら大丈夫や」というトウジの意見があったことは言うまで

もない……。当然、その後アスカの集中攻撃を浴びたのだが。

 スタスタと歩き続けるアスカの後ろをトウジが少し困ったような顔でついて歩く。

「そう言えば、私、あんたに聞きたいことがあったのよね」

 いきなりアスカがくるっと振り返ったので、トウジはドキッとした。

「な、何や?」

 アスカはトウジが追いついてくるのを待ってから、再び歩き始めた。

「昨日の日曜日、ヒカリとデートしたんでしょ? どうだったの?」

 アスカは好奇心に満ちた目をトウジに向けた。少し緊張気味だったトウジの表情

がいつもの顔に戻る。

「デートもなんも、イインチョーが映画に付き合ってくれ、言うたさかいに付きお

 うたっただけのことや」

「それをデートっていうのよ!」

 アスカはトウジの顔をにらみつけて怒鳴った。けれどもトウジはそれを気にする

様子もなく、スタスタと歩き続ける。

「しかし、なんで惣流がそれを知っとるんや?」

「だって、3日前から毎晩電話があったもの。“今度、鈴原君と映画に行くの”っ

 て毎日大変だったんだから……」

「おしゃべりやなあ……イインチョーも」

「それだけ嬉しかったってことでしょ!?」

 無神経なトウジの言葉にアスカは少々キレかけているようだ。

「惣流が怒ることないやろ」

「あんたが無神経すぎるからよっ!」

 そう言い捨てて、ツンとアスカは横を向いた。さすがにトウジも少し困ったよう

で、申し訳なさそうな顔を浮かべるとアスカの方を見た。

「惣流……俺が悪かったわ……。でもな……」

「何よ……」

 アスカがジロッとトウジの方を見た。

「いや……何でもない……」

 言葉を濁したトウジを不審に思ったのか、アスカはずいとトウジの前に出て、ト

ウジの顔を覗き込んだ。

「言いたいことがあったら、はっきり言いなさいよね」

「やめとくわ。……言うたら、全部壊れてしまうかもしれへんからな」

 いつもの彼とは違って、ぽつりと静かにつぶやく。

 アスカはトウジのその言葉の真意が掴めずに、ただただトウジの横顔をじっと見

つめていた。けれど、トウジは突然アスカの方を向くと、ニヤッと悪戯っぽく笑っ

た。

「そや、惣流?」

「な、何よ……」

 アスカは慌てて顔を背ける。

「今週末にボウリングでも行かんか?」

 シュッとボウリングのフォームをするトウジ。

「わ、私と……?」

 アスカは驚いたように、少し甲高い声で答えた。

「そや。前に約束しとったやろ? 今度、ボウリングで勝負するいうて」

「確かに言ったけど……」

 少し困った顔で、アスカはトウジから目をそらす。

「また、負けるのが怖くて逃げるんか?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべたままトウジが言う。

