『ファースト・コンタクト』

                               作:俊弥


○『プロローグ』

 突然だが、シンジ達は第3新東京市立新東京第5高校の3年生の冬……受験

の季節を迎えていた。

 放課後の教室。

 窓際の後ろから2列目の席で、学級日誌を書いていた綾波レイは何気なく顔

を上げた。冷え切った空気が肌に心地よく感じられる。

 ふと、校庭に視線を移す。校門へと向かう校庭には、かなりの人数の生徒が

いたが、レイは同級生の碇シンジの姿を一目で見つけることが出来た。

 彼の背中だけは、どんな遠くからでも一目見るだけで分かるようになってい

た。思わず口元に笑みがこぼれる。しかし、その笑みはすぐに消えてしまった。

シンジの左隣に栗色の髪の少女の姿を見つけたからだ……。

 レイは視線を日誌に戻した。

『ガララッ』

 教室の後ろの扉が開いて、一人の少女が入ってきた。

学級委員長であり、レイの友人でもある、洞木ヒカリだった。ヒカリは、レイ

の姿を確認すると、ゆっくりと彼女に近づいてきた。

「まだ、残っていたの……? ああ、学級日誌ね。終わるまで待ってるから、

 一緒に帰りましょう」

 レイはこくりとうなづいた。そして、日誌の続きを書き始める。さっきより

も文字を書くペースがほんの少しだけ早い。

「いよいよ明日ね……。どう、勉強は進んでる?」

 レイの隣の席に腰を下ろしながら、ヒカリが言った。

 そう、明日は大学受験の日なのだ。レイは第3新東京市内の女子短期大学を

受験する。この学校でも、受けるのはレイだけという程の難関学校であった。

 一方のヒカリは、進路指導の教師達に惜しまれながらも自分の主張を押し切

り、市内の調理師学校へ進学する事になっていた。

「……ええ」

 レイはちょっとだけヒカリの方を見て、微笑った。

「学年でもトップクラスの成績の綾波さんに聞く質問じゃなかったわね……」

 そう言ってヒカリは苦笑いする。

「でも、さすが綾波さんよね……鈴原にも見習わさせたいわ。鈴原ったらさ、

 明日は試験だっていうのに、クラブの練習を見に行っちゃったのよ……信じ

 られないと思わない?」

 ヒカリは少し腹ただしげに言った。レイはクスッと微笑う。

「まるで自分の事みたい……」

 レイの言葉に、ヒカリは頬を真っ赤に染めた。

 ヒカリがトウジの事をずっと想っているのは、レイもよく知っている。

「あ、綾波さんはさ……不安じゃない?」

 ヒカリは話題を変えようと、レイに質問した。

「……不安?」

 レイは書きかけの日誌から顔を上げ、ヒカリを見た。

「だって、全然知らない人とこれから一緒に勉強していかなくちゃいけないワ

 ケじゃない」

 ヒカリに言われて、レイは改めて気づいた。

 『学校』というひとつの集団においては、レイの周りにいた人間はいつも同

じだった。アスカにトウジにヒカリにケンスケ、そしてシンジ……。でも、こ

れからは皆と離れて、生活しなければならない。おそらく、ヒカリやケンスケ

達と逢う機会も減るだろう。シンジやアスカとはネルフで会えるだろうが、そ

の機会は今より少なくなるかもしれない。

 そう……大学に入れば、たくさんの出会いが待っている。『綾波レイ』とい

う人間がどういう人間であるか、全く知らない人たちとの出会いが……。

「……そうね」

 一見、無関心とも思える口調でレイは言った。