「“また”って、私がいつ逃げたのよ! やってやろうじゃない! ……その代わ

 り、ヒカリには内緒だからね!」

「分かっとるがな」

 ニコッと笑いかけるトウジから、恥ずかしそうにアスカは目を背けた……。

◯同日 19時10分 NERV総本部 26階 第1開発室

 各々の机上の端末に向かって、仕事を続けるマヤと青葉。他の開発部の面々は、

第2開発室に戻っていったために、第1開発室にはリツコ、マヤ、青葉の3人だけ

になっている。データシートを見ていたリツコは、何かを思い立ったのか、マヤの

方へ視線をやった。

「どう? あなた達、それが終わったら、今夜、付き合わない?」

 それを聞いたマヤは椅子をくるっと回転させると、リツコに向けて両手で拝むよ

うな仕草を見せた。

「すみません……今日は先約が……。また、今度誘って下さい」

「そう……青葉君は?」

「あ……僕もちょっと……。すみません」

 青葉は首から上だけをリツコに向けると、申し訳なさそうな顔をして答えた。

「残念ね……。仕方がない……ミサトでも誘うか……」

「葛城さんは作戦指揮部総出で第5浦賀港に荷受けに行ってるはずですけど……」

 キーボードをものすごいスピードで叩きながらマヤが言う。

「そういえば、そんなこと言ってたわね。仕方ないわね……今日はおとなしく帰り

 ますか……」

 リツコは残念そうにそう言うと、持っていたデータシートを机上に置いた。

 そんなリツコの背後に掛けられる張りのある男の声。

「付き合いましょうか? 赤木博士」

 突然の声にリツコが驚いて、椅子ごとくるりと振り返ると、第1開発室入り口の

扉が半分空いていて、そこに第2調査部員・加持リョウジが立っていた。

「どうして加持クンがこんなトコにいるのよ」

 加持はデータシートの束をかざしながらリツコの机に近づいてくる。

「”どうして?”って仕事だよ、仕事。ほら、ご希望のリストだ。該当者を全部リ

 ストアップしておいた。他になにかあったら、また言ってくれ」

 そう言って、加持はリツコの机にどさっとデータシートを置いた。

「ああ…例のヤツね…。ありがと……ご苦労様」

「いえいえ、どういたしまして。他ならぬリッちゃんの頼みとあらば、このくらい

 何でもないよ……」

「はいはい……そういう台詞はミサトだけに言ったら? あのコ、涙流して喜ぶわ

 よ。ああ見えても意外と感激屋さんだから……」

「そう……? で、今夜、俺空いてるんだけど?」

 リツコに顔を近づけながら言う加持。

 リツコは、加持との間にデーターシートをかざすと、プイと横を向いた。

「悪いけど、ご遠慮させていただくわ。また、ミサトに嫉妬されるのはごめんです

 からね……」

「残念だなあ……」

 加持はそう言いながら端末の前でデータ整理をしているマヤを見た。

「マヤちゃん……」

「私も駄目です!」

 キーボードを打つ手を止める事もなく、ディスプレイを見つめたままマヤは答え

た。途端に加持は情けない顔になる。

「諦めて、おとなしく家に帰れば?」

「分かったよ……」

 加持は肩を落とすと、すごすごと外へ出ていった。

「さて……と、さっさと済ませて帰りましょう」

「はい!」

 そう答えたマヤと青葉のキーボードを打つリズムが一段と早くなった。

◯同日 19時25分 NERV総本部 26階 パイロット更衣室前廊下

 第1開発室のある26階のフロアーの一角に設置されたパイロット更衣室。1年前

に作られたばかりなので、まだ真新しい。男子用と女子用の2部屋に分けられてい

るのだが、その男子更衣室の前で扉に背をもたれている高校の制服の緑のブレザー

姿の少年。高校1年生になった碇シンジである。

 手持ちぶさたで天井を見上げたりしていたシンジは、廊下の先のT字路を横切ろ

うとしていた加持の姿に気付いた。

「加持さん!」

 その声に、加持はシンジの方に近寄ってくる。

「よう、シンジ君じゃないか! どうしたんだい?こんな所で突っ立って」

「綾波を待っているんです。帰る方向が同じだから、一緒に帰ろうと思って……」

「へえ……シンジ君も隅に置けないな」

 ニヤッと笑う加持の言葉に、シンジは顔を赤く染めた。

「まあ、女性を送っていくのは、男として当然の行為だからな。くれぐれも送りオ

 オカミにならないようにな、シンジ君」

「加持さん!」

 顔を真っ赤にしてシンジは加持に詰め寄った。

「そんなに怒るなよ。でも、シンジ君、生真面目すぎる男はつまらないぞ……」

「えっ?」

「女性っていうのは……心のどこかで待ってるものなんだよ……」

「へっ……?」

 加持は突然遠い目をして、静かに語り始めた。

「まだ、シンジ君には分からないかもしれないな。でも、シンジ君、宝石は『綺麗

 だな』と思っているだけじゃ、全然綺麗にならないだろう?「綺麗になれ」と願 

 いを込めながら一生懸命に磨き続けて、より一層、美しく輝くんだ」

 シンジは加持の言っている事の意味が理解できていないのか、首を傾げている。

「……シンジ君にもそのうち分かるよ」

 そんなシンジを見て、加持は微笑みながら、ぽんぽんとシンジの肩を叩いた。

「はあ……。ところで加持さんはまだ仕事ですか?」

「ん? ああ……飲みにでも行こうかと思ったんだが、みんなにフられちゃったん

 でね。溜まっている仕事でも片付けとこうかと思って」

「大変ですね」

「まあね……。でも、自分が好きでやってる仕事だし、それに僕は今の仕事に誇り

 を持ってる……。だから、大変だとは思っても、「辛い」とか「やめたい」とか

 は感じないね」

「そうですか……」

「シンジ君は、自分のやってることに誇りを持ってるかい?」

「はい!」

 シンジは元気な声で答えた。すると加持は安心したような笑みを浮かべた。

「そうか。それが一番だ。だから、いい顔してるんだな、最近のシンジ君は」

「そうですか?」

 そう答えた瞬間、女子更衣室の扉の奥でガタガタと音がして、擦りガラス越しに

レイのシルエットが浮かんだ。

「おっと、せっかくのデートを邪魔しちゃいけないや。じゃあな、シンジ君!」

 加持は右手を軽く挙げて挨拶すると、つかつかと廊下を歩いて行ってしまった。

「あっ、加持さん……」

 バタンと扉が開いて、学校の制服のグリーンのブレザー姿のレイが顔を出した。

手には黒い学生鞄を持っている。

 レイは無表情に加持の去っていった方向を見てから、シンジの方を見た。

「誰かいたの?」

「うん……加持さんと話してたんだ」

「そう……待たせてごめんなさい……。行きましょう」

「あ、うん……」

 ふたりは黙ったまま並んで歩き、階の端にあるエレベータに乗った。

 シンジが地下鉄のホームがある1階のボタンを押すと、少し間を置いてエレベー

タの扉が閉まる。どう声を掛けていいか分からずシンジがボーッとしていると、レ

イがなにやら、鞄をごそごそと漁っているのに気付いた。気付いたけれど、どうし

ていいか分からなくてエレベータの階表示ランプを見上げるシンジ。

 そんなシンジにレイが突然声を掛けた。

「碇君……」

 シンジは驚いて、慌ててレイの方に振り向いた。

 振り向くとそこにはいつもの表情のレイがいた。「最近の綾波は可愛い」と学校

の同じクラスの連中が噂していたのをシンジは思い出した。以前とは違って、レイ

はクラスメイトとも話をするようになったし、一人でいる姿もあまり見かけなくな

った。レイがみんなと打ち溶けていくことは嬉しかったが、シンジは少し複雑な心

境だった。それは、レイが自分から遠ざかっていくような気がしたからかもしれな

い。そんな思いを抱きながら、いつもレイの教室の廊下の窓からこっそりレイの横

顔を覗き見ているシンジである……。

「な、何?」

「これ……ありがとう……」

 レイが手のひらサイズのMDのケースを差し出した。ディスクケースの背には、

実力派との呼び声高い男性シンガーの名前がペン書きしてある。

「あ……うん……。もう、いいの?」

 そのディスクを受け取りながらシンジが尋ねると、レイは軽く縦に頷いた。

「ええ……充分聞いたから……。結構、良かったわ……」

 中学校時代に、シンジの影響で若干音楽に興味を持ち始めたレイは、高校入学と

同時期にポータブルのMDプレイヤーを購入した。それをレイと同じクラスのトウ

ジの話で知ったシンジが、いろいろと気をきかせて、音楽ソフトをレイに貸してい

たのだった。

「そう……?このアーティストの一番新しいやつ、僕持ってるんだ。また、貸して

 あげようか?」

「ええ……お願い……」

 その言葉に、シンジは嬉しそうな表情を浮かべる。

「うん、分かった……。明日にでも学校に持っていくよ」

「いつも、悪いわね……」

「別に気にしないくていいよ。自分の好きな曲を気に入ってもらえるのって嬉しい

 し、綾波に聴いてもらうディスクを選ぶのも、すごく楽しいから」

「そうなの……?」

「うん」

「それじゃ、これからもお願いするわ……碇君」

 シンジの横顔を見ながらレイは言う。

「喜んで」

 チンと軽快な音と共に、エレベーターが1階に止まった……。

◯同刻 第5浦賀港 第8埠頭

 葛城ミサト作戦指揮部部長を初めとする作戦指揮部第1課の面々が、数台の指揮

車とトラックと共に、初秋10月とはいえ底冷えのするアスファルトの上で待ちぼ

うけを喰らっていた。

 何も見えない夜の海をじーっと眺めて、腕を組んでいるミサトがちらっと左手首

の腕時計を見る。

「7時半か…。この私を4時間も待たせるとは、いい度胸してるじゃないの!」

 その横で、いつミサトがぶちキレやしないかと心配そうにミサトを見ているのは、作戦指揮部第1課課長代理の日向マコトであった。

「何かあったんでしょうか?」

「まったく、いい加減にして欲しいわよね!」

 そう言ったミサトの視界の夜の海の上にキラッと何かが光る。

「あれじゃないですか!」

 その光の方向に向かって日向が指を指すと、次第に巨大な戦艦らしき影が浮かん

できた。

「みたいね……。やっとのおでましだわ」

 その戦艦、NERVイギリス支部所属B級輸送艦・エミリアは、唸るような汽笛をあ

げてから、埠頭に停泊した。それを見計らってミサトがハンドマイクを使って叫ぶ。

「エヴァ三号機、搬入準備開始! さっさと済ませて帰るわよっ! さてと、私た

 ちは責任者のお迎えに伺いますか。行くわよ、日向君!」

 少し不機嫌そうにエミリアと埠頭に渡された橋のたもとにミサトは歩み寄った。

「は、はい!」

 日向が慌ててその後を追う。その傍らでは作戦指揮部のトラックが船から搬出を

始めていた。

 ミサトに追いついた日向が橋のたもとで待っていたミサトと並んで敬礼をして待

っていると、誰かが端を降りてくるのが見えた。エミリアから照らされている光の

ためにはっきりと確認出来ないが、どうやら女性のようだった。

「誰なんですか?」

 隣のミサトに日向が小声で尋ねる。

「イギリス支部のE計画の作戦指揮責任者で、明日から第1課の課長になる人よ」

「葛城さんの後任、やっと決まったんですか?」

 日向の所属する作戦指揮部第1課の課長の席は、ミサトが作戦指揮部長に昇進し