 しかし、ヒカリは知っている……。その口調は初めて出会ったときよりも人

間味に溢れているし、何気ない言葉の中にも、レイの思いが存分にこめられて

いることを……。

 レイは学級日誌を閉じた。校庭にそっと目をやる。

 既に、シンジの姿はそこにはなかった……。 

○『SCENE1 〜気づいて〜』

 家への帰り道。シンジは隣を歩くアスカを横目で盗み見た。いつもと違って

今日はやけにおとなしい。普段なら「あんた馬鹿ァ!」の1発や2発食らって

いるはずだが、今日はとても静かだ。静かすぎて逆に不安になるシンジである。

‥そういえば、一緒に帰るのも久しぶりだな ‥

 以前のように同居しているワケでもないので、一緒に帰る機会も自然に少な

くなっていた。無論、シンジに「アスカ、一緒に帰ろう」なんて言う勇気なん

て最初からありはしないのだが……。

「シンジっ!」

 突然、黙りこくっていたアスカがシンジの方に振り返った。

「……な、なんだい?」

 アスカに話しかけられると、つい身構えてしまうシンジである。アスカは顔

をシンジから背けると、伏し目がちに尋ねた。

「あ、明日はさ……何時くらいに家を出るつもりなのよ」

 明日、シンジとアスカは同じ大学を受験する。かなりの学力を要する難関校

として有名な大学だ。国語の成績以外はトップクラスのアスカはともかくとし

て、決して試験の成績が良いとはいえないシンジは、担任の教師に最後まで説

得されたが、結局、自分の意志を押し通した。それがなぜなのか、シンジは最

後まで語らなかったけれど、今、隣にいる栗色の髪の少女の影響も強いという

ことは言うまでもないだろう……。

「んっ……? 7時くらいかな……」

「そ、そう……」

 アスカは伏し目がちのまま、相づちをうった。

「アスカは?」

「……えっ……? わ、私……?」

 アスカは、ほんの少し頬を赤く染めた。

「……私もそれくらいに行こうかな……」

 珍しく、か細くかわいらしい口調で言う。

「うん。それくらいに出ないと遅刻しちゃうよ。アスカって大事な日に限って

 寝坊とかするから」

 そう言ってシンジは笑ったが、別のセリフを期待していたらしいアスカの顔

色は変わった。 

「……私、先に帰る。じゃあね、馬鹿シンジっ。せいぜい、最後の悪あがきで

 もすればいいわ!」

 アスカはスタスタと歩いて、先に行ってしまった。

「……僕、何か悪い事言ったかな……」

 ……何も言わなかったから悪いのだということに本人は気付いていないらし

い……。

 冷たい冬の空の下に、シンジだけがぽつんと取り残された……。

○『SCENE2 〜ひとつ屋根の下〜』

 第3新東京市内の閑静な住宅街にあるマンションの一室。

 綾波レイが机の前で、ふうとため息をついた。机の上には使い古された参考

書が広げられていて、その参考書には赤い蛍光ペンのアンダーラインが至ると

ころに引かれている。

‥日本史って好きじゃないわ…… ‥

 自分の生きている間の事ならともかく、生まれる千年も二千年も過去の事な

んてどうでもいいじゃないかと正直思う。「古きを学びて、新しきを知る」な

んて言葉もあるが、レイにはどうしても無駄なような気がしてならなかった。

‥歴史なんて、自分で作っていくものだもの…… ‥

 そんな事を言っても、教師の前ではただの屁理屈にしかならない。

‥ま、仕方ないわね…… ‥

 レイはもう一度ため息をついた。

『コンコン』