た一年前からミサトの兼任となっており、事実上空席になっていた。

「1年間、放ったらかしだったからねえ……」

 ミサトは思わず苦笑する。

 ようやく光の中から全貌を現したのはNERVの制服に身を包んだ20代後半くらい

の女性。身長はミサトとほぼ同じくらい、体格はほっそりとしていて、色白だ。そ

して日本人らしく黒い髪を肩口まで伸ばしていた。ちょっとシンの強そうな感じだ

が、なかなかの美人である。

「ええっ!?」

 その顔を見た日向が驚きのあまり、言葉をあげた。

 橋を渡り終え、ミサトと日向の前に立ったその女性は、ミサトに向けて、丁寧に

敬礼した。それに応えて、ミサトは深々と敬礼し返す。

「NERVイギリス支部所属松前(まつまえ)ミサコです。エヴァ三号機ならびにエネ

 ルギー燃料の輸送に参りました。遅れまして申し訳ありません。海上で抵抗分子

 の相手をしていたものですから」

 軽く微笑みを浮かべて答えたミサコにミサトは好印象を持ったようだ。

「NERV総本部作戦指揮部長葛城ミサトです。長旅ご苦労様でした。NERV一同あなた

 をお待ちしてました。こらっ、日向君! 自己紹介は!?」

 立ち尽くしている隣の日向をミサトが小突くと、日向は慌てて敬礼した。

 それを見て、ミサコは楽しそうに微笑む。

「NERV総本部作戦指揮部第1課所属……日向マコトです……」

「お久しぶりね」

 笑顔で答えたミサコとは対称的に日向はなかなか言葉が出てこない。

 それもそのはず、今目の前にいる松前ミサコは、3年前にフランス支部の実験中

の事故による建物一切の消滅により、300人の所員と共に命を落としたはずだっ

たからである。

 そして彼女こそ、日向が今の彼女・伊吹マヤと出会う前に心から愛した女性であ

った……。

「知り合いなの?」

 じっとふたりを見ていたミサトが日向に尋ねた。けれど相変わらず突っ立ったま

まの日向から答えが得られるはずもなく、代わってミサコが答える。

「ええ……。4年前、彼がフランス支部に2年間研修に来たときの上司が私でして。

 だから、本当に久しぶり……元気そうでなによりだわ」

「フランス支部にいらっしゃったんですか?」

 少し驚いたようにミサトが尋ねる。彼女も3年前の事故の事は知っていたからだ。

「ええ……NERVに入ったばかりの頃は日本にいたのだけど、その後すぐにフランス

 支部に出向になって……。それで、その後はイギリス支部に。だから、7年ぶり

 なんです、日本に帰ってくるのは……」

 微笑みながら日向を見るミサコから、日向は何故か目をそらした。

「さあ、松前課長、行きましょう。碇司令もお待ちでしょうから……。一緒に仕事

 できる事をみんな喜んでいると思いますよ」

 ミサコはミサトに向かって微笑んでから、立ち尽くす日向の方を見た。

「これからよろしくね、日向君」

 呆然と立ち尽くす日向の顔を冷たい秋の風がかすめてゆく……。

◯同日 20時10分 再び、NERV総本部26階 第1開発室

 誰もいなくなった室内で、机上の端末の傍らに顔を伏せてリツコが眠っていた。

机の上には読みかけのパーソナルデータが山積みにされている。

 ガチャリと扉が開いて、部屋に一人の男が入ってくる。紺のスーツを着込んだ身

長180cm位のがっちりした体格のその男は、キョロキョロと室内を見回すと、

マヤの机上の「エヴァ制御システム仕様書」と書かれたファイルを発見すると、興

味深げに取り上げ、椅子に腰を下ろして読み始めたのだった。

 目が覚めて机から顔を上げたリツコはその男の存在に気付くと、ハッとした表情

を浮かべ、そして険しい顔で男に向かって叫んだ。

「何してるの! ここは関係者以外立ち入り禁止のはずよ」

 それを聞いてか聞かずか、男は黙々とファイルを読み続ける。リツコは、その男

の顔に見覚えがあるような気がしながらも、ずっと思い出せないでいた。

「聞こえないの?! ファイルを置いて、さっさと出て行きなさい!」

 ようやく顔をあげる男。まだ、若干あどけなさが残るものの、端正な顔立ちで、

決して女性にモテないタイプではないなとリツコは思った。

 しかし、今はそれどころではない。

「すごいですね……。人間の思考で直接ロボットを制御するRTMCシステム……。

 ここに入った甲斐がありましたよ。赤木博士」

「勝手に読まないで!」

「よく眠ってらしたので、起こすのが悪かったものですから」

「この部屋に入れるって事はここの人間でしょ! 名前と所属を名乗りなさい!」

「長門タクミ。所属はまだありません」

 リツコを見上げて、あっさりと答えると開発室内をキョロキョロと見回す。

 その男のあまりの緊張感のなさに思わず言葉を失っていたリツコは、ようやく我

に返った。

「“所属がない”って……どういうコト?」

「今日からここに入所したんです。中途採用で」

 『中途採用』とは、NERVを公に認められる組織にしようという狙いから、民間か

ら優秀な人材を集めるという名目で一般から入所希望者を募ろうという目的の下に

始まった企画であった。

 その言葉でリツコは、彼が、加持が持ってきた中途採用者のパーソナルデータの

中に入っていたのを思い出した。中途採用では、ある程度の能力があれば採用とな

り、数週間の訓練・試験の後、各人の適性に合わせ、各部署に配属されるシステム

になっている。

 リツコは頭の中で、彼のデータを思い出そうとした。

「でも、それが、ここに入っていいという理由にはならないわ!」

 椅子から立ち上がって、彼・長門タクミは耐圧ガラスの外のエヴァを眺めた。

 その目はまるでオモチャを前にした子供のようだった。

「あれがエヴァンゲリオンですか……。僕はあれに興味があるんです。特にその制

 御システムのプログラムに」

 そう言って、タクミはリツコが胸に抱いているファイルを指さした。

「このプログラムに……?」

 エヴァの制御システムのアルゴリズムの完成度に若干の不安と疑問を抱えていた

リツコは、その手の技術に詳しい新たな人材を加えようと考えていた。 特に、ア

ルゴリズムを100%に発揮できる有能なプログラマーを捜していたらしく、加持

に頼んで今年の中途採用者のリスト持ってきてもらったのである。

「興味本位でどうにかなるものではないわ!」

「遊園地の乗り物と同じ“機械”じゃないですか。人間が作り出した、ね」

 その言葉で、リツコの頭の中のコンピュータは、一人のデータをはじき出した。

『長門タクミ 25歳。某県某市の県立工業高校卒業後、ゲームソフト開発会社に入

 社。数々の大ヒットソフトを開発。4年後、退社。その後、新東京アミューズメ

 ントパークにて、遊戯機器の開発に従事。現在に至る』

 リツコは、彼のプログラマーとしての実績を知っていた。

 なぜならば、数年前、新聞、ラジオ、雑誌……全てのメディアは彼に最大限の絶

賛の言葉を与えていたからだ。彼の開発したソフトは、今も絶大な人気を誇ってい

るし、その続編シリーズは彼がいなくなった今も大ヒットを続けているらしい。

 そして、その男は、今目の前にいた。

「思い出したわ……長門タクミ君。確かに貴方の実績は私も知っているわ。でも、

 遊園地で3年間も遊んでいた貴方が、今さらプログラマーとして、果たして使い

 ものになるのかしら……」

 リツコはそう言うと、疑いの眼差しでタクミを見た。

「遊んでたワケじゃないですよ。園内の遊戯器具のコンピュータ制御システムの開

 発をやってたんです」

「それは初耳だわ」

 リストには遊園地で何をしていたかまでは記載されていなかったらしい。

「僕のプログラマーとしての腕をお疑いですか? 赤木博士」

「かなり自信がある様ね……」

 リツコは少し楽しそうにタクミを見た。

「そりゃあ、少しは、ね。それに、プログラマーとしてのプライドは持ってますか

 ら、そんな紙切れの上の経歴だけで判断されるのは納得できないだけです」

 タクミはそう言って、リツコの机上のパーソナルデータを指差した。

「それもそうね……」

 リツコはしばらく腕組みして考えると、自分の机から1冊の分厚いファイルを取

り出した。

「あなた、もし私がこれから出す試験に落ちて開発部に配属されなくても、NERVに

 残ると誓える?」

「えっ? “試験”……ですか……?」

「そうよ。貴方に極秘事項に関わる仕事をしてもらうわ。それを見て、貴方のプロ

 グラマーとしての可否を決める……。もし、私が不適と判断した場合には、NERV

 の秘密厳守の為にずっとNERVに所属してもらって、今後、一生、NERVの監視の元

 に生きることになる……。それでも構わない?」

 じっとタクミの目を見つめるリツコ。

 タクミは、リツコの言葉の一つ一つを噛みしめるように聞いていたが、やがてゆ

っくりとうなづいた。

「構いません。つまり、赤木博士が適と判断した場合はここに置いてもらえるんで

 すよね」

 リツコの目を見つめ返してタクミが言う。その目は真剣味に溢れていた。

「そうよ……」

「やります!」

「失敗しても私は知らないわよ」

「失敗する事なんて考えてたら、何もできませんよ。そんなことは結果が出てから

 考えればいいことです」

 タクミはリツコの目を見てきっぱりと言い切った。

 リツコは、タクミの瞳をじっと見つめた後、くすっと微笑んだ。

「いい心意気だわ……座って」

 タクミが椅子に腰掛けると、リツコもゆっくりと椅子に腰を下ろした。

「このファイルは、今日到着するエヴァ三号機の制御システムのアルゴリズムとフ

 ローチャートよ。そこのファイルの従来の一号機、二号機のシステムとは若干だ

 けれど仕様が違うの。三号機は、一号機版のシステムを乗せても起動はするでし

 ょうけど、その性能が100パーセント生かせるとは思えないわ」

 リツコは確認するようにタクミの目を見た。それを見てタクミは黙ってうなづく。

「そこで、従来の一号機版のプログラムを改良して、三号機版の制御システムプロ

 グラムを作って欲しいの。起動実験は1週間後なんだけど、丁度いいから、これ

 をあなたにやってもらうわ」

「じゃ、やりましょう」

 そそくさと上着を脱ぎ、その上着を椅子に掛けてタクミは立ち上がった。

「い、今から!?」

 思いがけない展開に、リツコは目を丸くして驚く。

「当然じゃないですか。マシンはどれです?」

「そ、それだけど……」

 リツコはあっけにとられながら、青葉の机上の大きいディスプレイのマシンを指

さした。

「あれか……。元プログラムと一号機版のマニュアルをお願いします」

 リツコの手から、三号機の制御システム仕様書を受け取ると、タクミは椅子に座

り、マシンの電源を入れた。立ち尽くしていたリツコも、慌てて動きだし、頼まれ

たものを用意しながら、タクミを横目で見た。

 するとタクミはもうマシンの前で、じーっと2つのマニュアルを見比べては、な

にやらメモをとっていた。

‥ 熱中すると、他のものが目に入らなくなるタイプね ‥

 リツコはクスッと微笑む。

 やがて、カタカタというキーボードの音が第1開発室に響き始めた……。

 さて、NERV総本部22階は作戦指揮部のフロアーになっている。