 背中の扉を叩く音が聴こえた。レイは壁の掛け時計を見上げる。時計の針は

午後11時。計ったかのように、いつもの時間だった。

 レイは立ち上がって扉に歩み寄ると、扉を開けた。そして、足元を見下ろす。

 板の間の床の上にお盆が置かれてあり、いつも通りに、あったかいミルクと、

不器用に握られたおにぎりが2つ、小皿にのっていた。

 いつの頃からだろう……この部屋に一緒に住んでいるリツコが、レイの為に

こしらえてくれるようになった。

 レイは微笑み浮かべて、お盆を手に取った。

 温かいミルクの香りがやさしい……。

 その隣のへんてこなカタチのおにぎりを見て、クスッと笑う。

 いくら握っても上手くならない。でも、レイはこのおにぎりが大好きだった。

 ゆっくりとリビングの方に視線をやる。リツコはお風呂に行ったようだ。

 レイはバスルームに向かって、声にならない言葉をつぶやくと、部屋の扉を

閉めた。

 血はつながってないけれど、ひとつのあたたかい家庭がここにはある……。

○『SCENE3 〜突然〜』

 翌朝7時。市内のとあるマンション。

「アスカ、あんた大丈夫なんでしょうね? 昨日も勉強してる気配なんか、全

 然なかったけど?」

 いたずらっぽい口調でミサトが言った。

「楽勝に決まってるでしょ!」

 アスカは勝ち気にそう答えたが、いつもより少し元気がない。ミサトは昨日

の夜からずっと、それが気にかかっていた。

「はいはい」

 ふたりはエレベータを降りて、車庫に向かった。

「しっかし、今日は寒いわね〜」

 愛車の真っ赤なルノーのドアを開けながらミサトが言う。アスカは何も答え

ず、仏頂面で助手席に座った。 

「シンジ君はどうするのかな〜? 電車? アスカ、なんか聞いてない〜?」

 シートベルトを締め、エンジンをかけながらミサトが尋ねた。

「し、知らないわよっ! あんなチョー鈍感の馬鹿シンジなんか遅刻しちゃえ

 ばいいのよっ!」

 どうも昨日からシンジの話になると、アスカの機嫌が悪くなる。どうやら、

シンジと何かあったのだとミサトは薄々と感じてはいた。バックミラーの位置

を調整しようと、ミラーを覗きこんだミサトの表情がパッと明るくなる。

「いいのかな〜? そんな事言っちゃって」

 いたずらっぽくミサトが言った。

「な、何よっ!」

 アスカはぎろっとミサトの方を見た。ミサトは黙ったまま、後ろの方を指さ

した。アスカは怪訝な顔でそっちの方へ目をやる。瞬間、アスカの顔に驚きの

表情が浮かんだ。

 ……車庫の入り口にシンジが立っていた……。

 アスカはしばらく呆然としていた。頬がピンク色に染まる。

「ほら、早く行ってあげなさいよ」

 ミサトの声にアスカは車から出た。赤い顔を見られないように、シンジから

顔を背ける。近づいてくるシンジの足が止まった。

「な、何しに来たのよっ!」 

 車庫のコンクリート壁に甲高いアスカの声が響く。車の屋根に顎を乗せてふ

たりを見ていたミサトは、くすっと笑った。ジロッとアスカが睨んだので、ミ

サトひょいと首を竦める。

「……一緒に行こうと思って……。ほら、アスカ、7時頃に行くって言ってた

 から……」

 シンジの顔もアスカに負けず劣らずと赤い。ここに来るのも、結構な決心だ

ったのだろうと思うと、ミサトは微笑ましく感じずにはいられなかった。

「そんなに私と一緒に行きたいワケ? いいわ、一緒に行ってあげるわ。あり

 がたいと思いなさいよねっ」