 そのフロアーの一角には、コーヒー等の自販機を設置した休憩所がある。休憩所

にはソファーがいくつか並べてあり、その一つに仕事を終えた伊吹マヤがちょこん

と腰を下ろしていた。

 壁に掛けられた時計を見上げると、20時05分を指している。

「遅いなあ……日向君……。まだ、帰って来ないのかなあ。せっかく食事に誘って

 あげようと思ったのに……」

 ちょうどその頃、NERV本部地下35階(最下層)の車両駐車場--

 エレベータの前でミサト、ミサコ、日向の3人がエレベータが降りてくるのを待

っていた。日向はミサコが持ってきた大きめのトランクバッグを提げている。

「ええ〜っ! 私より一つ年上で、しかも2期上なの〜?!」

「ええ、そうです。でも気兼ねなく“ミサコ”って呼んでもらって構わないですよ

 葛城さん」

「え、ええ……。じゃあそう呼ばせてもらうわ。だから、その“葛城さん”っての

 は何とかしてくれないかな」

「いいえ。あくまで上司なんですから、 “葛城さん”と呼ばせていただきます」

 ニコッと微笑んで言うミサコ。

「仕方ないわね……。どうしたの日向君、久しぶりに逢えたっていうのに、港から

 ずーっと黙りこくっちゃって。具合でも悪いの?」

「い、いえ……別に……」

 ミサコはちらっと日向を横目で見た。何か言い掛けようとしたが、丁度エレベー

タの扉が開いたので、ミサトに続いて乗り込む。

 真っ先に乗り込んだミサトが30階と22階のボタンを押すと、エレベータの扉

が閉まり、上の階へと動き出した。

 操作パネルのそばに立つミサトとその後ろに並んで立っている日向とミサコ。

「日向君、私、碇司令の所に行って報告してくるけど、松前さんの碇司令への挨拶

 はその後にしようと思うの。だから、私が電話で呼ぶまで、松前さんと居室で待

 っていてくれるかな? 」

「はい。分かりました」

 やがて30階に着き、ドアがゆっくりと開いた。

 ミサトは、エレベータから出て、ミサコの顔を見て微笑んだ。

「それじゃ、また後で」

「はい」

 扉が閉まり、再びエレベータが動き出すが、日向は階表示ランプを見上げている。

ミサコは黙ったまま、日向の後ろ姿を見つめていた。

「生きて……いたんですね……」

 あくまで冷静に振る舞いつつ、日向は階表示ランプを見上げたまま尋ねた。

「驚いた……?」

 日向は小さく頷く。その表情は相変わらず堅い。

「そうよね……私は死んでるはずの人間なんだもの……」

 そう言ってミサコは日向の後ろ姿を懐かしそうに見つめた。

「その後ろ姿……昔と全然変わらないわ」

「生きていたのなら……どうして……連絡してくれなかったんですか……?」

「ごめんなさい……。詳しい事は後で話すわ……」

 静かに言ってから、ミサコは日向の背中にコツンと額を当てて寄り掛かった。

 日向は、黙ったまま階表示ランプを見上げている。チーンと音がして、エレベー

タの扉が開いた。

「ほら、行きますよ」

 日向が背後のミサコに向かって言うと、ミサコはゆっくりと頭を上げた。

「ええ……」

 日向は振り返って、少し悲しげなミサコの顔を見つめた。

「話は部屋で聞きます。多分、もう誰もいないでしょうから……」

「ええ……」

 日向はミサコを先導して、作戦指揮部第1課の居室へと向かった。

 その頃、休憩室にいたマヤは、エレベータの停止する音に気付いて、そこから出

てきた人間が日向であることを期待しながら、作戦指揮部第1課の居室の方から、

エレベータの方へと向かっていた。

 角を曲がったところで日向の姿を見つけ、顔色がパッと明るくなったマヤだった

が、その後ろからついてきたミサコの姿を見て、一瞬にして表情は曇ってしまった。

‥ あの人誰なの……? ‥

 自分の方に向かってくる二人をマヤは通路の陰から見つめる。

 一方、前方の角でマヤが見ているなど、思いもしない日向はミサコと話していた。

「しばらくの間は、何処で寝泊まりするんですか?」

「ええ……当分はここのゲストルームに泊まることになるけど、近い内に部屋を探

 さないといけないわ」

「そうですか……」

「もしかして、マコトの家に泊めてくれるとか?」

 日向の顔を覗き込みながら、ミサコは悪戯っぽく聞いた。

「え、えっ……そんなつもりで聞いたんじゃ……」

 顔を赤くして、日向は慌てた。それを見て、ミサコは微笑むと、再び悪戯っぽい

口調で続けた。

「5年前は私の所に居候してたんだし、丁度いいかもしれないわね」

「あ、あれは、僕のアパートが見つかるまでの間……」

 かなり慌てた調子でそこまで言ってから、日向は会話の矛盾に気付いたようだ。

「あっ……」

「ほら、同じじゃない。でも、心配しないで、そんなつもりは全然ないから」

 フフッと優しく笑いかけるミサコ。

「今度、家探し手伝いますよ」

「ありがと」

 そう言った後、ふと長い沈黙が訪れた。

「あのね……マコト……」

 ミサコが口を開いた瞬間、バッとマヤが角から姿を現わした。

「い、伊吹さん!」

 日向の顔とミサコの顔を交互に見比べるマヤ。

「あら、日向君……今戻ってきたの?」

「え、ええ……」

 マヤは改めてミサコの顔をじーっと見た。日向はその視線に気付くと慌てたよう

に話し始めた。

「あ、こちらは松前さん。明日からうちの1課の課長になる方です」

 日向の紹介に促され、ミサコは軽く頭を下げた。

「松前ミサコです。よろしく」

「第1開発部の伊吹マヤといいます。よろしくお願いします」

 マヤはちょこんと頭を下げてから、嫉妬にも似た、冷めた視線をミサコに送った。

しかし、ミサコはそれに気付いていない。

「今、帰りですか?」

 平静を装いながら、日向は微笑んで尋ねた。

「ええ……。日向君はまだ仕事?」

「はい…まだ、いろいろと雑用が残ってて…」

 さっき覗き見たミサコと日向の親密な態度と、妙によそよそしい日向の受け答え

に、マヤは食事に誘うことなどどうでもよくなってしまったらしい。

「そう、じゃ、お先に……」

「はい、お疲れさまでした」

 心の中で少しオドオドしながら日向は頭を下げると、マヤの後ろ姿をじっと見送

った。

「どうしたの?」

「えっ……あ……何でもないです。行きましょう」

 二人はまた黙々と歩き、作戦指揮部第1課室に着いた。

 扉を開け、扉近くの行き先ボードを見る日向。第1課全員の行き先を示すその電

子ボードは、日向以外は全員、「帰宅」になっている。

 卓上のコントロールパネルで自分の欄を「在室」にすると、一番奥の何も置かれ

ていない机にミサコを案内して、机の横にバッグを置いた。

「ここが机です。葛城さんが部長に昇進してから1年、ずっと空きっぱなしだった

 んで、少し埃被ってますけど」

「別に気にしないわ。要はここでしょ?」

 ミサコ、笑みを浮かべて、自分の頭を指さすと、座り心地を確認するように椅子

に腰を下ろした。

「そうですね。 僕、コーヒー入れますけど、いかがですか?」

「お願いするわ」

 日向は居室の隅のコーヒーサーバーから「NERV」と書かれた紙コップにコーヒー

を注ぐと、カップ受けに乗せて、ミサコの下へと戻ってきた。

「どうぞ……。確かミルクだけでしたよね」

 日向がコーヒーとミルクをミサコの前に置く。

「そうよ。マコトは相変わらず、お砂糖を入れないと飲めないの?」

「ええ……」

 それを聞いてミサコは微笑んだ。

 日向は、自分のコーヒーを机の上に置くと、近くの椅子を引っぱり出して、ミサ

コの向かいに腰を下ろした。

「さて、聞かせてもらえますか……。どうしてミサコさんが今、ここにいるのか」

 一転して真面目な顔で日向は尋ねた。ミサコは静かにうなづいてから、一口コー

ヒーを飲むとゆっくりと話し始めた。

「どこから話せばいいのかしら……。そうね、3年前のフランス支部の消滅の事か

 ら話すわ……。一言で言えば、あれは『予定通りのアクシデント』だったのよ」

「『予定通りのアクシデント』?」

「そう、NERV本部が計画した事故。あの頃、フランス支部は新しい対使徒用兵器の

 開発に着手していたの。それは昔のエヴァとは違って、今のエヴァンゲリオンの

 原型となるようなアーマーロイドタイプだったわ……」

「……そんな昔にそんな計画があったなんて、知らなかった……」

「……でしょうね。私もそれを知ったのは、かなり後の事だったから……。それで、

 そのエヴァンゲリオンの開発は極秘裏に行われたんだけど、それがゼーレの連中

 にバレてしまった…」

「ゼーレ……ですか」

「なぜなのか未だに分からないけれど、彼らは、それを快く思ってなくて、碇司令

 に、フランス支部のエヴァンゲリオンの破棄を要求したらしいわ」

「……そこで、フランス支部ごと爆発で消失させて、エヴァごと失った様に見せか

 けた……。フランス支部で働く全ての人間を犠牲にしたように見せかけて……」

「鋭いわね。その通りよ……」

「それで、2年のはずの僕の出向がいきなり2カ月短縮されたのか……」

「そうだったわね……」

 ミサコは椅子から立ち上がると、ブラインドの陰からハンガーに立っている2体

のエヴァンゲリオンの機体を見つめた。

 そのミサコの後ろ姿を日向は黙ったまま見つめている。

「当時のフランス支部長はあなたも開発クルーに選ぶつもりだったらしいけど、日

 本から「日向は本部に返してくれ」っていう連絡が来たらしくてね……」

「えっ!?」

「碇司令に相当買われていたみたいよ、マコト。うちの支部長もかなり粘ったらし

いけど、碇司令に押し切られたって、嘆いていたわ」

 ミサコは課長席の脇の机に腰を掛けて、微笑みながら日向を見下ろした。

 それからしばらく、なぜかふたりは黙ったこくってしまった。

「あの夜……僕が日本に帰る3日前の夜……ミサコさんが、僕に「別れよう」って

 言ったのは……」

「そう……あなたにもう逢えないかもしれないと思ったからよ……。別れた女なら

 例え、死んだと聞かされても平気だと思ってたのね……」

 そう言ってミサコは日向から目を反らした。一方の日向は顔を強ばらせたまま、

わなわなと肩を震わせていたが、やがてうつむいていた顔をバッとミサコに向けた。

「平気なわけないですよ! 自分が1年半思いを寄せていた女性に、突然フられて、

 納得のいかないままこの世を去られる……。僕がどんな気持ちでいたか分かりま

 すか!? 忘れる事なんて……出来なかったですよ……!」

「マコト……」

 じっと自分の顔を見つめるミサコの顔を見て、日向はうつむいた。

「怒鳴ってすみません……。でも、あの知らせを聞いた後、しばらく立ち直れませ

 んでした……。何もする気が起きなかった……。そんな時、完全に駄目になって

 しまった僕を、思いっきり叱ってくれた人がいたんです……。彼女のお陰で今ま

 で生きているようなものです」

「ごめんね……マコト……」

 机に腰掛けたまま、ミサコはうつむいた。

「いいんです……。こうやってもう一度逢うことが出来たし……」

 日向は顔を上げ、ミサコの方を見た。

「ほんとにごめんね……」

 ミサコは頭をうなだれて、声を殺し、そして泣いた……。

 スカートの上に涙の粒がぽろぽろと落ちる。