 そう強気な口調で言いながらも、アスカの顔は真っ赤っかだ。

‥私にもこんな純な頃があったのかしらね…… ‥

 ミサトは、ふと昔が懐かしくなった。と、同時に目の前のふたりをうらやま

しく思う。

「で、どうすんの? 車で行くなら、送って行くけど?」

 ふたりの会話が進みそうにないので、ミサトが助け船を出した。

「ミサトの危なっかしい運転の車なんかに乗って、事故なんか起こしたらどう

 するのよっ。電車で行くわ。いいわね? シンジ」

‥さっきは車で行くって言ってたクセに。フフッ……邪魔すんなって事ね ‥

 ミサトは小さく含み笑いする。

「う、うん……」

 シンジがミサトの方を気にしながら、小さくうなづいた。

「ほらっ、馬鹿シンジ、行くわよっ!」

 助手席の足元にのせてあった鞄を取り上げてから、アスカは走った。軽快に

そして楽しそうに笑顔を浮かべながら……。

「ア、アスカ、待ってよ……」

「ちょっとシンジ君っ!」

 ミサトの呼び止める声にシンジは振り返った。ミサトはこっちを見て、ニッ

コリ微笑んでいる。

「試験、頑張ってね」

 ミサトはひらひら〜っと手を振った。

「ハ、ハイッ!」

『こら〜っ! シンジ、何やってんのよっ! 遅刻したらあんたのせいだから

 ねっ!』

 車庫の入り口の方からアスカの怒鳴る声が聞こえた。

「ほら、早く行きなさい」

 シンジは軽く頭を下げてから振り返ると、一目散に駆け出した。

 ミサトはじっとふたりの姿が見えなくなるまで見送っていたが、腕時計を一

目見ると

「さ〜て……もう一眠りしましょうかねえ……」

 とつぶやいて、エレベータの方へ歩いていった。

○『SCENE3 〜待ちぶせ〜』

 その頃、第3新東京市内の住宅街にある鈴原トウジのアパートの前で、ヒカ

リが立っていた。手のひらを擦り合わせ、はあはあと息を吹きかけながら、し

きりにアパートのある一室の扉を気にしている。

 その扉が勢いよく開いた。ヒカリはパッと表情を明るくして、そっちを見た。

『ほな、行ってくるさかいに、ちゃんとガッコ行くんやで』

 優しい口調でトウジが言う。ヒカリの位置からは死角になって見えないが、

歳の離れた妹に言い聞かせているらしい。

 ヒカリは微笑んだ。そう、トウジが気になり始めたのは、こんな妹想いな一

面を偶然目にしてからだった。

 トウジがこっちに向かって歩いてきた。ヒカリに気づくと、一瞬驚いたよう

な表情を見せた。

「イ、イインチョやないか……? どないしたんや? こないなトコに立って」

 ヒカリは恥ずかしそうに頬を赤らめてうつむいた。

「そ、その……どうしても、一言だけ言いたくて……」

「……な、なんや……?」 

 トウジは照れくさそうに頬をポリポリと掻きながら言った。

 ヒカリは何かを決心したようにパッと顔を上げた。頬が紅潮しているのが、

自分でも分かった。

「……試験、頑張ってね……私も応援してるから……」

「あ、あぁ……」

 トウジはヒカリの顔を見ていられず、視線を逸らした。

「迷惑だったら、別にいいんだけど……途中まで一緒に行ってもいいかな?」

「別に構へんけど……」

 トウジが照れくさそうに顔を背けながらそう答えると、ヒカリは嬉しそうに

笑った。艶やかな黒髪が風に揺れる……。

 最初はいつもの交差点まで、交差点に到着すると、次は駅まで、駅に到着す

ると、次は学校の最寄りの駅まで、と言っているうちに、結局はトウジの大学

まで来てしまった。 