 日向はそんなミサコの顔を見つめて、一生懸命に微笑んだ。

「あの頃、ミサコさんが仕事のこととか、いろいろ僕に教えてくれたから今の僕が

 あるんです。悲しい思いもしたけど、ミサコさんに出会えたこと、僕は後悔なん

 かしてません」

 そう言って、日向はミサコを見つめる。

「マコト……」

 ミサコは涙で一杯の目を日向に向ける。さっきまでの凛とした松前ミサコの面影

はもうここにはなかった。女としての彼女だけがここにいた。

「ほら、涙を拭いて……いい顔がだいなしですよ」

 日向は椅子から立ち上がると、ポケットからハンカチを取り出し、ミサコに差し

出す。そのハンカチをミサコは黙ってそれを受け取り、涙を拭いた。そして、日向

にやさしく微笑みかけた。

「なんか……変わったね。私よりずっと大人みたい……。昔はもっと頼りなかった

 のに……」

「そうですか……?」

 日向は少し照れくさそうに頬を掻いた。ミサコは日向をしみじみと眺める。

「今度は私が惚れてしまいそう……」

「えっ?」

「何でもないわ」

 ミサコは笑ってごまかすと、机から下りて、課長席に座った。

「それで話の続きだけど、フランス支部から開発環境全てをイギリスの片田舎に移

 して、開発が続けられたんだけど、死んでいるはずの私たちは、施設の外へは一

 歩も出られないし、電話をすることも手紙を書くことも許されなかった……」

「でも、それはゼーレが幅を効かせていた2年前までの話でしょう?それから後に

 手紙の一通くらい……」

「マコト…私はイギリス支部にいたのよ。つい2カ月前まで、NERV本部に反旗を翻

 していたイギリス支部にね」

「あっ……」

「2カ月前、碇司令が本格的に説得に入って、イギリス支部がNERVの管轄に復帰し

 てから、ようやく私は日本に帰ることを許されたの。それでこうしてここにいる

 のよ」

 ミサコは椅子から立ち上がると日向の後ろに立った。

「3年って長いわ……あなたがこんな素敵な男性になっているんだもの……」

「ミサコさんも昔と変わらず素敵ですよ……」

「ありがと……。お世辞でも嬉しいわ」

 ミサコは腰をかがめて日向の後ろから手を回すと、顎を日向の左の肩にのせた。

「マコト……」

 日向がゆっくりと振り向く。ミサコはその日向の瞳をじっと見つめてから、ゆっ

くりと瞼を閉じた。

「ずっと逢いたかったわ……」

 そして彼女は薄く赤いルージュを塗った唇を日向に寄せた……。

 そんな二人の様子をものの2分ほど前から、扉の陰でみつめている一人の女性−

 怒り心頭で、一度は地下鉄のターミナルまで出たものの「やっぱり、食事に誘お

う」と戻って来たが、部屋の中の親密な雰囲気を感じて、じっと様子を伺っていた

伊吹マヤであった……。

 マヤは、ふらっと力無く立ち上がると、危なげな足どりでエレベータへと向かっ

てゆくのだった……。

 時刻は遡ること8時10分すぎ。NERV本部と地上をつなぐ地下鉄から、自分たちの

地区へ向かう電車に、レイとシンジの姿があった。

 鞄を持ち、ぼーっと外の景色を見ているレイと、同じく立ったまま、中吊り広告

を見ているシンジ。隣であまりに真面目にシンジが広告を見ているので、レイが不

思議そうな顔をシンジに向けた。

「……何見てるの?」

 シンジは広告から視線を落とし、レイを見ると、見ていた広告を指さした。

「今週から始まる映画の広告だよ。なかなか面白そうだなと思って……」

「映画……好きなの?」

「うん。やっぱり大きな画面だと迫力が違うからね……」

「……どういうお話?」

「えっと……主人公の乗っていた飛行機が海に不時着して、ある島に流れつくんだ

 ……。それで、そこの島の王国の王女さまと出会って、恋に堕ちるんだけど、周

 りからいろんな妨害が入って……っていうストーリーみたい」

 時々、広告を見ながらシンジはレイに言った。

「……どこにでもありそうな話ね……」

 くすっと笑うレイ。

「僕もそう思った……」

 同じく、くすっと笑うシンジ。

「私も見てみようかな……」

「えっ?」

 レイの突然の言葉にシンジは驚いた。

「碇君も見たいんでしょ?」

 シンジの顔を覗き込んでレイが言う。

「う、うん……」

 レイは少し考えていたようだったが、やがて決心したのかこう切り出した。

「……一緒に行かない?」

「ええーっ!」

 周りの人も振り返るくらいの声をシンジは上げた。レイが人を誘うなんて、今ま

でにあり得なかった事だからだ。

「嫌なの……?」

 レイはちょっと怪訝な表情を見せた。シンジは慌てて首を思いきり横に振る。

「う、ううん。そんなことはないよ。でも、どうして?」

「いつもディスクを貸してくれるお礼……。何かしようと思ってたから……」

「……お、お礼なんて……別にそんなつもりで……」

 最後の方はごにょごにょとして聞き取れない。

 レイは、ちょっとムッとして、シンジを見た。

「どうするの?」

「行くよ!もちろん!」

 シンジのとびきり元気な声にレイは少し驚いたようだった。

「……じ、じゃあ…今週の日曜日でいい?」

「あ……うん」

「詳しいことは碇君に任せるわ」

「うん」

 平然とした顔で言っては見たもののシンジの心の中は空にでも舞い上がりそうな

心地であったことは言うまでもない。

 ふたりを乗せた電車は、夜の街を走り抜けていく……。

                                (つづく)



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