 ヒカリは大学の校門の前で立ち止まった。さすがにヒカリもここから中に入

るワケにはいかないと思ったのだろう、名残惜しそうにトウジの横顔を見上げ

る。トウジもそれに気づいて立ち止まった。

「試験、何時に終わるの……?」

「12時やけど……?」

 ヒカリの方を見ながら、トウジが答える。

「……それまで、待っててもいいかな……?」

「えっ?」

 ヒカリはじっとトウジを見ていた。

「……べ、別に構わんけど……」

 照れくさそうに視線を背けながら答える。ヒカリがまた、嬉しそうに笑った。

 ふたりの脇を通り過ぎてゆく男子受験生達が、トウジをうらやましそうに見

ている。

 8時を知らせる鐘が鳴った。

 今日も空は澄みわたっている……。

○『SCENE4 〜ファースト・コンタクト・はじめての綾波レイ〜』

 第3新東京市内。某女子短期大学前の道路。

 受験生らしき少女達が、ひとりひとりと校門から構内へと消えてゆく。そこ

へ白い車がゆっくりと止まった。

 車の助手席から制服姿のひとりの少女が姿を現す。綾波レイである。

 その不思議な雰囲気に、歩いていた受験生達が立ち止まった。しかし、レイ

はそれを気にする素振りもなく、黙ったまま、運転席の方を見た。

「頑張って……」

 たった一言、運転席の赤木リツコはそう声をかけた。

 レイは微笑って、コクリとうなづくと、門へ足を向ける。

 その後ろ姿を見つめながら、リツコはやさしく微笑んだ……。

 レイは試験会場の教室に到着すると、自分の席に座り、ようやく一息ついて

辺りを見回した。すると、一人の少女が目に入った。レイと同じように学校の

制服を着て、長い髪をひとつにまとめた少女だった。試験会場には結構な人数

の女生徒がいたが、制服を着ている人間は少ない。だから、余計に目についた

のだろう。彼女は、落ち着かないように辺りをきょろきょろと見回していたが、

ふとレイと目が合った。しかし、レイはとっさに視線をそらしてしまった。

 特にすることもなくて、何気なく英語の単語帳に目をやっていると、背後か

ら声を掛けられた。

「……あ、あの……」

 か細いけれども、透き通ったかわいらしい声だった。

 レイは顔を上げ、声の方を見上げた。さっき目があった彼女だった。

「……何か……?」

 レイがそう言うと、彼女は頬を真っ赤にして、うつむいてしまった。それっ

きり、何も話す気配がない。しばらくの間、奇妙な空気が流れた。

「……あなたも……ひとりなんですか……?」

 ようやく、彼女は小さな声でそう尋ねたが、質問の意味が理解できなかった

らしく、レイは不思議そうな目で彼女を見上げただけだった。

「……私もひとりなんです。ウチの学校からここ受けるの、私だけで……なん

 だかとっても不安になって……」

 よっぽど話し相手が欲しかったのだろう、彼女は早口にそう言った。

「……そう……」

 レイはほんの少し微笑って、そう答えた。

 レイにとってはいつもの返事なのだが、初対面の彼女には、レイが気分を害

した様に見えたのだろう、少し萎縮したようだった。

 乾いた鐘の音が響き、試験の開始5分前であることを告げた。

「……ご、ごめんなさいっ」

 彼女は一言謝ると、自分の席に駆け出していってしまった。

 レイは唖然として彼女の後ろ姿を目で追っていたが、試験用紙が配られてき

たのに気付いて、彼女の事を気にかける暇もなくなってしまった……。 

 

○『SCENE5 〜歌をうたおう〜』

 その頃、カメラスタジオへの就職が決まっている相田ケンスケは、3年生だ

けがいなくなった学校の自分の教室にいた。1・2年生は授業中らしく、3年

生の教室しかないこのフロアの廊下は、ひっそりと静まり返っている。

 ケンスケは、教室や音楽室や、体育館を撮ってまわっていた。もうじき、こ

の学校ともお別れだし、平日の学校なんて、そうそう撮影できるものではない

からだろうか、彼のシャッターを切る手は自然と早くなっていた。

 ケンスケは屋上に向かった。幾度となくシンジやケンスケと語り合った屋上

から見える風景を、フィルムに焼き付けておきたいと思ったからだ。

「んっ? なんだ、この歌……?」

 屋上に上がったケンスケは、艶やかで美しい歌声を聴いた。一瞬、どこかの

クラスの音楽の授業かと思ったが、どうやら上の方から聴こえてくるようだ。

 扉の脇の梯子を登ると、学生服姿の銀髪の少年がひとり、貯水タンクの上で

歌っていた。妖しい不思議な雰囲気を持つ少年だった。

 ケンスケは思わずシャッターを切った。その音に少年が気付いた。

「隠し撮りかい? 隠し撮りはいいねえ……男のロマンだよ。でも、君は男な

 んか隠し撮りして楽しいのかい?」

 銀髪の少年は……渚カヲルだった……。

 カヲルはシンジ達と同じ3年生だったが、彼には受験なんて、興味がないら

しく、卒業後の進路は未定のままだった。

「ち、違うよっ」

 ケンスケはカメラを後ろ手に隠しながら答えた。くすっとカヲルは笑う。

 そして、再び歌い始めた。

「何の歌だよ……それ」

 しばらくの間、聴きいっていたケンスケはカヲルに尋ねた。

 カヲルは歌うのを止めて、じっと空を見上げた。

「……応援の歌さ……」

 カヲルはまた歌い始めた。その歌はやけに心に心地よい。ケンスケはシャッ

ターを切るのも忘れ、じっと空を見上げた。

 今日の第3新東京市の空は、抜けるように青い……。

○『SCENE6 〜素直になれなくて〜』

 試験会場のT大学のD教室前の廊下を、シンジの手を引いて、アスカが走っ

てくる。なんだかものすごい形相だ。

 間違えて、反対周りの電車に乗ってしまった上に、おまけにラッシュまで巻

き込まれて、試験開始5分前の到着となったらしい。

「ったく、朝からロクな目に遭っちゃったわね」

 アスカはぜいぜいと息をしている。シンジも息を切らしていた。

「この分じゃ、アンタの試験も最悪かもね。ま、ワタシは心配ないけど」

 少しエラそうな口調でアスカが言う。

「だ、大丈夫さ……今日の悪い運は全部使いきっちゃったから」

 いつものアスカなら、シンジが口応えをしようものならすかさず怒鳴るトコ

ロだ。でも、今日のアスカは、口元に笑みを浮かべると、ニッコリと笑った。

「ま、そうかもしんないわね」

「うん」

 シンジは嬉しそうにうなづく。アスカもなんだか嬉しくなった。

「せいぜい、合格出来るように頑張んなさいよ」

「アスカもね」

 アスカの頬がポッと赤くなった。慌てて、シンジに背を向ける。

「わ、ワタシが落ちるって思ってるの!? 天が逆さになったって、ありえっ

 こないわ」

 相変わらず、素直ではないアスカだった。

「そ、そうだね……。……あ、あのさ、アスカ……?」

「な、何よ……!?」

 アスカが振り返ると、シンジが紫色の布の袋に入った何かを差し出していた。

「……お守り……。昨日、帰りに神社に寄ったんだ……アスカにもどうかな、

 と思って、買っておいたんだけど……」

 アスカは驚いた。でも、照れくさい気持ちの方が強くて、ぷいと顔を背けて

しまった。

「……あ、あいにく私は、神様なんて信じないタチなの!」

「そ、そうなんだ……?」

 シンジは寂しそうにうつむいた。アスカはいつものクセでつい強がってしま

った事を痛く後悔する。シンジが自分のために思ってやってくれているという

事はよく分かっている……シンジのそんな気持ちは嬉しい。……でも、いつも

素直になれなかった。

「……よこしなさいよ」

「は?」

「そのお守り、よこしなさいって言ってるの!」

 アスカはシンジの手からお守りをひったくった。シンジが唖然としてアスカ

を見る。頬がさっきより赤いような気がした。

「ア、アスカ……?」

「じゃあ、行くからね。終わったら先に帰っちゃってもいいわよ。まあ、どう

 してもって言うなら、待っててもいいけど」

 アスカはそう言い放つと、つかつかと試験会場の教室に向かった。

 シンジはその背中を見送っていたが、アスカの真っ赤な顔を思い出すと、く

すっと微笑んだ。

○『SCENE7 〜親子〜』

『……そうそう……その調子よ。シンジ……』

 ネルフ本部内の司令室の中から、妖しい女の声が聞こえた。

 仕事の用事でゲンドウを訪ねてきた日向マコトは、部屋をノックするのをた

めらった。また、あのお方が中にいるらしい……。

 しかし、仕事を済まさないわけにもいかず、日向は渋々と扉をノックした。

 扉のプレートには『司令室 兼 理事長室』と書かれている。『理事長室』の

文字が心なしか小さい。これを見る度に日向は苦笑いせずにはいられなかった。

『は〜い。開いてるわよ』

 緊張感のないやわらかな女性の声が聞こえる。

「日向です。失礼します」

 部屋に入った日向は、真正面の大きな机の椅子にでんと腰掛けた女性に目を

やった。NERV総司令・碇ユイである。彼女の机の上には、普段は見かけないテ

レビモニターがあるが、何が映っているのか、日向の位置からは見えない。

「あ、あの……碇理事長は?」

 隅っこに追いやられたゲンドウの机を見ながら、日向は訪ねる。ほんの2年

前までは、司令席だった机だ。

「あのひとなら、家の近くの神社にいるわよ」

 ユイはモニターに視線をやったまま、そっけなく答えた。

「は?」

 日向はワケが分からず、ユイの顔を見た。もう、結構いいトシのはずなのに

ミサトやリツコに劣らずと若作りな顔である。またそれがミサトの対抗意識を

燃やすのだ。

「お百度参りに行ったわ……案外、古風な趣味よねえ」

 ユイはクスクスと笑った。日向は、神社の境内で、水を頭から被っては、右

往左往しているゲンドウの姿を想像して、含み笑いをせずにはいられなかった。

「で、何か用事かしら?」

「はい。頼まれた書類を持ってきたのですが……」

 ユイはゲンドウの机の上を指さした。日向は、写真立ての脇に持ってきた書

類を置いた。

「そこに置いておいて。後で見るようにあの人に言っておくわ」

「お願いします」

 書類をゲンドウの机の上に置いて、一度は部屋を出ようとした日向だったが、

ユイの机の上のモニターがどうしても気になった。

「あ、あの……それ、何が映ってるんですか?」

 ユイは顔を上げた。

「知りたい?」

 ニッコリと満面の笑みを浮かべてユイは微笑んだ。日向はこくこくと頷く。

「いいわ。いらっしゃい」

 ユイが手を振って手招きした。日向は足早に近づいてモニターを覗き込む。

「………」

 しばし、絶句。

 モニターには試験に挑むシンジの様子が鮮明に映し出されていた。

‥だから、朝から加持さんの姿を見なかったのか ‥

 調査部所属の加持の姿をはじめ、調査部の居室がやけに寂しかったのは、ど

うやらこれが原因らしい。

『……シンジっ、えらいっ!』

 ユイがパチパチと拍手している。

‥揃いも揃って、親バカだな…… ‥

 解答用紙の前で首をひねるシンジの姿に声援を送るユイの背中を見つめなが

ら、日向はくすっと笑った。

○『SCENE7 〜ほっとけないよ〜』

 4時間に及ぶ試験がようやく終わった。

 レイは、ふうとかわいいため息をついた。周りの少女達はガヤガヤと話をし

ている。筆記用具をカバンにしまいながら、レイは先程の彼女の席の方を見た。

 けれども既に彼女の姿はなかった……。

‥また、逢えるかしら…… ‥

 もう一度、彼女に逢いたいと思った……。

「……まっずいなあ……。全然自信ないや……」

 渋い顔でシンジが教室から出てくる。英語も国語も全滅……辛うじて自信が

あるのは数学くらいか……。考えにふけりながら歩いていると、いきなり後ろ

頭をひっぱたかれた。

「……っ痛っ! 何するんだよっ……!」

 シンジはイラつきながら振り返った。次の瞬間、顔がひきつる。

 鞄を手に、ギロリとアスカが睨んでいたからだ。

「ア、アスカ……!?」

「ったく、そこにいたのに、通り過ぎるとは何よっ!」

 アスカは、ものすごく怒っているようだ。

 どうやら、扉のすぐ脇で待っていたらしい。

「……ご、ごめん……」

 アスカはシンジが元気がないのにようやく気がついたらしく、心配そうにシ

ンジの顔を覗きこんだ。

「アンタどうしたの……? 試験、出来なかったの……?」

「……うん……ちょっと自信なくて……」

 シンジが不安そうにうつむく。

 アスカは心配そうにシンジを見つめていたが、パンとシンジの背中を平手で

叩くと、いつもの元気な口調で言った。

「ったく、な〜にクヨクヨしてんのよっ! 終わった事ぐちぐち言ってても仕

 方ないでしょ! しょせん、アンタが受かるなんて、奇跡でも起きなきゃ無

 理なんだからさ、せいぜい神様にでも祈ってなさいよ」

 シンジが顔を上げてアスカを見た。

「……そ、その……私も祈っててあげるからさ」

 アスカは照れくさそうに、シンジから視線を逸らした。

「そうだっ。アイス、アイス食べに行こっ!」

 アスカが元気な声でシンジに言った。

「アイス〜ぅ?」

 不服そうにシンジが言う。

「な〜に? なんか文句ある?」

 アスカがジロリとシンジをにらむ。

「……う、ううん……」

 ぶんぶんと首を横に振ったシンジを見て、アスカはニッコリと笑った。

「じゃ、行くわよ! もちろん、シンジのオゴリねっ」

「えっ? ど、どうして……?」

「レディにアイスをオゴるのに理由なんていらないわ」

 アスカは楽しそうにそう言うと、シンジに自分の鞄を押しつけて、廊下を歩

き始めた。その背中を見つめながら、シンジは仕方ないや、と言わんばかりに

肩を竦めた。

 さっきまでの陰気な思いは、もうどこかに飛んでしまっていた……。

○『エピローグ』

 3月上旬の日曜日。

 太陽は燦々と輝き、小鳥のさえずりも聴こえる。受験の頃には閉じたままだ

った校庭の木々の枝のつぼみも、綺麗な桃色の花を咲かせていた。

 レイはひとりで合格発表を見にやって来た。リツコはついていこうかと言っ

てくれたけれど、ひとりで大丈夫だからと丁寧に断った。

 シンジ達の合格発表は来週らしい。

 掲示板が設置されているはずの中庭に向かって歩いていると、彼女の姿が目

に入った。今日も彼女はひとりだった。

 掲示板の前に到着すると、彼女は一度手を併せ、目を閉じ、祈るような仕草

をみせてから、神妙な表情で掲示板を見上げた。自分の受験票と照らし合わせ

ながら、目で数字を追っている。

‥どう……なのかしら……? ‥

 自分の事も忘れ、レイは彼女の仕草に見入っていた。

 やがて、彼女の顔がパッと明るくなった。どうやら合格したようだ。

‥良かった…… ‥

 レイはほっと一安心して、掲示板を見上げた。自分の受験番号を探す……。

 自分の番号はすぐに見つける事が出来た。受かっているだろうと思っていて

も、つい笑みがこぼれてしまう。

‥嬉しいときって、自然と笑顔になるものなのね…… ‥

 昔、シンジが自分に言ってくれた言葉を思い出す。なぜか急にシンジに逢い

たくなった。

 ふと視線を感じて、レイは横の方に目をやった。

 じっとレイを見つめていた彼女が、申し訳なさそうに慌てて視線をそらした。

‥勇気出さなくちゃ…… ‥

 レイは小さく拳を握りしめると、彼女に向かって歩みを進めた。

 彼女は不安そうな表情で、レイが来るのをじっと待っている。

 レイは立ち止まった。レイの方がほんの少しだけ背が高い。

 彼女は覚悟を決めたのか、じっとレイの瞳を見つめている。

「……あなたもひとり……?」

 レイは彼女に向かって、微笑みながら尋ねた。不安げだった彼女の顔が一瞬

にして明るくなった。

「は、はいっ……!」

 その元気な返事に、レイはニッコリと微笑った。

「私は……綾波レイ……。あなたの名前は……?」

 微笑みを絶やさぬまま、レイは彼女に尋ねた。慎重に、丁寧に、じっと彼女

の瞳を見つめながら……。

「わ、私の名前は……」

 レイは微笑んだまま、彼女の言葉を待った。

 やわらかな春の日差しがまぶしい。甘い花の香りが鼻をくすぐる。

 爽やかな風が心地よい。

 そして……レイは初めて、彼女の名前を知った……。

                    『ファースト・コンタクト』(了)




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Copyright Toshiya 1997